『メールありがとうございます。随筆拝見してとてもうらやましく思いました。下記の二つの内容に、とても感銘を受けました。
「特に老後を、設計した想定を遥かに超えるほどに楽しめてきた」
「今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している」
私は、五〇才頃までは、自分のしたいと思うことができて、満足のいく毎日でした。しかし、五〇代から、苦手な分野(マネージメント)を担当することとなり、挫折しました。それまでの間(特に学生時代)に、鍛錬が足りなかったと思っています。現在は、「今までのことは頭から離して、残りの人生がより充実したものとなるように毎日を過ごしていこう」という風に、頭の中を整理しています。と言っても、過去のことを想い出すことが多いですが。』
これは、六つ違いの弟から八十路を超えたばかりの次郎に出されたある質問に端を発して、以降もしばらくメール交換などがあった会話の一つの結末である。兄弟妹四人とその配偶者、併せて八人で持った約十年ぶりの会食だったが、この会話の発端になった弟の質問は、こういうものだ。「兄さんの死生観を一度聞かせて欲しかった、僕は今、死ぬのが怖くて仕方ないと思っているので・・・」。名古屋駅ツインビルの十二階、駅西が一望できる大きな窓が西の壁になっているような贅を尽くした和食の個室に通されて、長い和机を挟んで向かい合って間もなく出てきた質問だった。次郎はさしあたって、こう答えた。
「この怖さは僕もずっと抱え続けて来たもの。夜中にガバッと起きて、恐怖の冷や汗って、そんなことが何度あったことか。これがあったから大学は哲学科へ行き、以降ずっと生きがいを求めてきたようにも思う」
「それで、これについての今の心境とか認識とかはどうなっているの?」
「死は夢を見ない永遠の眠り。当人にとっては永遠の無だと考えている。かと言って、宗教などの力を借りなくとも、真善美のようなものはその反対物も含めて人間たちの生活の中に存在してきた。だからこそ、自分の生活もしかるべく納得できるものにしたいと考えてきた。五十歳前から現に今やっている老後生活諸活動を順に備えてきたのも、そういうことからだったと思う」
当日の話はこのあたりで終わっていたのだが、それはよくあるようにどうも、弟がこの考え方を嫌い、一種憎んでさえいたからだと、次郎には感じられたものだ。
さて、会食の翌日にはもうメールが届いた。ある本を送るから、その感想を聞かせて欲しいとある。「死を見つめる心」(岸本英夫著)という本で、文中「死後における生命の永存を信じるもの」という考え方を自分は取るが、これをどう思うかと問うていた。こう答えるしかなかった。
「肉体とは別に魂のようなものが存続すると考えれば、その魂の来し方行く末がある理屈で、肉体の世界とは別の神の世界が想定されることになるが、これはないと思う。」
こういう意見を答えがてら、かつて所属同人誌に載せたこんな書き出しの随筆を送った。
『心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。「これからが本番です。眠っていただきます」。
ところがなかなか眠りに入れない。眠ったと思ったら、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か声を出していた。
さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、意識していたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。』
この文章冒頭で弟が「うらやましい」「感銘を受けた」と応えてきたのは、この随筆についてのことなのである。
ところで、こういうやり取りの間中、次郎はまさに死を抱えていたのである。この月の初めに膀胱癌が発見され、それも「大きくてしっかりした癌で、モコモコしていなくってぺしゃっとしているから、悪性度も高いようだ」という宣告を受けていた。一応の全身転移検査は終わっていたが、その結果もまだ出ていないという状況だったのである。〈もし肺に転移していたら、余命数か月・・・〉と、そんな境遇の真っ只中にあったのだ。楽しい会食に臨んでこんな事は一切告げずに、気取られずに、普通の応対、対話をしている自分がいたということである。これも間違いなく「僕の人生の一つの結実」なのだろう。