皆さん。保守系さんとお話する場合にご注意したいことがありますので、一言。僕が、このブログ開設当初から最も長く彼とやり合ってきたその体験の結論的な話として、彼の「世界観」を示してみたいと思います。僕なりに体系的にしてお伝えしてみたい。それは特殊体系的なものでありすぎて、それを踏まえなければ、何を話してもすれ違いの会話にしかならないものですから。日本近代史上の事件認識などに噛みついてくるから話が始まるという経過から、彼とは先ず史的実証論議をやりあうことになるのですが、実は全く実証的な人ではないんですね。
①いくつかの「主観的な大命題」を疑うことなく持っていて、それをあれこれ手を変え品を変えてアピールするだけ。まー信念の人、というよりも独断・狂信の人です。無意識も含んだその「哲学」こそもちろんそうだし、そこから来る「日本文化論」、政治思想、経済思想すべてにおいてです。僕は「日本主義者」と呼びましたが、とにかく「人類文化の大道」から恐ろしくかけ離れた一種の「選民主義文化論」でもありますね。いわゆる右翼論壇が生み出す一種の「体系的日本主義思想」とでも言えるものでしょう。もちろん結果としてファシズムに結びつく思想でもあります。
こういう人がどんな実証的、断片的問題を語っていると見えても、以下の思想を語っていると素直に思っておきましょう。そして、彼らの歴史認識の一つを完全に論破しても、この思想自身は微動だにしないという癖もあります。
こういう「日本主義」は、以下に見るように非常に戦闘的な本質を持っているところから、おのれを否定するものにかみついて、世を「戦闘的に啓蒙すること」が専門です。よって、自分の「世界観」を全体的形として示すことはありません。ですが彼らの「形」をつかんでおくことは大事です。
彼らの独断的信念のいくつかをご披露し、思想の「形」を示しましょう。これはそういう試論です。
②人間とは「社会ダーウィニズム」さながらの弱肉強食動物であり、そういう行動が国家どうしの間でも第1のことだ。それが戦争である。
・こういう動物的エゴ人間どうしをセーブするのがそれなりの国のそれなりの伝統、習慣、文化というものである。国家としては当然、戦争を覚悟して、相当の軍備を備えることが最重要の課題である。でないと個人も必ず全てを失うことになる。国家防衛は個人の至上命題でもあるということだ。
・良くも悪くもこうした「国家伝統・文化」とか、「国家の戦争・外交」とかに比べれば、人間の他の問題は無意味か、暇人の慰めかということだろう。こういう「現実論」以外の「真理」も、他人のために死ぬという日本的武士道など以外の美などの芸術も、民主主義も、自由でさえも、もちろん愛も。そして逆に、あえて言えばこういう国の伝統、戦争にかかわるものならばどんなものでも「善」となるということだ。
・日本の伝統と文化は世界有数の美しいものである。日本人ほど道徳的な人種も珍しい。その中心には天皇がいた。天皇は公平無私であって、歴史上の天皇の悪そうな行為はほとんど、周囲が悪かっただけである。否、極端に言えば、悪い天皇がいたとしても「皆良かった」と見ておいた方が日本の子孫のためになる。
③こうして、こういうことになる。
・今の日本を大日本帝国憲法下に置いても、一向に構わない。核武装をしても良い。というよりも総合判断したらすべきとなるだろう。
・こういう国の文化、戦争準備に異を唱えるものは、我々を滅ぼすも同然の愚かな敵と見た方がよい。
・第1に民主主義などと叫ぶ左翼。民主主義とは、フランス革命を見ても分かるように、野蛮で無知な大衆による恐怖政治をもたらすだけというようなものだ。日本のアメリカ化に寄与するもの。あの国の「自由」も、伝統なき悲しき国の野蛮丸出しというようなものである。あの消費文化はノーテンキな馬鹿さ加減だし、上は虚栄、それに従うポピュリズムの酷いこと!虚栄の為政者は権力臭丸出し、日本的ソクイン美の欠片もない。
