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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

書評『人新世の「資本論」』(3)  文科系

2021年03月01日 19時10分58秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム

 コロナショック下の2020年春、アメリカは62兆円儲けた。というように、需要の多さに対する供給の少なさ(相対的希少性)があれば資本は儲けられる。その歴史的原初は、共有地に対する囲い込み(運動)とか、資本の本源的蓄積とか。これらによって私有財産(の増大)が公的富を減らす事を通じて(人工的)希少性を作り出し、資本は成長してきた。
 今や、食とエネルギーに次ぐ第3位の産業が広告業界であるが、ブランド化と広告はこの相対的希少性を作り出すのを狙いとするものだ。このような人工的希少性に対する思想こそ脱成長コミュニズムである。これが第3章で述べている4つの未来選択肢のうちの最後の第4番目、Xなのである。

 脱成長コミュニズムの旗手、ワーカーズコープが今世界に広がっているが、生産手段を公富、共有財産にする動きである。スペインで7万人の組合員を擁するモンドラゴン協同組合、米クリーブランドのエバーグリーン協同組合、ニューヨーク州のバッファロー協同組合。これらは、住宅、エネルギー、食糧、清掃などに関わりつつ、脱成長コミュニズムを広げている。協同組合が社会全体を変えていく基盤になっていくのである。 

第7章  脱成長コミュニズムが世界を救う

 人類の未来選択肢のうち、気候ファシズム、気候毛沢東主義に対する脱成長コミュニズムこそ、世界を救うものだ。今の商品化世界では、困った人々は国家に頼るしかないが、コロナ下のような強い危機には今の国家は機能できない。
 そんなことから、ピケティも企業の労働者所有を言い出して、社会主義者になったという。これに対してスティグリッツらリベラル左派は空想主義と言える。資本主義の下では民主主義など求めても得られないからである。肝腎なことは労働と生産の変革であって、従来の脱成長は消費の次元のそれでしかなかった。資本が見放して荒廃著しい破綻都市デトロイトで都市農業が始まったことに、人類の将来が示されている。

第8章 気候正義という「梃子」

 気候正義の「南」の運動から学び、これと連帯する脱成長コミュニズム運動が、世界の大都市で起こっている。典型は、スペインのバルセロナ。リーマンショックの大被害国スペインの25%失業率のなかから地産地消型経済を主張するバルセロナ・イン・コモンという政党が生まれて、2015年に市長選で勝利した。資本主義の利潤競走と過剰消費に対抗する労働者協同組合の伝統がもともと強い都市だったが、生協、共済組合、有機農業運動などとも結びついた運動をバルセロナ市が活用しているのである。
 このバルセロナの脱成長コミュニズム運動は「南」の諸都市と連帯する運動体にもなっていて、アフリカ、中南米、アジアにまで広がる77の提携拠点都市が存在している。これらの拠点では、水道事業の民営化に対する公営化運動(水をコモン、社会的共有財産にし直す運動)が特に重視されている。水を囲い込んで儲けの対象に換えた人工的希少性を認めず、共有の富として再生していくのである。

 こういう、生産の場の変革と結びついた革新自治体ネットワーク精神をミュニシパリズムと呼ぶが、この連帯の輪が食糧主権と気候正義とを柱にしつつ、世界的に広がっている。メキシコ・チアパス州の先住民サパティスタの運動など中南米を中心とした国際農民組織・ヴィア・カンペシーナの運動は、食糧主権を掲げて世界2億人の農業従事者に関わりつつ、新自由主義にノーを突きつけて来た。食料を輸出しながら飢餓率26%などと言われる南アの食糧主権運動も有名だ。この運動の一つの主張「(我々は)息ができない!」は、アメリカのブラック・ライブズ・マターの象徴「(私は)息ができない」から取ったものである。

 このような脱成長コミュニズム運動に対して、制度変革だけを求める運動は政治主義というものであって、これは容易にソ連のような国家資本主義、気候毛沢東主義に陥っていくものだ。生産の場の変革、その社会的所有によってこそ、脱成長コミュニズムが実現可能となる。

 

(終わりです)

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書評『人新世の「資本論」』(2)  文科系

2021年02月22日 11時49分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 今回の初めに、3章にある四つの「人新世」未来選択肢を紹介しておこう。
・気候ファシズム 現状維持の資本主義的成長路線によって気候が破壊されていく方向。
・野蛮状態 99%の反乱によって、世界がホッブスの言う「自然状態」に落ちていく。
・気候毛沢東主義 野蛮を避けるトップダウン型の中央集権的気候対策であって、自国のことだけを対策するという特徴を示すはずだ。
・X 以降に著者が説く選択肢のことである。

第4章 〝人新世〟のマルクス
 資本論第一巻までのマルクスは生産力至上主義かつ、西欧中心主義であった。そして、資本論の続きを書こうとしていたマルクスは、最近の西欧学会では「コモン」と呼ばれる概念に目を付けていったと語られる。日本語では「共」という意味なのだが、経済学泰斗・宇沢弘文の「社会的共通資本」を思い浮かべて欲しいとも述べている。

 そんなマルクスが具体的研究対象としたのは、当時の農村共同体であった。ドイツのマルク共同体、ロシアのミール共同体、アジアの村落共同体などのことである。これは、生産力至上主義の進歩史観から離れて、持続可能性と社会的平等を目指す将来社会の基礎となるだろうと。これが晩年のマルクスが到達した脱成長コミュニズムの鍵なのだとも、「ゴータ綱領批判」の「協同的富」のことだとも言い直されている。

第5章 加速主義という現実逃避
  脱成長コミュニズムに対して、「左翼加速主義」が欧米では結構持てはやされている。生産力至上主義の現代版と言えるものだが、これは第2章などで述べた「緑の経済成長」など「現実逃避の思考」である。
 また、選挙によって国を変えて・・というだけの考え方も政治主義と言うべきであって、生産点での変革がないから非現実的である。
 現在ある「協同的富」を再建、建設しなおすことによって、資本による労働編成から人々を開放して、労働編成などを自ら考え得る民主主義的想像力を取り戻そうとも述べられてあった。

 こうして、以下の残りの3章へと続いていく。
第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第7章 脱成長コミュニズムが世界を救う
第8章 気候正義という「梃子」
おわりに 歴史を終わらせないために

 

