海側生活

「今さら」ではなく「今から」

ポスト平成は

2018年12月26日 | 感じるまま

    (佐助稲荷神社/鎌倉)
「初めてグリーン電話を使いました」と若者の声がテレビから流れてきた。
グリーン電話って?テレビに顔を向けて分かった。緑色の公衆電話の事だった。

今月初めに、ある通信会社のスマホなどの通信機器が五時間にわたって通信障害が起きた時のニュース番組。若年層の中にはスマホが使えない状況で初めて、公衆電話デビューする人もいたようだ。
調べてみると、街頭公衆電話数は1990年には72万台強、店頭公衆電話は10万台強あったらしい。使わないと忘れがちな公衆電話の存在だが、現在は公衆電話の設置総数は全国に約15.8万台あり、東京にも1.5万台が存在するという。特に災害時や僻地での活躍が多いらしい、

社会や環境変化によって新たに生まれるモノや逆に無くなるモノも多いが、これから近い将来に無くなるモノを考えた。
ガソリン車は燃料電池車や電気自動車に早いスピードで変わってゆくだろう。教科書や参考書も必要が無くなり、タブレット端末に替ってゆく。学習塾もITが浸透した世代はわざわざお金を払って情報を頭に入れるという価値観消滅もあり得る。また美容室なども、かつら技術の進歩により数千円で自由に髪型を変えられるようになるだろう。事務職や経理職はAI(人工知能)技術の進歩により、営業担当者が書類をスマホでスキャンすればほぼ99%の事務作業はコンピューターが処理する、残り1%が人の手が必要か。
人は多くの分野で人工知能に仕事を奪われないのかと真剣に考え始めている。

平成から次の時代に代わる。ポスト平成には何が待ち受けているのだろう。

また自分のポスト平成には、どんな出会いが、どんな出来事が待っているのだろう。
今が最高!と思えるために、新たなページをめくりたい。

(健やかで明るい新年をお迎えください)

 自己アピールを

2018年12月17日 | ちょっと一言

(浄智寺/鎌倉)
自慢話を延々と話す人がいる。話す時間が長いと聞いていて不快だ。一方的にされる自慢話は不愉快だ。

一方、シニア世代の人は、自慢をしてはいけないとか、自慢は恥だという思い込みが他の年代に比べて強いように感じる。

しかし自慢は大事な自己アピールだと思う。
人には自分は価値のある人間だと思うことも大事だ。ひとかどの人物だったという自慢もあれば、豪傑自慢、モテ自慢や失敗自慢もあるだろう。いずれにせよ他の人とは異なる自分のストリーを語ることは、集まりの中では大事だ。それをなくすと、自分や尊厳を失い、やる気もうせて失せてしまう。自分の価値を認識して生きていきたい。自慢しないで誰にも自分の価値を分かってもらえずに悶々と暮らすよりも、アピールする部分はして、スッキリと過ごす方が楽しい筈だ。
組織や現役から離れ、一人で生きて行く時、かっての活躍、かっての輝かしい行動などを知っている人は少なくなるけど、それを他人に分かってもらうには少々自慢をしてこそ楽しい日々が持てるのではないだろうか。

ただ、シニアになって自慢するとしても過去の出来事が殆どで「古い話を聞いても誰も有り難くは思わないだろう!」と話を引っ込めてしまう。しかし古い話でも良い。シニアが持っている経験談や情報は、たとえ過去の話でも、そこには本人は気がついていない長年の人生経験で培われた知恵が潜んでいるものだ。

友人にいつも自慢している人がいる。特に大勢の集まりの時にその能力は発揮される。そのため場は和み常に笑いが絶えない。彼の自慢話の後には必ず失敗談が付いてくる。


田舎暮らし

2018年12月09日 | 海側生活

(一条江観山荘/鎌倉)
人に会うのが好きだ、人間が何よりも好きだから。

友人M,Sからある人に会ってくれと連絡があった。この友人は、自分の数少ない財産ともいうべき貴重な存在の人だ。友人には君が亡くなったらその時は自分が弔辞を読むと言ってある。彼も又、機会がある毎に同じことを言う。

ある人とは、友人からの資料によれば、大学の同窓で自分も長く居た不動産業界で独立して活躍している20歳ぐらい年下で人柄が素晴らしいらしい。

ある人から早速メールが来た。
はじめまして。M、S様からご紹介いただきご連絡いたしました。工学部建築学科を卒業した者です。54歳です。会には昨年11月に入会しました。会の諸先輩方のお話を伺ううちに、また、先輩も関係が深かったとお聞きしている企業の出身ということもあり、先輩のお話をぜひ拝聴いたしたくご連絡させて頂いた次第です。
以下に会社と個人のホームページを掲載しておりますのでご連頂ければ幸いです。

