前回の投稿で記したように、第一次世界大戦はかってない悲惨なものであった。それを受けて戦後処理の過程で、新しい理念が示され、新しい戦後処理が行われた。そして、国際協調が強調され、国際連盟が発足した。
この第一次世界大戦中に日本は中国に対して、対華21か条の要求を突きつけた。その内容は5つの項目に大きく分けられる。①ドイツの山東省利権を日本が継承する。済南鉄道の支線の敷設権を日本に与える。②南満州と東部内蒙古における日本の特権を認める。この地の政治・財政・軍事に関する日本人顧問を置く。③漢冶萍公司を日中合弁とすること。④中国領土内の港湾・島嶼を他国には譲渡しないこと。⑤中国政府に政治財政・軍事顧問を置くこと。警察を日中合弁とすること。日中合弁の兵器廠を設立し、日本人技師を雇うこと。中国中南部の鉄道敷設権を日本に与えること。以上の5項目である。
欧米諸国が血みどろの戦争継続中に、まるで火事場泥のように、中国植民地化の要求を中国へ突きつけたのだ。この第5の項目はあまりにもひどく、欧米を刺激するのは必然であったので、秘密条項として要求したのだ。
当時の袁世凱政権は当然のことながら、調印を渋ったのに対し、日本政府は最後通告を突きつけて、調印を迫った(そのとき、第5項目ははずした)。袁世凱政権はやむをえず1915年5月、これに調印することとなった。
戦後の軍縮交渉には、日本の政党内閣は妥協しながらも、その流れに乗っていったが、結局、日本は対華21か条の路線を継承し、満州事変から日中戦争へと、中国植民地化路線を歩むことになった。この時期には、世界のなかでは、戦争とか紛争はおこってない。まだ、国際協調路線が流れている国際情勢のなかでの、日本の動きであったことに注目する必要がある。
保守系論客は、こうした国際情勢のなかに位置づけて、日本の歴史を見ることを拒否しているようだ。満州国建国を「五族共和」の理想郷を建設するため、満州系民族のためにやったことだ、国際的に承認されたのだ、と「歴史解釈権」の名のもとに強弁する。第一次世界大戦後の世界史の流れに照らしても、このような「歴史解釈」が成り立つはずがない。
そこから彼ら特有の東京軍事裁判の評価・認識が生まれていると私は思う。彼らは、東京軍事裁判は「勝者が敗者を裁いたものだ」と口をそろえて言う。「国際法から見ても間違っている」とも言う。そして、その論証のあかしとして、パール判事の無罪判決(少数意見であり、判決ではない。彼らはこの判決なる用語を使用する)を挙げ、ヘレン・ミアーズの著書「アメリカの鏡 日本」を挙げる。
例えば、小林よしのり氏は次のように言う。「軍事力でねじ伏せた相手に、一方的な戦勝国の論理を押し付ける『裁判』のどこが平和主義なのだろうか? それは、野蛮な弱肉強食の国際社会を肯定する『軍国主義』に他ならないではないか」(「パール判事の無罪論」序文)と。
確かに、ミアーズはアメリカに日本を裁く権利はないと書いた。しかし、それは日本を免罪するということではないのだ。「日本が、『凶暴で貪欲』であったことは明白な事実」として、日本の明治以降の対外進出と侵略戦争を『凶暴で貪欲』と彼女が述べていることを忘れてはいけない。彼女は日本の侵略行為を免罪しているのではない。『凶暴で貪欲』と指摘しているのである。 欧米諸国が近代に入って、他民族を抑圧し、植民地化し、領土を拡大していった「帝国主義的行為」(彼女はそんな表現は使っていないが)を彼女は否定する。そうした行為を働いた国々に日本を裁く権利があるのだろうか、と彼女は言っているのだ。
第一次世界大戦の戦後処理の歴史事実とその後の国際協調の歴史を、彼女は念頭に置いていない、と私は言いたい。第一次世界大戦前の帝国主義的侵略・植民地獲得の行為と第一次世界大戦後のそれとは、同一のレベルで扱うことはできないと私は思う。ともあれ、彼女は自分の著作が悪用されているのを天国で嘆いていることと、私は思う。
