
私の参加する「昭和区九条の会」では終戦を記念し戦争の惨禍で亡くなられた方々を追悼する行事が何かできないかと話し合っておりましたところ、平和の鐘を撞くことに決まりました。
「梵鐘は寺院において色々な行事を行なうときの合図に、また朝夕には時を伝えるとともに、衆生[しゅじょう]の愚かしい考えや悪行を引きとどめることを目的として打ち鳴らされる。さらに、その音色を聞くことによって、地獄の苦しみから逃れ、極楽に往生できるとされている。」そうです。
そこで、このあたりで終戦記念日や原爆忌に鐘を撞いているお寺を探したところ、東別院でやっていることが分かりました。
先日の長崎原爆忌の鐘つきに参加させていただきました。
そこで、八月十五日(土)11時50分に東別院正門に集合していただき平和の鐘つきをすることとなりました。是非ご参加ください。
☆なお、鐘つきの前に「9条アピール」のシール投票もやりますので参加される方は10時40分に正門においでください。
☆写真は埼玉の寄居町の平和の鐘つきのようすです。
「梵鐘は寺院において色々な行事を行なうときの合図に、また朝夕には時を伝えるとともに、衆生[しゅじょう]の愚かしい考えや悪行を引きとどめることを目的として打ち鳴らされる。さらに、その音色を聞くことによって、地獄の苦しみから逃れ、極楽に往生できるとされている。」そうです。
そこで、このあたりで終戦記念日や原爆忌に鐘を撞いているお寺を探したところ、東別院でやっていることが分かりました。
先日の長崎原爆忌の鐘つきに参加させていただきました。
そこで、八月十五日(土)11時50分に東別院正門に集合していただき平和の鐘つきをすることとなりました。是非ご参加ください。
☆なお、鐘つきの前に「9条アピール」のシール投票もやりますので参加される方は10時40分に正門においでください。
☆写真は埼玉の寄居町の平和の鐘つきのようすです。
そのあとお寺で村から応召して戦没した方々の思い出や、戦地から帰られた方の苦労話にはながさきました。
しかしそれも昭和四十年代までだったのかも知れません。
たまにお盆に帰っても久しく戦没された方や
戦地でのお話は聞きません。それより営農の厳しさなどの話ばかりです。
また、お寺で追悼の鐘を撞っているという話もなくなったようです。
この日くらい全国のお寺で平和を感謝祈願して梵鐘をならすことが定着できないものでしょうか。そんな提案をマスコミも罪滅ぼしにやったらどうでしょう。寂しいことです。
ところで名古屋でそうした行事を続けているお寺さんがあることを知って感心しました。できれば参加したいと思います。
もちろんこういう「日本」には欠点もあるのも知っていますが。「協調性の強要」「ムラの顔役中心の長いものには巻かれろ主義」などなどのことです。
こういう欠点の上に乗っかってきた自民党も退くようですし、新しい「公」「連帯」が時代に要求されているということでしょう。
新しい「公」「連帯」、そんなことをも考えながら僕はこのブログに加わっているつもりです。「公は全て幻想。民だけでよい」なんて風潮は、やっぱりどっかおかしいですものね。