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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

書評 「米中金融戦争」  文科系

2020年11月09日 15時30分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 これは戸田裕大著で、この10月1日に扶桑社から出たばかりの本で、副題がこう付いている。『香港情勢と通貨覇権争いの行方』。なお、この著者は三井住友銀行で為替業務のボ-ドディーラーを務めた後、在中国グローバル企業450社などの為替リスク管理に関わるコンサルティング会社を開いたお方である。

 この本が説く中国の貿易・外交最重要事項が「人民元の国際化」であって、これをめぐる米中の攻防である。というのは、今のアメリカ経済が、ドル世界基軸通貨体制によって維持されているからだ。この2020年前半に世界中の銀行が保有する外貨の59%がドルだとか、国際決済の41%がドルでなされているとかによるアメリカの利益がいかに大きいものか。ドル基軸体制が、これによってドルが多く買われて高値になりその分米の物輸出が少なくなる不利益などよりも、はるかに大きい儲けになるからである。「物輸出で儲けなくとも、ドル基軸体制で儲ければ良い」という国がアメリカなのである。

 ところで、1980年代の日本急上昇に対してもアメリカが「失われた30年」に繋がる日本圧殺(1990年過ぎの不動産バブル破裂が、これのスタートだった)を成功させたが、あの時と今の中国とは全く違う。日本は金融自由化を受け入れたから(対米物輸出なども)大目に見られたが、中国は株売買に、外国資金の出国に許認可制をとるなど資本移動を制限することによって、金融自由化に歯止めが掛かっているのである。中国も(実は日本も)為替操作国であって、いずれも対ドル通貨安政策を採るため「ドル買い」を繰り返してきたことによって莫大なドルを保有しているが、管理変動相場制によって金融自由化をしていない中国に対しては「米金融に中国で自由に儲けさせないのはけしからん」と怒っているわけである。こうして、中国の資本移動制限は、日本の「失われた30年」などの歴史から大いに学んだものであり、他方、今の中国には当時の日本のように投資できる新たなマーケット先は存在していないのである。だからこそ、一帯一路も意味を持つわけだが、中央アジアなどの人口はそれほど大きくはない。                  
 
 この中国経済最大の要求、人民元国際化をめぐってこそ、香港が米中の争点にもなるのだ。その事情を本書はこう語っている。
『一つが中国内で取引される「オンショア人民元」、もう一つが中国外で取引される「オフショア人民元」です。オンショア人民元には資本移動の制限が存在する一方、オフショア人民元は資本移動の制限がありません。・・・・実際にオフショア人民元の75%の取引は香港で行われており・・・』(P115~6)

(続く)

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どちらが「世間知らず」なのか! 文科系

2020年11月01日 12時20分23秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 こんなコメントが僕のエントリー「所信表明」に付いてきた。一種、面白いほどに興味を引かれたもので、即座に御応答をと決めたところだ。こんなふうにまともにこのシン君に応えるというのは、大人げないことでもあろうが。

【 世間知らずですね(^0^) (シン) 2020-10-31 23:44:27

学生の私がいうべきではない事ですが、どう考えても会社というのは、非民主的なものですよ。選挙で社長を選ぶ会社がどこにありますか? 会社の意思というのは、社長の意思です。社長の意思が重役、部長、課長、社員と伝えられていくのです。社員の意思が社長の耳に入る、などということは、ない。社員の意思など無視される、それが、会社というものです。

また、サイフのヒモは、妻が握っています。夫は、全ての給料を妻に渡します。夫は小遣いを貰っているから、全てではない、という反論は愚かです。小遣いをいくらにするか、決定するのは、妻だからです。それだけの金を支払っているのですから、亭主関白は当然です。家事をやってもらうのであれば、家政婦を雇った方がよほど安上がりです。専業主婦より楽な仕事は、この世にありません。

もっとも、共働きは、きついですよー。離婚するのは、だいたい共働きが多い。働く女性にとって、夫は必要ないのかもしれませんね。】

 学生なのにこんなことを書く? 僕がどういう人生を送ったかも知らずに? でも、応えてあげましょう。こんな学生のままでは(?)、シン君、貴方の将来は碌なものにならないから。
①君が言うような社長の会社は、先ず潰れます。創業ワンマン(その後継含む)社長の悲劇は無数。最近では大塚家具、ちょっと前にはどっかの大製紙会社などね。吉兆も入るのかな。僕の弟はJR三社の一つの取締役で、ギター教室を通じた某親友は誰でも知っている製薬会社の元副社長。彼ら二人とも、僕と同じ批判を貴方のこの意見に対してはするはずです。最終決断は社長がするが、それに至るまでのしっかりした中長期計画などには、しっかりした会社ならどれだけの衆知を集めることか!
②君の言う「亭主関白」は、よほどの金持ちでもない限りは、すぐに離婚されます。そんな金持ちでさえ、妻に生活力があればやはり離婚されるはずだ。馬鹿な亭主関白には、妻の仕事が見えないのです。見る力も暇もないのだから。「専業主婦より楽な仕事は、・・・ありません」って、それこそそういう馬鹿な金持ち「亭主関白」が言う言葉。ちなみに、僕は共働き。もっとも、僕の妹は共働きを貫いて、貴方が言うように離婚ね。夫さんは、東京大学の工学部教授でしたけど。子ども三人は、妹一人で立派に育て上げ、今は幸せです。離婚が不幸せというのでもない。その女性に力があればね。ただし、今の世では力があっても大変難しい。正規職そのものが少なくなった上に、日本は女性進出(受け入れ先)が先進国でもワースト1になってしまったから。このワースト1も、日本会議の政治家達がのさばって「行きすぎた男女平等」とかを叫んできたからでしょう。

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書評「悪と全体主義」(3)  文科系

2020年10月21日 11時00分16秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 仲正昌樹氏のこの本は、第1~3章をそれぞれ以下のアーレント著作に呼応して書いている。
『アーレントの「全体主義の起源」は初め三部構成で出版され、後には三巻の本に別れ、それぞれ「反ユダヤ主義」、「帝国主義」、「全体主義」となった』
 そして、アーレントの他の著作「エルサレムのアイヒマン」と「人間の条件」とを紹介したのが、第4章「『凡庸』な悪の正体」と終章「『人間』であるために」。ここの要点を紹介して、この書評の終わりとしたい。

