代表監督・ザッケローニの人物紹介として、過去に書いたモノ2回分をもう一度改めて、まとめて転載したい。この連載の第2回目(9月18日分)と、第18回目(10月23日分)である。イタリアのベルルスコーニが嫌いな、なかなかの人物でもある事がお分かり願えるだろう。
代表監督・ザッケローニ
表題のことを、付け焼き刃の勉強結果報告として、書いてみたい。ただし、この勉強自体は、なかなか楽しかった。
1 監督実績
現在57歳のザックは、今の世界の超一流監督とは言えないだろう。詳細は省くが、モウリーニョ、ファーガソン、グァルディオラ、ベンゲル、カペッロ、アンチェロッティなど、そう呼べる監督は多くはないからだ。近年落ち目と言って良いイタリアにおいて10年以上昔の実績があるだけなのだが、一流監督にはかろうじて入るのではないか。後述するそれなりの成り上がり実績を背景にして、ミラン、インテル、ユベントスとイタリア3大チームの監督を務められた人間はそう多くはないのだから。ミランでは、98~99年シーズンに優勝もしている。
彼の成り上がり実績は何と言っても、95~98年のウディネーゼ時代だろう。95~6年シーズンにセリエAに上がったばかりだったこのチームに入ると、これを10位にした。翌年は5位に、97~8シーズンには3位に上げたのだった。その実績で98~99年にはミランに呼ばれて、混戦の中で優勝を収めたのだ。ただ、これ以降は、語るべき実績はないし、名門監督の地位も「繋ぎ」と言ってよい立場だった。
2 スタイル
監督としてのスタイルはどうか。
1から、選手育成も上手いし、彼我の戦力分析から対策を打ち出す良い戦術家である事も確かだと思う。斬新な点取り戦術を考え抜く攻撃的な名監督だということも有名だ。それは、次の二つの例から分かる。
ウディネーゼの躍進、ミランの優勝には、ザックが育てたドイツ人点取り屋・ビアホフの活用、存在があった。ザックと会う前の年はセリエBで9ゴール。この彼が翌年にはザックのチームで「セリエA、17ゴール」を上げ、その2年後にはセリエA得点王(27得点。この年にウディネーゼはリーグ3位)になっている。2、3位がそれぞれ、ロナウド(同25)、バッジョ(同22)と言えば、このビアホフを先頭に立てたザックの攻撃組織能力も十分に分かるはずだ。このビアホフはザックと共に、翌年にミランに移っている。ちなみに、当時のイタリアでは、ユベントスが世界最強チームとして名高かった。全盛期のジダンやデル・ピエーロがいたチームだ。これを押しのけてミランが優勝したのだから、色々陰口は叩かれているが、立派な実績だと思う。
3 ここ10年の「足踏み」、及び、人柄
この監督、2000年に入っては、なんの実績もない。これをどう見るかが一つのキーポイントになる。これについて僕は、イタリア・サッカー界の現惨状を第一に上げたいと思う。以下のような状況では、良い監督が育たないのではないか。「なんの保障もないのに、世界1だけは望まれる」と。やる気というものが育ちにくい国になっているのではないか。
現在9月時点でのイタリアは世界13位、イングランド(6位)、スペイン(1位)に総体として遅れを取っているし、オランダ(2位)ほどの絶えざる研究蓄積やドイツ(3位)ほどの大改革もない。それでいてイタリア有名クラブは過去の栄光を忘れられず、国内優勝では飽き足らなくて、ヨーロッパ・クラブチャンピオン杯を常に求められる。ここから、外国からの人材を取っ替え引っ替え使い捨てしてきて、イタリア人の中からは名監督も名選手も育たなくなっている。その証拠として、代表年齢は高齢化し、八百長さえも常に絶えない。大不況でカネもなさそうだし、加えてこの国では人種差別も強いように思う。ACミランのオーナーでもあり首相でもあるベルルスコーニの強権、専横が、イタリア・サッカー界全体の発展を妨げている面もあるのではないかと、僕は推察してきた。
