スポーツを体育とか運動とか訳すのは、今や余りに日本的な誤り。適当な日本語訳語がないのだが、スポーツとは身体(感覚)を鍛え、その喜びを求める芸術と解するのが良い。視覚の芸術や聴覚の芸術があるように、身体感覚の芸術があるということだ。全身の神経を協調、集中させた脚(の感覚)でボールを自由自在に操る楽しさ。筋肉、身体感覚を鍛え、全身協調したフォームで剛速球が急に伸びてゆく時の痛快。もっと誰にも身近なものでは、ちょっと老いてきたころに少々鍛えてみた後、階段上りなどでふっと気づく脚の軽さ、その爽快感。こういう喜びを追求した結果はもちろん、体育になっていくのである。音楽が楽しいからその楽器技術を習うのであって、これはスポーツも同じ事。身体を上手く使える楽しさを追求した結果、身体ができていくのである。
このブログにも書いた「各種スポーツ選手の平均寿命 2021年01月12日」はプロや一流選手の場合。これを眺めていても分かるように、適度な有酸素運動は人の活動年齢を著しく延ばすものだが、この有酸素運動能力こそ脂肪を落とし、均整の取れた身体を作り、どんなおしゃれよりもおしゃれと言える力。これは、万人が認めるところだろう。ボディビルダーの身体に好き嫌いはあるだろうが、あれにしてもそのコンクール入賞者に走れない人は居ないのである。走れなければ、コンクール前に脂肪が落とせず、脂肪を落とせないと筋肉が浮き出ないのである。筋肉を鍛えるほどに、中年が近づいて走れない人は筋肉の上の脂肪が落とせなくなって、ただ太っている人になる。ウエートトレーニングをやっている若者はすべからく一時間近くは走れるように、ということだ。
さて、この有酸素運動能力は、老人になると特に大きな差を生むことになる。拙稿からで恐縮だが、
【 『 ⑥最後になるが、高齢者のどんな活動でも最後は体力勝負。そして、活動年齢を伸ばしてくれる体力こそ、有酸素運動能力。酸素がよく回る身体は若いのである。ギターやパソコンの3、4時間ぐらいなんともないというように。ランニングが活動年齢伸ばしにこんなに効力があるとは、骨身にしみて感じてきたことであるが、これは今では世界医学会の常識になっていると言える。その証言がこのブログのいたるところにあるが、一例がこれ。『「よたよたランナー」の手記(222)走る、歩くで活動年齢が伸びる 2018年05月10日』 】
(ここのエントリー『老後ギター上達法、僕の場合 文科系 2018年06月24日』より)
ちなみに、僕がやって来たスポーツはこれだけだ。中学時代は陸上もちょっとやったが、そのころから大学生までバレーボール。これは40歳過ぎて小中学校PTAバレーで復活し、娘が中三の最後の年に区で優勝、「名古屋市大会3位」まで行った。これらに平行してまた、大学時代からずっとサイクリングをやってきた。これは今でも現役で4年女子孫との50キロサイクリングのことなども、ここに書いてきたところだ。近頃この孫が「今度は100キロやってみよう!」と言っているが、この春が待ち遠しいという今なのである。今は、これをもめざしつつ「八十路ランナー」を楽しみ、書いているわけだ。ちなみに、10キロ走れる間は100キロサイクリングは十分可能と考えている。このランニングは、2000年ちょうど、59歳の現役時代に勤務先があるスポーツクラブ法人会員になったのをきっかけに覚えたもので、その時意図したとおりに今の僕の諸活動の原動力になっている。有酸素運動の効力は、とにかく絶大である。