(その3に続く、ちょっと遅れるかも知れません)

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書評『人新世の「資本論」』(1)  文科系

2021年02月21日 19時45分29秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 水野和夫、白井聡、そして佐藤優までが晩年マルクス(研究)のその先へ到達したとも認めたこの本の要約をする。著者の斉藤幸平は、ベルリン・フンボルト大学の博士課程を修了した哲学博士で大阪市立大学准教授、1987年生まれとある。今回は、昨年9月第1刷発行にして、この2月13日で第8刷となったこの本について、全8章の内3章までを要約したい。
 なお、人新世の意味はこういうもの。地球の地質年代の新生代第三紀を5つに区分した最後の時代を鮮新世(530万年~180万年前まで)というが、それに習って「人がすっかり換えてしまった今という地球年代」の意味で良いのだろう。「こういう地球時代に対して、マルクスの晩期資本論研究がこういう意味を持つ」という壮大な書ということになる。

第1章 気候変動と帝国的生活様式
 資本主義唯一の延命法であった新自由主義は、その負荷すべてをいわゆる南部の国々に押しつけて、帝国国民には見えないようにされている。南は食料も水も奪われ、気候被害を受けても、守る技も持っていない。

第2章 気候ケインズ主義の限界
 ケインズ主義とは新自由主義の「供給サイド経済」に対して「有効需要創出経済」とも言われてきたが、これに気候の語を冠する斉藤はこんな意味を付与している。今のグリーン・ニューディール政策などがこれに当たるが、「緑の経済成長という現実逃避である」と。この観点が後の章において、今必要な脱成長視点が欠けたリベラル風の生産力主義でもあると説いていくことになる。
 なおここで、ロックストローム研究チームが提唱したプラネタリー・バウンダリー(地球の限界)というものが、9項目に渡って説かれている。気候、生物多様性、窒素・リン循環、土地利用、海洋酸性化、淡水消費量、オゾン層、大気エアロゾル、化学物質汚染である。これらを挙げて著者は、脱成長という選択肢を強調する。

第3章 資本主義システムでの脱成長を撃つ
「生活の質と環境負荷の相関関係」で各国がどういう位置を示すかを表した図表がある。環境負荷では、アメリカ、イベリア半島2国、ギリシャが突出、生活の質では、オランダ、オーストリア、フランス、北欧2国、ドイツ、日本などが高い。また例えば、この11国のなかでは、ドイツ、日本で環境負荷が他国よりも1~2ポイント低くなっている事などが読み取れる。逆に、いずれも低いのが、こんな国々だ。フィリピン、イエメン、バングラデシュ、ネパール、チャド、ザンビア、アンゴラ・・・。
 その上で、資本主義の枠内での脱成長などはありえないとしてこんな「しわ寄せされた南部」の現状を示し、脱成長の定常型経済を説いていく。
・総供給カロリーの1%で8億5000万人の飢餓が救える。
・電力が利用できぬ13億人を救っても、CO2は1%増えるだけだ。
・1日2・5ドル以下で暮らす14億人を救っても、世界所得の0・2%再配分で済む。

 こういう現状に対する 「四つの未来の選択肢」が次のように提示される。①気候ファシズム、②野蛮状態、③気候毛沢東主義、④X。
 このXに、著者は「マルクスと脱成長を統合する必然性」、「(そういう)コミュニズム」を持ってくるのだ。つまり、以上の論点への答えが、資本論第一巻より後のマルクスの論考の中に潜んでいると説いてそのことを展開していく、そういうこの本のまさに本論として『第4章〝人新世〟のマルクス』がある。次回の最初は、第3章におけるこの四つの選択肢の解説から始めることにする。

 

(多分、全三回続きになります)

 

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随筆 僕の「人生とスポーツ」  文科系

2021年01月30日 12時18分55秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 スポーツを体育とか運動とか訳すのは、今や余りに日本的な誤り。適当な日本語訳語がないのだが、スポーツとは身体(感覚)を鍛え、その喜びを求める芸術と解するのが良い。視覚の芸術や聴覚の芸術があるように、身体感覚の芸術があるということだ。全身の神経を協調、集中させた脚(の感覚)でボールを自由自在に操る楽しさ。筋肉、身体感覚を鍛え、全身協調したフォームで剛速球が急に伸びてゆく時の痛快。もっと誰にも身近なものでは、ちょっと老いてきたころに少々鍛えてみた後、階段上りなどでふっと気づく脚の軽さ、その爽快感。こういう喜びを追求した結果はもちろん、体育になっていくのである。音楽が楽しいからその楽器技術を習うのであって、これはスポーツも同じ事。身体を上手く使える楽しさを追求した結果、身体ができていくのである。

 このブログにも書いた「各種スポーツ選手の平均寿命 2021年01月12日」はプロや一流選手の場合。これを眺めていても分かるように、適度な有酸素運動は人の活動年齢を著しく延ばすものだが、この有酸素運動能力こそ脂肪を落とし、均整の取れた身体を作り、どんなおしゃれよりもおしゃれと言える力。これは、万人が認めるところだろう。ボディビルダーの身体に好き嫌いはあるだろうが、あれにしてもそのコンクール入賞者に走れない人は居ないのである。走れなければ、コンクール前に脂肪が落とせず、脂肪を落とせないと筋肉が浮き出ないのである。筋肉を鍛えるほどに、中年が近づいて走れない人は筋肉の上の脂肪が落とせなくなって、ただ太っている人になる。ウエートトレーニングをやっている若者はすべからく一時間近くは走れるように、ということだ。

 さて、この有酸素運動能力は、老人になると特に大きな差を生むことになる。拙稿からで恐縮だが、
【 『 ⑥最後になるが、高齢者のどんな活動でも最後は体力勝負。そして、活動年齢を伸ばしてくれる体力こそ、有酸素運動能力。酸素がよく回る身体は若いのである。ギターやパソコンの3、4時間ぐらいなんともないというように。ランニングが活動年齢伸ばしにこんなに効力があるとは、骨身にしみて感じてきたことであるが、これは今では世界医学会の常識になっていると言える。その証言がこのブログのいたるところにあるが、一例がこれ。『「よたよたランナー」の手記(222)走る、歩くで活動年齢が伸びる 2018年05月10日』 】 
(ここのエントリー『老後ギター上達法、僕の場合 文科系 2018年06月24日』より)