・伝統らしい伝統のない国、弱い国は、個人のエゴや戦争に弄ばれるだけで、語る価値もないだろう。支配者や文化がくるくる変わった中国や朝鮮が日本のような国に一体何が言えるというのだ?南米もアメリカの植民地同然であり、アフリカは西欧の属国であって、いずれも語る価値もないものだろう。
以上に対して少々の批判はしておかねばならないでしょう。つまり、弱点の指摘です。一言で言えば、人間や社会のある一面を全部とするような、独断ということではないでしょうか。
人間は争い合っても来ましたが、そのお互いが涙を流し合って仲良くしようと心から誓い合ってきたこともあったはずです。国家間でもそうだからこそ、例えばEUができた。国連がアメリカを押さえようと必死なときでも、そういう努力を彼のように嘲笑してはいけないはずです。そして国家間を調整しようとするような国連の役割を小さく見過ぎてもいけないはずです。また、日本の天皇にも、悪い人がいなかったわけはない。小国にも日本以上の美がなかったわけはない。そういう側面を教えようとしない教育はやはり悪いものでしょう。さらに民主主義イコール恐怖政治とか、自由イコール勝手放題とか語るのも、極論といえるはずです。
①いくつかの「主観的な大命題」を疑うことなく持っていて、それをあれこれ手を変え品を変えてアピールするだけ。まー信念の人、というよりも独断・狂信の人です。無意識も含んだその「哲学」こそもちろんそうだし、そこから来る「日本文化論」、政治思想、経済思想すべてにおいてです。僕は「日本主義者」と呼びましたが、とにかく「人類文化の大道」から恐ろしくかけ離れた一種の「選民主義文化論」でもありますね。いわゆる右翼論壇が生み出す一種の「体系的日本主義思想」とでも言えるものでしょう。もちろん結果としてファシズムに結びつく思想でもあります。
こういう人がどんな実証的、断片的問題を語っていると見えても、以下の思想を語っていると素直に思っておきましょう。そして、彼らの歴史認識の一つを完全に論破しても、この思想自身は微動だにしないという癖もあります。
こういう「日本主義」は、以下に見るように非常に戦闘的な本質を持っているところから、おのれを否定するものにかみついて、世を「戦闘的に啓蒙すること」が専門です。よって、自分の「世界観」を全体的形として示すことはありません。ですが彼らの「形」をつかんでおくことは大事です。
彼らの独断的信念のいくつかをご披露し、思想の「形」を示しましょう。これはそういう試論です。
②人間とは「社会ダーウィニズム」さながらの弱肉強食動物であり、そういう行動が国家どうしの間でも第1のことだ。それが戦争である。
・こういう動物的エゴ人間どうしをセーブするのがそれなりの国のそれなりの伝統、習慣、文化というものである。国家としては当然、戦争を覚悟して、相当の軍備を備えることが最重要の課題である。でないと個人も必ず全てを失うことになる。国家防衛は個人の至上命題でもあるということだ。
・良くも悪くもこうした「国家伝統・文化」とか、「国家の戦争・外交」とかに比べれば、人間の他の問題は無意味か、暇人の慰めかということだろう。こういう「現実論」以外の「真理」も、他人のために死ぬという日本的武士道など以外の美などの芸術も、民主主義も、自由でさえも、もちろん愛も。そして逆に、あえて言えばこういう国の伝統、戦争にかかわるものならばどんなものでも「善」となるということだ。
・日本の伝統と文化は世界有数の美しいものである。日本人ほど道徳的な人種も珍しい。その中心には天皇がいた。天皇は公平無私であって、歴史上の天皇の悪そうな行為はほとんど、周囲が悪かっただけである。否、極端に言えば、悪い天皇がいたとしても「皆良かった」と見ておいた方が日本の子孫のためになる。
③こうして、こういうことになる。
・今の日本を大日本帝国憲法下に置いても、一向に構わない。核武装をしても良い。というよりも総合判断したらすべきとなるだろう。
・こういう国の文化、戦争準備に異を唱えるものは、我々を滅ぼすも同然の愚かな敵と見た方がよい。