『全体主義支配というのは、陰謀論的プロパガンダによって、人々の「世界」に対する見方を次第に均質化し、それによって「複数性」を衰退させるとともに、秘密警察などの取り締まりと威嚇によって、「活動」のための「間の空間」を消滅させてしまう政治体制だと言えるでしょう。全体主義的な空間では、言葉は、ものの見方を多元化するためではなく、均一化するための媒体になります。オーウェルの「1984年」に出てくる人工言語、ニュースピークはまさにそんな感じですね。余計なこと、つまり体制の世界観に合わないことは考えさせない言葉です。
 そういう「複数性」や「間」がない〝空間〟に生きていると、「法」や「道徳」に対する見方も均質化していく可能性が高いでしょう。近代市民社会あるいは近代国家は、(普遍的道徳に根ざした)「法の支配」を前提に成り立っています。しかし、「法」の本質が何か、「法」の基礎にある道徳法則とは何かについて、人々は多様な意見を持っています。その都度民主主義的手続きに従って決めたこと、法令になったことについては守ってもらわなくてはいけないが、「法」や「道徳」の本質についていくら議論してもいい、というよりも議論してもらわないと困る。そう考えるのが、自由民主主義です。しかし、全体主義の下では、ヒトラーの意思とか共産党の決定が、〝法〟だと決まったら、それ以上、議論することが許されない。それ以外の「法」の在り方について、自分の頭で考えることは許されない。
 アーレントがアイヒマンの「無思想性」と言っているのは、「複数性」が消滅しかかっている空間に生きているがゆえに、「法」や「道徳」など、人間の活動的生活にとって重要なものについて、別の可能性を考えることができなくなっている状態を指すのだと解釈できます。社会の支配的なものの見方と自分のそれが完全に一致している(と思い込んでしまう)時、ヒトは本当の意味で、「考える」ことができなくなります。』 (P207~8)

『アーレントの議論が、というより、「人間」という概念自体が、もともとは知的エリートのためのものでした。英語のhumanity の語源になったラテン語のhumanitas は「市民(人間)として身につけておくべき知的たしなみ」というような意味合いでした。・・・・つまり、「人間性」の中心は、言語や演技を駆使して他者を説得する能力だったわけです』(P212~3)

 とここまで来て、著者・仲正氏は、この書評第一回目に抜粋した「複数性」を紹介していくことになる。
『いかにして「複数性」に耐えるか』。
『お互いの立場、特に自分にとって気に入らない意見を言う人が、どういう基準で発言しているのかを把握するのは、知的にも感情的にもかなり大変です』
『自分と異なる意見を持っている人と本当に接し、説得し合うところからしか「複数性」は生まれません』

 
 この書評の最後として、この問題の難しさを僕なりに説明してみたい。特に、この日本における難しさを。
 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉がある。この場合の「一人(のために)」の意味は、近代民主主義にとっては基本的人権などから自明なものであろう。が、問題はこの「みんな(のために)」の理解を近代以降の国家が狭く一元化させ、ねじ曲げてきて、その結果として基本的人権などが全部吹っ飛んだ国家社会も出来上がることがあった、とそういうことではないか。そういう「とんでもない悪が、とんでもない凡庸、普通の人から生まれて来る国家社会」に対して、人間活動の「複数性」をアーレントは主張している。全体主義の対概念、それが複数性(国民「活動」の複数性を保障すること)であれば、「優しい独裁国家・日本」(哲学者マルクス・ガブリエルの表現)は、結構難しい国なのだと考え込んでいた。
 長く島国であって、「民族(ナショナリズム慣習)」がいまだに重い意味を持っている国。また、先進国でこれほど死刑が多い国も少ない。死刑とは原理的に国家が行う制度だから、犯罪被害者がではなく国家が、その主人公、国民個人の上にそびえ立つ制度なのだ。こういう日本の死刑制度はむしろ社会主義的と言って良いのだが、恐慌時の倒産銀行救済や、日銀、GPIFぐるみの官製株価やなどの社会主義的政策が普通に進められても来た。日本国家とはこうして、先進国中では全体主義の温床が最も多い国なのではないか。

 ちなみに、当ブログでも再三触れてきた「日本会議がめざすもの」のど真ん中にこういう文言が鎮座している。僕にはこれが、日本的全体主義最大の巣窟のように見えるのだが、どうだろうか。以下のような「同朋感」がない僕のような人間にも、こんな感じ方が強制される世の中が来るのか?
『私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』(『日本会議がめざすもの』から、『1美しい伝統の国柄を明日の日本へ』より)』

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書評「悪と全体主義」(2)  文科系

2020年10月20日 12時20分15秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 アーレントの「全体主義の起源」は初め三部構成で出版され、後には三巻の本に別れ、それぞれ「反ユダヤ主義」、「帝国主義」、「全体主義」となったということだ。その上で、第三巻の「全体主義」ではナチス・ドイツとスターリン・ソ連が考察されることになる。そして、この三巻本の流れを、仲正氏はこう展開する。
アーレントが「全体主義の起源」の第一・二巻で提示したキーワードを整理すると、「他者」との対比を通して強化される「同一性」の論理が「国民国家」を形成し、それをベースとした「資本主義」の発達が版図拡大の「帝国主義」政策へとつながり、その先に生まれたのが全体主義----- ということになります。いずれのキーワードも、太平洋戦争へと突き進んだ戦前の日本、戦後七十年を経て再び右傾化の兆しが見える現代の日本にぴたりと符合するのではないでしょうか。
 全体主義のそもそもの起源をたどっていくと、そこには「同一性」の論理があるというのがアーレントの結論です。ただし、同一性の論理に基づいて支配を拡大させた帝国主義が、ストレートに全体主義につながったというわけではありません。帝国主義と全体主義の間には、帝国の基盤となっていた「国民国家」の衰退と、それに伴う危機意識があるとしています』(P108~9)

『第三巻「全体主義」のキーワードは「大衆」、「世界観」、「運動」、そして「人格」です』
(P116)
『平生は政治を他人任せにしている人も、景気が悪化し、社会に不穏な空気が広がると、にわかに政治を語るようになります。こうした状況になったとき、何も考えていない大衆の一人一人が、誰かに何とかしてほしいという切迫した感情を抱くようになると危険です。深く考えることをしない大衆が求めるのは、安直な安心材料や、分かりやすいイデオロギーのようなものです。それが全体主義的な運動へとつながっていったとアーレントは考察します。
(以下、「 」はアーレントからの引用で)「ファシスト運動であれ共産主義運動であれヨーロッパの全体主義運動の台頭に特徴的なのは、これらの運動が政治には全く無関心と見えていた大衆、他のすべての政党が、愚かあるいは無感動でどうしようもないと諦めてきた大衆からメンバーをかき集めたことである。」・・・・こうした動きは、第一次世界大戦後のヨーロッパで広く認められました。しかし、実際に大衆を動員して政権を奪取できたのは、ドイツとロシアだけだったことにもアーレントは注目しています』(p122~3)

 以上は、こういうことだろう。第一次大戦後の帝国主義時代に「景気が悪化し、社会に不穏な空気が広がると」(例えば、1929年の世界大恐慌)、「安直な安心材料や、分かりやすいイデオロギーのようなもの」と言えるような「世界観」で大衆をかき集めて、政権を奪取しようという全体主義運動が欧州に現れてきた。そして、ドイツとロシアでは、これが政権を奪取した、と。

 

(続く)

 

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書評「悪と全体主義」(1)  文科系

2020年10月19日 13時10分42秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 このエントリーは、「悪と全体主義ーハンナ・アーレントから考える」(仲正昌樹・金沢大学法学類教授著、NHK出版新書18年4月発行)の書評である。そして、当ブログの書評の常のように、この書の概要紹介がほとんどになる。だから、以下の文章は、今日本でも問題になり始めた全体主義というものを、ハンナ・アーレント「全体主義の起源(この「起源」は複数になっています)」などから仲正昌樹氏が考えたところを読み込むことになる。

