海側生活

「今さら」ではなく「今から」

大きなお世話

2011年04月18日 | ちょっと一言

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思わず目を見張った。
満開の桜を見た後だったから余計に感じたのか、自分の背の高さの二倍はありそうなその木は、思いっきり横にも広く羽を伸ばしかのように木全体が淡紅色の花の塊だった。近寄って観ると垂れ下がった枝という枝にピンクの小花をびっしりと付けている。

鎌倉・長谷の光則寺の海棠(カイドウ)は樹齢200年、根元の周囲は1mという大樹で鎌倉市天然記念物に指定されていると言う。
本の名前は忘れたが、唐の玄宗皇帝が楊貴妃のほろ酔い眠たげな姿をこの花に喩える場面があったのを思い出す。確かに咲き初めの海棠はうつむき気味で、いかにも柔弱な美女の趣を感じる。

あまりの可憐さに、木の周囲に大きく施された柵を回り眺めていたらこの海棠は奇妙な形をしていた。根元から、まるで裂かれたように大きく二つに分かれている。そして別れた幹をくっ付けるかのように、その間にはまだ乾ききっていないコンクリートのような色をした詰め物が樹木医によって施されている。少し離れて改めてこの老樹を眺めてみると、鎌倉随一との評判だけあって樹木の大きさと言い、咲きっぷりの見事さは観る者を唸らせてくれる。しかし四方に伸びた太枝は支柱で支えられ、さらに別の支柱の上には、竹で編んだ大きな傘みたいなものがあり細かな枝々を支えている。

この海棠が芽生えたのは約200年前。幼樹は様々な好条件に恵まれ成長し、若木となり、大木となった。その間、山の獣達に芽や樹皮を食われて枯れる事も無く、台風や強風に倒されることも無く、長い年月を生きてきた。
老樹になると幹や枝に空洞が出来、そこの雨水が溜まり木質を腐らせもする。虫達が住み付き内部を食い荒らしもする。弱った枝は強風にもぎ取られもするだろう。しかしそれが老年の姿だ。天然記念物に指定されなかったらこの海棠は、老年を暫くは生き、やがて崩れていくはずだった。枯死した老樹には近くの小鳥達が巣を掛け、そして倒れた老樹に苔が付き、そこに落ちた種子が芽を出し育って行く事だろう。老樹は次第に土に還って行く。それで良いような気がする。
延命治療を受け、奇妙な形をした老樹はこれでも木なのだろうか。

海棠はもう十分生きたのではないか。延命を望んだのは海棠ではなく人間だ。

老樹に成り代わって“大きなお世話だ”と呟いてみた。


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1 コメント

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        海棠の憐れ老木今年花 (宮本靖夫)
2011-04-19 17:12:06
        海棠の憐れ老木今年花
似たようなことが人間社会にもあります。植物人間になっても無理矢理に生かされたり、本人は早く引退したいのに、なんだかんだと言って引き止める組織。逆に老害に気がつかず、何時までも居座るどこかの新聞社の人。
出所進退をわきまえた生き方をしたいものです。
<赤坂50>の引き際は見事でした。明日は月に一度の例会です。
顔をだしてみます。
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