海側生活

「今さら」ではなく「今から」

捉えどころがない心

2017年06月05日 | 鎌倉散策

(茶筅供養/建長寺)

青空のもと、境内の一角で赤い火柱が高く上がった。

建長寺での茶筅供養のひとコマだ。一度は魂を込めたものを処分する方法として、鎮魂の意味で行われるのがお焚き上げだと言う。
火の力で浄化し、またその力を弱める目的でもお焚き上げは行われ、神社で頂くお札やお守りも買い替えの時は返納し、お焚き上げをしてもらうのでお馴染みだ。

建長寺は建長5年(1253年)鎌倉幕府の執権・北条時頼によって禅宗のみの寺院として創建されたわが国最初の禅寺だ。臨済宗は中国で禅を学んだ栄西によって日本にもたらされたものだ。禅は、戦が絶えなかった当時、いざとなれば常に命を投げ出す覚悟を持つ、質実剛健な鎌倉武士たちの心を捉えた。

栄西は臨済宗だけではなく『喫茶養生訓』でお茶の効用も日本に持ち込んでいた。1214年、時の将軍・源実朝が宿酔(二日酔い)で苦しんでいるとき一服の茶とともに本書を献じたと『吾妻鏡』は伝える。

自分は悟りの心境にはほど遠いが、“禅の求めるところは日常にあって、一人一人が与えられた役割を見詰めて暮らすことが大切”と言うことらしい。しかし心とは実に捉えどころがなく、容易には掴めないと説いている。
現代でも我々の日常には禅に由来する言葉や習慣が数多く残っている。例えば「挨拶」、修行中の弟子と師との問答「一挨一拶」(いちあいいっさつ)にならい、互いに言葉を掛け合うことを「挨拶」と呼ぶようになった。また禅の奥義は経典だけに頼らず、心を持って弟子に伝えられる「以心伝心」など。その他、茶の作法や床の間を花や水墨画で飾る習慣、明朝体の活字も禅宗と共に日本に広まった。

改めて心が表す感情にはどんな漢字があるのかWEBを覗いてみた。
漢字の部首が「心」で感情を表す漢字には
・忌 (いむ) ・忍 (しのぶ) ・怒 (いかる) ・恐 (おそれる) ・恥 (はじらう) ・恋 (こい) ・悲 (かなしい) ・愁 (うれえる) ・慕 (したう) ・憂 (うれえる)
また、心を表す「りっしんべん」の漢字では
・怪 (あやしむ) ・怖 (こわい) ・悔 (くやむ) ・恨 (うらむ) ・惜 (おしむ) ・悼 (いたむ) ・愉 (たのしむ) ・憎 (にくむ) ・憤 (いきどおる) ・懐 (なつかしむ) 等々があった。

僧から茶筅を手に受取り、次から次へとお焚き上げをする人々には、この瞬間どんな思いが去来しているのだろうかと考えた。
きっと自分だけの物語が宿っているに違いない、誰にも話はしないけど。