 アーレントは06年にドイツで生まれたユダヤ人。ヒトラー治下ドイツで哲学を学び、ドイツによるフランス占領の頃にユダヤ人収容所から逃げ出してアメリカに亡命し、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任という女性。彼女が哲学を学んだ先生は、ハイデッガー、フッサール、ヤスパースというそれぞれ哲学史上金字塔としてそびえ立つ大哲学者たち。こういう人物を追いかけてそれぞれの大学で師事した年齢が、18,19,20歳の時というのだから、ちょっと夢のような話になる。こういう経歴から、「ヒトラー全体主義は何故ドイツを席巻し、数々の狂気をもたらしたのか」を終生、最大の哲学研究テーマとしたお方である。

 アーレントで有名なのは、なによりもアイヒマン裁判の特派員をかって出たこと。ウィキペディアによるアーレント紹介にもこう書いてある。
『1963年にニューヨーカー誌に「イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を発表し、大論争を巻き起こす』
 このアドルフ・アイヒマンとは、ユダヤ人強制収容所の管理部門を取り仕切っていた人物。ナチス・ドイツの滅亡後に国外に逃亡し、1960年になって逃亡地アルゼンチンで捉えられて、裁判・死刑になった人物である。アーレントはこの裁判傍聴から「エルサレムのアイヒマン---悪の陳腐さについての報告」を書いたのだった。こういう著作、つまり全体主義の哲学的研究をこの本で紹介した仲正氏の問題意識は、なによりもこんな部分にあると読めた。『いかにして「複数性」に耐えるか』

『お互いの立場、特に自分にとって気に入らない意見を言う人が、どういう基準で発言しているのかを把握するのは、知的にも感情的にもかなり大変です』

『自分と異なる意見を持っている人と本当に接し、説得し合うところからしか「複数性」は生まれません』

 さて、こういう人の考え方の複数性を多数国民の命を奪ってまでも否定していく全体主義の諸起源とは何で、人はそれにどう抵抗できるのか。著者の仲正氏はこんなことも書いているのだが・・・。

『私たちには、本当の意味で、言葉を交換する機会、活動する機会が少なくなっています。「活動」が「労働」によって飲み込まれつつある。アーレントは、歴史の趨勢に関してはかなり悲観的です。私はそう見ています』(216頁)

 この最後の文章の意味はこういうこと。人は生きていかねばならないが為に(労働、仕事のために)、『言語や演技によって他の人の精神に働きかけ、説得しようとする営み』(これが活動)が抑圧され、歪められて、苦手になっていく時代というものがある。それ故に人類史の「複数性尊重」未来にもアーレントはかなり悲観的だと、仲正氏は読んだということなのだ。ちなみにアーレント1975年に亡くなったのだが、「人間」であるための三つの条件として、労働、仕事、活動をあげている。英語ではそれぞれlabor,work,actionとあった。労働と仕事の区別は難しいので、今回は省く。

(続く)

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書評 渡辺明が見た藤井聡太   文科系

2020年09月30日 15時27分34秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 これは書評である。ただし、ある本ではなく、ある文章の書評だ。あまりに面白く、かつ人物を描いたルポルタージュ(現地報告)としても後世に残るような名文と感じたから、こんな異例の書評を書くことにした。今日本を大きく騒がせている藤井聡太をこともあろうにスポーツグラフィック・ナンバー1010号が特集して大きな話題になったが、そこにこういう文章が収められている。『渡辺明「敗北の夜を越えて」』、作者は大川慎太郎という将棋記者らしい。この文章には何よりも先ず、日本将棋界に藤井聡太革命とも言える事態が起こったことが余すところなく描き切られている。ついで、そこまでの名文が出来上がったのは、棋聖戦敗北の当日夜に潔すぎるほど正直に「敗戦の辞」を語った棋界の第一人者渡辺明の人柄、功績とも言える。このことに関わって文中こんな下りがあるので、それを初めに紹介しておきたい。

『別れ際、「徹夜ですよね。原稿、頑張ってください」と渡辺は微笑んだ。
 一人になってから、彼の人間性について思いを巡らせた。なぜ棋士人生を揺るがすような痛恨事を、その日のうちにこれだけ率直に語ることができるのか』
  ちなみに、この記事原稿の主要部分は翌日の昼が締め切りだったとのこと。だからこそ渡辺が「負けた場合には『社会的ニュースになるはずだから』、この夜の内に」と、大阪から東京に帰る21時発新幹線車中で大川の取材に応じることになっていたもの。そう、このルポの冒頭に描いてあった。この二人、なにか積年の信頼関係が偲ばれたものだ。

 さて、まずとにかく、「敗戦の辞」を追ってみよう。
『車中、渡辺が「終盤力が違いすぎるよなあ」とポツリと漏らした。これが、敗局について発した初めての言葉だった』
『それでも(最終局の)終盤戦で藤井に指された8六桂という自玉の逃走路を封じられた一手について語る時は、少しばかり早口になった。「まったく見えなかった」と渡辺は憮然とした表情で言った』
『冒頭で挙げた2つの手(第1局は1三角成り、第2局は3一銀)と、第4局の8六桂。藤井は勝局のすべてで、自身を代表するような名手を放った。そんなことは一流棋士でも生涯で5回披露できれば十分だ。・・・・ 渡辺の口調が熱を帯びてきた。
「過去にもタイトル戦で負けたことはあるけど、この人にはどうやってもかなわない、という、負け方をしたことはありません。でも今回はそれに近かった」
 白旗を揚げたようにも聞こえた』
『36歳の渡辺は藤井の倍の年齢だ。・・・・藤井の登場によって自分の将来の立ち位置が見えてしまったということはないのか。緊張しながらそう尋ねた。
「それは今日、棋士全員が思わされたことでしょう」
 穏やかな声色で渡辺は答えた。そこには自嘲も謙遜も悲嘆も感じられなかった』
『藤井との対決はこの棋聖戦が最後ではない。今後、彼とどう戦っていくのか。
「現状では藤井さんに勝つプランがありません。だっていまから藤井さんのような終盤力を身につけようとしても無理だから」』
 と、このルポはここまで来て、ここの冒頭に書いた「徹夜ですよね。原稿、頑張ってください」へと続いていく。

 さて、このルポの結びである。
『最大の注目は、1カ月前の敗北の夜「プランがない」と語った藤井との再戦だ。
 「次は普通にやります」
 渡辺は一呼吸おいてから続けた。
「棋聖戦は藤井さんとのタイトル戦初対戦だったので、向こうの情報はほとんどなかった。でも番勝負で指して分かったこともある。だから次は普通にやりますよ。何度も負かされ続けたら自分の将棋をガラッと変えることも考えるでしょうけど」
 藤井と再び相まみえるのは遠くない未来だろう。おそらく私はまた、取材を依頼するはずだ。その時、渡辺は負けた場合のことを伝えてくるのだろうか。』
  この文章は、今回の棋聖戦敗北の夜を控え、それに備えて起こった、「負けたらその日のうちに新幹線で取材に応じる」と渡辺が大川に応えてきたその異例を受けているのである。

 以上、このルポは、藤井聡太という18歳の若者が日本の伝統文化の一角に起こした革命的出来事と渡辺明という人物とを描き切ったようで面白い文章だし、同時に取材方も含めて文章として極上のものとも読んだ。この記者、大川慎太郎を今調べてみたが、日本大学法学部新聞学科を出て、講談社などにも勤務し、今は雑誌「将棋世界」の編集者をやっている将棋観戦記者とあった。なるほど、である。