さて、こういうサッカー界の状況の中では、ザックの評判は良い。温かい人柄のようであって、温厚、誠実、選手を使い捨てにしない、と。また、家業のレストランをさらに大きくするなど、着実な人生を歩んでいる人物でもある。彼に1部リーグ中堅チームを2~3年も与えれば、子飼いの選手を大事にして優勝チームを作る程度の腕前があるのは明白だと思う。流石にイギリス、スペインでは難しくとも、他の国においてならばという条件をつけてだが。ただしそれには、こういう条件が必要だろう。ザック・ACミランの名MFにして、イタリアサッカー協会現副会長アルベルティーニの言葉だ。
【 周囲がザックの言葉を聞き漏らさないこと。細部に渡る指示に忠実でなければなりません。この姿勢が選手になければ、彼のサッカーは成功し得ない。ミランがスクデットを獲った98~9シーズンに、幸運にも彼の指揮下に身を置いた私の経験がそう言わせるのです。
ミランというビッグクラブで、ザックスタイルを実践することは決して容易ではなかった。超の付く大物たちは、往々にして細かい戦術的な指示に従わないものですからね。それでもザックは、あれだけの高度なメカニズムと選手全員の献身性を必要とするサッカーを実現してみせた。何よりもザックの篤い人望の賜です。(中略)
我々の国とは明らかに異なるメンタリティーを持つ日本は、それこそザックの理想とする環境でしょう 】(ナンバー762号33ページ)
そう、組織規律を大事にする日本で、協会は普通の出来なら2~3年を彼に与えるだろうし、彼が大きい成果を上げる条件は十分過ぎるほどに整っていると思う。彼がもしアルコール中毒でもないならば、代表をアジアチャンピオンにするぐらいは難しくないことだと、僕は予測している。
なお、人間としての彼は、彼の雇い主だったシルビオ・ベルルスコーニの人物もその政治的立場をも、嫌いらしい。このことは、日常会話においてさえ政治信条に五月蠅いイタリアという国において、サッカー界でもかなり知られた話らしい。
随筆 ザックにときめいている
前置き
十月十二日のサッカー日韓戦が終わって今日まで、僕はザッケローニ監督にときめきっぱなしだ。この四日に初めてあずかったチームで、八日に世界五位のアルゼンチンに勝って、このニュースはたちまち世界を駆け巡った。十二日の韓国戦は、日本優勢の裡に引き分けている。この間負け続きで、相性が悪いと言うしかない相手だったのだが。こういう結果に僕が目を見張らされたのは言うまでもないが、それよりも何よりも、そこからうかがえた彼の才能の煌めきに、一人でうなっている。どんな才能なのだろうか。
たった二つの改善で
アルゼンチンや韓国の監督は当然、日本の激変に驚きの声を上げている。どこに驚いたのか。球際の強さが一際目立ったが、これは岡田監督が南ア大会直前に阿部勇樹をボランチに起用した辺りからのことだ。これを十分に踏まえた上で、ごく少数の改善がなされたというのが、今回の特徴である。それは主として、たった二つの事だと知られている。
1 味方前方からの圧力を密着して厳しくし、敵ボール保持者をサイドライン側に追いやるように指導した。その際、相手のパス先を塞ぐべく他の個々人の位置取りなどを細々と指導してきた。ディフェンスの中央を二列にして、非常に固くした上のことだ。
2 鋭い縦パスを、長いのも含めて使うなどから、攻撃が非常に速くなった。これによって、相手ディフェンスを下げさせる力が増えた。合わせて、味方ディフェンダーを、スピードと縦パス能力とを重視して選び直し、その位置も随分高くしている。
このたった二つの改善で、ザックがこれだけのことを成し遂げたことに、僕は先ず痛快な驚きを覚えた。彼が本来、こういうタイプの人間ではないと知っているからである。
ザックがイタリアで名をはせたのは、なによりもこういうことだった。弱いチームの選手を育てながらチーム力を長期に渡ってじっくり積み上げていき、やがて大きく熟成させていくタイプの名監督として。そういう人物が、こんな短期に、こんなに大きな結果を出した。しかも、イタリア以外では指揮したことがないはずの彼が、文化も何もかも異なった遠いアジアのこの国において。こういう出来事は、サッカー界でも極めて珍しいものに違いない。人として並々ならぬ才能、賢さを感じずにはいられないのである。
