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「9条遺言の会」の活動紹介         ネット虫

2009年05月26日 00時40分01秒 | Weblog
★仲間からのグループメールで、「9条遺言の会」というグループがあることを知りました。全国の9条の会の仲間に運動の一環として「9条遺言」を書く事を提起しています。紹介します。
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    全国「九条の会」のみなさま。

千葉県柏市に住み「かしわ9条の会」に所属している84歳と74歳の老人です。
昨年8月15日。敗戦記念日に二人で「九条遺言の会」を立ち上げました。

私たちの活動目的は、いま各地の「9条の会」が、会員拡大をヨコの組織拡大で努力されていますが、私たちの会は、会員が家庭の中で、一人で出来る「九条遺言」を遺す、いわばタテの運動を重ねることによって、タテとヨコの運動のシナジー効果を揚げて頂く運動を提唱するものです。

会員が父や母の立場で、息子や孫に対して、「わが○○家の末代まで、九条改憲を狙う勢力には、一切加担してはならない。」という遺言を、単独にか、他の遺言と合作するかを問わず、必ず遺して頂くことをお願いする運動です。

九条を守る闘いは、その時点時点での、一票を争う「永遠の一票運動」です。
小さな限定された組織の中で、効率よく票を伸ばすには、この「九条遺言」を広める運動こそ効果的です。

更にこの運動には、次の利点があります。
1.年が経つにつれて、末広がりに拡るがる「九条遺言」の効果は、未来への展望を切り開く画期的な運動です。
2.日頃会話の少ない子供や孫たちと、この「九条遺言」を書くことによって、戦争についての話題を持つ、きっかけになります。
3.そしてあなたの遺された「九条遺言」は、○○家の「家宝」となって、末代まで光り輝きます。
4.年老いた老人たちも、「九条遺言」のための自分史を整理する作業によって、生きた時代に確信を持ち、生き生きして来ます。
5.「九条遺言」を公表させて頂くことによって、仲間たちの励ましになります。

いまこのお願いに応えて、全国アチコチの「九条の会」から、取り組みのご報告を頂いています。
私たちの「夢」は、「九条遺言」で育った全国の若い世代が、やがて未来の「九条の会」の中心メンバーに育って、その次の世代に「9条遺言」をバトンタッチしながら、相互の連携を深めて、私たちの「九条運動」より、さらに質の高い民主主義革命をなし遂げてくれるというそんな夢です。
そんなに難しい「夢」ではなさそうだと思うのですが、いかがでしょうか?

みなさんご自身の生きがい設計のためにも、ぜひお取り組みを!
私たちはご採用下さったご報告を頂くだけで、僅かに遺された人生の中での、最後
の、素晴らしいプレゼントとして、「三途の川」の向こう側へのお土産にもって行けることを、心から願っています。
添付に一例として、九条遺言「新憲法世代を生きて」第一部を載せさせて頂きましたのでご一読下さい。

どうぞ貴組織での取り組みをお願い致します。
そして取り組みの状況を、ご一報頂ければ幸いです。

「九条遺言の会」
発起人:古波尊(84歳)安藤洋(74歳)
 
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14 コメント

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面白い発想! (落石)
2009-05-25 09:00:40
ただ家訓として遺言する時に
一言、付けたい。

「私はこう遺言する。
あなたは、あなたのクールな知性と
熱いハートで判断してほしい」と。

返信する
そうそう ! (文科系)
2009-05-25 11:26:33
そうそう、落石さんに賛成。

本文の通りだとすると、憲法違反のおそれすらある。思想信条の自由に触れるのではないか。

正義を主張するのはよいが、それしかないと他人に強制するがごとき行為はおかしい。他の正義原則が何も見えなくなって怖いことになるという典型という気さえする。
誰も待ったをかける人がいなかったのいうのもちょっと怖くなるくらい。