 

 最後になったが、この藤井聡太君、まだまだ負け始めることもあるかも知れない。全棋士中勝率ナンバーワンを続けている藤井君だが、豊島前名人にだけは5連敗進行中であるのに対して、この記事の後に渡辺明が豊島から名人位を奪い取っているのである。誰が考えたってこう思う。今の藤井君には弱点もあって、豊島はそれを見抜いて来た。豊島の過去を振り返れば、これら勝利のヒントがAI研究にあることは明らかだから、そういう観点から皆が藤井・AI棋譜の対照研究を血眼になって重ねていくだろう。

 

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コロナで、対中世論操作の典型例   文科系

2020年09月18日 09時49分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 高齢者を肺炎で多く死なせるコロナウイルスで、世界が爆発しているようなこの三月二三日、新聞夕刊のとあるニュースには呆れ、驚いた。この記事の見出しは、こういうもの。
『無症状四三〇〇〇人、中国が計上せず』
  感染者を少なく見せて来たというこの見だしは、誰が読んでも「悪い国だ」という「感じ」にしかならない。だが、その記事の中にも書いてあった英米などよりは国民の立場から見たら遙かに上等な検査体制なのである。この記事の中に、こんな文言が入っていたので、むしろこちらの方に僕は驚いてしまった。
『韓国では無症状感染者もカウントしているが、米国や英国、イタリアは医療関係者を除き無症状者は検査もしていないという』
 さて、「無症状者は検査もしていない」英米、イタリアと、「無症状者も検査・隔離するけど、カウントには入れない」中国と、どちらが国民を救うことになるか。後者に決まっている。高齢者以外では症状が出ない感染者も多いこのウイルスに対しては、『検査で陽性になり隔離されていても症状のない人は確定患者に含めず、医療監視下に置かれたという』と同記事も述べている中国と比較して、『米国や英国、イタリア』は無症状感染者を野放しにしているからだ。

 この記事内容を見ると、イタリアに死者が多い理由が分かった気がするし、米英は今後大丈夫なのかなと心配になった。が、福祉対象以外は民間健康保険が中心で無保険者も多くて「医療は個人持ち」というアメリカなどは、無症状者の公的検査など元々するわけがないのだろう。こんなアメリカでは、ただでさえインフルエンザで死ぬ人が毎年一万~数万人いるのだから、このコロナで死ぬ人は一体どれほどになるのか。
 それにしても、韓国は立派である。だからこそなのだろう、コロナを抑えられそうな見通しも立ったようだ。その点日本は、ちょっと危うくなって来たのではないか。無症状者は同一集団発生に関わる範囲でだけ検査するという「クラスターの発見を中心にした検査方針」を採ってきたにもかかわらず、クラスターに無関係の症状者、つまり孤立発病者がここに来て増えてきたからだ。

  などなどと思い巡らせつつ翌二四日朝刊を見ると、この同じ記事内容が載っている。『無症状四三〇〇〇人 統計に含めず』、『武漢「感染ゼロ」に疑念』。そして、前日よりももっと悪いことには、英米伊の「無症状者野放し」記述がこの日は皆無、全く省かれていた。つまり、「中国は悪い奴だ」と誰が読んでも受け取れる記事に変わっている。僕は、公憤に駆られてつぶやいた、〈見ているが良い。こんな意味の「少なく見せる」国よりも、「無症状者を野放しにしてきた国」の方が死者などの被害ははるかに大きくなるはずだ〉。するとどうだ、直後に読んだネット記事によると、アメリカではもうこんな事態になっていた。『米ジョンズ・ホプキンス大学の二三日夜の集計によると、前の日から一日で米感染者は八〇〇〇人増えた』。アメリカのコロナ感染者が中国を追い越していくのは確実だろう。無保険者も多いアメリカでは、死者はいったどれだけになるのやら。 

 

(この3月、同人誌月例冊子に初出)

 

 

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書評 「南京事件論争史」 その最終回   文科系

2020年08月21日 19時32分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 「南京事件論争史」の現段階  

 これは、この14日拙稿『書評「増補 南京事件論争史」』の続きで、この内容紹介の三回目に当たるもの。この論争については今や、安倍首相も国会など正式な場所では「事件はなかった」と言えず(国際問題になって負けるから)、「南京なかった」組織に集まった自民党議員らがあちこちで嘘論議を組織的にばらまき続けるなどに落ちぶれている。ここに至った経過について、「南京なかった」側が決定的敗北を喫した事件をもう一度おさらいしてみよう。

 まず始まりは、社会科教科書検定内容を違憲と訴えた・第三次家永訴訟。南京事件の記述をも含んだこの訴訟は最高裁まで争われ、1997年8月に「(この検定は)違憲」という判決が確定している。

 次いで2番目は、稲田朋美弁護士らが訴えた、「南京事件における『百人斬り競争』記事は名誉毀損である」訴訟。これも2006年に最高裁判決が出て、稲田らが敗訴している。つまり、二人の少尉による捕虜など「百人斬り競争」は実際にあったと裁判所が認めたのである。

 三つ目は、南京事件当時8歳で日本兵によって銃剣で刺された被害者、夏淑琴さんを「ニセ被害者」と書いた東中野修道を、夏さんが名誉毀損で訴えたもの。この結末は、こうなった。2009年2月5日、最高裁は東中野と展転社の上告棄却を決定、一審判決通り両者に対し合計400万円の賠償を命令する裁判が確定した。2009年4月16日にこの賠償金は支払われた。

 最後が、以前にも書いた日米学者共同研究の成果について、この共同研究を中国首脳との間で取り決め、スタートさせた安倍首相自身が無視しているに等しいこと。この研究の日本側座長であった北岡伸一が「日中戦争は侵略戦争であった」と認めているのに、安倍はあくまでも侵略とは言わないのである。「侵略の定義が学会でも定まっていない・・・」とか、なんだとか?

 これだけ敗北を重ねてくると、「南京なかった」派は学者などにも屍累々、残っている歴史学者はほとんどいない有様。西尾幹二はドイツ文学者だし、藤岡信勝は教育開発学者である。なのに・・・と、この本の作者は南京虐殺を巡る日本の現状をこう嘆くのである。「日本会議に集まる自民党など多数議員は未だに南京事件はなかったと吹き回っている」。嘘も百ぺん言えば・・をやり尽くして、過去の醜い日本を隠そうとしているのだが、一体何のために。著者は、その「目的」をこう述べている。

『現在に続く、教科書議連の教科書攻撃を組織的に大きく支えているのが、1997年に結成された日本最大の右翼組織「日本会議」である。日本国憲法を「改正」し、天皇中心の日本、「戦争する国」を目指す「日本会議」の方針を、国政において実現しようと同時に組織されたのが、超党派の「日本会議国会議員懇談会」・・・・
「日本会議」は、歴史認識の問題でも、「南京虐殺はなかった」「従軍慰安婦はでっち上げ」「東京裁判は誤り」「首相は靖国神社を参拝せよ」「大東亜戦争は祖国防衛・アジア解放の戦争だった」「植民地支配では良いことをした」などと主張している』

