海側生活

「今さら」ではなく「今から」

平坦な道

2011年07月04日 | 東海道五十三次を歩く

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東海道は全体として平坦地が多く、他の街道と比較しても歩き易いと人は言うらしい。

四日市宿を出て二時間ぐらい歩くと日永の追分に差し掛かる。国道1号線の道路標識には日本橋から400kmと表示している。京都・三条大橋まではあと100kmだと再認識する。やがて内部川を渡り、小さな集落を歩き過ぎると、旧東海道らしい道幅が狭くて、人家も殆ど無く、 人も車も殆ど通らない道に来た。思わず道を間違えたのでは思ったが歩き進むと道幅は進むにつれより狭くなり、急な上り坂になってきた。

途中息を切らし、腰を下ろして、リュックの水を飲み、ふと前を見ると一段高い位置に石碑がある。

『古事記』に依れば日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東征の帰途、伊吹山の神との戦いで病に倒れ、弱った体で大和帰還を目指し、剣を杖代わりにして、この急坂を登り、
吾足如三重勾而甚疲』 (わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)
「 私の足が三重に折れ曲がってしまったように、ひどく疲れた」と言ったとされる。
これが「杖衝坂」(つえつきざか)と「三重県」の名前の由来といわれる、と碑の横に説明板があった。

後で知ったが東海道の中では、箱根峠、鈴鹿峠に次ぐ難所の一つと当時から称されていたらしい。

また、近くに芭蕉の句碑もある。
貞享4年(1687年)京都から伊賀への帰途、この急坂で落馬し『徒歩ならば 杖衝坂を 落馬かな』と詠んだと言う。
自分は俳句の事は解らないが、俳句には全て季語があると思っていた。俳聖と呼ばれる芭蕉の句に季語が無いってどういう事だろう。Y,Mさんに教えて貰おう。

ここまで200km余り歩いて来て、日本武尊みたいに三重には折れ曲がってはいないが、自分の足も、ふくらはぎが腫上がっている。 
しかしあと一週間ぐらいで京都・三条大橋に着けるだろう。自分の気力との駆け引きだと、自分に問い、そしてリュックの水を再び二口三口と飲み下し、迷う事なく大きく一歩を踏み出した事を思い出す。

どんな旅でも平坦な道だけを選ぶわけにはいかない。