自民党安倍派国会議員らが統一教会の改名・再興を許し、その広告塔の役割を果たしたうえに、マインドコントロールされた狂信会員らを個人選挙にフル活用していた事実が、次々と明らかになって来た。加えて、はじめこれらを指弾されたとき「どこが悪いのか?」と応えた議員がほとんどだった。派閥の会長・長く首相を務めた安倍晋三自身が教会の票割り振りの元締めをやっていたというのだから、「どこが悪いの?」も自然な応対だったのだろう。ところで、改めて、このどこが悪いのか、これを明らかにしてみたい。
・多大なカルト信者をあらたに生み出して、その周辺国民にもカルト特有の生活破壊をもたらした。国会議員としてその広告塔を務めたことを、普通の信仰活動援助のように都合よく解釈して。そんな勝手な解釈の上で、狂信者を自分の選挙に大々的に活用していたのである。
・国民の生活を良くすべく、税金で雇われ、税金の使い方を決め、これを実行する公僕が、上記を行うおかしさを何も気づいていないのである。いや、後ですべて訂正したところを見ると、気づいてはいたが、やっていたということだろう。
・これと同じことが、彼らのボス、安倍晋三の言動には常に付きまとっていた。例えば国民の一部に対する「反日」発言、罵倒。公僕である安倍晋三が、国家主権者、国民の一人にでも「反日」などと言えるわけがないのである。公僕とその主人、国の主権者との関係を曲解しているか、無視しているのだ。反対者国民を罵倒し、揶揄し、かれらには平気でうそをつく。これは、国民の一部を国民と見ず、公僕であるはずの自分が彼らを犯罪者のように押さえつけても良しとしていくような全体主義思想の持主であることを示している。北海道警察が、反安倍のヤジを飛ばした聴衆を排除した例は、警察が安倍の全体主義志向を忖度して犯した思想警察の態度ということになる。
さて、国会議員の多くに公僕の自覚がこんなにもないと暴露された統一教会問題を、岸田首相は議員個人の問題と処理すると答え、国会論議もせずに安倍国葬に入っていくという。犯人も統一教会問題ゆえに安倍を殺したと公言しているのだから、二重三重の誤りになる。それも主権者の代議制度、国会というものの本来的使命に関わる重大問題を逃げて回って、自党を宣伝・美化しようというような党利党略国葬である。