  ちなみに、僕がやって来たスポーツはこれだけだ。中学時代は陸上もちょっとやったが、そのころから大学生までバレーボール。これは40歳過ぎて小中学校PTAバレーで復活し、娘が中三の最後の年に区で優勝、「名古屋市大会3位」まで行った。これらに平行してまた、大学時代からずっとサイクリングをやってきた。これは今でも現役で4年女子孫との50キロサイクリングのことなども、ここに書いてきたところだ。近頃この孫が「今度は100キロやってみよう!」と言っているが、この春が待ち遠しいという今なのである。今は、これをもめざしつつ「八十路ランナー」を楽しみ、書いているわけだ。ちなみに、10キロ走れる間は100キロサイクリングは十分可能と考えている。このランニングは、2000年ちょうど、59歳の現役時代に勤務先があるスポーツクラブ法人会員になったのをきっかけに覚えたもので、その時意図したとおりに今の僕の諸活動の原動力になっている。有酸素運動の効力は、とにかく絶大である。

 ちなみに年寄りが太るのは走れなくなるからだ。そのことを僕は今の今、痛感している真っ最中である。今の僕は、ウオームアップの時間が20分以上も必要になっている。それだけゆっくりと長く走って初めて、全身の血管が開き、酸素を運び疲労物質を吸収、汗として排泄する能力が全開してくるのである。アップの初めは8キロ時でも疲れてしまうのが、循環機能が全開し始めると10キロ時超えてもちゃんと走れるのだ。年を取るほどこの差が激しくなって、スポーツをしない人はこのことがわからないから、ウオームアップの段階で「もう走れない身体になった」と誤解してしまうのである。すると今度は逆に、循環機能がそういう生活に慣れてしまって、心拍数120以上には上げられないという身体になってしまうのである。ちなみに、僕の一定持続最高心拍数は165ほどである。

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安倍晋三、嘘の履歴書   文科系

2021年01月17日 10時06分02秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 これも、一昨日に続いて朝日新聞本日社説の要約である。朝日を取っていない中部地方の人々に向けて。社説の見出しは、『「桜」の前に「1月20日」あり』。この社説結びが、このエントリーの題名『嘘の履歴書』になっている点がとても大事と考えて、先ずその部分を紹介したい。

『振り返れば、森友問題での「私や妻が関与していれば、首相も国会議員もやめる」が全否定路線の出発点だろう。加計問題で確実に増幅して、行きついた先が「桜」なのだ。
 「桜」での虚偽が暴かれたいま、審議時間の空費を嘆きつつ、改めて思う。
 きっと、「1月20日」も「うそ」だろうな、と』

 さて、この(2017年)1月20日に何が起こったのか。社説のこの下りを抜粋してみよう。

『「桜」を引きずる安倍氏に、ことしも「1月20日」がめぐりくる。
 もう一つの「虚偽」疑惑の日付である。
 2017年のこの日、安倍氏が議長の国家戦略特区諮問会議が、加計学園の獣医学部新設計画を認めた。いまも問われるのは、その当日に初めて、この計画を知ったという安倍氏の国会答弁の真偽だ。
 最初に尋ねられた17年6月には「(15年の)申請段階で承知」と明言した。それが、「総理のご意向」に象徴される「忖度」報道が広がると一転、1カ月半後に前言を翻して、「1月20日」だと言い出した。
 本人が知らないのだから、「腹心の友」への優遇などありえない。周りの官僚や政治家も忖度するはずがないという論法だった。
「なぜ最初からそう言わなかったのか」。質問者の自民党議員がそう言うほど不自然な転換で、「うそ」だと野党は見た。その後、「首相案件」と15年に書いたメモも見つかったが結局、うやむやにされた。
 この全否定で追及をかわせた体験が、「桜」につながったように見える』

 森友、加計、桜と繋がって疑惑を全否定する安倍「嘘の履歴」のそれぞれにまた、多くの嘘がある。森友では、そもそもの始まりの大安売りをごまかす嘘や、その「忖度」を打ち消した嘘。加計にも「獣医学部が不足している」という嘘と、「加計しかない」という嘘。桜では、「国家功労者称賛会」を「個人選挙功労者会」に換えてしまった嘘。こんな人物が日本国家歴代最長政権って、トランプの「フェイクと暴力政権」と並んで、それぞれの国、国民、政党はよほど胸に手を当てて考えてみないといけない。世界的に深刻な反省が始まっている新自由主義グローバリゼーション下の2強国家として、世界、国連などへのその影響力を考えれば、なおさらのことだ。株主資本主義への反省、改革は国連レベルでしかできないが、アメリカはリーマンショック総括の国連スティグリッツ報告を当初から妨害し続けてきただけだし、安倍がこれを実質助けてきたのだから。

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『検察の「刷新」 うやむやでは済まない』  文科系

2021年01月15日 18時11分20秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 標記の『 』内の言葉は、朝日新聞本日の主張の一つ、その見出しである。見識のある文章と読んだので、中部地方には多い朝日を取っていない人のために要約、内容のご紹介をする。この問題が、安倍がやったことの中でも近代民主主義政治の根幹を揺るがすという意味で最悪なものと考えてきたからだ。森友、加計、桜に見えた「国政私物化」と公職選挙法違反、そして安倍が手を付けた日本学術会議会員任命拒否などなどの悪名高い遺産の中でも、これは最悪の、凶行とさえ言えるもの。絶対多数派国会を背景とした議院内閣制の首相が司法への起訴権力を握る検事総長人事を掌握するというのは、3権分立を打ち壊す独裁制への移行を意味するのである。

 この朝日主張は、こういう文章で始まっている。
『東京高検検事長の異例の定年延長をきっかけにした一連の問題などを受け、法務省に置かれた「法務・検察行政刷新会議」が昨年末に報告書をまとめた。
 せっかく各界の識者が集まったのに、極めて残念な内容に終わったと言うほかはない。・・・・大部分は委員の個別意見の紹介になっている。
 案の定というべきだ。』
 
 案の定とは、こう説明される。異例の定年延長に当然の批判が集中して、それへの法相答弁もしどろもどろとあっては、『苦し紛れに打ち出した「刷新」でしかなかった。何を期待されているのか、委員たちも困惑しただろう』というわけである。さらには、
『長年の法解釈を内閣の一存で変更して強行した定年延長の閣議決定や、それを事後的に正当化するものと批判され、廃案になった検察庁法改正案の立法過程などは、議論の対象外とされた』