では、パール判事についてはどうだろうか。11名の判事のなかで、確かに一人だけパール判事が無罪の少数意見を出した。このパールの意見は、この裁判を狭い法解釈論のみで論じ導き出したもので、この裁判を矮小化して捉えていると私は思う。
長くなるので、このパール判事の見解、およびそれに便乗した保守系論客の見解についての分析は、次の投稿にまわしたい。
この第一次世界大戦中に日本は中国に対して、対華21か条の要求を突きつけた。その内容は5つの項目に大きく分けられる。①ドイツの山東省利権を日本が継承する。済南鉄道の支線の敷設権を日本に与える。②南満州と東部内蒙古における日本の特権を認める。この地の政治・財政・軍事に関する日本人顧問を置く。③漢冶萍公司を日中合弁とすること。④中国領土内の港湾・島嶼を他国には譲渡しないこと。⑤中国政府に政治財政・軍事顧問を置くこと。警察を日中合弁とすること。日中合弁の兵器廠を設立し、日本人技師を雇うこと。中国中南部の鉄道敷設権を日本に与えること。以上の5項目である。
欧米諸国が血みどろの戦争継続中に、まるで火事場泥のように、中国植民地化の要求を中国へ突きつけたのだ。この第5の項目はあまりにもひどく、欧米を刺激するのは必然であったので、秘密条項として要求したのだ。
当時の袁世凱政権は当然のことながら、調印を渋ったのに対し、日本政府は最後通告を突きつけて、調印を迫った(そのとき、第5項目ははずした)。袁世凱政権はやむをえず1915年5月、これに調印することとなった。
戦後の軍縮交渉には、日本の政党内閣は妥協しながらも、その流れに乗っていったが、結局、日本は対華21か条の路線を継承し、満州事変から日中戦争へと、中国植民地化路線を歩むことになった。この時期には、世界のなかでは、戦争とか紛争はおこってない。まだ、国際協調路線が流れている国際情勢のなかでの、日本の動きであったことに注目する必要がある。
保守系論客は、こうした国際情勢のなかに位置づけて、日本の歴史を見ることを拒否しているようだ。満州国建国を「五族共和」の理想郷を建設するため、満州系民族のためにやったことだ、国際的に承認されたのだ、と「歴史解釈権」の名のもとに強弁する。第一次世界大戦後の世界史の流れに照らしても、このような「歴史解釈」が成り立つはずがない。
そこから彼ら特有の東京軍事裁判の評価・認識が生まれていると私は思う。彼らは、東京軍事裁判は「勝者が敗者を裁いたものだ」と口をそろえて言う。「国際法から見ても間違っている」とも言う。そして、その論証のあかしとして、パール判事の無罪判決(少数意見であり、判決ではない。彼らはこの判決なる用語を使用する)を挙げ、ヘレン・ミアーズの著書「アメリカの鏡 日本」を挙げる。
例えば、小林よしのり氏は次のように言う。「軍事力でねじ伏せた相手に、一方的な戦勝国の論理を押し付ける『裁判』のどこが平和主義なのだろうか? それは、野蛮な弱肉強食の国際社会を肯定する『軍国主義』に他ならないではないか」(「パール判事の無罪論」序文)と。
確かに、ミアーズはアメリカに日本を裁く権利はないと書いた。しかし、それは日本を免罪するということではないのだ。「日本が、『凶暴で貪欲』であったことは明白な事実」として、日本の明治以降の対外進出と侵略戦争を『凶暴で貪欲』と彼女が述べていることを忘れてはいけない。彼女は日本の侵略行為を免罪しているのではない。『凶暴で貪欲』と指摘しているのである。 欧米諸国が近代に入って、他民族を抑圧し、植民地化し、領土を拡大していった「帝国主義的行為」(彼女はそんな表現は使っていないが)を彼女は否定する。そうした行為を働いた国々に日本を裁く権利があるのだろうか、と彼女は言っているのだ。
