イラン(戦争)関連でちょっと嬉しいニュースが続いている。ここの情勢が悪くなると、日本にも自衛隊大軍派遣、九条改悪機運高揚などと被害甚大だから、格別に嬉しい。大量の石油をイランから輸入している日本の企業関係者で喜んでいる方々も多いだろう。さらに3月15日の米上院外交委員会でこんな法案が可決されたばかりだから、この関連企業はもっとほっとしているに違いない。「イランのエネルギー分野に投資している外国企業に制裁を科す法案」である。世界最大級とされるイラン・アザデガン油田開発にかかわる日本側企業がどこかは知らないけれど。
まず、第一のニュース。4月8日夕刊には、イラク戦争総括に関わってラムズフェルド国防長官とライス国務長官とが内輪もめを露呈したとあった。ライスが訪英中に「(イラク戦争では)我々は戦術的な誤りを犯した。それは数千に及ぶ」と発言したことについて、ラムズフェルドが噛みついたとのことだ。ラジオ・インタビューでライスの発言に触れて「何のことか分からない」、「戦術は常に調整していかねばならない」と反論をぶったという。ネオコンの親玉ラムズフェルドはもう、だめだろう。先日もアメリカの大臣が一人辞めたが、イラク戦争失敗に関わってのように「トカゲのしっぽ切り」が続いているから。
もう一つのニュースは11日夕刊に載ったブッシュ大統領のこんな演説。「イランへの空爆作戦を検討しているとの報道は乱暴な推測だ。現在は問題解決に向けて外交に集中している」と。戦争をちらつかせてきたのは、今のところ「圧力強化」狙いに過ぎなかったというわけだ。今頃なんだよ!大統領選挙に向けて決定的に悪い旗色に不安が募ったんだろうな。「トカゲの尻尾切り」もその不安解消策だろうが、はて。
それにしても、要求に従わせようとするたびに「戦争だぞ。その準備は整ったぞ!」とやるとは、アメリカはなんと悪い奴だろうか。アフガン、イラクそしてイラン。こういうネオコンの行為は、「どこの国も軍備拡大が必要だよ」という機運を世界に醸し出していく。そして、そうなると米ネオコン企業が儲かるという仕組みになっているから、鶏が先か卵が先か、始末に負えない。しかもアメリカ政府はエシュロンというもの凄い諜報設備を世界各地に張り巡らしていて、各国の政治家の醜聞などまで含めて情報をいっぱい集め、作戦作りにも、「戦争作り出し」にも、脅迫(政府要人に言うことを聞かせるなど)などにも使う。小沢一郎も懸命にゴシップ集めをされてきたはずだが、大丈夫だろうか、ちょっと心配。こんなふうでアメリカ政府はもう確信犯的犯罪者集団と言うしかない。ウォーターゲート事件より酷いと言われる国民盗聴まで合法だと頑張っているのも、脛に傷持つ身の病的猜疑心からであることは間違いないだろう。戦争は内需拡大の一策にもなるらしいし。
ところで、日本のような国で「戦争をしかける国はいつもある。それを防ぐために軍隊と9条改正が必要だ」と唱えるのを使命としているかのように振る舞う人々はネオコンと似ているのではないか。その国の「保守的伝統」に郷愁を感じているところまでそっくりだ。こういうのを国家間対立に導いて、金儲けのために利用する奴がいっぱいいるのを自覚されてかどうか。念のために、国家の伝統にシンパシーを感じる人はネオコンだと言っているわけではありませんので、よろしく。
ご参考までに。「僕の包括的九条論」を、3月12日に投稿してありますので、ご意見をお聞かせ下さい。その投稿のコメントに書き込んだ「5」も合わせてよろしく。
まず、第一のニュース。4月8日夕刊には、イラク戦争総括に関わってラムズフェルド国防長官とライス国務長官とが内輪もめを露呈したとあった。ライスが訪英中に「(イラク戦争では)我々は戦術的な誤りを犯した。それは数千に及ぶ」と発言したことについて、ラムズフェルドが噛みついたとのことだ。ラジオ・インタビューでライスの発言に触れて「何のことか分からない」、「戦術は常に調整していかねばならない」と反論をぶったという。ネオコンの親玉ラムズフェルドはもう、だめだろう。先日もアメリカの大臣が一人辞めたが、イラク戦争失敗に関わってのように「トカゲのしっぽ切り」が続いているから。