 この主張の後半部分は、そのまま抜粋しよう。
『もっとも個別意見の中には、定年延長問題などに踏み込み、傾聴すべきものも少なくない。「法律の解釈変更が大きな関心を呼ぶことは事前に予測できたはずであり、できなかったのであれば組織の能力に問題がある」「内部的な議論の過程まで含めて文書が作成されるべきであり、法務省の取り扱いは公文書管理法に違反する。一からやり直すべきである」・・・。法務省にとどまらず内閣全体でこうした苦言を受け止めなければ、報告書の意義は本当に失われてしまう。・・・忘れてはいけないのは、定年延長の閣議決定はいまだ撤回されていないということだ。
 過去の国会答弁を無視し、行政が立法者のように振る舞ったにもかかわらず、前首相らに反省はなく、法務省、人事院、内閣法制局などの官僚も誰一人として責任をとらない。「法の支配」が揺らいだままの深刻な状況が続いている。
 検察の独立とは何か、政治と検察の関係はどうあるべきかという議論も生煮えのままだ。森友、加計、桜を見る会、そして検察人事と、政治への信頼を傷つけた数々の問題に管政権は向き合わず、うやむやにすることを図ってきた。・・・・』

 さて、最後に一言。これだけの凶行をしでかした首相だからこそ、これらの文章の意味がそもそも理解できるのだろうかと、僕にはそのことの方が恐ろしい疑問になったままである。

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フェイク社会は誰が作った?  文科系

2020年12月15日 10時15分43秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 「もう一つの真実」などという言葉も生まれたり、フェイク人間・トランプも出てきたりで、フェイクニュース発信が、それも嘘と知ってやっているようなフェイクが、今や当たり前の、これが普通という世界になった感がある。こんな風潮から今度は、他人の発信内容にも余りにも安易に「フェイクだ」と返す世になっている。僕も一昨日の当ブログであっさりと「フェイクニュースを信じている」とシン君から言われてしまった。それがこともあろうに「イギリスのイラク参戦時首相ブレアが、イラク戦争参戦を反省した総括文を長期間かけて提出させられた」ということを、「どの新聞にも載っていないからフェイクだ」と断定、批判されたのである。これって、どう考えたら良いのか、僕としてはしばし戸惑っていたほどで、僕にとっては一つの事件になってしまった。

 彼の詰問と、僕の回答を転載すると・・

【 新聞に載ってますか? (シン) 2020-12-13 15:12:54
>イラク戦争第一の参戦国イギリス元首相が、重大な参戦反省文書を長年かけて出さされているのが、何よりの証拠。
新聞に載ったことは、ありませんよね(^O^)
つまり、あなたはフェイクニュースに騙されているだけなんですよ。

【 フェイクニュースは書かない (文科系) 2020-12-15 09:45:05
 僕はフェイクニュースは書きません。以下は全て事実です。ちなみに、調べもしないでフェイクニュースと決めつけるのは、自分が書いた物がい-加減だと証明しているようなもの。その程度の調査力、思考で自分も物を書いているよと、わざわざ叫んでいるような。僕は一応、50年前の某旧帝大の文学修士。修士論文以来も色々書いてきたが、剽窃とかフェイクニュースとかはやろうと思ったことさえありません。恥ずかしいことだという教育が徹底していましたから。

 「イラク戦争後に主要参戦先進国政権は全て潰れた。イギリス、スペイン、イタリア。だから、以降アメリカの参戦呼びかけにはどこも答えなくなったのね。今のイラン、ベネズエラなどでもアメリカは参戦有志国を募る「脅し」に出たが、応じる国はほとんどなかった。世界中が、アメリカの「嘘の理由開戦」に懲りているのだろう。イギリスはこの戦争で176人死んだ。」
 イギリスの反省文は、「イギリス イラク戦争総括」で検索すればすぐに出てくるが、君はこんなことも知らないで、というよりも調べないで、フェイクニュースと応じるのだ! そんな歴史知識で戦争をも語っているということが丸分かりとあって、僕は恥ずかしいよ】

 ところで、日本の商習慣では「信用」という言葉は重い歴史を持ってきたし、学術論文などでは剽窃はもちろん、フェイクもこれをやったら学者生命終わりというそんな伝統も続いてきたはずだ。誰が嘘やごまかしが当たり前という日本に換えてきたのだろう。他人の話を、特に自分に都合が悪い話を、調べもせずに安易・簡単に「嘘だ!」と言い返す社会。安倍、管両氏は、こういう世界の先頭に立ってきた人らしいとは分かるのだが、彼らを支持出来る人々もまた、そういう人々なのか?・・・。」

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武漢の闘いドキュメンタリー『76 Days』  文科系

2020年12月15日 09時15分29秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 管首相が、やっとグズグズと長引かせた愚策に終止符を打ったようだ。こんな一昨日、「マスコミに載らない海外記事」のサイトに、コロナ爆発時の武漢の闘いを描いたドキュメント映画の紹介があった。映画の特徴と同じらしく、いくつかの場面描写に徹したまさに現地報告になっている。この映画の成り立ちや監督は、こう紹介されてあった。「中国系アメリカ人映画監督のウー(Beijing or Bust, The Road to Fame, People’s Republic of Desire)が、二人の協力者に武漢で撮影されたビデオ映像を編集した」。

【 2020年12月13日 (日)
『76 Days』:武漢でのコロナウイルスとの戦いの前線
デイビッド・ウォルシュ 2020年12月7日 wsws.org

 世界的流行が始まった中国の都市武漢での11週間の封鎖(1月23日-4月8日)についてのドキュメンタリー『76 Days』は、今年のトロント映画祭における最良の映画の一つだった。この映画には、実に本物の忘れ難いドラマがある。ドキュメンタリーは今「virtual cinema」プラットホームで、アメリカで見られる。
 映画はハオ・ウー、ジーン・チエンと匿名の人物(身元を明かさないために匿名を望んでいる武漢現地の記者)によるものだ。
 中国系アメリカ人映画監督のウー(Beijing or Bust, The Road to Fame, People’s Republic of Desire)が、二人の協力者に武漢で撮影されたビデオ映像を編集した。