会いたいと思った。しかし迷いが生じてしまった。そして返事を差し上げた・
貴方の「歴史」も読まさせて頂きました。そして、ふと思いました。これまでに貴方とは多くの接点があったのに、どうして顔を合わせることがなかったのだろうと。ご活躍の様子が手に取るように理解できました。羨ましい限りです。すぐにでもご一緒にプロジェクトに取り組みましょうと申し上げたい心境です。
しかし、私は思わぬ膵臓癌の発見と手術から10年経過しました。逗子に籠り、この間、ビジネスは一切行っていません。現在は鎌倉の神社仏閣での風景写真を撮るだけの、言わば世捨て人みたいな生活を送っています。今、貴方にお会いしても、私が何かのお役に立てるとは考えられません。
滅多に人を紹介することのないM,Sさんからのお話ですから迷いましたが、現在の私の実力は田舎町のご隠居さんクラスです。折角ですがお会いすることも控えさせていただきます。
どうか悪しからず申し訳ありません。健康に留意され、益々のご活躍を祈念しています。

                 (一条江観山荘/鎌倉)

すぐに返事が返ってきた。
ご丁寧で心のこもったご連絡ありがとうございます。ご病気の件、M,Sさんからお聞きしておりました。私自身は、独立起業して5年目です。やはり働き方や暮らし方、生き方含め考えることがあります。もともと、東京と地方との二地域での暮らしを考えての独立でありました。昨日、一昨日も岩手県雫石まで移住ツアーに行っておりました。また、如何に今までの自分の世界が狭いところであったと気が付き、先輩や後輩、他業界や東京在住以外の方との交流を始めたところです。先輩とのご面談は、デベロッパーの先輩として、また逗子での居住等、お話が共通しそうな点が多々ありましたので、M,Sにご紹介をお願いした次第でした。

もちろん友人に間を置かず、お会いしない旨報告をしたことは言うまでもない。

しかし、ビジネス関連ではなく、海側生活や田舎暮らしに関することだったら自分の体験を話すことができた。 
「自然が美しい」とは「生活環境が厳しい」と同義である。また田舎に身を移して新しい人生を始めようとする際に最も肝心なのは、そこで何をするかではなく、何をするためにそこに行くのかと明確な目的を当初から持っている事だと。

やはり会うべきだったかと自問自答している。


自分は自分!

2018年11月28日 | 感じるまま

(本覚寺/鎌倉)
「年寄りはこんなもの」という思い込みが人にはある。

実際には高齢者と言っても様々な趣味や価値観、それに現役時代の職業や出身地も違う。
それなのに「高齢者はこんなモノを好むだろう」と周囲が勝手に考えてしまう事も多い。例えば、先日、知人の母が入所している老人ホームに同行した時、昭和時代の「青い山脈」や「故郷」などの音楽が流れていた。知人が言うには母が好んで聴いていたのはSMAPの曲だったそうだ。しかしそんなジャンルの比較的新しい曲が聞こえてくることは全くないらしい。
自分は昭和の女性歌手の歌謡曲やクラシック音楽好きで、フォークソングもアイドルの歌なども全く聴いていなかったから、もし将来老人施設に入って、このような音楽ばかりを聴かされると思うと今から苦痛でならない。しかしもっと高齢化社会が進めば、状況に合わせて社会もそれらの施設も変わっていくだろうと期待したい。

他方、他人に「高齢者はこんなもの」と決めつられること以上に、自分自身でそう思ってしまうのは問題だ。
「自分は年寄りだから派手な格好をするわけにはいかない」とか「年寄りらしい行動をとらねばならない」などと考え、地味で年寄り臭い服装や行動をしてしまいがちだ。
もちろん、そのような行動を好んでしているのであれば何ら問題はない。ところが時たま聞く「私のような歳で、こんなことは見っともない」とか「良い歳なのだから、こんなことをしている場合ではない」と思うことは自分を逆に苦しめる事に繋がるのではないか。

自分についても固定的なイメージを払拭して、他の高齢者に対しても非難などせず、お互いに自由にありたいものだ。

係留されたまま 

2018年11月18日 | 魚釣り・魚

(小坪港/逗子)
ただ一艘の釣り船だけが港に係留されたままになっている。
他の船は夜明けとほぼ同時に出港した。

「改めておはようございます」
毎朝6時過ぎ頃になると船長のマイクを通した張りのある声が、寝起きに緑茶を飲んでいるベランダまでも聞こえてきた。船長は乗船している今日の釣り客に、港から数百メートル沖に出たあたりで、一日の行程と釣り方などを簡単に説明する。

