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太平洋戦争の開戦経過   文科系

2012年01月25日 11時17分41秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 以下は、10年11月にここに載せた連続投稿「太平洋戦争、右翼のデマに」の第五番目のもの、それまでのまとめである。「いやいや」さんが論難にもならない論難を重ねるから、反論として再掲することにした。論議があるなら受けて立つ。

【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編)  2010年11月20日

しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏(岩波新書「日本近現代史シリーズ⑥」「アジア・太平洋戦争」。著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。
1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』 
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日本軍の国際法違反行為 (道草)
2012-01-27 17:27:19
「少年義勇兵」(2000年、タイ作品)
マレー半島の日本軍が、シンガポール・ビルマを攻略するために、タイ領内を通過する際おきた激しい戦闘の史実を描いた作品。
日本と連合国の中立を宣言していたタイに、無断上陸した日本軍とタイ軍は戦闘状態になった。
結局タイ政府は日本軍のタイ領内通過を認め、戦闘は8時間で終わったが、双方に死者が出た。卑劣な日本軍の行為はもとより「犬死に」でしかなかった戦争の空虚さを描いている。

本作に代表されるような新事実が明るみにされてきている。大東亜戦争肯定論に打撃を与える新事実はまだこれからも
明るみにされるだろう。

以上は
中村敬  “シネマは自由をめざす”
から要約したものです。
タイ上陸のことについては日本国民には
知らされてこなかったことです。

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思えば・・・ (文科系)
2018-01-03 12:50:10
 ブログ発足12年、思えばここに、どれだけのネトウヨ諸君が訪れたことだろう。慰安婦、南京大虐殺、「東京裁判史観」、「連合国史観」、朝鮮蔑視(の歴史的淵源)、安重根、満州事変などなどがどれだけ論じられたことか。そしてこの一つ一つで、この12年どれだけ勉強させられたことか。

 さて、これらの右論者とのやり取りから発見して、とても驚いたことがいくつもある。彼らは、特定のごく限られた部分の日本史しか知らないということだ。
 大日本帝国憲法とその政治体制すら知らないから、1945年までの日本が今の社会と同じと(暗黙の内に)信じ込んでいる。これでは、太平洋戦争さえ正しく論じられるわけなどないのである。
 日独の政治的特徴も知らない。だからこんなことも起こってくる。先の大戦に日独が勝ったとしても、今の民主主義世界が現出していたと暗黙の内に信じている。

 安倍とこういう人々とが結びついているというのは、本当に怖いことだと思った。それは、日本会議が怖いのと同じ事だ。日本会議も、上の全ての特徴を持っているのである。教育勅語を天皇と切り離して賛美したり、帝国憲法になっても今と変わらない日本があるというような。
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