ちなみに年寄りが太るのは走れなくなるからだ。そのことを僕は今の今、痛感している真っ最中である。今の僕は、ウオームアップの時間が20分以上も必要になっている。それだけゆっくりと長く走って初めて、全身の血管が開き、酸素を運び疲労物質を吸収、汗として排泄する能力が全開してくるのである。アップの初めは8キロ時でも疲れてしまうのが、循環機能が全開し始めると10キロ時超えてもちゃんと走れるのだ。年を取るほどこの差が激しくなって、スポーツをしない人はこのことがわからないから、ウオームアップの段階で「もう走れない身体になった」と誤解してしまうのである。すると今度は逆に、循環機能がそういう生活に慣れてしまって、心拍数120以上には上げられないという身体になってしまうのである。ちなみに、僕の一定持続最高心拍数は165ほどである。
一人ウダウダと動いているだけなら、エクササイズ。
文ちゃん論は、大概この範疇。
スポーツと言うからには、「競う」要素が無いとね。
古くから、ビリヤードやチェスからして、スポーツなんだよ。
スポーツした事のない文ちゃんの、スポーツ論だね(笑)
‥それが、文ちゃん論だよ。
相撲が特に短命な競技ということに加えて、陸上競技選手でも短距離は短命で長距離は長命というのが、有酸素運動の命に与える好影響だと思います。
ポリフェノール摂取の重大性は何度も書いてきました。
なお、今の僕の体形は169センチ、57キロ。30歳の時に作った礼服が今でも着られます。これは自慢になりますが、まず60代にみられます。体形の他に、髪が黒くて、年齢の割に顔にも筋肉があるからと考えてきました。もちろん、顔の筋肉のトレーニングもしています。特にジムで60代などと若く見られるのは、容姿がよく見えるということと、そこでのトレーニングスタイルが関係していると思っています。ウエートも一通りやりますから。
『古くから、ビリヤードやチェスからして、スポーツなんだよ』
僕の上記スポーツ定義で、ビリヤードは当然入る。が、チェスは入らない。チェスをスポーツとした出典を示せ。でないと、何の反論をしたことにもならない。例えば、狩猟、競馬も「する人」にとっては当然スポーツになる。魚釣りも、スポーツになるかも知れないが、チェスは外れだと考える。
そもそも、スポーツの定義もしないで、あれが入りこれが入らぬなどという論議をするな。そんなの、卑怯な討論と言うだけのことだ。論争とは、定義してこそそれらしい論争になるのである。君の定義は、これくらいなものだろう。ただプロ的な競争と。そして、アマチュアスポーツマンや、ただ縄跳びしてる子は、スポーツマンにはならない??
日本的じゃなくて、文ちゃん的誤りだよ。
『そもそも、スポーツの定義もしないで、あれが入りこれが入らぬなどという論議をするな。そんなの、卑怯な討論と言うだけのことだ。論争とは、定義してこそそれらしい論争になるのである』
ある言葉について論争している時に、一方はその語を定義した上で「あれは入る、これは入らぬ」と言い、他方は定義なしに「これも入るぞ」と「反論」する。そんな後者の論議なら誰でもできるが、なんの実がある討論にもなっていないと考えるべきだろう。
と、いつも君に語ってきたよね。いつも親切に。
「スポーツの定義」から、してみせろとか、文ちゃん自身にもやれてない事を要求する・・
まあ、何時もの文ちゃん論。
・・都合の悪い事は、消すしね(笑)
相変わらず、誤った文ちゃん論。
だよ。
『スポーツとは身体(感覚)を鍛え、その喜びを求める芸術と解するのが良い。視覚の芸術や聴覚の芸術があるように、身体感覚の芸術があるということだ』
だからチェスは入らないと述べたのである。
他方君は、「競う」だけ?? なんじゃ、こりゃっ、てなもんだよね。麻雀もポーカーもスポーツなのかな?
ちなみに君は、僕のランニングのように一人でやっているスポーツは、いくら自分と闘っていてもスポーツでないと?! 昨日の自分と今日の自分が競わない人は、まず達人にはなれない・・・。これこそスポーツ最高の場面なのだよ! これができぬ人は先ずダメだよね。競えない。