もう一つのニュースは11日夕刊に載ったブッシュ大統領のこんな演説。「イランへの空爆作戦を検討しているとの報道は乱暴な推測だ。現在は問題解決に向けて外交に集中している」と。戦争をちらつかせてきたのは、今のところ「圧力強化」狙いに過ぎなかったというわけだ。今頃なんだよ!大統領選挙に向けて決定的に悪い旗色に不安が募ったんだろうな。「トカゲの尻尾切り」もその不安解消策だろうが、はて。
それにしても、要求に従わせようとするたびに「戦争だぞ。その準備は整ったぞ!」とやるとは、アメリカはなんと悪い奴だろうか。アフガン、イラクそしてイラン。こういうネオコンの行為は、「どこの国も軍備拡大が必要だよ」という機運を世界に醸し出していく。そして、そうなると米ネオコン企業が儲かるという仕組みになっているから、鶏が先か卵が先か、始末に負えない。しかもアメリカ政府はエシュロンというもの凄い諜報設備を世界各地に張り巡らしていて、各国の政治家の醜聞などまで含めて情報をいっぱい集め、作戦作りにも、「戦争作り出し」にも、脅迫(政府要人に言うことを聞かせるなど)などにも使う。小沢一郎も懸命にゴシップ集めをされてきたはずだが、大丈夫だろうか、ちょっと心配。こんなふうでアメリカ政府はもう確信犯的犯罪者集団と言うしかない。ウォーターゲート事件より酷いと言われる国民盗聴まで合法だと頑張っているのも、脛に傷持つ身の病的猜疑心からであることは間違いないだろう。戦争は内需拡大の一策にもなるらしいし。
ところで、日本のような国で「戦争をしかける国はいつもある。それを防ぐために軍隊と9条改正が必要だ」と唱えるのを使命としているかのように振る舞う人々はネオコンと似ているのではないか。その国の「保守的伝統」に郷愁を感じているところまでそっくりだ。こういうのを国家間対立に導いて、金儲けのために利用する奴がいっぱいいるのを自覚されてかどうか。念のために、国家の伝統にシンパシーを感じる人はネオコンだと言っているわけではありませんので、よろしく。
ご参考までに。「僕の包括的九条論」を、3月12日に投稿してありますので、ご意見をお聞かせ下さい。その投稿のコメントに書き込んだ「5」も合わせてよろしく。
どうも文科系さんは、本当に他人事のように世界を見ていますね。自国で起きたら、自分の家族、友人が殺されたらどうするだろうかという想像力に欠けていませんか。
あなたにしては、稚拙な意見ですね。あのアメリカのネオコンとある国って日本のことですか、この国の保守とアメリカのネコンと何処が似ていますか。それを貴方好みの、実証をして下さい。念の為と言わずに、そんな言い訳はしなくていいです。それから国家の対立に導いて金儲けの為に、利用するのが一杯居ることを自覚されていると?とか。こんなの世界にはあると思っておいた方がいいのではないのですか。さらに「国家の伝統にシンパシーを感じる人はネオコンと言っているのではないですよ」これって何ですか、当たり前ではないでしょうか。日本の保守とネオコンとでは、世界や社会のありかたについても全く異なります。念のために。
さらに事態はもっと悪質かも知れない。「八方塞がり」もご本人たちはそう受け取っていないかも知れない。「次の大統領選挙に仲間が当選しさえすればあとは野となれ山となれ」これが本心なのじゃないかな。あの「倫理性」のなさではね。
北朝鮮は確かに気味悪い国だけど、日本はアメリカじゃないから、アメリカのようなテロの心配を僕は持ちませんね。皆無とは思わないけど。なにしろ戦後のアメリカは酷いことをしすぎました。ベトナム、世界中で起こした通貨危機。内には厚い厚いかつデスパレイトな貧困層や、非白人の半数は中学校卒などというもの凄い教育の荒廃、それによる貧困の再生産などから、「ケネディ暗殺」まで。かく言う僕自身もボストンのホテルできついきつい人種差別にあいましたしね。イランは前の王政をアメリカが支え、儲けてきたんだし、フセインもアメリカが育てたという側面があるんでしょう。これじゃ、ベルルスコーニも、ちょっと前はスペインもと、親米政権は全部駄目になるわけですよ。
なぜかアメリカに追随したがゆえにしなくても良い苦労を味わっているのがブレアです。
サッチャーが荒らしたイギリスの教育をあれだけ立て直して、アメリカと違って「国民の自立の力」を増強させたのに、05年の選挙ではさんざんな苦労をした。
こうして、アメリカが通った後にはペンペン草も残っていない。アメリカ国民の為には悲しいことだけど対米テロは自業自得じゃないですか。あーいう政権を選んだ責任というものもあるはずだ。
