新自由主義経済の下で、こんな雰囲気がこれでもかと醸成されている。「民間=競争で能率的、合理的、つまり善」であり、「公共=競争無く税金の無駄遣い、つまり悪」と。
さて、公共でも善悪あるように、民間でもそれがある。例えば、民間にはもちろん、VWもあるし、旭化成もあり、今でも終身雇用を守ることによって新聞で評判になったりして、目を見張られている会社もある。上のアルゼンチン流公共は善だが、金首領様のそれは悪である。
ただ、恐慌下の自由競争は、法律違反すれすれとか、法さえ守ればよいということから、公正、道義、民主主義などは顧みられず、社会は荒れる。
さて、それでは、世の中が民間ばかりになったらどうなるのだろう。簡単なことだ。公共的観点がどんどん廃れた世界になる。つまり、公正、道義、民主主義などが世界からどんどん消えていく。「世界最大規模の民間金融」が、公共を守り促進する「中弱小国家」を簒奪していくからである。アジア通貨危機後のタイ、韓国、インドネシアのように。公共財すら簒奪される世界では、民主主義などは絵に描いた餅になる。
中弱小国家が守られなければ、もっと本物の弱肉強食世界になるだろう。だからこそ今、世界の公共、国連の視点、役割が大切だと思う。
この数十年のアメリカは、国連常任理事会で他の全部の国の拒否権を合わせたよりも多い拒否権を発動してきた。そして、自分が国連に替わりたいのである。「アメリカ流民間」を「国連の公共」に入れ替えようとしてきた。国連をどんどん無力にしつつのことである。
こうして確かに、チョムスキーが言うように、世界は「覇権か生存か」ということだ。イラクとかシリアのようにアメリカに目障りな国は、出来れば全部潰したいというように。くにさえつぶすということはつまり、世界から公共思想を無くしたいのである。
上でボリビアのモラレス大統領がこう語っているのは、そういう世界への警告である。
『「ラテンアメリカ諸国、そして私の見るところ世界中のどの国の政府も、ISFD条項における裁判に勝ったためしはない。勝つのはいつも多国籍企業の方だ」』
弱小国家が裁判でどんどん、世界的大企業に負けていくという構図である。
そんなこんなで、最近の日本の政治理念も随分いい加減になってきた気がする。国家補助金をもらっている会社から、「もらって1年内には政治献金を受け取ってはいけない」という規則があるが、これを「補助金をもらっている会社だとは知らなかった」と弁明すれば、罪にならないというように。最近首相自身がこれをやった。自分勝手な、屁理屈である。
政党助成金は何のために作ったのか。献金を無くし、政治を綺麗公正にするためではなかったのか。「知らなかった」で済めば、そんなのは規則とは言えない。
「国家補助金が政治資金の原資になっている」
というように政治理念が、根本のところからどんどん崩れている。
さて、公共でも善悪あるように、民間でもそれがある。例えば、民間にはもちろん、VWもあるし、旭化成もあり、今でも終身雇用を守ることによって新聞で評判になったりして、目を見張られている会社もある。上のアルゼンチン流公共は善だが、金首領様のそれは悪である。
ただ、恐慌下の自由競争は、法律違反すれすれとか、法さえ守ればよいということから、公正、道義、民主主義などは顧みられず、社会は荒れる。
さて、それでは、世の中が民間ばかりになったらどうなるのだろう。簡単なことだ。公共的観点がどんどん廃れた世界になる。つまり、公正、道義、民主主義などが世界からどんどん消えていく。「世界最大規模の民間金融」が、公共を守り促進する「中弱小国家」を簒奪していくからである。アジア通貨危機後のタイ、韓国、インドネシアのように。公共財すら簒奪される世界では、民主主義などは絵に描いた餅になる。
中弱小国家が守られなければ、もっと本物の弱肉強食世界になるだろう。だからこそ今、世界の公共、国連の視点、役割が大切だと思う。
この数十年のアメリカは、国連常任理事会で他の全部の国の拒否権を合わせたよりも多い拒否権を発動してきた。そして、自分が国連に替わりたいのである。「アメリカ流民間」を「国連の公共」に入れ替えようとしてきた。国連をどんどん無力にしつつのことである。
こうして確かに、チョムスキーが言うように、世界は「覇権か生存か」ということだ。イラクとかシリアのようにアメリカに目障りな国は、出来れば全部潰したいというように。くにさえつぶすということはつまり、世界から公共思想を無くしたいのである。
上でボリビアのモラレス大統領がこう語っているのは、そういう世界への警告である。
『「ラテンアメリカ諸国、そして私の見るところ世界中のどの国の政府も、ISFD条項における裁判に勝ったためしはない。勝つのはいつも多国籍企業の方だ」』
弱小国家が裁判でどんどん、世界的大企業に負けていくという構図である。
そんなこんなで、最近の日本の政治理念も随分いい加減になってきた気がする。国家補助金をもらっている会社から、「もらって1年内には政治献金を受け取ってはいけない」という規則があるが、これを「補助金をもらっている会社だとは知らなかった」と弁明すれば、罪にならないというように。最近首相自身がこれをやった。自分勝手な、屁理屈である。
政党助成金は何のために作ったのか。献金を無くし、政治を綺麗公正にするためではなかったのか。「知らなかった」で済めば、そんなのは規則とは言えない。
「国家補助金が政治資金の原資になっている」
というように政治理念が、根本のところからどんどん崩れている。