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南京大虐殺 ある証言   文科系

2015年10月12日 02時11分09秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 08年に常連投稿者・へそ曲がりさんが以下のエントリーをされている。その後「胃がん闘病記」をここに書かれつつ、亡くなられた貴重なお方だった。そのエントリー自身と、そこに登場する標記の方の体験談自身の一部とを以下にご紹介したい。以下に分かるように、東京高等裁判所の言わばお墨付きがある話と言えるのである。

『 夏 淑琴さん 東京高裁でも勝訴  へそ曲がり 2008年05月31日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 夏 淑琴さん東京高裁でも勝訴(週刊金曜日 5/30)

 南京大虐殺の被害者・夏 淑琴さん(79歳)が書籍『「南京虐殺」の徹底検証』の中でニセ被害者扱いされたのは不当として、著者の東中野修道氏(亜細亜大学教授)と出版社の展転社を提訴していた事件で、東京高裁(柳田幸三裁判長)は21日、原告・被告双方の控訴を棄却した。
 夏さんは1,500万円の損害賠償などを求めており、東京地裁は昨年11月2日、名誉棄損と名誉感情侵害を認め、翻訳版も含めて計400万円(弁護士費用含む)の支払いを被告らに命じていた。
 1937年12月、南京城内の夏さん宅に旧日本軍が押し入り、家族9人のうち7人が殺害され、当時8歳だった夏さんも重傷を負った。母と2人の姉は輪かんされたうえの殺害だった。夏さんは80年代以降、この被害・目撃体験を証言するようになった。
 高裁審理で、被告らは新たな主張をし始めた。①夏さんの家族の遺体をマギー牧師が撮影したとされる16ミリフィルムがあるが、日本軍入城前に撮影されたもので捏造だ、②マギー牧師によるフィルム解説文もあるが、同氏による創作文だ、③夏さん一家は中国軍に殺害された。
 しかし高裁判決は、被告・東中野氏による一審陳述書で「フィルム解説文は、マギー牧師の創作話(中略)などとは全く述べていなかった」とし、被告らの主張を切り捨てた。
 原告側の渡辺春己弁護士は「東中野氏は書籍の中で、マギーフィルムとその解説文を前提にして、それを都合よく解釈(誤訳)することで、夏さんをニセ被害者扱いにした。一審でもその流れに沿って主張していた。控訴審での主張は、苦し紛れのねつ造としか思えない」と批判した。
 夏さんは、「とても嬉しいです」「東中野氏本人に会い、私のことをなぜ偽の承認と言ったのか、それを聞きたい」などとコメントを発表した。
 南京大虐殺否定派のウソにまみれた醜悪が、ますます露わになってきたようだ。』

 さて、この夏淑琴さんの体験談を昨日読んだ。早乙女勝元著「南京からの手紙」(草の根出版会)から、以下抜粋する。当時の南京日本軍の荒んだ状況などもよく分かるだろう。3か月続いた上海攻防戦に敗れて首都南京目指して揚子江沿いを潰走する中国軍を我先にと追撃した日本軍。その直後に起こった事件が南京大虐殺であった。

『日本軍が南京を侵略した十二月十三日のことをお話ししなければなりません。私たちは当時、新路口というところに住んでいて、私は七歳でした。一家は、九人家族で、父は労働者でした。(中略)日本軍は、南京市内に入ると、至るところで、かたっぱしから虐殺を始めました。ええ、中国人と見れば殺さずにはおかないといわんばかりにです。その日本軍があっというまに私たちの家にも押しよせてきました。
 十三日の昼近くだった、とおぼえています。(中略)日本軍をはじめに見たのは、隣のおじさんでした。おじさんは驚いて、日本語がわからずあたふたしているうちに撃たれて倒れ、それから、私の父も! 父は、その場で、日本軍の一発で殺されてしまったのです。そばにいた母は、赤んぼうを抱いていましたが、妹と一緒に殺されてしまいました。私は、父が血を噴いてあおむけにのけぞって倒れたとたんに、家のなかへかけこんだのです。(中略)
 家にかけこんだ私は、たいへんだ、たいへんだと、祖父母に中庭での出来事を伝えました。おじいさんとおばあさんはあわてて、私たち四人姉妹を、家の奥の一間に隠れるようにいいました。それは、祖父母の部屋で、右の奥まったところにベッドがあり、左の壁に食卓用の机がありました。私たち四人は、かたまってベッドにもぐり、頭からふとんをすっぽりと。けれど、四人ももぐりこんだふとんが、日本兵に見つからぬはずはありません。まもなく日本軍の革靴の音とざわめきとが、どやどやと聞こえはじめたとたんに、パーンと銃声一発。入口のところにいたおじいさんが、問答無用とばかりに殺されたのです。そして、おばあさんは・・・・。』
 後は要約します。ご自分は銃剣で四箇所刺されたが生きのび、気がついた時には、十五歳と十二歳の姉が殺されていたそうです。上の姉は机の上、下の姉はベッドの上に、あおむけで下半身がむき出しだったとのことでした。
コメント (1)
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