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掌編小説紹介 「宇宙からの伝言」   文科系

2023年05月26日 10時24分53秒 | 文芸作品
掌編小説紹介 宇宙からの伝言  S.Hさんの作品です


 旅館の湯殿から海が見える。
 ちょっと熱めの風呂からあがると汗がポタポタ落ちた。
 風呂場の入り口の反対側に小さな通路があり、扉を開けると海がひらけた。ここは知多半島の先端部分だからこの海は伊勢湾である。曇り空におりからのたそがれ。雲間から淡い夕日が漏れて海面に漂っている。
 ゴールデンウイークの最後の日に東京に住む孫一家を連れてここに来た。
 七十六歳、この歳月をかみしめながら波間を眺めている。海岸道路を少し歩いて突堤に辿り着いた。突堤に登り海の方へ少し進む。いつもは穏やかな湾であるが、突堤に上がると相当強い波がしらである。
 私はたそがれ、少しくすんだ海面に慈光がさしているのを眺めた。

 ここへ来る前日、昨日のことがふと浮かんだ。本来ならこの旅館に一緒に泊まるはずであった。いや、泊まってほしかった。娘夫婦とその孫である。
 その昨日の正午は或る料理屋の個室で、この旅に来た次男家族に加えて娘家族も一緒だった。娘は十歳の孫を頭に三人の孫を持つ。問題はその一番下の二歳児であった。次男も私も前々から聴かされてはいたが、重度の末期癌なのである。生まれて半年もたたない内から嘔吐に始まってやがて脳内に腫瘍があるのが見つかった。すぐに希少性小児癌と宣告された。あれから約二年間娘夫婦は、癌に侵され続けてきた小さくけなげな自分の娘の命と向き合ってきた。頭蓋骨を切り裂いて癌の除去手術。弱いながらも放射線治療。そのたびに入退院の繰り返し。挙句の果ては癌の全身転移でもはや手の施しようがないから自宅に帰り静かに暮らすように、主治医から言い渡されて現在に至っている。
 その子の名前は陽菜(ひな)という。娘に抱かれた陽菜は既に嚥下能力もないことから喉を切除し、そこから栄養剤の点滴の管を差し込んでいた。表情はぼんやりとしていた。黒目は真ん中に寄っていた。娘によれば脳の基底部に発生した癌細胞が脊髄にも転移しているらしい。多分もう聞く能力も衰退している。目が寄っているのは患部が視神経に当たっているからだという。笑う表情も消えた。表情を形成する神経も侵されているという。でも何となくわかるらしい。
〈陽菜ちゃんと顔を合わすのはこれが最後かもしれない〉
私は陽菜と会い、娘からそういう説明を受けた時、とっさに思った。その暗いジーンと胸を締め付ける想いから黙って戦っていた。そういう不安がよぎった。次男もそう思っているのかもしれない。
娘婿はもう二年以上介護休暇を取っていて陽菜の誕生日には介護休暇もなくなるという。とつとつと説明する彼の顔を正視するのはどうしても出来なかった。
 私にはそういう娘夫婦の必死さを、それにも増して包み込むような健気な表情がむしろ痛々しかった。笑顔すら交えて陽菜の様態を説明したり、痰を陽菜のか細い喉のチューブから吸い出す、娘のしぐさをじっと眺めながら胸が締め付けられた。
この二歳の子どもが直面している事態が娘夫婦の絆を固くしている。娘が母としてますます鍛えられ、ますます母となって行く。
私は敢えてそう考えようとしていた。年寄りの私が陽菜に付き添って看護できるはずもない、自分に出来ることはこれからも元気で子どもたちに心配させないことだと自分を納得させじっと娘の姿を眺めていた。

 昨日の想いからふと我に返り。海を眺めた。
 ハラハラと熱いものが頬を伝わり足元の砂に浸み込んでいった。地球誕生から繰り返していたであろう寄せては繰り返す波がしらが私の心に迫ってきた。
 いつしか夕暮れになっていた。対岸の三重県の街から薄ぼんやりと灯りが見えた。

 宇宙の彼方から、今は亡き妻や母のまなざしが私を包んでくれているような気がした。
               
(完)

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