 本気でこんなことを考えているのだろうか。にわかには信じ難いのだが、「『夢』の実現のためには、史実でも何でも乗り越えていく」と、そんな狂信者も多いのかも知れない。ヒトラーの夢は、史実として狂信者のそれと今なら世界が知っているのだが、その狂信者が世界史を握りかけた時期もあったのである。

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書評 「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」  文科系

2020年08月15日 02時41分35秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 山田昌弘・中央大学文学部教授(家族社会学専門)の光文社新書2020年5月に発行されたこの本の問題意識は、こういうものだ。合計特殊出生率1・6以下の状況が30年続き、1・5以下でさえ25年続いているその原因を考えようというもの。そして、少子化の初期10年の段階において政府が採った欧米風対策が全くのピント外れだったから、少なくなった女性が産む子はまた少ないということが重なって、今はもうなかなか取り返しが付かなくなっていると証明した著作である。ちなみに、合計特殊出生率とは、女性1人当たりが一生に産む平均子ども数とされ、これが2・07人を上回れば人口が増加し、下回れば減少するとされてきた数字とあった。それが1・5とか1・6とかが長く続いては・・・というわけだ。

 71~74年の第2次ベビーブームでちょっと持ち直したかという以外は戦後一貫して下がり続けてきたのがこの数字と示されている。90年代に入って「1・57ショック」とか「少子化社会の到来」とかの標語で国家の重大問題としてきた議論が何の役にも立たなかったという現状なのである。政府対策がどうピントが狂っていたのか。

 この少子化の最大原因として、何よりも若者の大変な貧困化から来た「未婚化」等の経済問題があるという正しい見方を、国家が少子化対策の審議会などでタブー視してきたと、この本は語っている。政府が代わりに鳴り物入りで対策を出した若者の西欧風現状分析が、①若者は1人で暮らし、②愛情があれば結婚するはずで、③相手を見つけるのは簡単であるというもの。この三つが全く現状に合っていなかったという説明が、以下である。
①日本の若者は西欧と違って、親元で暮らすパラサイトシングルが多い。地方などは特にそうだ。
②③については、何よりもこんなことを言う。男女とも、育った家庭並みの生活を望むのだが、1人の収入で子どもを大学にやれるような男性は非常に少なくなった。次いで、仕事による自己実現を求める西欧女性と違って「日本女性は仕事よりも(育った親の家庭並みの)消費生活を求めている」という現実があるなどなどと、この本は現状分析するのである。


 僕、文科系は、このブログでこう述べてきたが、それを肯定してくれるのがこの本であった。日本では今、50歳まで一度も結婚したことがない男性が4人に1人に近づいている。それは、結婚相手に選んでもらえない低収入男性が増えたからだ。
 こうなった原因はこの30年近くの日本の貧困化にあって、国民1人当たりの購買力平価GDPがわずか25年ほどで世界5位あたりから31位にまで落ちたことによってもたらされた。そして、このことを原因と見ないような少子化対策ばかりを政府がやって来たとこの本も述べているのである。該当箇所に、こんな文章があった。長い引用になるが・・・・。

『私は1996年に出版した「結婚の社会学」(丸善ライブラリー)の中で「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という現実を指摘している。・・・・・
 当時、これほど評判の悪かった指摘はなかった・・・1990年代後半のマスメディアや政府は、この事実への言及を避けていた。
 政府関係の研究会で、私がこの指摘をしたところ、政府のある高官から、「私の立場で、山田君が言ったことを言ったら、首が飛んでしまう」と言われたことがある。
 当時、大手の新聞では、私の発言の該当部分は記事にならなかった。
 ある地方公共団体に依頼され執筆したエッセーに関しては、担当課長が、削除を依頼しにわざわざ大学までやって来て、頭を下げられたこともある。
 その理由は、「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という指摘は事実であっても差別的発言だから(たとえ報告書であっても)公で発表することはできない、それだけではなく、それを前提とした政策をとることはできない、というものである』(48~49ページ)

 少子化対策がこのようにピントがずれていては、どれだけ年月をかけても何の効果もなかったということなのである。

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書評「増補 南京事件論争史」  文科系

2020年08月14日 21時01分51秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 南京虐殺否定派、三つの大敗北

 今読んでいる「増補 南京事件論争史」(笠原十九司著、平凡社19年3月初版第三冊)から、標記の出来事三つを紹介してみたい。一つは、日中両政府が企画推進した日中歴史共同研究によって出された学問的結論を日本政府が認めずに、逃げ回っていること。二つ目は、この共同研究の結論を掲載している外務省ホームページから南京事件を消せと叫び続けてきたこと。今一つが、この問題の自民党国会議員「専門家」である稲田朋美が、南京事件関連のある訴訟を起こして完敗していること、この三つである。

 

「日中歴史共同研究」は、2006年10月に安倍晋三首相・胡錦濤国家主席の会談・合意によって起こされたもの。同年12月に両国各10名の委員が北京で初会合、以降年2回の会合で報告・討論を行って、10年1月に戦後史の部分を除いた「第一期報告書」が発表されたものだ。日本側報告書の中の南京虐殺部分を、著者はこのように要約している。なお、中国側の死者結論は、こういうものだ。「集団で殺害された人数は19万人、個別で殺害されたのは15万人余り、被害者総数は30万人以上、と認定した」

『20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。このような犠牲者数に諸説がある背景には「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している』
 なお、南京虐殺を巡るいわゆる日中戦争の性格について、日本側委員の座長であった北岡伸一・東京大学大学院法学政治学研究科法学部教授は、侵略戦争であったと断定している。しかしながら、安倍首相は未だにこれを認めようとしない発言を国会討論などで連発しているのである。首相として自分が言い出した共同研究の成果を認めないというこんな態度が、日本をどれだけ不義の国にしていることか。その次第は、いかのように。

 二つ目の外務省ホームページ問題とは、こういうものだ。上に紹介したこの日中共同研究結果を掲載している外務省ホームページから、この掲載を削除せよという「運動」がその後も続いているのである。「外務省目覚めよ! 南京事件はなかった」等というスローガンを掲げ続けることによって。

 三番目の、弁護士としての稲田朋美らが原告になって2003年4月に起こした訴訟で敗れた事件は『(南京虐殺における)「百人斬り」名誉毀損裁判』と呼ばれるこういうものだ。
『本多勝一「中国の旅」の「百人斬り競争」のため、二人の将校の遺族が名誉を毀損され、精神的苦痛を強いられたとして・・・・提訴した』
 この訴訟事件に関わる虚実議論は、1970年代から続き「もう一つの南京事件」とも呼ばれて世に物議を醸し出してきたものだが、2006年12月の最高裁判決において原告側敗訴が確定している。にもかかわらず、「この判決は不当だ!」との演説が今でも公の場に時として出てくるのだが、これも今流の右の方々がよくやる手口ということになる。

 自分らが起こした研究や裁判の結果を、公の場所において堂々と否定してみせる。これはまさに「嘘も百回言えば真実に換わる」という政治手法ではないか。つまり、今はもうよく語られるように、「嘘で固めた安倍政権」がこんなところにもずっと顕れてきたということだろう。官僚による政権忖度や、国家統計の改ざんなどにも、必ず嘘はついて回るものである。

