松ぼっくり拾い K・Kさんの作品です
老人ホームにお世話になっている母を気分転換にと外出させた。
家族で昼食後、五歳の孫娘が持ってきた松ぼっくりの絵本を母は興味深そうに見ている。ページをめくりながら思い出したように口を開いた。「青森にいた時は、よく松ぼっくりを拾いに行ったね」、遠くを見る目になって話し始めた。
五十年前、父の転勤のため八戸市で四年過ごしたのを私も思い出した。薪ストーブでの焚き付けに松ぼっくりを使うので、休日に家族でおにぎりを持って防風林の松林へ松ぼっくりを拾いに行った。そのころ小学生だった私は初めは兄弟で競い拾った。一つずつ布袋を持ち誰が早くいっぱいにするかと負けん気をだした。でもすぐに飽きて砂浜で遊んだ。
「波が来たら逃げるんだよ。海の底に引きずり込まれるから」母が繰り返し注意していたのを覚えている。今でも波は怖い。帰りは籐でできた乳母車に、松ぼっくりが入った布袋と一緒に弟が乗ったのを皆で押した。
松の語源の一つに、春に受粉して秋に実がなる。そのまま冬を越し二年目の春から大きくなり、中の種が風に乗って運ばれると、松ぼっくりは木から落ちる。待つのが長いからまつという説もあるとか。北国の冬は長い。春は本当に待ち遠しかった。
「濡れて閉じているのは、ストーブの周りに置いて乾かすと開いたよね」母の話は続く。いつまでも松ぼっくりの絵本に見入っていた。
老人ホームにお世話になっている母を気分転換にと外出させた。
家族で昼食後、五歳の孫娘が持ってきた松ぼっくりの絵本を母は興味深そうに見ている。ページをめくりながら思い出したように口を開いた。「青森にいた時は、よく松ぼっくりを拾いに行ったね」、遠くを見る目になって話し始めた。
五十年前、父の転勤のため八戸市で四年過ごしたのを私も思い出した。薪ストーブでの焚き付けに松ぼっくりを使うので、休日に家族でおにぎりを持って防風林の松林へ松ぼっくりを拾いに行った。そのころ小学生だった私は初めは兄弟で競い拾った。一つずつ布袋を持ち誰が早くいっぱいにするかと負けん気をだした。でもすぐに飽きて砂浜で遊んだ。
「波が来たら逃げるんだよ。海の底に引きずり込まれるから」母が繰り返し注意していたのを覚えている。今でも波は怖い。帰りは籐でできた乳母車に、松ぼっくりが入った布袋と一緒に弟が乗ったのを皆で押した。
松の語源の一つに、春に受粉して秋に実がなる。そのまま冬を越し二年目の春から大きくなり、中の種が風に乗って運ばれると、松ぼっくりは木から落ちる。待つのが長いからまつという説もあるとか。北国の冬は長い。春は本当に待ち遠しかった。
「濡れて閉じているのは、ストーブの周りに置いて乾かすと開いたよね」母の話は続く。いつまでも松ぼっくりの絵本に見入っていた。
サヨのアレコレと比べて。
・・実は、ネトウヨかもしれませんよ?
僕の紹介随筆は、僕の同人の人の作品ばかり。すべて、10年以上の友人である。それも、毎月作品に出会って、毎月批評しあう仲。その相手の左右傾向など、分からないはずがないのである。
馬鹿は、そんな想像力も働かないという、典型。全く見ず知らずの人の作品を紹介するなら、どういう人かとか、どこに載った作品かとか、そんなことを書くに決まっているのである。
それが、現代日本ではどうだ! 子殺し、子捨て、子放置があふれている国とも見えるのである。不本意ながら、そうなってしまったという人が多いと信じたいが、誰がこんなに醜く余裕のない国にしてしまったのか。僕と同じ年齢の同人誌仲間に人生の後半をずっと次々といろんな子の里親を引き受けてきた方が居られる。「愛着が満たされない子が実に多い」と、いつも語って来られた。