つまり、大局も応急手当も見ることができて、なおかつ短期速成の教育実践にも大成功する人物。そんな人間はなかなかいるものではない。これは組織運営というものに少しでも関わったことがある人ならば気付くはずのことだが、それにしてもこんな短期間で? 僕は頭をひねってさえいる。
彼の思考過程
彼はそもそも、何を考えてこの二点の改善に手を付けたのか。ごく短期間付き合ってきた代表チームに関わる彼の発言の変遷を、追ってみよう。その思考の経過が見えるのではないかというわけである。
1 来日後初めてのチーム作りに関わる発言は、こうだった。
「チームとしての攻守のバランスを重視したい」。
2 これが、教え始めたころには、こうなった。
「日本の技術、球回しは世界でもトップクラス。攻めが遅いだけだ。もっとも、FWにも大変良い選手を見つけた(多分、前田遼一と岡崎慎司のことだ。森本は前からよく知っているのだから)。ただし、日本の選手たちが、自分の高い能力に気付いていない事に驚く(これを気付かせるのも私の仕事だろう)」
3 アルゼンチン戦に勝った後では
「私の選手たちに抱いていた印象が『確信』に変わった。選手たちは、もっと自信を持って欲しい。Jリーグの監督さんたちには、本当に素晴らしい仕事をしていると申し上げたい。ただ、この勝利は嬉しいが、長期に力を積み上げていくことこそ大事だと言いたい」
4 韓国戦を終えて
「サイドのスペースを上手く突ければ、日本はどんな相手に対しても、かなり怖い存在になれると思う。(中略)普段、私の選手たちは技術が優れているので、ボール回しで今日のように多くのミスをすることはない。ピッチコンディションも不利に働いた」
結論
第一の改善点、前方からの組織的圧力は、前任の岡田が土壇場になって諦めた代表防御の「理想形」だった。岡田はこれを、失点が多いと見て諦めた。他方ザックは、ちょっとした手直しでこれを完遂してしまった。一方では、敵への組織的圧力をちょっと手直しして。他方では、長短の縦パスを使って日本の攻めを速くし、敵を押し込めることによって。こんなに短期間で成功したのを観ると、これらの手直し技術も日本には全てそろっていると見抜いた上でのことだろう。こうして、岡田の理想型を実現して、失点もセロだ。
賢い人は違うもんだ! 代表も、前途洋々である。
代表監督・ザッケローニ
表題のことを、付け焼き刃の勉強結果報告として、書いてみたい。ただし、この勉強自体は、なかなか楽しかった。
1 監督実績
現在57歳のザックは、今の世界の超一流監督とは言えないだろう。詳細は省くが、モウリーニョ、ファーガソン、グァルディオラ、ベンゲル、カペッロ、アンチェロッティなど、そう呼べる監督は多くはないからだ。近年落ち目と言って良いイタリアにおいて10年以上昔の実績があるだけなのだが、一流監督にはかろうじて入るのではないか。後述するそれなりの成り上がり実績を背景にして、ミラン、インテル、ユベントスとイタリア3大チームの監督を務められた人間はそう多くはないのだから。ミランでは、98~99年シーズンに優勝もしている。
彼の成り上がり実績は何と言っても、95~98年のウディネーゼ時代だろう。95~6年シーズンにセリエAに上がったばかりだったこのチームに入ると、これを10位にした。翌年は5位に、97~8シーズンには3位に上げたのだった。その実績で98~99年にはミランに呼ばれて、混戦の中で優勝を収めたのだ。ただ、これ以降は、語るべき実績はないし、名門監督の地位も「繋ぎ」と言ってよい立場だった。
2 スタイル
監督としてのスタイルはどうか。
1から、選手育成も上手いし、彼我の戦力分析から対策を打ち出す良い戦術家である事も確かだと思う。斬新な点取り戦術を考え抜く攻撃的な名監督だということも有名だ。それは、次の二つの例から分かる。
ウディネーゼの躍進、ミランの優勝には、ザックが育てたドイツ人点取り屋・ビアホフの活用、存在があった。ザックと会う前の年はセリエBで9ゴール。この彼が翌年にはザックのチームで「セリエA、17ゴール」を上げ、その2年後にはセリエA得点王(27得点。この年にウディネーゼはリーグ3位)になっている。2、3位がそれぞれ、ロナウド(同25)、バッジョ(同22)と言えば、このビアホフを先頭に立てたザックの攻撃組織能力も十分に分かるはずだ。このビアホフはザックと共に、翌年にミランに移っている。ちなみに、当時のイタリアでは、ユベントスが世界最強チームとして名高かった。全盛期のジダンやデル・ピエーロがいたチームだ。これを押しのけてミランが優勝したのだから、色々陰口は叩かれているが、立派な実績だと思う。
