カムイ・ミンタラ、何となく美しい語感を持つ言葉である。アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」という意味である。古くからアイヌの人々は大雪山をそう呼んでいたようである。
現在の大雪山国立公園の全域を指していたのではなく、次に示すその主要部分を指していたのではなかろうか。大雪山は一つの山峰を指す言葉ではない。黒岳、北鎮岳、比布岳、永山岳、旭岳、白雲岳、赤岳と円く連なっている峰々とその稜線、その山麓、それに囲まれた径7・8キロメーターにも及ぶ広大な草原状高原、これらの全域が大雪山であり、カムイ・ミンタラなのだ。そのすべては過去の火山活動で形成された地形である。
そのなかでも、カムイ・ミンタラという言葉に最もふさわしいのは峰々に囲まれた高原の部分であろう。高原状とは言うものの、そのなかにも山々は点在し、沢は流れ、二つの噴火口があり、今なおかすかな噴気をあげている。高山植物の宝庫でもある。「神々が遊ぶ」にふさわしい場所なのである。
7月1日、黒岳から旭岳を縦走するために名古屋を発った。航空機の到着時間の関係で、当日のうちに黒岳麓の層雲峡に行けない。旭川駅前のビジネス・ホテルに泊まり、翌日層雲峡に移動することにしても、バス時刻の関係で昼過ぎにしか層雲峡に着けない。それゆえ、テント持参の1泊2日の山行となる。水2リットルを含め14kgのザックである。
7月2日、層雲峡のロープウェイとテーバーリフトに乗り、12時半から黒岳を目指して登りだす。夏道の半分はまだ雪に埋もれていた。1984mの頂上に到着すると、登頂を終えた数人のグループはすぐに下山し、オーストラリア人の中年の女性と二人だけ残される。彼女から貰ったカンガルー肉のジャッキー(干肉)を口に入れたが、奇妙な味でどうにも食べることができない。そおっとポケットに隠す。彼女はおいしそうにかみ締めているのに。山頂のへりで彼女が突然シャツを脱ぎ、ブラジャースタイルになり着替えを始めた。あと数歩歩けば岩陰に隠れることができるのに。
スイスアルプスのブライトホルン登山の際にも同じようなことを経験した。モンテローザの山小屋に泊まったとき、登頂して戻ってきたドイツ人のグループのなかの若い女性が、小屋そばの水場で上半身裸になり、体を冷たい水できよめ着替えをしたのだ。10mも離れていない小屋のテラスに私たちがいるのに、まったく気にする様子もない。美しい大自然のなせるわざなのであろうか。それともゲルマン系民族の持つ特質なのであろうか。
黒岳頂上でオーストラリア女性は下山、私は旭岳を目指し、挨拶して別れる。黒岳直下のテント場にその日は泊まる。単独行のアメリカの中年男性と二人だけのさびしい、静かなテント泊となる。
7月3日、テントをたたみ朝6時に出発する。高原を取り巻く稜線ではなく、カムイ・ミンタラの核心部分、草原状高原を歩く。途中誰にも会わない、この美しく豊かな大自然を一人で独占できる喜び、「神々の遊ぶ庭」を一人で歩む喜び、これは単独山行者しか味あうことができないのだ。残雪が多く、高山植物の花々が美しさを競っている。どこかで鳴くカッコウの声も聞こえる。
旭岳に近づくと、私と逆コースをたどる登山者に出会うようになった。頂上直下は約1kmの雪の急斜面の直登となる。これは相当にきつかった。旭岳頂上に着くと人の多いこと、今までの静けさとは無縁の頂上であった。
旭岳ロープウェイ側の旭岳南面の景観はすごい。中腹が幅広く崩壊し、噴気孔が10を超え、盛んに噴気を噴きあげている。これだけの噴気口を観測できるのは日本ではここだけしかないのだ。一つの噴気孔から大きな噴煙をあげている山はいくつもあるが、ここは噴気孔の数が多いのだ。それだけにロープウェイで見物に来る者も多く、登山者数も多いのであろう。