そして、もう一つネットさん。
25日の投稿を26日付で載せるのは、規則違反ですよ。前に、そう確認したと思います。
返信する
Unknown (院長)
2009-05-25 17:56:56
色んなところからの続き…永田メールが本当だったと仮定しても――あの小者の武部を切ればよいだけで――小泉へのダメージは小さいか(前原を、保守は過大評価し、リベラルは過小評価する傾向はあるが)。
行動を起こす前のシミュレート、分析、推測は大切だ。ヒトラーの要求を受け入れればどうなるか。拒否すればどうなるか。反戦・非戦などと結論が先にあっては道を誤る。結果的に、反戦派がヨーロッパ戦線を拡大させたのも歴史的事実だろう。
返信する
Unknown (院長)
2009-05-25 18:16:36
地球温暖化CO2主犯説は、どうやら間違っているようだ。理由1、CO2主犯説が正しいなら、それこそ産業革命以降はずっと気温が上昇するはずだが、1945~75年の気温はわずかながら下がっている。2、計測によるとCO2増加→気温上昇ではなく、気温上昇→CO2増加となっている。3、なんと、火星ほか、太陽系のほとんどの惑星・衛星の温度が上がっている(つまり、おもな原因は太陽活動の活発化か)。
それでも、温室効果ガスや環境へのダメージを低減させたい方は、自家用車を手放し、手を出さないことをオススメする。
返信する
Unknown (院長)
2009-05-25 18:31:55
なぜCO2主犯説が流布されているかは各自で考えてもらうとして、気温が今よりあと3、2度上昇するとメタンハイドレードが地表に噴き出して、負のスパイラルが…云々などという話もあるが、現在より3、2度高い気温の時代はなかったのか。答は否である。
96~98年の環境ホルモン騒ぎを思い出す。あの頃は自然界の生物がどんどん雌化するとか、人の精子が極端に減っているなどと語られていたが、現在ではもう話自体聞かない(かなり沈静化されている)。大袈裟な話が好きな人は多いようである。
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Unknown (文科系)
2009-05-25 21:43:08
まだ、怒っていて、納まりがつかないから。

遺言って、子どもに「この通りにせよ」というものでしょう? 子どもにも「遺言って、極めて大事。その通りにすべきもの」って意識があるはず。
そういうところに、思想信条の自由が関わることを入れるというのは、その侵害という面がないわけはないと思います。子どもがその自由を重んじて従わないとすれば、「遺言を無視したことになる」のだし。
この「会」だかなんだか知らないが、そういうオカシナモンですよ。だから、もう一度言うけど、「誰も待ったをかける人がいなかったというのもちょっと怖くなるくらい」。


それから院長さん、やはりこれはまずい。「色んなところからの続き」。不親切で、非常識。初めて読む人が、何を討論してるのかさっぱり分からないし。
 
返信する
遺言への干渉は許されない (謝謝)
2009-07-05 19:36:40
どんな「遺言」をどんな風に遺すかは、まったく本人の権利であり自由です。遺言が法で守られているのは死後の法律関係を定めるための最終意思の表示を守るためです。それに対して、「誰も待ったをかける人がいなかったというのもちょっと怖くなるくらい。」と、誰かが事前にチエックすることを望むことこそ、死を前にした本人の自由な意思に干渉しようとする「人権弾圧」を容認することではないか。これこそ「ちよっと怖くなる」位の話ではないゾッとする話です。
ジックリ再考を願いたい。
返信する
誤解があるようです (文科系)
2009-07-05 21:36:35
【「誰も待ったをかける人がいなかったというのもちょっと怖くなるくらい。」と、誰かが事前にチエックすることを望むことこそ、死を前にした本人の自由な意思に干渉しようとする「人権弾圧」を容認することではないか。】

誰かの遺言自身に「待ったをかけよ」と語ったのではありません。
「こういう遺言を残そうという会を作ることに異論があるが」と、そういう内容の意見はこの会とか会の準備段階などの関係者のどこからも誰からも出なかったのかということです。そういう意味の(チェック)意見のことです。

