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記者が行く:沖縄戦、ガマに響く軍歌 83歳女性、苦悩語る 

2009年06月23日 21時38分53秒 | Weblog
★毎日新聞の関西版に記者が沖縄戦の「白梅学徒隊」で救護経験をした女性訪問記事を載せていました紹介します。(まもる)

記者が行く:沖縄戦、ガマに響く軍歌 83歳女性、苦悩語る 
6月23日17時1分配信 毎日新聞

 ◇沖縄戦の「白梅学徒隊」で救護した女性に聞く

 23日は「沖縄慰霊の日」。取材エリアである尼崎市の特別養護老人ホーム「園田苑」に、「白梅学徒隊」の一員として兵士の救護に当たった経験をもつ女性(83)が入所していると聞き、訪ねてみた。女性は淡々とした話しぶりながら「戦争がこびりついて、(頭から)離れない」と、64年間続く苦悩を語った。
 白梅隊は、沖縄県立第二高等女学校の生徒らで結成された隊。「ひめゆり学徒隊」(第一高女などで構成)などと同様、陸軍病院や野戦病院に動員された。
 白梅隊の仕事は、野戦病院での兵士の救護だった。一日にどれくらいの兵士が運ばれてきたかは「分からない」。それほどひっきりなしに、傷病兵が病院に運ばれてきた。中には幼い子供の写真を握りしめたまま亡くなった兵士もいた。「子供が生まれる前に沖縄に来て、写真でしか自分の子供を見てなかったと思う」
 戦禍が野戦病院に及ぶと、女性はガマ(洞くつ)へ移動。白梅隊も個別行動になり、散り散りになった。「みんな元気かなあ」。ガマで友人と話をしていたある日、友人の一人が爆弾の破片を胸に受け、出血多量で亡くなった。女性も右太ももを負傷、傷跡は今も残る。
 今も女性の脳裏をかすめるのは、ある日ガマに響き渡った陸軍中尉の軍歌だという。やたらと大きく、太い声にガマ中が「何事か」と騒然としたが、歌がやむと、切腹した中尉の遺体が転がっていた。「死ぬときに歌を歌う人を初めて見た」。以来、沖縄戦のことを思い出すたび、女性の耳には中尉の軍歌がよみがえる、という。
 女性は体が弱り、一人での外出は難しくなった。ホーム職員の大上茂利さん(35)は、第二高女の同窓会に一昨年と昨年同行、ガマも訪れた。女性は銃撃があった場所や白骨遺体を目にした場所などを詳しく覚えていたといい、大上さんは「これほどはっきりと記憶に残るほどの戦争があったのか」と思うと、自然と鳥肌が立ったという。【中里顕】
〔阪神版〕
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沖縄戦では (落石)
2009-06-25 16:44:43
米軍が撮影したフィルムのなかに
少年ともいえないほどの子供が
恐怖から震えがとまらない。
その姿が忘れられません。

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