こうして貴方も「日本もアメリカみたいにテロされる」などとオオカミ少年みたいに軽々しく言いなさるな。そう言ったほうが、「再軍備」には良いのかも知れませんが。アメリカは特別です。
「国家の伝統にシンパシーを感じる人はネオコンと言っているわけではないですよ」と僕が書いたのを、貴方はまた例よって誤読された。これは、この文章の前に「日本の保守の一派が国家伝統に郷愁を感じているのは、ネオコンと共通する」と述べたから、貴方のような人がこれをまた「総ての国家的伝統派をネオコンだと言った」と早とちりすると心配したのですよ。そういう「念のために」です。貴方はこういう「念のために」という言葉に与えた僕の意図までも誤読されたわけですけど、一体どう念を入れたら正しく読んでいただけるんでしょうか。困った困った。
なお、ネオコンを「経済政策面は二の次に回して、アメリカ的伝統、原理から『異端の排除』を世界に押しつけようとする」という一種の原理主義と主張するのは、僕だけではありません。例えば、京都大学経済研究所所長の佐和隆光氏がそう述べています。ちなみに貴方も「日本の美意識、倫理性を世界に広めるような哲人政治が理想なのだけれど、僕はそれはもう諦めている」言ってませんでしたか?
こういして貴方も、「嫌米だけど反米じゃない」などと、パワーポリティックスのご都合主義によるネオコンとのスクラムなんかやめた方が良いですよ。そして、貴方らしく堂々と「もっと日本の美学にあったつきあい方をしてくれ」とアメリカに対してここで注文を付けた方がよい。その方がポチなどとも呼ばれず、日本の美学、倫理性をずっと多く世界に広められるはずです。「親米のポーズ」じゃねー、あなたの美学が泣くのじゃないですか。
反米ではないのは、この日本が、九条問題を抱えていて、まあ経済問題も含んで、貴方のように、国連とか何処かの国が助けてくれるなどというそんな楽観的、非現実的な考えが、私には出来ないからです。
さて、貴方の「嫌米・・」の前段8行までの内容には、私も同感です。段落しての「北朝鮮から・・アメリカは特別」までについて、戦後のアメリカを非道を批判されていますが、それは一方的に過ぎませんか、やっとアメリカは、共産主義勢力の世界制覇に気が付き、かっての栄光のイギリス帝国やフランスなどが、凋落していく中で、ソ連を中心とした共産国と戦い続け、とうとう瓦解さえさせました。私はまさか、私の生きている時代に、あのソ連などがなくなるとは思ってもいませんでした。朝鮮戦争では、あのアメリカが戦わなければ、朝鮮半島は、ソ連かシナ共産党の傀儡政権が誕生していたでしょう。下手すれば、日本国内も共産党による暴力的な革命と言わないまでも、相当な国家的な危機が起きた可能性がを否定できません。す。ようは、イランでもイラクでも旧植民地国家が退場した後、共産党国家、軍事優先のソ連に対抗しうる国はアメリカしかなかったのです。国連も機能などしていませんから・・。日本には、テロの心配などしていませんと?よくそこまで言い切れるのですね。北朝鮮の拉致は一種のテロ行為でしょ。アメリカが通った後にペンペン草も残っていないですか、本当にそうですか、くどいですが、アメリカがあったからこそ、ハンガリー・東ドイツ・ポーランド・チェコ・ルーマニア・バルト三国などがソ連の頚城から解放されたのではないでしょうか。貴方の好きなEUも出来たのではないのすか。嫌いな映画かもわかりませんが、亡国のイージスでも見たらいかがですか?私は軽がるしく危機だ危機だなど言っている積もりは、ありません。これからの世界は、アメリカという自国の理念や経済政策などに独善的な国家が世界の覇権国家になって行く事で、またそれに対抗するロシア、シナ、そしてテロ集団によってかなり危険性の高い状況が生まれる可能性が高いと考えているからです。その割に、一国平和主義とか、九条はかえなくていいとか、アメリカに追随していれば安心だというこの国家のありように、危機感を持っているのです。どこが狼少年ですか。だから嫌米はよしてとしても反米はお止めになったいかがかと・・・。
「国家にシンパシーから、困った困った」まで。
それは指摘の通りです、私の誤読です。言われる様に、日本の保守の一派が・・に拘りました。