ドキュメンタリーは、いかなる全体的評価も分析もしていない。ほとんどがクローズアップだ。ほとんど全員ウイルス感染者か医療従事者だ。極端な臨場感は制約だが、アメリカ政府による執拗な新たな「黄禍論」プロパガンダ宣伝の時に、『76 Days』は、親密で、完全に合法的な方法で、聴衆に中国人の人間性や苦しみを紹介する。
 更に全般的に、主にコロナウイルスで亡くなる人々が、無価値で、重荷で、完全な人間以下のもののように主張したり、暗示したりする、至る所のメディアや政治支配体制の冷淡さや無関心に対する打撃だ。

 ドキュメンタリーで、女性が半狂乱ながら、空しく(健康上の理由から)、死に瀕した父親にもう一度会いたいと懇願する場面がある。「父さん!私は父さんを決して忘れません」と彼女が叫ぶ。最も心が痛む、実情を現す別の場面の一つで、病人の自暴自棄な群衆が病院入り口で入ろうとする。「どうか協力してください!」と職員たちが訴える。職員たちは、彼ら全員が、最終的に入れますと約束する。
 ある看護師が、故人のIDカードと携帯電話を集める。携帯電話は、故人や家族の画像が多いが、小さな光を放つ幽霊のようだ。ウイルスに感染した女性が出産する。「女の子ですよ。」だが赤ん坊は、母親が感染しているため、すぐ連れ去られる。その後で、母親と夫の両方が、心配して、赤ん坊を待っている。看護師が、二人に、赤ちゃんは「良く寝て、良く食べましたよ」と陽気に言って、幸せな再会になる。

 一人の「言うことを聞かないおじいさん」が立ち上がり、家に帰るため外に出る方法を探して廊下を歩き回り続ける。誰かが言う。「彼は漁師でした。彼は落ち着きがありません。」病気で、おびえて、彼は泣く。「私はもう、お墓に片足を突っこんでいる。」だが彼は幸運な一人であることが分かり、生き残る。彼が最終的に退院する際、職員たちが彼にさようならを言うため、エレベーター近くに集まる。「私は決して皆さんを忘れません」と彼は職員たちに言う。

  最終場面の一つで、誠実な看護師が死んだ親の持ち物を家族に返す。「ごめんなさいね」と彼女が言う。「私達は出来る限りのことをしました。」泣いている女性が帰るため向きを変えながら簡単な返事を言う。「わかっています」

 監督としての発言で、ハオ・ウーは、地方自治体が、ウソをついて、発生を隠すため、内部告発者を抑圧していたことが益々明確になる中での、流行初期の彼の反応を説明している。武漢での状況は悲惨だった。人々は死につつあり、医療は崩壊し、医療関係者には適切な保護器具がなく、彼らも病気にかかり、死に瀕していることが明白になった。
 後に、ニューヨークで、彼は「準備不足の政府、ウソをついているか科学的に無知な政治家、怯える住民、保護具がない疲れ切った医者や看護師のアメリカで、武漢物語を再体験しているように感じた。アメリカには一流医療インフラと遥かに優れた政治制度があると思われているので、この二度目は、私にとって、より大きな衝撃だった。」

 率直に言って、中国当局者の役割を称賛せずに、アメリカが武漢経験を「再体験した」ことを示唆するのは非常識だ。武漢での措置に伴う封鎖は、ウイルスを封じ込め、抑制した。今中国は、4,600人の死者で、死者数ランク・リストで、77位に落ちている。人口が四分の一のアメリカでは、政府の殺人政策のおかげで、290,000人の死者が出ている。

 とにかく『76 Days』は貴重で感動的な作品だ。】

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書評 池上彰「そうだったのかアメリカ」  文科系

2020年12月14日 12時03分42秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 池上彰が、オバマが大統領になった2009年に集英社文庫から出した本だが、この本で僕は、正直に言うが、彼を見直した。このブログで描いてきたアメリカ論とほとんど変わらない内容だったからちょっと驚いたのである。進化論を否定する宗教国家だとか、中南米や中東に対する「帝国主義国家」だとか、世界経済へのその武力支配の現状だとか、今も残るその人種差別の歴史的根深さとか・・・。終章を除いた全9章にはそれぞれ「この章のまとめ」がついているのだが、そのいくつかをご紹介してみよう。

 第1章 アメリカは宗教国家だ
『アメリカは、憲法で「政教分離」を定めているが、これは「国教」を定めないという意味であって、国民の多くがキリスト教徒であることを前提としている。(中略)
 国民の多くは神の存在を信じ、宗教保守派の影響力が増大している』

 第3章  「帝国主義」国家だ
『「理想」に燃えて建国されたアメリカは、次第に領土を広げ、海外に植民地を持つまでに、「帝国主義化」した。その過程で多くの戦争を経験した。
 その野望はやがて「世界支配」へと進み、世界規模で支配力を拡大した。
 しかし、イラク戦争により、アメリカ軍は泥沼にはまってしまった』

 第4章 「銃を持つ自由の国」だ
『アメリカでは銃を使った犯罪が後を絶たない。アメリカの憲法修正第2条が個人の武器を持つ権利を保障していることを理由に、銃の規制は進まない。アメリカは、個人が武装することで専制政治を阻止することができるという「理想」を掲げているためである』

 第7章 差別と戦ってきた
『アメリカという国は、そもそも奴隷制度を前提に成立した国だったが、やがて奴隷制度の扱いをめぐって南北が対立し、南北戦争に発展する。
 南北戦争中にリンカーン大統領による「奴隷解放宣言」が出されたが、黒人奴隷の実質的な解放に至るまでには、長い長い黒人自身による戦いが必要だった。
 現在では各界で黒人が活躍する姿を見るまでになったが、黒人差別の深刻な実態は依然として存在している』

 第8章 世界経済を支配してきた
『アメリカは、第二次世界大戦中から戦後の国際通貨制度の検討を始め、イギリスのポンドから「基軸通貨」の地位を奪うことに成功した。
 やがてブレトン・ウッズ体制は崩壊するが、ドルが「世界のお金」であるという地位は揺らいでいない』 
 
  第9章 メディアの大国だ
『アメリカの報道界には、新聞、放送のどちらにも、時の権力と戦い、報道の自由を守り抜いてきた歴史と伝統がある。
 その一方で、メディアの巨大化と共に、その伝統は危機にさらされようとしている』

