常連の落石さんが、当ブログの議論のあり方について心を痛め、何度目かの提案をしました。
「かみあわない議論」を打開する方法の提案が何度かありました。
相手と攻守の立場を変えて議論してみるとか、今回のように議論の場面、年代を限定してソレを土俵に議論する等々です。
「かみ合う議論」とはどんな議論なのか? 感覚的には、議論してよかったと双方が感じられる議論。議論をした事で夫々が世界が広がったと感じられる。相手に人間的な共感を覚える事が出来た。等などと表現できるでしょう。
しかし、もっと論理的に「かみあう議論」について考えあい共通の認識・ルールを持たなくてはならないと思います。
私が、注目するのは、日韓中の学者などで試みられている現代歴史教科書作りです。未来を担う子ども達に三国の学者達が真実に基づいた正しい共通な歴史教科書を与える作業、ここに「かみあう議論」未来に責任を持つ議論のあり方を学びたいと思いますがどうでしょう。
是非、「かみあう議論」という事について意見を聞かせて欲しいと思います。
「かみあわない議論」を打開する方法の提案が何度かありました。
相手と攻守の立場を変えて議論してみるとか、今回のように議論の場面、年代を限定してソレを土俵に議論する等々です。
「かみ合う議論」とはどんな議論なのか? 感覚的には、議論してよかったと双方が感じられる議論。議論をした事で夫々が世界が広がったと感じられる。相手に人間的な共感を覚える事が出来た。等などと表現できるでしょう。
しかし、もっと論理的に「かみあう議論」について考えあい共通の認識・ルールを持たなくてはならないと思います。
私が、注目するのは、日韓中の学者などで試みられている現代歴史教科書作りです。未来を担う子ども達に三国の学者達が真実に基づいた正しい共通な歴史教科書を与える作業、ここに「かみあう議論」未来に責任を持つ議論のあり方を学びたいと思いますがどうでしょう。
是非、「かみあう議論」という事について意見を聞かせて欲しいと思います。