パラガイ戦の戦評は、あのゲーム自身と同じように難しい。世界のサッカーマスコミでも、評価が分かれている。点取りのアイディアを中心に見れば両チームとも低評価になるし、チームとしての総合力で見れば日本ということになるらしい。オシムが「日本は、ミルクをこぼした」と表現したり、ヒデが「日本のが実力は上」と述べたりしたのは、玄人的な後者の評価なのだろう。またこの両者ともが「日本はもっと攻められた」と述べているが、とにかくそのことについて書くのが、このゲームの焦点であるべきだろう。
まずこういうことだ。大会直前にあの守備を確立したからここまで来られたということを考えれば、今回に関しては無い物ねだりとも言えると。このことは、岡田監督も自分の責任として、認めている。
岡田監督はこう述べた。「点が取れないのは一つだけの理由ではない。それでも、前半途中から遠藤を前に出すとか、守備の要・阿部を憲剛に替えるとかして、リスクを冒した攻めの采配はした積もりだ。それ以上は監督としての僕の力不足。執着心が足りなくて、選手に勝たせてあげられなかったということだ」
さて、南ア大会の準備段階も含めた日本全体の総括はどうなるか。まず、日本史上最強チームが土壇場になって生まれたことは間違いない。その最強チーム誕生には、2つの要素が絡んでいると思いつく。
1つは、日本に適した守備体制の発見。過去にもまして強いチームばかりと対戦し、1ゲーム当たり失点0.5というのは特筆すべき事だろう。その検証が第1の課題だろうが、アンカーに阿部という人材を発見できたこともきわめて大きかったと思う。評論家などからは稲本という声が圧倒的に多かっただけに「なぜ阿部がこの守備組織に適していたのか?」は、「日本にあった守備体制とは?」の問題としても今後きちんと総括しておくべき重要事項だと思う。ちなみに、ブラジル出身の名監督シャムスカは、既に今年初めから阿部を推薦していた。また、この阿部が成長期においてオシムに育てられた人材だということも明記しておくべき事だと思う。
2つ目は、数人の柱が誕生してきたこと。点取り屋・岡崎の誕生がなければ予選段階の困難はずっと増していたと思われる。次いで、本田、長谷部、松井、俊輔という海外組の活躍だ。海外組がいないと急に弱くなったとは、予選段階からはっきりしていたことだったし、本大会のぎりぎりの所ではいつも彼らの活躍に助けられていた。これらの人材の諸能力を、その世界レベルへの成長過程を聞き取ることなども含めて、きちんと追跡・検証すべきではないか。
最後に今後の攻撃、点取りの方向である。「人もボールも走るサッカー」とは、オシムの造語だ。そのオシムは、この「人もボールも走るサッカー」の基礎を教え、これを攻撃法、点取り法にも適用しようとした矢先に倒れた。そのオシムは今、こう述べている。そういう日本的サッカーの確立には、もっとスピードのある選手を発掘すべきだと。技術的スピードは日本にはある程度の水準があるのだから、瞬発走力としてのスピードのことなのである。例えば、岡崎やオランダのロッベンのような。岡崎の大化けの原因は「走り出しで勝負」にあるのだし、ボールを持って走り出したロッベンは止められないというようなものだ。今や世界的強豪クラブのエースと言われる選手ならば、ロッベンのような選手か、メッシやジダンのようなターンなど技術的スピードに特に優れているか、どちらかである。なお、現代サッカーには守備にもスピードが要求されるのであって、長谷部、長友、阿部らの活躍は、彼らのスピードを抜きには考えられないのではないか。
岡ちゃんが、協会に対してこの3年間の卒論を書くそうで、それをとても楽しみにしている。また来年は、南アメリカ大陸のコパリベルタドーレス杯争奪戦にメキシコとともに日本が招待されたと聞いている。代表新監督が誰になるのか、とても楽しみだ。ついては、今回の結果から考えても案外日本人でも良いと思った。土壇場で守備重視に切り替えて間に合ったというのは、日本人のメンタリティーに通じていなければあり得ないことだと考えるからだ。日本人ならばガンバ大阪の西野が、実績で頭抜けている。日本人を良く知っているオシムも、ガンバのサッカーを褒めていることだし。