 

 なお、著者の笠原十九司は、都留文科大学名誉教授で、中国と東アジアとの近現代史専門家である。

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書評「検察暴力」佐藤福島県知事不当逮捕②  文科系

2020年07月24日 09時33分26秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 昨日の続きで、この書評の6回目、「むすび」の「この事件以前にあった、佐藤知事が形成した原発対策チームによる原発攻防」の部分を描いておきます。こうなると、後の福島事故について検察も同罪だとういことになります。

【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(6)逮捕直前の原発攻防と「むすび」  文科系 2011年09月15日 05時24分52秒 | Weblog

 前回最後は、こうだった。東電の社長、会長、相談役2人というトップ計4人が02年9月に引責辞任した。こういう社会的大事件の成り行き・結末について、佐藤が言わば先導したとも言えるのである。なお、この相談役の1人、平岩外四が元日本経団連の会長だったということが、この事件の大きさを示している。

 日経が見た佐藤栄佐久

 さて今回は、以下を見ていく。その後、06年10月の佐藤逮捕までを。日本の原発問題をめぐって、とくに福島県が当面白紙撤回を内外に表明し続けたプルサーマル問題をめぐって、佐藤がどう振る舞っていったか。原発推進者から見れば、彼はどういう存在であったか。
 まず、これらのことを白日の下に晒している象徴的な資料が存在する。03年6月5日の日経新聞にこんな記事・文章が載っている。以下『 』はすべて、本文からの抜粋である。
『すると6月5日付の「日本経済新聞」に、「最悪の電力危機を回避せよ」というタイトルの社説が載った。
「5月はじめに運転を再開した柏崎刈羽原発6号機に続いて、6月中にあと三基が運転できて首都圏の電力不足は解消されるはずだったのに、佐藤栄佐久知事が運転再開に対して地元と県議会の同意の他に新しい条件を持ち出したために、見通しが狂った。再開時期が知事の胸先三寸というのでは困る。一日も早く合理的判断を」これが「東京」の本音だろう』(P97)

 国内最大の原子力事故をめぐって

 こうした状況下でまたしても原発大事故が起こる。04年8月9日、関西電力美浜原発で作業員4名がやけどで死亡、7名が火傷。
『死者の数ではあのJCOの事故を上回る、国内最大の原子力事故』。説明は省くが、当時の佐藤らは関西電力をこう見ていたということだ。『「安全軽視は関西電力の企業文化」のようだ』(P102)。
 この「関西電力の企業文化」に関わって04年12月22日、佐藤はこんな言動にも撃って出ている。その日にあった原子力委員会の「福島県知事のご意見を聞く会」で、委員構成をめぐってこんなことを発言している。
『「11人の死傷者を出した関西電力の会長が、安全に関する部会に出ているのはおかしい」』
 これに反論した1女性委員に、佐藤はこんな批判も敢行している。
『「原子力政策決定についてフランスは16年、ドイツは20年もかけているのに、あなたが4~5か月で結論を出さなきゃいけないなんて思ったのは、誰に刷り込まれたのですか」
 と反論した。二、三回「失礼ね」という言葉が耳に入ってきたが、反駁はなかった。』(P104)
 
 逮捕前年

 逮捕前年、05年を迎えて、6月には『福島内原発、全基稼働再開』という出来事があった。こうして、東電との関係はやや改善されていたということだが、経産省とはさらに激しいやり取りになっていく。
『10月11日に開かれた国の原子力委員会で「原子力政策大綱」が承認され、14日の閣議で国の原子力政策として決定されることとなった』
『10月18日、国が安全を確認した原発が県の意向で運転できない時は、地元への交付金をカットする方針を決めたようだ。さっそく原発立地自治体を恫喝してきたのである。
 これまで国が「安全だ」と言って、安全だった例はない。県として県民の「安全・安心」のためこれまで通りやって行くだけだ。
 記者会見でこの件について問われてこう答えた。
「議論に値しない。枯れ尾花に驚くようなことはない」
 国からの交付金が来る来ないにかかわらず、県が独自に原発ごとの安全を確認する方針に変更はないことを強調した』(P107)

 さてこのころ、福島の言わば「同僚」に当る青森と佐賀は『「陥落」』していたと語られる一方で、福島と国とのやりとりは、言わばその頂点に達していた。
 06年新春、先述の国大綱実施ということで、東電も自社原発の3,4基でプルサーマル実施を表明する。対する福島は、『私は記者たちにこう答えておいた。「計画がどのようなものであれ、県内で実施することはあり得ない」』

 むすび

 「佐藤栄佐久家宅捜査、天の声はあったのか」、こんなマスコミ大劇場の開始は、この年の秋だ。ご記憶の方も多かろうが、あれほどの大騒ぎに、「公正」の一欠片でもあったろうか。マスコミとは、なんとすっとぼけた存在だろう。無数の大の大人が、佐藤と同じたった一度の人生を賭けるようにして、夜討ち朝駆け、仕掛けられた幻想劇で大暴れを演じていたわけだ。

 さて、このシリーズの結びを、佐藤の叫びで締めたい。タイトル『「佐藤栄佐久憎し」という感情』の中にある一節である。
『もともと私は、原発について反対の立場ではない。プルサーマル計画については、全国の知事の中で初めに同意を与えている。そういう私が、最後まで許さなかった「譲れない一線」のことを、国や関係者はよく考えてほしかった。
 それは、「事故情報を含む透明性の確保」と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の二点であり、県民を守るという、福島県の最高責任者が最低守らなければならない立場と、同時に「原発立地地域と過疎」という地域を抱えていかなければならない地方自治体の首長の悩みでもある。繰り返しになるが、原発は国策であり、知事をはじめ立地自治体の長には何の権限もない。しかし、世論(県民の支持)をバックにすると原発が止められるのだ。むろんこれは、緊急避難である。
 私が主張したことは、そんなに無理なことだっただろうか。その二点さえ経産省と東京電力が押さえていれば、これほどのこじれ方にはならなかったと考えられる』


 この紹介シリーズを終えた、僕の感慨。文字通り、命を賭けた渾身の一作だと読んだ。それも理念と言い、構成と言い、非常な名作だとも読んだ。そんな気持ちであちこちを読み直してきた。過去にこれほど読み込んだ本は、累計七年もかけた末の卒業論文関係以外にはないのではないか。この本、あるいはこのシリーズをもし福島の方が読んでくださっていれば、事故後半年どんな思いになられるだろうかと、そんな気持ちでここまで書き進んできた。著者の血の叫び、エネルギーが僕に憑依したのかも知れない。
 
(終わり)】
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書評 「検察暴力」佐藤福島県知事不当逮捕   文科系

2020年07月23日 11時41分47秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 最近ここで、小沢一郎陸山会問題、村木厚子冤罪の酷すぎる一端を扱ったのは、最近の検察庁が歪みすぎていると感じるから。そんな今、改めて、標記のことをもう一つ告発しておきたい。「賭け麻雀常習犯の黒川氏が、訓告?」という検事総長大騒動の結末、モリカケ・赤木さん・理財局不問の問題、桜収賄問題・・・酷いニュースもすぐ忘れさせる日本マスコミの流れだが、検察暴力だけは何があっても忘れてはいけないと注釈を付けたい。検察とは「日本国家の良識と正義の顔」なのだから、ここが歪めば国全体が歪むというのが古来からの常識と言える。ちなみに、政権絡み不正をこれだけ野放しにしているからこそ、既に世が歪み、アメリカ共々死刑だけを増やさざるを得なくなったとさえ言えるのではないか。今回紹介するのもまた、国策捜査。後に福島原発悲劇にも繋がった側面さえあるという福島県知事「収賄」辞任問題である。