・第1に民主主義などと叫ぶ左翼。民主主義とは、フランス革命を見ても分かるように、野蛮で無知な大衆による恐怖政治をもたらすだけというようなものだ。日本のアメリカ化に寄与するもの。あの国の「自由」も、伝統なき悲しき国の野蛮丸出しというようなものである。あの消費文化はノーテンキな馬鹿さ加減だし、上は虚栄、それに従うポピュリズムの酷いこと!虚栄の為政者は権力臭丸出し、日本的ソクイン美の欠片もない。
・伝統らしい伝統のない国、弱い国は、個人のエゴや戦争に弄ばれるだけで、語る価値もないだろう。支配者や文化がくるくる変わった中国や朝鮮が日本のような国に一体何が言えるというのだ?南米もアメリカの植民地同然であり、アフリカは西欧の属国であって、いずれも語る価値もないものだろう。
以上に対して少々の批判はしておかねばならないでしょう。つまり、弱点の指摘です。一言で言えば、人間や社会のある一面を全部とするような、独断ということではないでしょうか。
人間は争い合っても来ましたが、そのお互いが涙を流し合って仲良くしようと心から誓い合ってきたこともあったはずです。国家間でもそうだからこそ、例えばEUができた。国連がアメリカを押さえようと必死なときでも、そういう努力を彼のように嘲笑してはいけないはずです。そして国家間を調整しようとするような国連の役割を小さく見過ぎてもいけないはずです。また、日本の天皇にも、悪い人がいなかったわけはない。小国にも日本以上の美がなかったわけはない。そういう側面を教えようとしない教育はやはり悪いものでしょう。さらに民主主義イコール恐怖政治とか、自由イコール勝手放題とか語るのも、極論といえるはずです。
こういう日本主義が戦闘的なのは、「これを妨げる奴は国家の団結、その大元の倫理を乱して、国を滅ぼす奴」と見るからです。当然、こういう「鬼退治」が日本主義思想家の最大の仕事となるわけでしょう。ファシズムですね。
いつの時代もそうした考えは存在していますが、
最近、表面に現れてきているのは
何故なんでしょう?
そうでしょうか?独断・狂信・選民主義者、ファシズムに繋がるですか、まずはここらあたりから・・。
私の何処がでしょうか。ただ私は、民主主義は疑っています。かねてから私は民主主義ではなく、民衆主義と訳すべきだと言ってきました。あの小泉を再選したのはどこの国民ですか?あの郵政問題で参議院で否決されたら衆議院を解散する暴挙でしょう。そして小泉が勝つ、いや勝たせたのは誰でしょうか?
貴方のようにこの民衆主義に価値を与えていません。
貴方は、何度も何度もダーウインを開陳されます。
私は、国家間はそうならざるを得ないと言っているのです。憲法の前文のようではないと言っているのです。また自由ですか、貴方お好きですね。自由とは規律との半ばでバランスを取るものです。そのバランスは、日本の歴史の中から生れた倫理性ともいうべきものでしかないでしょう。日本の伝統と文化ですか、これは少なくともシナや朝鮮・ロシア・アメリカなどには理解出来ないでしょう。
国家防衛は、当然の事です。国家の意味を貴方は理解していないようで・・。国家があってこそ貴方や貴方の家族は存在しているのではないのでしょうか?
日本人の道徳規範ですか、まあ世界の中で比べれば・・。日本はベストでしょう。
少なくともシナのように、バスや地下鉄の乗車降車を指導しなくても日本人は、自ら整然とやります。
天皇ですか、どの天皇がお好きではないでしょうか?明治天皇ですか推古天皇ですか、昭和天皇ですか、具体的に言って下さい。それから核武装ですか、私は核は使用できない、しかしその核兵器がこの第二次世界大戦以降、大きな戦争を避けて来たと言っているだkです。私は、いつ核兵器を持つべきだといいましたか?核兵器は使用出来ないが、通常兵器でも良いからシナや北朝鮮へのミサイルや戦闘機や爆撃機を持つべきだと言った筈です。
貴方の「・・・人間は争い合ってきましたが・・以下」について、ヒットラー生み出したのもワイマール憲法下の民衆主義ですが・・。EUは何故トルコを加盟させないのでしょうか?私の何処が極論でしょうか?