まずこういうことだ。大会直前にあの守備を確立したからここまで来られたということを考えれば、今回に関しては無い物ねだりとも言えると。このことは、岡田監督も自分の責任として、認めている。
岡田監督はこう述べた。「点が取れないのは一つだけの理由ではない。それでも、前半途中から遠藤を前に出すとか、守備の要・阿部を憲剛に替えるとかして、リスクを冒した攻めの采配はした積もりだ。それ以上は監督としての僕の力不足。執着心が足りなくて、選手に勝たせてあげられなかったということだ」
さて、南ア大会の準備段階も含めた日本全体の総括はどうなるか。まず、日本史上最強チームが土壇場になって生まれたことは間違いない。その最強チーム誕生には、2つの要素が絡んでいると思いつく。
1つは、日本に適した守備体制の発見。過去にもまして強いチームばかりと対戦し、1ゲーム当たり失点0.5というのは特筆すべき事だろう。その検証が第1の課題だろうが、アンカーに阿部という人材を発見できたこともきわめて大きかったと思う。評論家などからは稲本という声が圧倒的に多かっただけに「なぜ阿部がこの守備組織に適していたのか?」は、「日本にあった守備体制とは?」の問題としても今後きちんと総括しておくべき重要事項だと思う。ちなみに、ブラジル出身の名監督シャムスカは、既に今年初めから阿部を推薦していた。また、この阿部が成長期においてオシムに育てられた人材だということも明記しておくべき事だと思う。
2つ目は、数人の柱が誕生してきたこと。点取り屋・岡崎の誕生がなければ予選段階の困難はずっと増していたと思われる。次いで、本田、長谷部、松井、俊輔という海外組の活躍だ。海外組がいないと急に弱くなったとは、予選段階からはっきりしていたことだったし、本大会のぎりぎりの所ではいつも彼らの活躍に助けられていた。これらの人材の諸能力を、その世界レベルへの成長過程を聞き取ることなども含めて、きちんと追跡・検証すべきではないか。
最後に今後の攻撃、点取りの方向である。「人もボールも走るサッカー」とは、オシムの造語だ。そのオシムは、この「人もボールも走るサッカー」の基礎を教え、これを攻撃法、点取り法にも適用しようとした矢先に倒れた。そのオシムは今、こう述べている。そういう日本的サッカーの確立には、もっとスピードのある選手を発掘すべきだと。技術的スピードは日本にはある程度の水準があるのだから、瞬発走力としてのスピードのことなのである。例えば、岡崎やオランダのロッベンのような。岡崎の大化けの原因は「走り出しで勝負」にあるのだし、ボールを持って走り出したロッベンは止められないというようなものだ。今や世界的強豪クラブのエースと言われる選手ならば、ロッベンのような選手か、メッシやジダンのようなターンなど技術的スピードに特に優れているか、どちらかである。なお、現代サッカーには守備にもスピードが要求されるのであって、長谷部、長友、阿部らの活躍は、彼らのスピードを抜きには考えられないのではないか。
岡ちゃんが、協会に対してこの3年間の卒論を書くそうで、それをとても楽しみにしている。また来年は、南アメリカ大陸のコパリベルタドーレス杯争奪戦にメキシコとともに日本が招待されたと聞いている。代表新監督が誰になるのか、とても楽しみだ。ついては、今回の結果から考えても案外日本人でも良いと思った。土壇場で守備重視に切り替えて間に合ったというのは、日本人のメンタリティーに通じていなければあり得ないことだと考えるからだ。日本人ならばガンバ大阪の西野が、実績で頭抜けている。日本人を良く知っているオシムも、ガンバのサッカーを褒めていることだし。