 

 最後に、感想を少々。流石に元NHK記者32年というだけあって、それも事件記者という経歴もあった人らしく、色んなアメリカのニュース、興味深いエピソードに溢れかえった本であった。それで面白く、あっという間に読み進んでしまった。たとえば、オバマが出現した驚きも、ついで、この本が出て何年か経ってトランプが出てきたわけもなんとなく分かるような。もっとも、メイフラワー号到着が日本で言えば関ヶ原合戦の直後であったり、黒人奴隷を巡るあの南北戦争が起こったのが明治維新の頃と知ってみれば、近代(民主主義)政治育成の伝統でさえ極めて薄い国なのだと分かる。僕自身がボストンのホテルで体験した人種差別が、今でも根深く残っているその訳も少し分かったような・・・。一言で言えば、日本はアメリカを美化しすぎている。負の面を知らず、正の面しか見えないようになっていた? 

 

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朝日の天皇敬語報道批判  文科系

2020年12月11日 20時16分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 本日の朝日新聞「メディア私評」は、今とても必要な公論、正論だと読んだ。題して「天皇制とタブー 敬語報道 批判を抑制しないか」。この正論の最重要触り部分は、こうなっている。

『右翼は広告主に圧力をかけるという手法を用いている。・・・・しかし現在の「陛下・殿下・さま」に代表される敬称報道の是非は議論されるべきだ』

『市民が皇室を尊敬することは何ら問題ない。強調したいのは、報道機関が天皇・皇族だけに特別な敬称を使い、読者や市民に間接的に敬語を強いる問題である。敬意をもつべきとされる対象に人は自由な思考や批判をもちにくい。実際、意味を深く考えぬまま敬称使用を自然視する学生は多い』

 この「過剰な敬称報道」批判は、例えば右翼の典型・日本会議の「日本会議がめざすもの」文書の内容から見ても、とても重要なものだ。

『私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。国際化が進み、社会が大きく変動しようとも、常に揺るがぬ誇り高い伝統ある国がらを、明日の日本に伝えていきたいと思います。私たちはそんな願いをもって、皇室を敬愛するさまざまな国民運動や伝統文化を大切にする事業を全国で取り組んでまいります。・・・・・現行憲法が施行されてすでに60数年-。わが国の憲法は、占領軍スタッフが1週間で作成して押し付けた特殊な経緯をもつとともに、数々の弊害ももたらしてきました。すなわち、自国の防衛を他国に委ねる独立心の喪失、権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈、などなど』 

 この日本会議が天皇を何か「国家的な宗教的敬愛対象」にしようとしている事は明らかある。そして、ここに自民党の主要な国会議員がほとんど参加しているところから観ても、上記朝日新聞の批判は、極めて重要なものである。

 日本国民にとっては、憲法上の象徴天皇について批判など自由にものが言えなければおかしい。ましてや、宗教的な神聖な「天皇」を国の主人公である国民に何らか押しつけるなどは、民主主義の名においてけっしてあってはならないことである。自由民主党は、憲法の中に神聖天皇を何らか明記していくことを目指しているのであろうが、日本国憲法から観たら、主人公である国民より大切なものはないのであって、その言論に何かタブーを設けるなどは、あってはならないことである。

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最近のギターレッスン  文科系

2020年11月27日 02時31分30秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 久しぶりに、ギターレッスンの近況を書いてみる。
 夏にバッハのチェロ組曲一番プレリュードを暗譜して弾き込んだ後は、新しい曲を覚えるレッスンはやっていない。ちなみに、暗譜主義できた僕に1~2か月かけて新曲を暗譜をする気力が一時的かも知れないが今は乏しくなったようだ。それで、こんなレッスンをやっている。ちょっと練習すれば楽譜を見ながら弾ける二重奏楽譜曲をやっていって、レッスン当日には先生と合奏する。コストの舟歌、シューベルトのアベマリア、ヘンデルのサラバンド、そして今週はこれらにロシア民謡の「二つのギター」が付け加わった。これら全て、吉田光三編曲の「ギター二重奏曲集」という易しい曲集にあるものばかりである。
 ただこれとは別に、確か昔の映画音楽だったかで「鏡の中のアンナ」という曲の楽譜弾きをやっているが、これは僕の大学時代からの親友の依頼によるもの。彼もギターをちょっと習ったことがあるのだが、かなり重いパーキンソン病を患っている彼が冗談交じりでこんな言葉を発したからだ。
「これは学生時代から僕が最も好きな曲。これを、僕の葬式に弾いてくれ」
 こう言われては弾かぬわけにはいかないということで、先日はレッスン帰りに彼の家へ寄ってこれを弾いてきた。いきなり高ポジションのセーハに移動するなど結構難しい箇所があって、その時はまだ上手くは弾けなかったのだが、この練習は続けている。

 ギターの弾きすぎで騒音性難聴から、補聴器を付ける生活になって数年経った。それでギターの音も少々金属的に聞こえるのが、ギターに臨む気持をちょっと削いでいるように思う。それでもやはり、レッスンに臨めば「まだまだ続けたい・・」と思うばかり。旋律を色んな和音で飾っていく和音楽器の楽しさはやはり格別で、年を取っても色んな楽しみ方があるものだ。ここに何度も書いてきた25曲ほどの暗譜群は、今でも僕の(ギター生活の)宝物になっているのだし・・・。

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投手ダルビッシュ有  文科系

2020年11月24日 11時37分24秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 愛読しているスポーツ・グラフィック「ナンバー」最近の、米大リーグ投手ダルビッシュ有特集号を読んだ。二つの米大リーグ各一人だけの最優秀投手に与えられるサイヤング賞を今年こそ取るかと騒がれた彼だが、その凄みの在処をこの記事は分かった積もりにしてくれる。ちなみに、今年の米両リーグのサイヤング賞投票では、彼と前田健太がそれぞれ二位になっている。二位ダルビッシュは、二〇一三年に続いて二度目だ。そして、この日本人二人がダルビッシュ主導で事細かな技術の交換・交流をしあってきたとあった。ここまでの技術交流は日本野球界では希有な事だと、これは前田の驚きの言葉である。
 この特集にはさらにダルビッシュと同リーグで今年サイヤング賞を取ったトレヴァー・バウアーを取材した長文の言葉が載っていて、その題名がこうなっている。「Yuの底なしのファンとして」。このバウアーの記事がまた、ダルビッシュとトレーニング方法や技術の交換を前田以上に重ねてきたと報告してくれていたから、びっくり仰天。同リーグの本年度サイヤング賞投手と、もう一方のリーグ投票二位との間に有がいて、この三人の教え合いでこの到達点なのかとも想像できて、そのことにとにかく心を揺さ振られた。アメリカでも珍しいことなのだろう。

