海側生活

「今さら」ではなく「今から」

月見草

2016年08月08日 | 思い出した

(光明寺/鎌倉)
月見草を一度も目にしたことがない。

月見草と言えば「富士には月見草が良く似合う」といった、太宰治の言葉を思い出す。
読み返すと、太宰は『富岳百景』の中で、「あんな俗な山、見たくもない」と富士山に反発し、そして「三七七八米の富士の山と立派に相対峙し、みじんも揺るがず、何というのか金剛力草とでも言いたいぐらい、けなげにすっと立っていたあの月見草はよかった」と書き、その後例の句を続けている。因習や伝統に反発した太宰らしい言葉だ。

月見草は白い花が夕方開いて翌朝には萎むと言う。だから月見草と言う名がある。
この儚い花を一度は目にしたくなった。
鎌倉の寺社には花の寺として名を馳せている寺が3寺ある。昨年から幾度となくそれらに足を運んでみたがどこの境内でも目にすることが出来なかった。誰に尋ねても花の名は皆が知っている。しかし、それがどこで咲くかは誰も知らない。

目に出来ない訳がやっと分かった。この花はメキシコ原産で江戸後期に日本に入ってきたが、弱い花で野生化しなかったらしい。だから現在見掛ることは無いと言う。現在一般的に月見草と呼ばれている花は待宵草だと言う。

待宵草と言えば竹下夢二の「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」を思い浮かべるが、植物学的名は待宵草。夢二は名前を間違ったのか、それともこの言葉を創作したのか。花は黄色だが夕刻に開き,翌朝しぼんで紅色になる。色の違いを無視すれば、確かに月見草に似ている。

翌朝には萎んでしまうこの花の儚さゆえか、『宵待草』や『月見草の歌』も、その後も多くの人に歌い継がれ、また多くの歌人等に詠まれ、人の心の奥深くにヒッソリと潜んでいる。

トンボが飛び交っている。
あどけない少年期に、何かの拍子に刷り込まれ、気持ちがザワザワするような記憶が、胸の奥深い引き出しから、フッと思いがけず顔を覗かせた。