久し振りに小正月の行事に参加したくて出掛けた。
この正月に飾った小さな門松や注連飾りや三方などを持ち、鎌倉八幡宮の祭場に持ち込むと、神職が丁寧に受け取り、「どんと」まで運んでいる。
祭場の源氏池の畔にはすでに、棒状に編まれた米藁が何段にも重ねられ、高さ5mぐらいの円錐形に型取られた「どんと」が二基用意してある。
薄曇の空模様の中、七時から始まった神事の間、冷気が足元から身体中に這い登って来るようだ。300人ぐらいの参拝客も方々で静かに足踏みをしている。
この左義長神事(さぎちょうしんじ)は、自分の田舎では「どんと焼き」と呼んでいたような記憶がある。親は習慣や伝統行事を重んじる人だった。
親の言い聞かせはウロ覚えだが『正月に家々を訪れた歳神様が、1月15日の未明にはお帰りになるので、その神々を送る火祭りだ。そして年の始めに当たり、穢れを祓い清め、暖かい春の到来と今年の豊かな収穫を祈る祭りだ。また、この火で餅を焼いて食べると病気に罹ることも無い』とも。
風邪を引きがちだった自分には『餅を焼いて食べる』と言う言葉が強く記憶に残っている。
火が点けられると、瞬く間に燃え盛り、時折バチバチと大きな音を立てながら一気に頂点まで炎が駆け上った。周囲に藁の燃えカスが舞い上がり、人々の頭に、肩に降り注いで来る。炎の熱が冷え切った身体に暖かさを伝えてくれる。有り難い。
この時、思わず今年も新年を迎えられた事に素直に感謝し、燃え上がる炎に向かって手を合わせた。
「どんと焼き」は様々な呼ばれ方をして全国にあると思うが、東北沿岸部では行事として今年は出来たのだろうか、気掛かりだ。
様々な伝統行事が消えつつある今、地方毎に独特の特色があり、先祖の心を語り継ぐ素朴なものの一つとして残していきたいと願う。
この時、焼いた餅は食べられなかったが、帰る途中、湯気が出ている饅頭を頬張った。