 投手としての有はまず、一一種類の球のそれぞれを大きく緩急付けて操ることができるとあった。それも、他人の目では同一フォームで投げ分けていて、コントロールもよい。さらに、スピードがある球種の軌道は出だし三分の二までは同じで、最後の三分の一で変化していく。バットを振る方は、球種を見抜いた瞬間に打球ポイントを決めるわけだから「最後三分の一まで球種が分からない」というのは、凄く困ることなのだ。これらは、有の研究家とも自認しているバウアーの証言である。直球と同じフォームで変化球を投げるというとチェンジアップと紛らわしいが、チェンジアップは遅い変化球であり、ダルビッシュが多く投げる変化球は、カーブよりも十キロ時近く速いスライダーである。

 さて、ダルビッシュは投球改良を言葉にすることに腐心してきたという。自分の投球映像を繰り返し見つめながら言葉に表現して、気づいたことをメモに残す。もちろん、この言葉のままに身体がそのまま動くわけはなく、ある日突然身体の動きから「これだっ!」と気づき、「その感覚」を追い求めていくのだそうだ。彼はこのように投球をあれこれ言葉にしていくのがとにかく好きなのだと言う。それも野球自身は大好きと言うほどじゃなくってと付け加えているところが面白い。彼のこういう「投球技術研究好き」が極まった末の出来事こそ、他の優れた投手との技術交換なのだろう。日本の球界では許されていないとされるこのやり方について、ダルビッシュは球界批判をわざわざ付け加えて見せる。
『日本の球界史でも「平松のカミソリシュート」などとよく言われますよね。でも、平松さんがこれを誰かにきちんと伝えなければ、後年消えて無くなるわけでしょう?』
  往年の大洋ファンで、弾む下半身から身体を前に躍らせていく巨人キラー・平松政次の美しい投球フォームが今でも目に焼き付いている僕としては、この言葉自身にゾクッとし、心打たれた。「真のスポーツマンとは、こういう人だ。勝ち負け以上に、カラダを極める」。

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書評「サピエンス全史」(3)「戦争は善」の時代もあった   文科系

2020年11月19日 09時50分59秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

  思うところあって、旧稿を再掲させていただきます。今でも世界的ベストセラーになっていると言ってよい「サピエンス全史」の内容紹介連載の三回目です。著者はイスラエルの若き俊秀歴史学者、ユバル・ノア・ハラリ。今年になってもNHKなどが何回か登場させた方です。この内容紹介の第3回目は、歴史上の戦争というものの本質、変化に焦点をあわせたまとめです。

 
【 書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和  文科系
 
「部族社会時代の名残がある時代には、戦争は善(悪ではなかったという程度ではない)だった」という文章を紹介した。今は防衛戦争を除いては、良くて「必要悪」になっていると、コメントで書いた。だからこそ、こう言えるのであるとさえ(これは僕が)書いた。
 防衛戦争でもないのに国民が熱狂したイラク戦争などは、太平洋戦争同様国民が欺されたから起こったというものだと。

 さて、今書いたことがこの時代の真実であるかどうか? もし真実だとすれば人間の未来は、戦争が地上から無くなるか、政権とマスコミが国民を欺し続けられるか、このどちらかだということになるが・・・。


 さて、この歴史学者の本「サピエンス全史」には、こういう歴史的知識が溢れている。暴力,戦争についてのそれを、さらに続けて紹介してみたい。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かって世界が今よりはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう』

『世界のほとんどの地域で人々は、近隣の部族が真夜中に自分たちの村を包囲して、村人を一人残らず惨殺するのではないかとおびえることなく眠りに就いている』

『生徒が教師から鞭打たれることはないし、子供たちは、親が支払いに窮したとしても、奴隷として売られる心配をする必要はない。また女性たちも、夫が妻を殴ったり、家からでないよう強要したりすることは、法律によって禁じられているのを承知している。こうした安心感が、世界各地でますます現実のものとなっている。
 暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している。現在の殺人の世界平均は、人口10万人当たり年間わずか9人で、こうした殺人の多くは、ソマリアやコロンビアのような弱小国で起こっている。中央集権化されたヨーロッパ諸国では、年間の殺人発生率は人口10万人当たり1人だ。』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない。最も明白な例はおそらく、ヨーロッパの諸帝国の崩壊だろう。歴史を振り返れば、帝国はつねに反乱を厳しく弾圧してきた。やがて末期を迎えると、落日の帝国は、全力で生き残りを図り、血みどろの戦いに陥る。・・・だが1945年以降、帝国の大半は平和的な早期撤退を選択してきた。そうした国々の崩壊過程は、比較的すみやかで、平穏で、秩序立ったものになった』
 こうしてあげられている例が、二つある。一つは大英帝国で、1945年に世界の四分の一を支配していたが、これらをほとんど平和裏に明け渡したと述べられる。もう一つの例がソ連と東欧圏諸国で、こんな表現になっている。
『これほど強大な帝国が、これほど短期間に、かつ平穏に姿を消した例は、これまで一つもない。・・・・ゴルバチョフがセルビア指導部、あるいはアルジェリアでのフランスのような行動を取っていたらどうなっていたかと考えると、背筋が寒くなる』
 この共産圏諸国の崩壊においても、もちろん例外はちゃんと見つめられている。セルビアとルーマニア政権が武力による「反乱」鎮圧を図ったと。