【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(1) 文科系 2011年09月09日 13時30分46秒 | 国内政治・経済・社会問題
 
 改めて今世の話題になっている前福島県知事のこの本を、昨日買ってきた。初版第1刷が09年9月、初版第6刷が本年5月とあって、東電(福島原発)を舞台とし今や悪名高い検察特捜が引き起こした事件の報告なのだから、話題になるのは当然の話だ。要約すれば「東電福島原発を巡る長年のやり取りに絡んだ、国策捜査」ということになるのだから。ハードカバー全340ページのうち206ページを昨夜一挙に読んでしまった。それほどに興味深い、大事な事件と読んだ。詳しい内容は、後に何回かに分けてでも是非要約したいと予告しておいて、今日はこの本の周辺事情とか、貴重な価値などを巡って、書評めいたことを書いておきたい。
 
 この本に書いてあることを周辺予備知識など何もなくてただそのまま読んだだけとしたら、この内容はにわかには信じがたい。それほどに酷い冤罪ということだから。この内容が真実ならば、僕がここでも近ごろよく使う言葉で言うと「必殺仕置き人かゴルゴ13がこの日本に存在するならば、あの検事たちへのこの恨み、命に替えても晴らして欲しい」というものだろう。佐藤栄佐久氏がそのように、血を吐く歯ぎしりをしていることは間違いない。なんせ、現職知事の周辺捜査、依願退職、即事情聴取もない逮捕と進展していった異例の大事件だったのだから。
 そして、僕はまた、ここに書いてあることは全て事実だろうと確信する。事件・容疑の概要はこういうものなのだが。

『この頃になると、私も、特捜部がどんな事件を描いているのかが、だいたいわかってきた。
 前田建設が水谷建設を手先に使い、官製談合の謝礼として郡山三東スーツの土地取引の対価を支払ったという構図なのだ。つまり、ストーリーはこうだ。
「木戸ダムの発注で官製談合が行われており、県側は祐二が窓口になって話をまとめた。発注権者の知事が祐二に隠れる形で、県職員に働きかけて前田建設が発注できるように便宜を図った。ダムの受注に成功した前田建設は、謝礼として、郡山三東スーツの土地を水谷建設を迂回して高く買った」』(196ページ)

 なお、郡山三東スーツとは佐藤前知事の家業の会社、祐二とは知事の弟でここの社長である。ここがつまり、「検察が描いた構図が成り立ったとしても、ご本人は一銭ももらっていない収賄事件」と語られるゆえんである。収賄罪とは、公務員でないと成立しない事件なのだから。なお、この木戸ダムというのが、東電福島原発絡みなのである。『2008年4月に竣工し、福島第2原発、広野火力発電所が使用する水の供給源の役割も担う』とあった。なお、ここの水谷建設とは三重県に本社があって、確か陸山会事件でも小沢告発の検察側証言人になっていたかと思う。
 
 この事件は、村木厚子厚労省局長冤罪事件、陸山会(冤罪)事件をその後に体験してきた我々にとっては、既にもうこんな既視感がある。だから、これは事実だと確信するのだ。
「検察の構図に合わせて、先ず周辺を『自白』させる」「その自白でもって強行に迫り、焦点のご本人に『検察のお見立て通りでした』と『白状』させる」「本人はたとえ濡れ衣だと分かっていても、結局『白状』せざるをえない。周辺の親しい人々がどんどん拘留され、自殺者も出るほどに迫られるのだから」。また、事件の背景が「国策捜査」であることも同じだ。村木事件、陸山会事件は民主党政権対策であったが、この知事抹殺の国策とはズバリこの二つだ。「知事・福島県による長年の原発村批判への国策」「地方分権・闘う知事たちに対する国策」。 なお、東電は佐藤前知事に恨みがあると言って良い。2002年9月2日に現・前・元ら4人の社長経験者が引責辞任をさせられているのである。佐藤らが問題にした「原発検査記録改ざん事件」による引責であって、会長と、平岩外四ら2人の相談役との辞任までが含まれていた。なお、村木厚子事件に関しては当ブログ10年3月15日、28日、31日拙稿に詳しい。このエントリーは、前田検事によるフロッピー改ざんや、冤罪判明のかなり前に書いたものだ。

 「知事抹殺」の帯文章を紹介しておこう。
 表「特捜検察に失脚させられた前知事は東電・経産省の天敵だった。原発『安全神話』のウソを見抜き、驚くほど正確に悲劇を予見したのに、口を封じた国家の恐るべき『冤罪』」
 裏「『知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する』(東京地検特捜部検事)」

 今回分の最後になるが、佐藤栄佐久の公式サイト・アドレスをご紹介しておこう。
 http://eisaku-sato.jp 】

 この原発事故に繋がる側面をも示した著書の書評は、2011年9月15日の第6回目まで続きます。が、今回、以下は省略します。読まれたい方は、右欄外の今月分カレンダー下「バックナンバー」欄で「2011年9月」をクリックしてから、例えば15日分エントリーを出してお読みいただけます。よろしく。
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僕が愛読している「市井人のブログ」三つ  文科系

2020年07月20日 11時26分44秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 僕は長い間、他のブログなどは見たことがなかった。が、今年になってから最近は三つのブログを愛読していて、時々コメントも付けさせていただいている。いずれもグー・ブログだが、ここと同じ「文科系」という名前でコメントを付けている。

・心臓手術からフルマラソンへ
 関東は大和市のお方で、僕にとってはまー、同じ心臓手術を経た、ランニング(とサイクリング)同志でもあります。また、両親、兄上の介護、看病をも務められているその日々に、ランと自転車に水泳と、日夜励まれて、一見して分かる古き良き、勤勉な「日本人」! いわゆる「竹を割ったようなご人格」にも見えるお方ですね。
 
・行雲流水の如くに
 北海道のどこか山近く?で庭仕事やいわゆるワンダーフォーゲルにも励みつつ?、政治評論と写真のブログを展開されておられる、僕よりも10歳近く年下のお方? 「北海道の緑?」が美しすぎる、写真が良いのです。このバラが良かったとコメントすると、次にそれに近いものを写してくださったりするから、嬉しすぎる「お友達」。日本政治評論では僕にちょっと近いところがあるのかな?等などと勝手に思っております。

・つれづれなるままに心痛むあれこれ
 大阪は、硬派の日本近代史学者? 漢字が多すぎる長文で、若い人でなくともちょっと引けるところがあったりもしましょうが、実証的な文章は本物だと観ています。日本史の見方は、僕に非常に近いものがあります。「似非右翼・安倍は馬鹿すぎることでもあるし、どうしても許せない」と、そんな公憤の持ち主でもあるのかな。