第一次世界大戦の戦後処理の歴史事実とその後の国際協調の歴史を、彼女は念頭に置いていない、と私は言いたい。第一次世界大戦前の帝国主義的侵略・植民地獲得の行為と第一次世界大戦後のそれとは、同一のレベルで扱うことはできないと私は思う。ともあれ、彼女は自分の著作が悪用されているのを天国で嘆いていることと、私は思う。
では、パール判事についてはどうだろうか。11名の判事のなかで、確かに一人だけパール判事が無罪の少数意見を出した。このパールの意見は、この裁判を狭い法解釈論のみで論じ導き出したもので、この裁判を矮小化して捉えていると私は思う。
長くなるので、このパール判事の見解、およびそれに便乗した保守系論客の見解についての分析は、次の投稿にまわしたい。
何故、侵略したアメリカの傀儡政権が裁くのですか。
ますますイラクは混乱していくでしょう。共和党が負けましたね。どうアメリカは、イラク問題を収拾するのでしょうか。
21カ条ですか、こんなのは、欧米がやってきた物真似です。当時のシナが酷い状況でしたからね。シナは当時はもう国家の体を成していないのです。
日本の明治以降の何処が貪欲で凶暴なの、貴方自身での意見を披露して下さい。
いいですか、日本はシナと一緒になって、貪欲な欧米列強と戦おうとしたのです。
でもシナにはそんな気がないのです。
中国の植民地化ですか、そんな余力は当時の日本にはありません。共産主義国家のソ連の脅威があったわけですから・・
パール判事の意見を少数者の意見として片付けるのですね。貴方は、少数の意見を排除するのですか。
貴方は、真の民主主義者ですか。
少数の意見の中に、真実が隠されているのではないのでしょうか。貴方混乱していませんか?
それから千里眼さん、共産主義の20世紀の世界に与えた脅威というか、世界を恐怖に陥れた歴史的な意味について語ったら如何ですか。
何処か偏っていませんか。
ところで、貴方へお尋ねしますが、ヴェロナ文書について、最初に取り上げたのは誰で、何と言う論文ですか。おそらく雑誌「正論」に出ていたと思うのですが、平成3年以前のバックナンバーを調べても分かりません。おそらく平成4・5年に掲載されているはずです。この文書が、共産主義の謀略論や多数の知識人を共産主義者に仕立てていく種本になっていると思うので、調べたいのです。
「満州事変から日中戦争(日支事変と言って下さい)から、中国の植民地化」などとそう大胆に言わないで下さい。もう一寸きめ細かくその推移を見て下さいね。私は、これまで何度も言っているのですが、満州の経営とソ連の備えで日本は手一杯なのです。
日本から侵略する気持ちはないのです。それに、あの橋での空砲での演習中の日本の軍隊に向けての発砲は、共産党軍のものでしょう。
こんな事、今や常識なのですが・・。
しかもこれももう言ったのですが、すぐには日本から戦争を仕掛けていないのです。この辺りよく調べて下さい。
さて東京裁判の正当性を貴方自身の言葉で、述べて下さい。
ベロナ文書は知りません。
同じような返事で悪いのですが・・。
「満州事変から日中戦争(日支事変と言って下さい)から、中国の植民地化」などとそう大胆に言わないで下さい。もう一寸きめ細かくその推移を見て下さいね。私は、これまで何度も言っているのですが、満州の経営とソ連の備えで日本は手一杯なのです。
日本から侵略する気持ちはないのです。それに、あの橋での空砲での演習中の日本の軍隊に向けての発砲は、共産党軍のものでしょう。
こんな事、今や常識なのですが・・。
しかもこれももう言ったのですが、すぐには日本から戦争を仕掛けていないのです。この辺りよく調べて下さい。
さて東京裁判の正当性を貴方自身の言葉で、述べて下さい。
ベロナ文書は知りません。
同じような返事で悪いのですが・・。