九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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モロッコ戦とホンジュラス戦  文科系

2012年07月27日 16時59分52秒 | スポーツ
 五輪男子サッカーは、スペインに勝った。奇跡的という向きもあるが、選手たちは案外冷静に臨んでいたようで、こんな感想さえある。オーバーエージ二人が入って、このところ見違えるように急に良くなった守備陣の砦、権田の言葉だ。
『(序盤からスペインにボールを支配されたが)相手に回されているってよりも相手に回させているって感じだった。だから僕らは全然焦れることなくできた。怖い位置で回されてないし、シュートもそんなに打たれてなかった。最後のところでつぶせているし、ああいった戦いをしようというのは最初から分かっていました。後ろでパスを回すんだったら好きなようにさせて、僕らは網を張ってという感じで統一されてできたんで問題なくやれた』
 この感想、ついこの前のメキシコ戦勝利と同じもののように思えたのは、僕だけではないはずだ。この権田もメキシコ戦に次いで得点を入れた大津も、本気でメダルを取ると豪語しているのである。

 さて、グループリーグ残り2戦、これを1勝1分けなら首位勝ち抜けが確定して、次は多分エジプトと当たる。これに勝てばベスト4で準決勝の相手は多分、ついこの前に勝った強敵・メキシコ。ここでおそらく負けると思う。今回のこのメキシコチームは、スペイン、ブラジルと並んで優勝候補の一角なのであって、二度目は勝てないと見た。守備が見違えるように良くなった日本だが、メキシコは中距離シュートも含めて恐ろしいほどの得点能力を持っている。

 当面のグループリーグ残り2ゲームを占ってみる。
 この2チームは今の日本ジュニアにはくみしやすいと思う。両チームのゲームを観たが、ホンジュラスは完全に個人技のチーム。モロッコのが組織性が高くて、かなり難敵。でも、あの程度の組織性だったら、組織全般、特に守備組織で日本の方がかなり高い。優勝候補はスペイン、メキシコ、ブラジルと言われていて、そのうち二つに合計1点しか取られずに勝ってきた今の日本なのだから。
 次戦のモロッコ戦を占ってみたい。
 モロッコは組織的攻撃のチームだが、メキシコとスペインを負かした日本とあっては、安易には攻めてこないと思う。よって、まず日本の中央は破れない。スペインでさえ日本守備陣相手にはサイド攻撃に頼ったのだから。サイド攻撃を行う時には、確かにアフリカ特有の身体能力が日本ゴール前で有利になるチームだと思う。が、オランダでやっている吉田が、身体能力がある鈴木、徳永、ドイツでやっている酒井高徳を使って競り合うゴール前はほとんど破れないと観た。トゥーロン国際大会の優勝チームにして得点王を出したメキシコでさえ遠目のシュートしか打てなかった日本チームなのだ。
 日本の今の攻撃は一言で言って鋭い。落ち着きと余裕が足らぬ気がするが、守備が下手糞なモロッコ、もっと下手と思われるホンジュラスなら2点は取れる。先制点を取れば、カウンターが生きてくる。高い位置でアタックする敵ボール奪取守備が生きて、この先取点も取りやすいと思う。
 何よりもこのチーム、ひょっとしたら予選は無失点でいくかもしれない。何度も言うように、守備組織が1ゲームごとに見違えるようになっているのである。
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保安院の大罪(82) 保安院主導の悪だくみ『構図』  文科系

2012年07月27日 01時27分22秒 | 国内政治・経済・社会問題

 東電内のテレビ会議システム映像を、東電が一部公開するようだ。そこで言いたい。国会事故調にさえ、手を加えてないものを全部見せたかどうか判明、証明なしなのである。「国権の最高機関」である国会の事故調にそんな無礼を働けたというところに、先ず重大な疑惑を感ずる。保安院、官僚たちの協力がなければ、こんな無礼が起こるわけがないと確信するものだ。

 さて、そうまでして隠し続けたものを今見せるというのは、一体どういうことか。都合の良い編集を加えたに決まっている。これを全部見せていれば、「撤退問題」で菅と東電とどっちが悪かったかなんてすぐに決着が付いているはずの資料だったのだから。それをずーっと見せなかったのは、全編そのまま出すのは自分らに自信がなかったからだと考えるのが自然だろう。菅直人こそ悪いという意味で自分らに自信があるならば、とっくに見せているはずのものなのだ。それを今見せるというこんなやり方は編集操作など裏があるだろうと疑えて、卑劣だとさえ言える。都合の良い場面、声だけをつなぎ合わせればどうとでも見せかけられるのだ。

 こんな訳で、全部公開でないのなら手前勝手そのもの、そんなものはむしろ見せるべきではない。泥棒が自分の犯行を自分の今後への参考のために全部ビデオに写していた。そのビデオを隠し続けてきて、一転してやっと出すという時、誰がそんなものを信じるだろう。この例えと、東電がやってきたことと、どこが違うというのか。
こんな所業は全て、事故直後の初めからのこういう狙いに決まっている。
「想像を超えた不可抗力の原発災害をここまでこじらせたのが、菅直人。彼の責任をこそ問え」
 その菅直人こそ、当時の内閣で唯一反原発に姿勢を変えた人物であって、加えて、事故以降の事実を東電以外では最もよく知りうる立場にあったということなのだ。こういう人物に原発事故地獄絵図の責任を全て被せて葬り去ることができるならば、一石二鳥で、こんな目出度いことはないと、そんな狙いを感じてならないのである。

 嘘も百編言えば信用されると言うが、原発村が作るこの日本はどうも嘘の暗闇になってしまったようだ。もっとも新自由主義社会には、「公共」「その担い手」などもう存在しないと言った方が良いのだろう。官僚が率先して、国権の最高機関をすら騙そうというのは、これはもう「暴力」と言うべきであって、国権がそんな暴力に晒され始めたら、「公共の担い手」などもう存在しない社会ということだろう。ちょうど、国家が国際金融資本に限りなく浸食さているギリシャやユーロには、公権力など有名無実で、半分存在しないのと同じようなものだ。いずれも、新自由主義社会だからこそ大手を振ってできることなのである。
コメント (1)
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