僕は周囲でそういうことを望まれる友人などがいれば、僕の参考意見として上のようなことを語るでしょう。それを入れるか否かはその人の自由に属することでしょうね。
返信する
子々孫々に正義をどう伝えるか (謝謝)
2009-07-07 04:45:20
 「九条遺言」をどう遺すかは、遺す本人の自由な意思であることを最終確認されたことで、安心しました。「憲法違反のおそれすらある。思想信条の自由に触れるのではないか」という主張はこれで無しですね。
 貴方が、「まだ、怒っていて、納まりがつかない」のは、この遺言を遺された子孫の側の権利や民主主義は一体どうなるのかという心配するからでしょう。「他の正義原則が何も見えなくなって怖いことになるという典型という気さえする。」
 果たしてそうでしょうか?
 これに対しては、こう考えてみてはいかがでしょう。
 もし私たちが「九条改憲」に賛成し、「九条改憲遺言」を遺して、その結果、九条が変えられてしまって、日本は「戦争国家」になってしまい、九条の賛否どころか、九条反対の選択余地も完全に無くなって、否応なしに再び戦争に駆り出される戦争国家を押し付けられることこそ、子供たち孫たちに取って許せない問題なのではないでしょうか?
 その結果、「他の正義原則が何も見えなくなって怖いことになるという典型」になるのでは在りませんか?
 少し気になるのは、親には批判精神があるけれども子供にはそれが無いから正義を押し売りしてはいけないと考えられているところが在るように感じるのです。
 子々孫々まで想いを巡らせれば、子供・孫・子々孫々の時代には、それぞれの時代に特徴的な「戦争と平和の問題」が、今のままでは繰り返し何度ももっと核戦争の危険な状態で起きてくると思うのです。その時彼らが悩むのは、自分が戦争の側に立つか、それを拒否する側に立つかの選択です。
 歴史上にイラク・アフガン戦争という危険な時代があって、政府は理不尽な理由で戦争を起こしたアメリカに追随して、九条を変えて戦争に参加しようとした時代潮流の中で、これに敢然と闘った大勢の勇気ある祖先たちがいた。僕たちの祖先もその一人だったという「九条遺言」による「事実の証し」がいつも家訓として在って、大人になる成長の段階段階で、身近の祖先は、かく選択し、かく闘ったという事実に、常に触れながら生きていくことが出来れば、どれほど子孫を勇気付け、正義と民主主義人間のために意義のあることかと考えてみてはいかがですか?
 彼らの時代がもっと酷い戦争時代になって、そんな時代の中でも、先祖の「九条遺言」があるために、戦争を認める側には絶対組みしない。そのために例えば「徴兵拒否」を選んでも抵抗したとしたら、これこそ正義と人権のために、こんな素晴らしいことはないのではありませんか?
 つまり「九条遺言」は正義とは何かを真剣に考える動機付けにこそなれ「他の正義原則が何も見えなくなって怖いことになる」ことなど絶対にならない。
 「九条遺言」があるから、「他の正義原則が何も見えなる」のではなくて、「九条遺言」があるからこそ、「正義とは何か」に身を張って考える子孫たちがたくましく生まれ育つのです。
 その結果日本は、100年、1000年と戦争にまったく縁のない国になって、未来永劫に渡って戦争を放棄する国になることこそ、「九条遺言」で遺したいことのすべてでしょう。
「正義」は常に戦争反対の側にあるのです。それを主張することに何の躊躇も必要ありません。
 それを前提にした上で、落石さんの「ただ家訓として遺言する時に一言、付けたい。『私はこう遺言する。あなたは、あなたのクールな知性と熱いハートで判断してほしい』という子々孫々への要請が、素晴らしく生きて来るのだと思います。
 せっかくの貴重な発言が、貴方の「そうそう、落石さんに賛成。」からのトーンで変わってしまったのが残念で、あえて発言しました。失礼の段お許しを。
 最後にどんな会を作ろうと、これも「結社の自由」で、憲法上保障された権利です。どうやら貴方の意に添わない「九条遺言の会」のようですが、成立段階で「僕の参考意見として上のようなことを語るでしょう。」という干渉を奨励することは、それこそは下手をすると、「結社の自由」に対する侵害になります。
 むしろそんなことを言う人が居なかったことこそ、日本の民主主義の健全さを示すものだと考えます。今後も貴方の意に添わない結社も生まれて、それに対しては作る過程で干渉するのでなく、出来た結社に対して、その主張をチャント聞き、内容で「正義」を争うべきだと思うのですがいかがですか?
 その意味で関心がったら、九条遺言「新憲法世代を生きて」をご覧下さい。一ツ橋大学院教授の加藤哲郎「シチズン・カレッジ」データベースに入っていますでの『文科系」さんの、厳しい批評を聞かせて下さい。





返信する
遺言の性格について意見を語っている (文科系)
2009-07-07 21:37:11
僕は遺言というものが持つはずの「子供への強制力」に関わって自分の意見を語っています。9条にまつわる「正義論」をやっているのではありません。なお、僕はこのブログでずーっと、9条存続を述べてきたつもりです。

まず僕は、その会から呼びかけられたとしたらこういう意見を言うでしょうというように、語った。その意見を言ったことを、政府か、権力を持ったある人物がやる「チェック」のように、あるいは遺言を作る人に何か強制をしているように語られるのは、まず心外でした。

次いで、こう言われた。
【「(僕は周囲でそういうことを望まれる友人などがいれば)僕の参考意見として上のようなことを語るでしょう。」という干渉を奨励することは、それこそは下手をすると、「結社の自由」に対する侵害になります。】
ここでなぜ、「干渉」という言葉が出てくるのかが分かりません? 何かの利害関係はもちろん、権力も何もない個人が公論の場で意見を語ったことを「干渉」と決めつけるなら、すべての「組織」に対する意見が干渉になってしまうのではないですか。

落石さんの書かれたことさえ、干渉になりかねないと思いますが、いかがでしょうか。

ネチズンカレッジは僕も読んでいます。
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