3 ここ10年の「足踏み」、及び、人柄
この監督、2000年に入っては、なんの実績もない。これをどう見るかが一つのキーポイントになる。これについて僕は、イタリア・サッカー界の現惨状を第一に上げたいと思う。以下のような状況では、良い監督が育たないのではないか。「なんの保障もないのに、世界1だけは望まれる」と。やる気というものが育ちにくい国になっているのではないか。
現在9月時点でのイタリアは世界13位、イングランド(6位)、スペイン(1位)に総体として遅れを取っているし、オランダ(2位)ほどの絶えざる研究蓄積やドイツ(3位)ほどの大改革もない。それでいてイタリア有名クラブは過去の栄光を忘れられず、国内優勝では飽き足らなくて、ヨーロッパ・クラブチャンピオン杯を常に求められる。ここから、外国からの人材を取っ替え引っ替え使い捨てしてきて、イタリア人の中からは名監督も名選手も育たなくなっている。その証拠として、代表年齢は高齢化し、八百長さえも常に絶えない。大不況でカネもなさそうだし、加えてこの国では人種差別も強いように思う。ACミランのオーナーでもあり首相でもあるベルルスコーニの強権、専横が、イタリア・サッカー界全体の発展を妨げている面もあるのではないかと、僕は推察してきた。
さて、こういうサッカー界の状況の中では、ザックの評判は良い。温かい人柄のようであって、温厚、誠実、選手を使い捨てにしない、と。また、家業のレストランをさらに大きくするなど、着実な人生を歩んでいる人物でもある。彼に1部リーグ中堅チームを2~3年も与えれば、子飼いの選手を大事にして優勝チームを作る程度の腕前があるのは明白だと思う。流石にイギリス、スペインでは難しくとも、他の国においてならばという条件をつけてだが。ただしそれには、こういう条件が必要だろう。ザック・ACミランの名MFにして、イタリアサッカー協会現副会長アルベルティーニの言葉だ。
【 周囲がザックの言葉を聞き漏らさないこと。細部に渡る指示に忠実でなければなりません。この姿勢が選手になければ、彼のサッカーは成功し得ない。ミランがスクデットを獲った98~9シーズンに、幸運にも彼の指揮下に身を置いた私の経験がそう言わせるのです。
ミランというビッグクラブで、ザックスタイルを実践することは決して容易ではなかった。超の付く大物たちは、往々にして細かい戦術的な指示に従わないものですからね。それでもザックは、あれだけの高度なメカニズムと選手全員の献身性を必要とするサッカーを実現してみせた。何よりもザックの篤い人望の賜です。(中略)
我々の国とは明らかに異なるメンタリティーを持つ日本は、それこそザックの理想とする環境でしょう 】(ナンバー762号33ページ)
そう、組織規律を大事にする日本で、協会は普通の出来なら2~3年を彼に与えるだろうし、彼が大きい成果を上げる条件は十分過ぎるほどに整っていると思う。彼がもしアルコール中毒でもないならば、代表をアジアチャンピオンにするぐらいは難しくないことだと、僕は予測している。
なお、人間としての彼は、彼の雇い主だったシルビオ・ベルルスコーニの人物もその政治的立場をも、嫌いらしい。このことは、日常会話においてさえ政治信条に五月蠅いイタリアという国において、サッカー界でもかなり知られた話らしい。
随筆 ザックにときめいている
前置き
十月十二日のサッカー日韓戦が終わって今日まで、僕はザッケローニ監督にときめきっぱなしだ。この四日に初めてあずかったチームで、八日に世界五位のアルゼンチンに勝って、このニュースはたちまち世界を駆け巡った。十二日の韓国戦は、日本優勢の裡に引き分けている。この間負け続きで、相性が悪いと言うしかない相手だったのだが。こういう結果に僕が目を見張らされたのは言うまでもないが、それよりも何よりも、そこからうかがえた彼の才能の煌めきに、一人でうなっている。どんな才能なのだろうか。