では、なお以下、佐和さんと私も同意見です。
そして、最後の5行ですが、私は、基本的に、集団安全保障を認める立場です。また、周辺諸国や日本の独立性を確保するのは、核兵器を持ってもいいという論者なんです。
日本の美学ですか、その美学の内容は、極めて日本的なものだと思っていますから、そんなものは世界に通用しません。ただ参考の為に、あなたの思う日本の美学を教えてくれませんか。それから貴方も誤解されていますが、私のどこが親米でしょうか、いやポーズといったのであってなどといわないで下さいね。あくまで嫌米なんです。
戦後のアメリカが世界で果たしてきた役割を冷静に考えたら如何でしょうか、相当に感情的になっておられるようで
私が親米ポチなら、貴方は、国連ポチ、絶対平和ポチ、北朝鮮ポチとでもいうのでしょうか。では。
こんなわけで、今日は長くなります。
さて、言葉の定義から言って、「反米」ではないのを「親米」と言います。政治の世界に中間はありません。利用せざるをえぬとかなんとか言ったとしても内輪だけしか通用しない弁解であって、外から見れば親米です。だからテロの対象にもなってしまう。なんのことはない、あなたたちが日本を危険にしているのではないですか。
世界どこの国でも昔から経済問題、社会理念の両方でバランスの取れた保守と、社会理念に偏った保守とがいる。後者は昔から教育が好きで好きで、どこでも文部省を重視するようです。森喜朗のように。実質が無い国を好きにさせようとすると教育重視になる。イデオロギー注入ということね。日本が実質があるのは何も今の為政者や悪役人たちのこんなイデオロギー注入のせいではないです。後述しますが、国民の力ね。
「親米のポーズ」もまた誤読した。貴方と違って、直ぐ前に「嫌米の人が、パワーポリティックスのご都合主義によってネオコンとスクラム(を組む)」ときちんと言葉の定義を書いているでしょうが。危機を過大に捉えすぎると強大な仲間が必要になるのね。
共産主義体制との関わりのみでアメリカを美化するのも、あなたちょっとやりすぎ。敵の敵は味方っての、なんか日本的じゃないプラグマティズムで潔くない。嫌米をもうちょっと滲み出さなきゃね。朝鮮戦争のアメリカのことは認めます。ソ連、東欧について貴方が言うアメリカの「功績」は僕はちょっと保留。これら以上に僕が列記したアメリカの罪は大き過ぎます。東欧瓦解以降の物のがはるかに多いですし。
また僕は国連や他国に助けてもらうと言っているのではありません。日本の国力を上手く使えば、助けさせることができると言い、それを実践していけると言っているのです。小沢さんもこれに近いんじゃないですか。「こうなる」と言うことは総て「こうする」ということでなければなりません。「こうする」なくして「こうなる」と言うに等しいやり方は実践とは言いません。だから、また日本主義が嫌い。世界でバランスとれた実践をしていくのを邪魔するから。天皇を馬鹿にしたといっては怒り、A級戦犯に同情しては怒りとか、こんなふうじゃ「こうする」の邪魔にしかならない。貴方や小泉が声を大きくするほど、僕の道から遠くなるからというわけで、ここで貴方に反対しているのも僕の実践なんですよ。
あと日本人の美質について少々。世界一働けて、密度も濃くて、その質も高い。隣人を大事にする。家が清潔。園芸、華道、琴・三弦、陶磁器などなどの文化とその大衆化。なおどんな美質も美質であるほど欠点も持つという弁証法で、これらは以下のようにもすぐ転化します。まず専門馬鹿で「広い」体系性がない。長い物には巻かれやすくて付和雷同。清潔が過ぎるとご清潔神経症になるのも、「狭い」から。文化の大衆化は良いけれど、功成り名遂げた経済人などが分かりもしないのに自分の美術館を作って死んでいくというのが、全国にいっぱいね。つまり死生観が駄目ということかも知れない。働かせすぎ、働き過ぎの専門馬鹿が、ふっと「改心」したような「芸術」なんて、かなしい末路!大抵自らの腹は出っ張って醜いから、まー言行不一致の二重基準だ。これも狭いから。でもまーこれらの国民的美質が美学的・倫理実践的に自然と奨励されてきたのは良いことと思います。これらの実践問題を遡っていくと少なくとも戦国時代ぐらいまではたどれるんでしょうかね。