 こうして、どこの国でも右の方々が陥りやすい「社会ダーウィニズム」思想(無意識のそれも含めて)は、こういうものであると断定できるはずだ。世界史を知らず、今の世界でも自国(周辺)しか観ることができないという、そういう条件の下でしか生まれないものと。社会ダーウィニズムとは、こういう考え方、感じ方、思想を指している。
「動物は争うもの。人間も動物だから、争うもの。その人間の国家も同じことで、だから結局、戦争は無くならない。動物も人間も人間国家も、そういう争いに勝つべく己を進化させたもののみが生き残っていく」
 この思想が誤りであるとは、学問の常識になっている。
 今の世界各国に溢れているいわゆる「ポピュリズム」には、この社会ダーウィニズム思想、感覚を持った人々がとても多いように思われる。今のこの「ポピュリズム」隆盛は、新自由主義グローバリゼーションの産物なのだと思う。】
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書評 「米中金融戦争」(3)  文科系

2020年11月12日 09時28分49秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 「米中金融戦争」の現在  

 

  2019年8月、アメリカは中国を「為替操作国」と指定した。1ドル7元というドル高元安を突破した翌週のことだったから、この時に米中貿易戦争が為替ルートにも及び、米中金融戦争に発展したと、著者は言う。そして、こんなことを付け加える。
『貿易はゼロサムゲームであり、不公平は許されないのですが、米国は自国通貨が基軸通貨であるため、各国からの投資を集め、結果として通貨価値が上昇し、自国通貨高となりやすい傾向があります。
 そのため、基軸通貨性の代償として、貿易では他国に負ける宿命にあると言えます。基軸通貨として通貨覇権を握ることで、世界中から大きな投資フローを呼び込みながら、一方で貿易面で中国や日本にも勝つ、という究極の「おいしいとこ獲り」は本来ありえないことなのですが、中国を「為替操作国」に認定したトランプ大統領は当然、その点には言及していません』(P175~6)

 ところが、この「為替操作国指定」をば、翌2020年1月に米国は解除している。このことに関わる事情を、著者はこう説明する。IMFを巻き込んで中国への厳しい各国世論を形成しようとしたのだが、上手く行かなかったのだと。
『これまで米国寄りの立場を鮮明にしてきたIMFが、米中為替対立において、米国になびかなかったのは衝撃でした。これに米国も、相当な危機感を覚えたはずです。・・・
 そして、ここに来てようやく、米国は対中政策を改めるしかないと結論づけました』(P182~3)
『これは一見すると不思議に思えるのですが、当然の帰結だと思っています。
 なぜかというと、米国は基軸通貨ゆえに常時ドル高に苦しんでいるため、できればドル安に誘導したい。中国は人民元安が資本流出を引き起こすことを恐れているし、人民元の国際化のためには人民元高でも良い。実のところ、米国も中国も、ドル安人民元高で、まったく問題ないのです。・・・
 このような力学が現在のドル人民元相場にかかっていることは、人民元を取引される方や、中国と取引のある企業は必ず押さえておいたほうがいいでしょう。
 まだまだ、人民元安が進むと考えていると痛い目を見る可能性が高いのです』(P184~5)

 

 こうして、近い見通しの原理を語ることになるのだが、こんなことが続いてくる。
・バイデンになっても対中強硬路線は変わらない。つまり、ドル安人民元高は続いても、元の国際化はあくまでも妨害する。
・ただし、トランプなら大きいドル安、バイデンなら小さいドル安。
・アメリカが香港へのドル供給をやめ、香港ドルの対米ドル安定策が崩れることを世界が恐れているが、米にとってこれは最終策である。各国のドル離れが進むからだ。
・中国は、第2の香港を模索しているが、これは時間がかかることである。
・とそうこうしているうちに、この7、8月で、香港ハンセン指数は下がり、上海総合指数は上がり、S&P500指数は微増。

 

 なお、こういう米中金融戦争時代における日本について、こんな記述をご紹介しておきたい。この点でも、日本という国はマルクス・ガブリエルが言うように「ソフトな全体主義国」なのである。

『日本ではおおむね自国の見方しか報じないので、反対サイドの認識や意見がまったく報道されない分、国内の情報はコントロールされているということを日頃から認識することが重要です。・・・・勝てるディーラーというのは、日銀やFRBなどの要人の発言や一挙手一投足をつぶさに確認し、そこから自分なりのシナリオを描いて投資を行うものです』(P178)

(終わり)

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書評 「米中金融戦争」(2)   文科系

2020年11月10日 14時45分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 戸田裕大著で、この10月1日に扶桑社から出たこの本、副題がこう付いている。『香港情勢と通貨覇権争いの行方』。この著者は三井住友銀行で為替業務のボ-ドディーラーを務めた後、在中国グローバル企業450社などの為替リスク管理に関わるコンサルティング会社を開いたお方である。

 米中金融戦争の焦点である元の国際化の意味を、この本の著者は、企業の儲け方の三方法に例えて、こんな説明をする。
『中国を一企業と考えるとわかりやすいのですが、「製造2025」は売り上げを、「一帯一路」は配当や利息の受取を増やすための戦略です。・・・・
 要するに、人民元の国際化に成功するということは、会社という比喩で語るなら、大型の資金調達に成功するのと同じことを意味しているのです。
 つまり、人民元の国際化がうまく行くと、当然「製造2025」や「一帯一路」などの事業計画に対して、よりたくさんの資金を投下することができるようになります。そうすれば、よりいっそう、政策の成功確率も高まりますし、中国経済の成長の速度を早めることもできるでしょう。
 現在の世界経済において、世界中から資金を集めるという特権は米国にのみ与えられており、ゆえに米国はその確固たる地位を維持しようとしているわけです』(P75~7)

 そういう元の国際化目論見に対して、ついに米中金融戦争が起こされた時というのを、この著者は2015年に見ている。前年までずっと続いた中国国内株急上昇、元高ドル安を受けたこの2015年、中国株の暴落という形で金融危機が起こったのである。また、この2015年から、中国からの資本流出が始まることになった。これ以降の動きを日米などでは従来、中国当局による意図的な人民元安誘導と述べてきたようだが、著者の立場は米中対立の中での投資が細ったというものだ。ちなみに、中国当局は急激な元安を避けるために、以降2017年までの2年間で1兆ドルほどのドル売り元買い介入を行っている。

 ちなみに、僕から見ればこの攻防は、こう見えぬ事もない。元に対する通貨などの空売り攻撃と、これに対する中国の元防衛と。なんせ100兆円を超えるドル売り元買いが中国当局によって行われているのだ。この見方が正しければ、空売りに失敗したアメリカは以降猛反発していくわなーなどと思ったりしていた。

(続く) 

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