あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十五年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。
こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。
米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。
さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。
以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。
こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。
米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。
さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。
以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。
神道とは、天皇が神だという宗教なのです。
ですので、
イエスが人なら天皇も人でいい。
ブッダが人なら天皇も人でいい。
しかし、
イエスが神なら天皇も神だし、
ブッダが仏なら天皇も神とするべきだ。
イギリスでは国教がキリスト教なのだから、
日本も国教を神道とするべきだと。
で、そんな僕に対して文化系さんは、
神道の信者だから話さない、などという事を言う。
しかし、僕は初詣にはいくけれど、お葬式は仏教だし、クリスマスも祝います。
僕一人とすら話ができなくて、よく話し合いで平和をなんて言えますよね
(^0^)
イランはイスラム教が国教です。
のみならず、国民に信仰の自由は認めない。
さらに言えば、革命輸出をするといってる、外国も全てイスラム教にすべきだ、という恐ろしいイスラム 原理主義が国教です。
イスラム教とは、異教徒は殺せ、という宗教です。
イランは建国から革命輸出をすると言っている国です。
全世界をイスラム教にしなければならない、と、言ってる国なんだよ。
ぶっちゃけアメリカは正しい、
話し合いはムダです。
経済制裁で、追い詰め、平和的な国に変わってもらうべきです。
イランはテロでアメリカ人を殺します。
アメリカはテロで、テロを実行してきた司令官を殺害しました。
正当防衛です。
テロには、テロ。
ところが、キミは、対話を拒絶し、無視を決め込む。
僕一人すら対話を拒んでいて、どうやってイランを説得するのか?
宗教が必要ないというならば、
イランのイスラム原理主義こそ必要がない。
キミの言っている事は、単なる現実逃避だ。
中国の九段線とか、ロシアのウクライナ関連とか。
文ちゃん、現実から目を背けるのも、大概にしたら?
僕は、一切応答しないと言ったか? 「この議論はこれで終わる」とは言った。そして、その議論の後は答えないということは、やった。また、「今後に向かって、答えたければ答えるし、答えたくなければ答えぬ」とも語った。そもそもそんなことは当たり前の言い分のはずだ。
価値無しとか、いー加減とかの批判、質問に答えねばならぬか?
そもそも、高校の歴史、社会科で習う程度の知識も踏まえぬ質問に答える価値などないのだよね。と、何度も言ってきたはずだが。
『ぶっちゃけアメリカは正しい、話し合いはムダです。経済制裁で、追い詰め、平和的な国に変わってもらうべきです』
こんな上の批判も回答拒否するが、その理由は以下の通り。まー回答になるのだが・・・。
僕は民主主義者だ。ということは、イスラム教徒もキリスト教徒も、「その信仰者である前に人間」と認める。そして、例えばイランとアメリカとどちらが、自国内のことはいざ知らず、こういう民主主義に従って他国に対しているか。イランに決まっている。アメリカはイラクを滅ぼして、今は「出て行け」とイラク国会で決議されても出て行かぬ。シリアに対しても同じである。長年イランを潰そうと行動してきたアメリカこそ、多国間主義の国連民主主義外交の名において、批判されてきたのであった。
ちなみに、イスラムがアメリカ人を殺した人数と、アメリカがイスラムを殺した人数とを比較して観るが良いのである。この圧倒的な差の中でアメリカの肩を持つのは、民主主義(外交論)の視点がねじ曲がっているというだけのことだ。
何度も言うが、そもそも多国間主義、その諸原理が分からぬ人間とこんな話は出来ないのである。
明治の東大総長加藤弘之がそれだ。概ね、こういう理論を作り上げ、これが大日本帝国その後の政治史を動かす基礎理論となった。
①優勝劣敗の生物社会、その人類史版で、今の勝者たる白人に、劣者たる日本人はどう対処していきうるか。
②天皇の下に国民こぞって一糸乱れず一致団結して富国強兵に努めることだけが、ダーウィン的人間生物界で勝者になり得る唯一の道である。
③この理論がまた、「大日本帝国は万世一系の天皇が統治する」「天皇は神聖にして犯すべからず」を骨子とする大日本帝国憲法の哲学的基礎付けになったのは自明であろう。
「動物である人、人の国も、やはり争うもの。国が滅びないためにこそ、天皇の下に団結しよう。団結を乱す奴は国を滅ぼす輩である(と、治安維持法)」
イランを批判すべきではないか?
フセインが殺したイラク人の数と
アメリカ軍が殺したフセイン軍を比較すれば、
フセインが殺したイラク人の数の方が多いことは
自明の理だ。
国連において、イランが制裁を受けたことは
あっても、
アメリカが制裁を受けたことなどないぞ?
例えば
護身術を学ぶ。
何の問題もない行為だ。
アルソックで家を守る。
何の問題もない行為だ。
富国強兵で自分の国を守る。
何の問題もない行為だ。
しかし、革命輸出をしよう。
イスラム教は真理だから、異教徒は殺す、
というイランは悪だ。
なぜ、こんな簡単な事が分からないのか?
イラク撤兵に関して、精算が行われるのは当然だろう。
この件に関してはトランプ大統領に1にも2にも
理があるだろう。
イラクはアメリカの支援をものすごい額受けているから、
タダで出て行け、というのならば、
支援したお金を返せ、と、アメリカが言うのは当然だろう。
米軍は、イランという危険な国があるから
イラクに駐留している訳で、
その対価としての支援は充分すぎるほどイラクに
払っている。
イラクがアメリカからイランの側につくというので
あれば、
支援したお金を返せというのは、当然の事だろう。
>なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」
考えてみると当たり前の事ではあるけど、言われてみると確かにそうですね。
「戦争をしたい」と考える人がいるから戦争が起きるわけで。
だから一人の意向で国が動く独裁政治は危険きわまりなく。
アメリカに関しては兵器産業の影響力を何とかしないといけないという事かな。
ここが誤りで、ここが過小評価。
『一人の意向で国が動く独裁政治は危険きわまりなく』
これは言い過ぎの誤り。現在世界最大の独裁者はプーチンと習近平。彼ら個人の意思でこそ戦争が起こる国ではあるが、現代世界で戦争を決断する必然性も、アメリカを相手にする力も彼らにはない。
『アメリカに関しては兵器産業の影響力を何とかしないといけない』
これは個人又は数人の意思の問題ではなく、軍事の一人歩きの必然性という歴史的構造的な問題である。現在アメリカの経済(景気)の過半は、軍事に頼っているという事実を観るが良いのだ。兵器産業(への国家資金投入)だけではなく、軍人、軍人恩給への膨大な国家資金とか、これらの世論を歴史的に支え強めてきた全米ライフル協会とか。
個人の意思の問題よりも、歴史的構造的な仕組こそ、現に国を動かしているものである。このエントリーのすぐ後に『慢性的恐慌世界 』をエントリーしたのはそういう意味を付与したつもりだ。
信長は天才的軍略家でもあったが、尾張西部という経済要路の地にあって、楽市、楽座などの経済才能を若くして磨かなかったら、あれだけの力は持てなかった。現代世界では、経済超大国でなければそれなりの規模を覚悟した戦争などはできはしない。
ここんとこ、戦争を起こしているのは、サヨの方じゃない?
中国の九段線とか、ロシアのウクライナ関連とか。
文ちゃん、現実から目を背けるのも、大概にしたら?
民主主義に反して、起こった事案だよね?(笑)