たった二つの改善で
アルゼンチンや韓国の監督は当然、日本の激変に驚きの声を上げている。どこに驚いたのか。球際の強さが一際目立ったが、これは岡田監督が南ア大会直前に阿部勇樹をボランチに起用した辺りからのことだ。これを十分に踏まえた上で、ごく少数の改善がなされたというのが、今回の特徴である。それは主として、たった二つの事だと知られている。
1 味方前方からの圧力を密着して厳しくし、敵ボール保持者をサイドライン側に追いやるように指導した。その際、相手のパス先を塞ぐべく他の個々人の位置取りなどを細々と指導してきた。ディフェンスの中央を二列にして、非常に固くした上のことだ。
2 鋭い縦パスを、長いのも含めて使うなどから、攻撃が非常に速くなった。これによって、相手ディフェンスを下げさせる力が増えた。合わせて、味方ディフェンダーを、スピードと縦パス能力とを重視して選び直し、その位置も随分高くしている。
このたった二つの改善で、ザックがこれだけのことを成し遂げたことに、僕は先ず痛快な驚きを覚えた。彼が本来、こういうタイプの人間ではないと知っているからである。
ザックがイタリアで名をはせたのは、なによりもこういうことだった。弱いチームの選手を育てながらチーム力を長期に渡ってじっくり積み上げていき、やがて大きく熟成させていくタイプの名監督として。そういう人物が、こんな短期に、こんなに大きな結果を出した。しかも、イタリア以外では指揮したことがないはずの彼が、文化も何もかも異なった遠いアジアのこの国において。こういう出来事は、サッカー界でも極めて珍しいものに違いない。人として並々ならぬ才能、賢さを感じずにはいられないのである。
つまり、大局も応急手当も見ることができて、なおかつ短期速成の教育実践にも大成功する人物。そんな人間はなかなかいるものではない。これは組織運営というものに少しでも関わったことがある人ならば気付くはずのことだが、それにしてもこんな短期間で? 僕は頭をひねってさえいる。
彼の思考過程
彼はそもそも、何を考えてこの二点の改善に手を付けたのか。ごく短期間付き合ってきた代表チームに関わる彼の発言の変遷を、追ってみよう。その思考の経過が見えるのではないかというわけである。
1 来日後初めてのチーム作りに関わる発言は、こうだった。
「チームとしての攻守のバランスを重視したい」。
2 これが、教え始めたころには、こうなった。
「日本の技術、球回しは世界でもトップクラス。攻めが遅いだけだ。もっとも、FWにも大変良い選手を見つけた(多分、前田遼一と岡崎慎司のことだ。森本は前からよく知っているのだから)。ただし、日本の選手たちが、自分の高い能力に気付いていない事に驚く(これを気付かせるのも私の仕事だろう)」
3 アルゼンチン戦に勝った後では
「私の選手たちに抱いていた印象が『確信』に変わった。選手たちは、もっと自信を持って欲しい。Jリーグの監督さんたちには、本当に素晴らしい仕事をしていると申し上げたい。ただ、この勝利は嬉しいが、長期に力を積み上げていくことこそ大事だと言いたい」
4 韓国戦を終えて
「サイドのスペースを上手く突ければ、日本はどんな相手に対しても、かなり怖い存在になれると思う。(中略)普段、私の選手たちは技術が優れているので、ボール回しで今日のように多くのミスをすることはない。ピッチコンディションも不利に働いた」
結論
第一の改善点、前方からの組織的圧力は、前任の岡田が土壇場になって諦めた代表防御の「理想形」だった。岡田はこれを、失点が多いと見て諦めた。他方ザックは、ちょっとした手直しでこれを完遂してしまった。一方では、敵への組織的圧力をちょっと手直しして。他方では、長短の縦パスを使って日本の攻めを速くし、敵を押し込めることによって。こんなに短期間で成功したのを観ると、これらの手直し技術も日本には全てそろっていると見抜いた上でのことだろう。こうして、岡田の理想型を実現して、失点もセロだ。
賢い人は違うもんだ! 代表も、前途洋々である。