僕の恩師二人は日本でも有名な方ですが、その哲学の体系性ゆえに戦前二人とも刑務所にいた。一人が出てきたときに恩師の西田幾多郎は「身体、大丈夫だったか?」とナテュラル至極な声をかけたけれども、もう一方の田辺元は「沈香も焚かず、屁もひらず、分かるね」と説教を垂れたとのこと。この恩師は西田のナチュラルさが好きなんですよ。田辺は専門馬鹿なんでしょうか。哲学者なのに、生きることを脇に置くなんて、おかしい。この2大先生でもこんなに違うのね。ちなみにその恩師はこんな話もしてくれた。
「尋常小学校のとき一人の先生が『村落』をムラオチと読まれた。遠慮がちに指摘したら、その先生、顔色を変えてしばし沈黙。やがておもむろに語って曰く。『僕は今日、重大な間違いをした。彼がそれを指摘してくれた。僕もこれからこんな間違いをしないように一生懸命勉強していくから、君たちも頑張ってくれ』と。教科自身のことは何も覚えていなくてもこれだけは忘れない」
僕もこの話は忘れない。当時の小学校の先生ですから大変な権威者ですよ。それがこの誠実さ、潔さ。しかも小学生相手に。日本は倫理がしっかりしていたはずなんですけど、いつの間にだめになってしまったんでしょうか。政治家や官僚はほとんど屑ですね。
では。
少し意見をいわせていただくと、私はアメリカが好きではありません。嫌米といっていいのでしょう。自由と民主主義を世界に広めなくてはと勘違いしている彼らは本当に傲慢であると思います。その国、その民族にとって様々な統治のしかたがあります。それが理解できない彼らは本当にわかりません。まあ、歴史のない国ですから、自由と民主主義というもので国をまとめなくてはならないというのにも、同情しますが。
ただそれにどっぷりと漬かりこんな大衆社会になってしまった日本もどうかと思いますが。しかし文化系さんのように全否定する気はありません。政治に中間はないとおしゃっていますが、それは違うのではないでしょうか。中間がなくては外交など出来ないと思います。なんだかんだ付き合っていかなくてはならないアメリカに対し、全くの拒否感を全面に出していてもだめでしょう。反米でないとすぐさま親米となるのはあまりにもおかしなことではないでしょうか。外から見てもです。
今の日本はどうみても親米を超えてアメリカの属国ですが、ある局面ではアメリカに賛同し、ある局面では反対するということもできうるでしょう。例えばイラクの問題で言えば、フランスのように反対すべきだったでしょう。あんな侵略戦争。
私はある意味、外交は中間であるべきだと思っています。そうでなくてはバランスが取れません。まただからこそ日本もそれなりの軍備をしてそれなりの意見をアメリカにいえるようにならなくてはならないと思っています。核も持つべきだと思います。今の日本の技術力であれば一週間もあればできるでしょう。
文化系さんのように日本の国力をもてば何とか助けてもらえる、というのはあまりにも他国に頼りすぎで、信用しすぎで、なんと自立心のない国ではないかと思います。日本の脅威の一つである中国はどんどんとアメリカと近づきつつあります。10年20年後どうなっているかわかりません。国策というのは長いスパンで考えなくてはならないのだから、はいいっちょあがりとすぐに全体的に軍備を強化することは難しいでしょう。そうであるならば、今から自らを守るため(別に一国で守れるとは思っていません。しかし、今の自衛隊の軍備はあまりにもアメリカなどに比べ劣っているし、9条のおかげで身動きがとれません。自衛隊ではなく軍隊をもって相手と対等に渡り合えるようになるべきだということです。)軍備を強化すべきです。
また、保守好みさんが言うように、(ただ少し私はたぶんみなさんより若いのと、勉強不足のためアメリカの冷戦終結への功罪についてあまり知らない部分があるのですが)アメリカがいたからこそ、韓国や日本が赤にならなかったということにも頷けます。
「亡国のイージス」は駄作ですけどね。ただ、日本という国を守るということ、それ自体には感動しますが。これって超能力少女がでてくるほうですよね。真田が出てたのは、これまた駄作でしたけどね。真田が「生きろー」と叫んだ瞬間、こりゃだめだ、生命至上主義かと落胆しました。生きろじゃなくて、死んでも日本を守れじゃないのか、と言いたくなりました。そう、命よりも大切なものがある、という日本人の美学にのっとって。
では、この辺りで。
コメントおおいに力強く感じました。