カムイ・ミンタラを降り、山麓の国設野営地で2泊して名古屋に戻った。来年は、さらに足を延ばし、トムラウシ岳まで縦走したいと心に決めて。
現在の大雪山国立公園の全域を指していたのではなく、次に示すその主要部分を指していたのではなかろうか。大雪山は一つの山峰を指す言葉ではない。黒岳、北鎮岳、比布岳、永山岳、旭岳、白雲岳、赤岳と円く連なっている峰々とその稜線、その山麓、それに囲まれた径7・8キロメーターにも及ぶ広大な草原状高原、これらの全域が大雪山であり、カムイ・ミンタラなのだ。そのすべては過去の火山活動で形成された地形である。
そのなかでも、カムイ・ミンタラという言葉に最もふさわしいのは峰々に囲まれた高原の部分であろう。高原状とは言うものの、そのなかにも山々は点在し、沢は流れ、二つの噴火口があり、今なおかすかな噴気をあげている。高山植物の宝庫でもある。「神々が遊ぶ」にふさわしい場所なのである。
7月1日、黒岳から旭岳を縦走するために名古屋を発った。航空機の到着時間の関係で、当日のうちに黒岳麓の層雲峡に行けない。旭川駅前のビジネス・ホテルに泊まり、翌日層雲峡に移動することにしても、バス時刻の関係で昼過ぎにしか層雲峡に着けない。それゆえ、テント持参の1泊2日の山行となる。水2リットルを含め14kgのザックである。
7月2日、層雲峡のロープウェイとテーバーリフトに乗り、12時半から黒岳を目指して登りだす。夏道の半分はまだ雪に埋もれていた。1984mの頂上に到着すると、登頂を終えた数人のグループはすぐに下山し、オーストラリア人の中年の女性と二人だけ残される。彼女から貰ったカンガルー肉のジャッキー(干肉)を口に入れたが、奇妙な味でどうにも食べることができない。そおっとポケットに隠す。彼女はおいしそうにかみ締めているのに。山頂のへりで彼女が突然シャツを脱ぎ、ブラジャースタイルになり着替えを始めた。あと数歩歩けば岩陰に隠れることができるのに。
スイスアルプスのブライトホルン登山の際にも同じようなことを経験した。モンテローザの山小屋に泊まったとき、登頂して戻ってきたドイツ人のグループのなかの若い女性が、小屋そばの水場で上半身裸になり、体を冷たい水できよめ着替えをしたのだ。10mも離れていない小屋のテラスに私たちがいるのに、まったく気にする様子もない。美しい大自然のなせるわざなのであろうか。それともゲルマン系民族の持つ特質なのであろうか。
黒岳頂上でオーストラリア女性は下山、私は旭岳を目指し、挨拶して別れる。黒岳直下のテント場にその日は泊まる。単独行のアメリカの中年男性と二人だけのさびしい、静かなテント泊となる。
7月3日、テントをたたみ朝6時に出発する。高原を取り巻く稜線ではなく、カムイ・ミンタラの核心部分、草原状高原を歩く。途中誰にも会わない、この美しく豊かな大自然を一人で独占できる喜び、「神々の遊ぶ庭」を一人で歩む喜び、これは単独山行者しか味あうことができないのだ。残雪が多く、高山植物の花々が美しさを競っている。どこかで鳴くカッコウの声も聞こえる。
旭岳に近づくと、私と逆コースをたどる登山者に出会うようになった。頂上直下は約1kmの雪の急斜面の直登となる。これは相当にきつかった。旭岳頂上に着くと人の多いこと、今までの静けさとは無縁の頂上であった。
旭岳ロープウェイ側の旭岳南面の景観はすごい。中腹が幅広く崩壊し、噴気孔が10を超え、盛んに噴気を噴きあげている。これだけの噴気口を観測できるのは日本ではここだけしかないのだ。一つの噴気孔から大きな噴煙をあげている山はいくつもあるが、ここは噴気孔の数が多いのだ。それだけにロープウェイで見物に来る者も多く、登山者数も多いのであろう。
カムイ・ミンタラを降り、山麓の国設野営地で2泊して名古屋に戻った。来年は、さらに足を延ばし、トムラウシ岳まで縦走したいと心に決めて。