アフリカですか、まさにあの民衆主義の国であったヨーロッパ諸国のくいちらした大陸です。
私もアフリカの奴隷海岸のトーゴに行った事があります。でもフランも良いのですが、ドルが通用していました。それここそ貴方のお好きな革命フランスの植民地でした。少しバスで回りましたが、ある村?に着くと、皆出て来て踊ってくれるののです。そのトーゴの黒人のガイドさんが、黄色人は背が低いし、身体が華奢だと威張っていました。それはそうだと思いました。
貴方にこんなあほらしい言い方は、いいたくないのですが、国連はUNですね。ユナイテッドネイションです。依然、第二次世界大戦の連合国です。そこにどうしてシナが入っているのでしょうか?私は貴方の国連中心主義を疑っているものです。国連の必要性は理解していますが、国連に、日本の運命を預けるような脳天気ではありません。まずは自主防衛の方途を考えるべきでしょう。それが憲法九条の改正であり、いや全面的な新憲法の創建こそ必要なのでしょう。そして日米安全保障条約の相互性を確認するべきでしょう。
私の何処が・・ファシズムを想起する所以でしょうか?愛・・なんですか。愛は一方的なものになりかねません。愛ほど残酷なものはないのです。「愛」誰との愛ですか?シナ人・フィリピンや韓国のホステスとの愛ですか。もう貴方は恐らくですが、これらの女性とは愛は語れません。残念ですが・・。下手に挑戦しないように・・私の友人で、はまっているのがいますが・・。鬼退治ですか、私は桃太郎ではありません。
私には、猿も雉も居ません。でも猿の知恵と雉の遠方を見通す能力を付けてみたいと思っていますが、まあ無理でしょう。
落石さん、さすがファシズムは、この日本には定着しません。この日本は、戦前もフアシズムではありません。現在でのファシズムで言えば、代表的には、シナであり、ロシアであり。北朝鮮というしかいえないのでしょう。国内では公明党と共産党でしょうか?
国家があってこそ貴方や貴方の家族は存在しているのではないのでしょうか?
これは本当でしょうか?
どう見ても家族があってから国家が誕生したので、
家族のうえに国家は立っているのでは?
つまり家族があるから、国家があり、
その逆ではないと思いますが、いかがでしょう?
家族は、余程追い詰められなければ国家は裏切らない。
これが、今までの歴史です。
だから、国家主権でなく国民主権優先でちょうどバランスとれるのではないでしょうか。
家族があっても国家の体をなしていない国もあります。それは、フィリピンのような国でしょうか。国家があっても家族の体をなしていない国もあります。後者が、最近の日本の家族の現況でしょうか。
とにかく文科系さんのお話にはまいります。
女性問題では、私は関東御成敗式目で答えておきました。何も戦後に女性が解放?いや男女同権の世の中になった訳ではないと・・。とにかく文科系さんのコスモポリタンには辟易とします。貴方のお好きなフランスでは、今、何が起きていますか?平等?ですか?サルコジが当選しましたが・・。あの旧植民地の人達は、どういう扱いを受けているのでしょうか?
家族主義者さん、国家主権というのはありません。
あるとすれば北朝鮮のような家族主権であり、シナのような地域閥主権です。ロシアも地域閥主権でしょうか?
民衆はアホだと断定しておいて、歴代天皇に悪い人がいるか?と、貴方は僕に聞いてくる。民衆に悪い人もいるはずであるように、天皇にも居ないわけはないと僕が語っただけなのにね。民衆がアホだという貴方なのだから、同じ人間・天皇については僕に悪い例をあげよと聞くよりも、むしろ貴方がみんな良い人だと語ってみせねばならないはずでしょう。違いますか?
