1 1980年前後から、今までのタイプの活動が時代に合わなくなったと考えます。言うならば、「窮乏革命論」に基づく「政治主義」の活動が。要するに「諸困難を除く為に、政治をこう変えようと『宣伝』すれば、議会で多数を得られて、困難は打開できる」というような活動だったかと思います。発展途上国型変革論とでも言いましょうか。
2 新たに必要になった視点は、「専門性」、「文化性」、「人間性」などではなかったでしょうか。つまり、貧困、困窮問題もさりながら、それ以上に生活点、生産点における質の改善、それによる人の評価と、繋がりあいなどが時代の魅力になったのだと。
3 1と2では、対応する組織が自ずから違ったものになってくると考えます。1は「階級闘争」という概念に典型的に付随するような、厳格な、かつ「寸暇を惜しむ」団結が要請されました。他方2に対応するのは、もっとゆるやかな組織ではないでしょうか。上意下達の『注入』は控え、それぞれの内発性と、話し合い、学びあいとに基づくような組織。昔批判された「討論クラブ」、そういう人の輪。こういうものを長期にわたって作り上げていくというやり方でなければ、専門性、文化、人間性などは熟していかないのだと考えます。
4 以上の変化を遂げる妨げになった哲学的背景というものも、また存在したと思います。ちなみに、日本の革新政党は世界観政党でしたから、単なる政党ではありません。人生観にも関わっています。それなのにその世界観、哲学に欠陥があった。一言で言えば「客観主義」ということでしょうか。広辞苑によればこう述べられるものです。「人間の実践的活動の如何にかかわらず歴史が進行すると考える宿命論的態度や傍観主義的態度」と。窮乏を除くための「実践」が、宣伝・認識と議会とに偏っていたし、「専門性」、「文化性」、「人間性」に関わる実践は実質、政治の手段、それへの入り口のように理解する哲学ではなかったでしょうか。僕の経験ではそのようにしか、見えなかったのです。
(続く)
2 新たに必要になった視点は、「専門性」、「文化性」、「人間性」などではなかったでしょうか。つまり、貧困、困窮問題もさりながら、それ以上に生活点、生産点における質の改善、それによる人の評価と、繋がりあいなどが時代の魅力になったのだと。
3 1と2では、対応する組織が自ずから違ったものになってくると考えます。1は「階級闘争」という概念に典型的に付随するような、厳格な、かつ「寸暇を惜しむ」団結が要請されました。他方2に対応するのは、もっとゆるやかな組織ではないでしょうか。上意下達の『注入』は控え、それぞれの内発性と、話し合い、学びあいとに基づくような組織。昔批判された「討論クラブ」、そういう人の輪。こういうものを長期にわたって作り上げていくというやり方でなければ、専門性、文化、人間性などは熟していかないのだと考えます。
4 以上の変化を遂げる妨げになった哲学的背景というものも、また存在したと思います。ちなみに、日本の革新政党は世界観政党でしたから、単なる政党ではありません。人生観にも関わっています。それなのにその世界観、哲学に欠陥があった。一言で言えば「客観主義」ということでしょうか。広辞苑によればこう述べられるものです。「人間の実践的活動の如何にかかわらず歴史が進行すると考える宿命論的態度や傍観主義的態度」と。窮乏を除くための「実践」が、宣伝・認識と議会とに偏っていたし、「専門性」、「文化性」、「人間性」に関わる実践は実質、政治の手段、それへの入り口のように理解する哲学ではなかったでしょうか。僕の経験ではそのようにしか、見えなかったのです。
(続く)
文科系さんの書かれたこの部分が重要だと思うのですが、「それへの入り口のように理解する」というのはどのような姿で現れ運動を狭めたのですか。
「続く」で許される範囲で具体的に触れてください。
「論文」が完結する前にコメントするのは本位ではありませんので、ひとつだけ感じたことを申し上げますと、「1980年代前後から今のタイプの活動が時代に合わなくなった」と書かれています。
私もほぼ同じような見解を持っていますが、その原因の分析については、私は「革新政党」からのアプローチもよりも、時の権力(政府や財界など)からのアプローチがより必要だと思います。今後書かれる予定でしたら先走りでしたが、次からの文章を期待しております。
「それへの入り口のように理解する」について「許される範囲で」ここで説明しましょう。
政治が政治学どころか哲学や文学にも干渉してきたという事件が世界的に、常に起こっています。戦後の、最近の日本でも。政治学では、田口富久治の民主集中制論議に対してとか、ヨーロッパのネオコミニズムを日本に採り入れる動きに対して。哲学では古在由重氏の葬儀や追悼論文集作成への干渉がありました。古在氏の日本原水協吉田事件への関わりが原因です。民主主義文学運動においては、中国への政治方針に端を発して1組織が分裂するような大事件が起こっています。
つまり、「政治方針の範囲で出版、公表などはして欲しい」というように、影響力を最大限に行使するという性向が存在したということです。
九条様
「私は『革新政党』からのアプローチもよりも、時の権力(政府や財界など)からのアプローチがより必要だと思います」
言われている側面は分かります。社会党の取り込み・瓦解とか、反共マスコミ攻勢とかなどですね。だけど、これらは支配の側の常道でして、対する側にはそれは宿命。いやしくも「世を替える」というのならば、その上を行く腕前こそ求められ、それを示せなければ「方針は正しい」ということにもならないわけでしょう。つまり変革の立場で言えば、今は正しくない、またはおおいに不十分である。かなり根本的に論議しなければならない時なのでは?
続きは慎重に書いているので、難しいです。本日22日に「その2」を投稿します。
このシリーズは、現在書いている「僕の世界観に関わって」に掲載していくべき物かとも思うんです。が、まー、それは止めておきます。長くなることでもありますし。
こういうエントリーこそ、ご批判があれば特に嬉しいのですが・・・・。