このブログで、「かえる派」は保守好みさんと私くらいで残念に思っていました。
こうしたブログでは珍しく、開放的なのでもっと改憲を目指す人、ソレが真に日本の未来の為だと確信している人が、どんどん此処に参加して主張すべきなのです。
主張しあい、相手にも耳を傾ける事こそ全ての始まりです。考えは違っても日本の未来を憂うのは同じなのですから。
あなたのリアルな考え方には大賛成です。
但し、核武装はすべきではないでしょう。
なんと言っても被爆国でもあるし、外交的にも経済的にもリスクが大きすぎます。
核武装の是非について討論したいものです。
次回からは「投稿欄」への登場を期待しています。
※ IDやパスワードはブログの左側「プロフィール
の欄に公開していますよ。
3月12日の拙稿は読まれましたか。僕のこの記事はそれが前提。どうも読まれていないようなので。
3月12日の投稿は、それへのコメントに追加させていただいた(5)もどうかお読み下さい。
もう一つ忘れました。
ともあれ、拙稿へのご意見をありがとう。
はっきりいって、私は保守好みさんや常識がえるさんの意見に賛同します。その後の反論を読んでも全くピンときません。
また感情的になって、よくわからないことになっているのは文化系さんではないでしょうか?
あなたの意見はご自身でも書いているように理想的過ぎます。戦争が起こる危険性が少なくなったとおっしゃいますが、中国にしろ北朝鮮にしろすぐ近くに民主主義国家ではない国がありますよね。しかも戦争というのはそんないつもいつも論理的に起こるものではないと思いますし、ここ何年か大丈夫でも何十年先がどうなっているかなんてわからないのではないですか?そのとき平和ぼけになって軍隊も持たない国があったら(また経済大国ではなくなっているかもしれませんよね)攻められてもどうにもなりませんよね。国連に守って~といっておいても、加盟国も自国の利益で動きます。本当に守ってもらえるかなんてわかりません。しかも自分で自国を守らないで、他国の兵士に血を流させるのですか?他国の兵士がなぜそこまでしないといけないのか、彼らにどうやって戦意を高揚させることができるのか。それこそ金だけの国です。最低の国ではありませんか。
あとは保守系さんなどが反論していたので、これくらいにしいます。あの投稿が前提でも私の意見は変わりません。
早速のお返事と12日の投稿を読んで下さったこと、有り難う。いくつかのことを認めて下さっているのも、とても嬉しかったです。
まず、経済大国には攻め入りにくいとはお認め下さったようですね。次いで、民主主義国家は戦争をしにくいとも(アメリカのように、世論操作に成功すれば可能だとは、僕も言いましたが)。少なくとも戦後起こったこういう重大な変化はお認め下さった?
まだお答えがない「戦後の変化」幾つかへの質問はありますが、それは置いておいて一つだけ。「攻められるより、攻める可能性が出るのが心配」。これにはお答えを是非お願いいたします。第二次大戦の印象の無い人たちや「かえる派」の方々が、このことをあまりお考えいただいてないようなので、貴方がどうお考えか知りたいんです。
こうして貴方の重大な結論、「戦争というのはそんないつもいつも論理的に起こるものではないと思います」。こういうお立場から九条を変えて、核を持てと言われるのですか?ならばそこの「不条理」の部分に少しだけでも触れていただけないでしょうか。この説明抜きでは僕にとって「人間も動物、戦争するもの」という社会ダーウィニズムを吟味なしの前提としているとしか考えられないからです。社会ダーウィニズムは間違いですから。莫大なお金を使い、攻めていく不安も出るのですし。ただし、過去にいっぱい戦争があったとか、どこの国も軍隊を持っているとかは僕へのお答えとしてはちょっと。
最後になりますが、「他国にのみ血を流せと言う、金だけの、最低の国」と言われましたがこれは完全な誤読と言いたいです。大げさに言うなら「世界の平和と貧困撲滅を目指して、そういう世界の心を信頼しようという態度で、十字架に身を捧げるキリストのようなもの」ということが、僕の文章からお読みとりいただけなかったようですね。あなたも「理想的に過ぎる」と僕の文章を読まれたのなら、ここまで理想的に読んで欲しかったです。現にそう書いてあるはずですから。