もっとも僕は素直に、そんなこと出来ないと思いますがね。全天皇を当たることなどできるわけないでしょう。あなたはよく、そういうことを人には要求してくるんですよ。
上のことも、今から述べることと、全く同じ論理が働いています。貴方の話は、実証を離れ、実証以前にいかにいいかげんな論理かよく分かるというもので、以下の「証明」をまー見てください。
貴方の「日本歴史から見た証明」というのは大甘です。言葉を実際と取り違えている。逆に貴方の「他国の欠点、醜さ」は大辛です。その言葉を何も信じず、細々と行為を語る。
「その人の言う所を見ずに、行う所を見よ」とは、人が誰でも踏まえている真理だ。それを、貴方のようにやったら、身内は全て良くなり、相手は全て悪くなるのは必定。
身内言葉とは、日本史の中の言葉全て。相手言葉とは、デモクラシー、国連、EU、フランス革命などなど。例えばフランス革命をせめて、その言葉通り「自由、平等、友愛」で信じて欲しいものだ。ぼくはそうしないけど、あなたは「ゴカジョウノゴセイモン」やナントカ式目のように信じると言われるのだから。
なお今から3泊4日で旅に行きますので、旅先で書けますかどうか、当面、失礼。
歴史の中の「言葉」でも、ただ理念だけの言葉と法律(の言葉)とは確かにちょっと違うように見えますね。後者はもう少し実があるように思える。それにしたって、次のはどうです?
今から300年ぐらい後に世界のどこかの人が日本の現憲法を読んで、こう感動しました。
「すげー!日本という国は戦争をしないと宣言し、いかなる戦力も持たないとしてたんだ。警察がピストルかライフル程度は持ってたろうけど、他はなかったんだろうな。まして外国へ派兵するなんてまったくやってないだろう。すげー!」
そして彼がこの「言葉」を真に受けて、「(事実として)こういう国があった」と友人に語ったら、その友人曰く。「お前歴史の言葉をそのまま信じるのか?その言葉が守られとるかどうか、実際に調べたのか?なに、調べてない。そりゃアホだぞー!」
とまー、こんな具合です。「歴史的実証?」で言葉に頼るのはやめましょう。事実は消えても、言葉は残りやすいから「実証?」しやすいけどね。
私の歴史を見る目は自国に大甘くて他国の欠点ばかりさらしているとも言うのですか?
私は日本の特異性を述べている積もりです。勿論、他国のように、キリスト教やイスラム教に依存じていなくとも、高度の倫理性も備えていると思っています。
歴史的な実証も大事ですが、想像力の問題でもあります。あの時代であれば、自分はどうしたのかと言うものでしょう。明治からの歴史からあの大東亜戦争の時代に到るまで、シナ事変やアメリカとの戦争に私は、反対しただろうかと・・。あるいは、日本は、戦争を避ける事が出来たのだろうかと・・。
そういう事ではないのでしょうか?
まだデモクラシー・フランス革命・国連ですか、パレスチナはどうなっていますか?自由・平等。博愛ですか、貴方は本当に哲学を語る人ですか?私には信じられません。
300年後ですか、200年でも良いのですが、貴方もさすが旅先だけあって口調が軽いですね。
やはりサッカーの解説がお似合いではないかと・・。
本日のお答えはさらに、何を言われているのかさえ、さっぱりわからない。ただし、たった一つわかったことがある。これです。
「やはりサッカーの解説がお似合いではないかと・・。」
多分これは正しい。今上に書いた文章も「誰の目から見ても確かにそうだ」という自信はありますが、サッカー解説のほうはさらに確かにもっと自信がある。なんせ、目の前で繰り広げられたばかりのものですから。ですが、「お似合いでは」とは、どうしたことだ?「サッカーのが(こういう)あなたと話しているよりも遥かに人生的に意義深い」なら分かるのですけど!