 先週のこのブログへのアクセスが4400など、今は普通3500が当たり前と増えたことについて、この三つの読者がここを訪問して下さるようになったからではないかとも、推察、愚考しています。ここを読んで下さっているみなさん、この三つも訪問してみて下さい。僕がちょっとブログ人生が豊かになったような気がしますから、みなさんもどうぞということです。
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16日『「文学国語」こそ「人の力」』への補足  文科系  

2020年07月19日 13時08分32秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 文中こうある事への補足説明をします。
『論理国語がどれだけ優秀でも文学国語(の世界)に弱ければこうなる。営業が出来ない。組織を動かせない。力のある政治家にはなれない。そもそも、人育て、子育てさえ苦手になるはずだ』
 ここで、「文学国語(の世界)」と書いて、単に文学国語とだけ書いてないことを説明します。言葉にはその対象がある。そして、文学的言葉の対象は心の中に(その態度、傾向、感じ方などの現象として)存在するもの。よって、人の心に通じていかないと、この言葉を上手く使って人間を分析し、考えることは出来ない。そして、人の心に通じるとは、相手と自分とを(比較)観察しつつ、それを言葉に表しながら、精密になった言葉を組み合わせていろんな人間に気づき、認識を豊かにしていくこと。つまり、幼い時から人と真剣に付き合って来なければ、身につくものではない。

 この点で、ネットやゲーム世界隆盛へと邁進してきた40代以下日本人は、人文科学が大変苦手になっていると言えないだろうか。人間関係が苦手であったり、安倍やトランプに騙されるというのも、そういうことだろう。この二人などの質疑応答を聞いていると、いかに独善の馬鹿、要するに自分勝手なボンボンかということが分かるのだが。
「それもこれも、私の責任です」とさも殊勝そうに連発しながら、何の責任も取らぬ、人として軽すぎというだけでなく、「選挙目当てヤッテル感『政治』だけ」で悪辣な、安倍。
 嘘や約束破りの常習犯で、口から出任せを、自分だけ大事と吹きまくる、トランプ! 最近彼は、大学入試さえ替え玉を使ったと、兄の娘から暴露されたという、そんな人物だ。
 彼らに投票する人って、こういう人間論を持っているとしか思えないのである。「彼らが特別なのではなく、人間ってみんな安倍やトランプのようなもの。その上で、俺にとってここを何かしてくれそうだから・・・・」。誠実な人という中身を持って重く、ヒューマンな行為の人に出会った事がないのかも知れないとさえ考えてしまう。

 もっともまー、人間社会に民主主義が叫ばれ始めて以降いつの時代もこういう時はあったのだが。「自由、平等、博愛」のフランス革命はナポレオン戦争地獄に替わったのだし、身分制、人種差別や搾取打破のヒューマニズム目指したソビエトは、「官僚独裁恐怖政治」に変質していった。19~20世紀の人種問題を除いた「民主主義」代表国アメリカも、今や世界各地で戦争を仕掛ける戦争暴力(その脅迫を含む)国家になり果てている。こういう不条理国家が人文科学退廃を自然に生んでいくというのは、自明である。なお、これらの間中、こういう人文科学の反面もまた真実であり続けた。フランス革命の「自由、平等、博愛」も、ソビエトが目指した「ヒューマニズム」理想も、アメリカの民主主義も、これらを目指した無数の名もなき人々の中では、真実なのであった。でなければ、それぞれの歴史が興るわけもないものである。が、こうして築き上げた民主主義国を、その支配に慣れた人々が間もなく裏切っていく。そんなことが示されていると思うが、こういう歴史全体としては、民主主義は進んできたと、そうは言えるだろう。問題は支配者を変質させぬ仕組、やり方なのだと思うが、普通選挙も、マスコミで金を使った宣伝次第のような随分いい加減なものになっている。
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書評 愛国官僚の叫び ②  文科系

2020年07月14日 02時04分35秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 昨日の続きです。よろしく。

【 「従米か愛国か」(2) 文科系 2013年01月04日 03時17分27秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

3 冷戦直後、日本こそアメリカの最大脅威だった

 このことについて孫崎は以下のような象徴的例などを挙げていく。今から見れば、当時の日本経済力は恐ろしく強かったということであろう。
 一つは、ニューヨークのロックフェラーセンタービルが89年に三菱地所に買収されたこと。そして、コロンビア・ピクチャーズがソニーに買収されたこと。当時のコロンビアは米国文化の華である映画会社において、ロックフェラーセンターと同様に名門中の名門であった。また米国産業の中心である自動車と鉄工業も日本に追い抜かれていたのだと、孫崎は解説を加えていく。

 併せて、孫崎のこの書にはこんな1991年の世論調査結果が記載されている。シカゴ外交評議会の「米国にとっての死活的脅威は何か」という以下四項目の選択調査である。「日本の経済力」、「中国の大国化」、「ソ連の軍事力」、「欧州の経済力」。この四つの順位が、一般人では多い方からこの通りで、60,40,33,30%となっているが、指導者層はちょっと違って、こうである。63,16,20,42%。つまり指導者層内部では、こんな結論になったと言えるのだ。これからのアメリカ、怖いのは他国の軍事力などではなく、その経済力の方がよほど怖い、と。軍事スパイ機関のはずのCIAが、以降経済スパイ機関の様相を強めていく背景はこんな所に求められると、孫崎は述べている。
 さて、こういう情勢認識からこそ、冷戦後の本音の方針が出てくるのである。

4 アメリカの本音シフトと陽動作戦

 こうして、冷戦後のアメリカには、軍事力を半減したその力を経済に回し日本に対抗せよという意見も多かったということだ。が、結局は軍事力を維持増強し、世界の覇者となる道を選んだと、孫崎は述べていく。ちなみに孫崎は、当時検討されていたもう一方の別の道として、マクナマラ元国防長官のこんな上院予算委員会発言を紹介している。
『ソ連の脅威が減少したいま、3000億ドルの国防予算は半分に減らせる。この資金は経済の再構築に回せる』

 さて、軍事力維持強化の道を選んだとすると、経済的脅威・日本にはどう対していったのか。アメリカの片棒を担がせ、そこに金も使わせることによって日本経済を発展させないようにするという道なのである。「ならず者国家」と呼ばれたイラク、イラン、北朝鮮などと戦うべく、応分の負担をせよということなのであった。最初の例がこれ、91年に始まった湾岸戦争で日本が130億ドル負担してもなお「あまりにも遅すぎ、少なすぎ。人も血も、出せ」というようなものだ。この道は次いで、イラク戦争への協力、参戦へと繋がっていく。
 この後の20年、日本が先進国では唯一名目経済成長率がゼロとなった原因がここにあったのかと、僕などは改めて振り返っていた次第だ。

 なお、90年当時の日本の経済力をアメリカにとってこれほどの脅威と捉えていれば、今の中国はアメリカにとってもう怖くて堪らないはずだ。軍事増強の根拠として最大限に利用しつつあるのだろう。そしてその論理が、日本にも押しつけられることになる。日中間に波風が立つわけだ。アジア友好外交を進めた民主党政権や、新政権発足直後の小沢訪中団が憎まれたわけもここにあったのだろう。膨大な相対的貧困家庭数を抱えて、何とも不条理なアメリカだななどと、腹立ちを伴って思わざるを得ないのである。 (続く)】
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