表題のカッコ付きの表現は、本日の中日新聞に載った名古屋大学教授・愛敬浩二氏のものである(7面の「中日新聞を読んで」)。改憲問題のおそらく最大のポイントだと思うから、改めて力説したい。
近代憲法とはそもそもその根本的内容から言っても、成立の歴史から言っても、単純な「国、国民のお約束」といった曖昧なものではない。単にそれだけのものならば、原始時代の一部族にさえ存在したであろう。近代憲法は封建的国家から近代市民が主権者に座るべく大変な血を流して勝ち取ってきたものであって、国民が、暴走すると害が大きい為政者に基本的人権などを守らせるために負わせた約束なのであった。日本も例外ではなく、明治憲法成立まででさえ多くの血が流れたのであって、現憲法も明治憲法ゆえに流れたとも言える何千万という人々の血から生まれた、その果ての産物だとも言える。愛敬氏が現憲法99条を「立憲主義憲法の神髄」と述べるのもそういうことだ。
彼は、こう書いている。
『日本国憲法が憲法尊重擁護義務を負わせているのは「天皇又は摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」である(99条)。国民が含まれていないことに重大な意味がある。国民は憲法を尊重・擁護する「義務」を負わない。しかし、政府、議会、公務員に対して「憲法を尊重し、擁護せよ」と要求する「権利」を持つ。憲法99条はこの考え方を自覚的に表明しているのであり、この考え方こそ「権力への懐疑」を根本精神とする立憲主義憲法の神髄であると私は考える』
憲法とは単なる国民のお約束なのか、「権力への懐疑」を歴史の痛苦として学んだ庶民が権力にさせた誓いの制度なのか。大変な違いではないか。国の主権者が誰なのか、そして、「公僕」がその強大な権力を乱用するとどういう悲劇が起こったか。そういう経験、教訓が詰まった人類の大英知だと思うのだが、どうだろう。フクシマでさえ、そういう教訓を教えてくれる。国会事故調が「規制する側が、規制される側の虜になったところから起こったもの」と断言したのは、権力の乱用そのものと言えるだろう。フクシマの後の日本に肝要と分かったのは、「国民のお約束」なのではなくって「権力が国民にした約束」だろう。
さて、愛敬氏は、自民党憲法改正草案102条の1項はこうなっていると教えてくれる。
『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』
そして最後にこんな結びも教えてくれている。
『安倍政権の下で改憲問題を論ずるのであれば、「9条」の大切さだけではなく、「99条」の意義もあらためて確認しておく必要がある』
近代憲法とはそもそもその根本的内容から言っても、成立の歴史から言っても、単純な「国、国民のお約束」といった曖昧なものではない。単にそれだけのものならば、原始時代の一部族にさえ存在したであろう。近代憲法は封建的国家から近代市民が主権者に座るべく大変な血を流して勝ち取ってきたものであって、国民が、暴走すると害が大きい為政者に基本的人権などを守らせるために負わせた約束なのであった。日本も例外ではなく、明治憲法成立まででさえ多くの血が流れたのであって、現憲法も明治憲法ゆえに流れたとも言える何千万という人々の血から生まれた、その果ての産物だとも言える。愛敬氏が現憲法99条を「立憲主義憲法の神髄」と述べるのもそういうことだ。
彼は、こう書いている。
『日本国憲法が憲法尊重擁護義務を負わせているのは「天皇又は摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」である(99条)。国民が含まれていないことに重大な意味がある。国民は憲法を尊重・擁護する「義務」を負わない。しかし、政府、議会、公務員に対して「憲法を尊重し、擁護せよ」と要求する「権利」を持つ。憲法99条はこの考え方を自覚的に表明しているのであり、この考え方こそ「権力への懐疑」を根本精神とする立憲主義憲法の神髄であると私は考える』
憲法とは単なる国民のお約束なのか、「権力への懐疑」を歴史の痛苦として学んだ庶民が権力にさせた誓いの制度なのか。大変な違いではないか。国の主権者が誰なのか、そして、「公僕」がその強大な権力を乱用するとどういう悲劇が起こったか。そういう経験、教訓が詰まった人類の大英知だと思うのだが、どうだろう。フクシマでさえ、そういう教訓を教えてくれる。国会事故調が「規制する側が、規制される側の虜になったところから起こったもの」と断言したのは、権力の乱用そのものと言えるだろう。フクシマの後の日本に肝要と分かったのは、「国民のお約束」なのではなくって「権力が国民にした約束」だろう。
さて、愛敬氏は、自民党憲法改正草案102条の1項はこうなっていると教えてくれる。
『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』
そして最後にこんな結びも教えてくれている。
『安倍政権の下で改憲問題を論ずるのであれば、「9条」の大切さだけではなく、「99条」の意義もあらためて確認しておく必要がある』
99条は、「第10章最高法規」のなかにある3か条の最後のものであって、その3か条はこうなっています。いろいろな考えが巡らせて面白いです。
『第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』
ドイツなどでは国民に「憲法擁護義務」を課しているらしいですが、それは「闘って守っていけよ。闘わなければ守れないぞ」という意味なのであって、安倍氏が言うようにわざわざ「国民は憲法を尊重せよ」とだけ付け加えるのとはかなりニュアンスが違います。ここに、彼らの作りつつある「この憲法は権利ばかり大きすぎる」という雰囲気と同根のものを感じるのですが、どうでしょうか。