9月下旬で時期は終わったけれど、カツオ狙いの日は説明がやや長くなっていた。カツオは30メートル船下の針先に掛かった瞬間から四方八方に走り回り、他の全員の釣り人の釣り糸を絡めてしまう。そのためヒットした人は大声で「ヒット」と船全体に聞こえるように叫び、他の釣り客は被害を最小限に保つため、釣り糸を急ぎ巻き上げる。一匹釣れるたびに3~4人は仕掛けが使えなくなり、釣るタイミングを外してしまう。カツオ釣りは船全体の共同作業でもある。船長は複雑に絡み合った釣り糸を元に戻す神業で素早い。またある時は、城ケ島の沖合での鯵釣りは錨を下ろしノンビリと釣り糸を垂れる。それでも水深は100mを遥かに超える。潮の流れが速い日はポイントを掴むのが難しい。ある時、持参した大型クーラーが満杯になり、早々に早上がりした日もあった。そんな日は船長は何も言わない、笑顔で船全体を見渡しているだけだ。家で料理しながら釣った数を数えたら100匹を超えていた。又ある日はその近くのポイントで30㎝は超すアマダイを5匹も釣り上げ感激をした日もあった。船長の「そのサイズは最近では珍しく大きいですよ」の一声が嬉しかった記憶が蘇る。
別の日には、港から比較的近い水深10~15mでのシロキス釣りでは錨を下ろし、船長も自分用の釣り竿を持ち出す。隣に座り釣り糸を垂れたまま、この遊漁船以外の別のビジネスの夢も語っていた。短く借り上げた頭髪に、真っ黒に日焼けした顔、船中ではトレードマークの白色の長靴をいつも履いていた。人懐っこい笑顔が周囲を常に和ませていた。

突然の訃報が耳に入ってきた。
別のビジネスで海外出張先のホテルでシャワー中に心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったと聞いた。

あれから三週間が経った。遺体の運送に手続きに時間がかかったそうだ。

船は港に係留されたままだ。ロープが時折揺れているのが見える。主がいない船も何だか寂しそうだ。

キレイごとだけでは苦痛

2018年11月04日 | 感じるまま

(銭洗弁財天/鎌倉)
高齢者は仙人のような境地で、すっかり何もかも枯れているに違いないと思っている人がいる。

自分もビジネスに夢中だった頃はそう思っていた。しかし自分が高齢者になり、さらに後期高齢者を近くで見るにつけ、これは完璧な誤解だと自信をもって断言できるようになった。

川端康成の「眠れる美女」という名作がある。67歳の老人が、眠った裸の美女と添い寝をする秘密クラブに入会し、何人もの女性とベッドを共にする。老人の若い女体への憧れや亡き母への想いなどが重なり、人間の心理の奥底が描かれているが、エロチックな文体に今でも多くの人が惹かれるに違いない。60歳を過ぎて発表された作品だが、性的な執着が艶めかしく表現されている。同じく「山の音」も、息子の嫁に対する性的執着が描かれている。
谷崎潤一郎の晩年の「鍵」や「瘋癲老人日記」などの老人の性的な欲望を赤裸々に描かれている小説もある。

これらの小説に描かれる老人たちの心理は特殊なものではないと、老人になった自分が強く感じる。欲望を表に出してトラブルにしてはいけないが、仙人のようでないからと言って、恥ずかしいこととは思わない。高齢になっても恋愛にドキドキし、心もトキメク瞬間がある。性的な衝動も覚える。思い切って行動を起こしたくなる気持ちも起こる。酒の力を借りて羽目を外したくもなる。大笑いや大泣きをしたくなる時もある。

綺麗ごとの中に高齢者を押し込めて邪な欲望がまるで存在しないかのようにしてしまうと、誰もが息苦しくなってしまう。
チョット不良で、チョットいやらしくて、チョットだらしない高齢者に見られても良いじゃないか。





「たかが」と「されど」

2018年10月24日 | 海側生活

   (秋明菊/海蔵寺)
人間には気分の浮き沈みがある。

もちろん自分にもある。時々尊大になっている自分に気付く時がある。人に褒められたり、何かをお世話して感謝されたりしたときなど、つい有頂天になってしまう時がある。そして他人に対し増長したり、万能感を味わったりする。そんな時、自分は間髪入れず自分に「たかが自分」と言い聞かせることにしている。
また本当に久し振りに出会った人から現役の頃の仕事ぶりを感心して誉めてくれる人もいる。しかし「たかがサラリーマンだった」と自分に言い聞かせる。実際にその通りだった。自分よりも優れた結果を出した仲間も数多くいた。たかが自分の仕事だ。その仲間に比べたら恥ずかしくて人前には出られない。

逆に自分はめげてしまう事もある。どうして自分は力がないのだ、なんでダメな人間なのだろう。そんな時は何をしても上手くいかず、才能ばかりでなく根性も無い。又失敗してしまい醜態をさらしてしまった。そう思うことが今でも度々ある。
そんな時、「」されど自分」と言い聞かせることにしている。
「次は出来るかもしれない。これまでも成功したことだってあるではないか。自分の事を認めてくれている人もいるではないか」そう言い聞かせる。

「たかが」と「されど」の往復運動の中で自分は生きている。そして、その二つを使い分けることで、バランスを取り、それほど尊大にならず、絶望に沈んでしまう事も無く生きているように感じる。

この「たかが」と「されど」のバランスは長年の経験の中で自分が身に付けた生き方の一つだ。どちらかに行き過ぎそうになったら、反対の方向で考える。もしこのバランスが取れなくなったら、今の海側生活も生きていけなくなりそうだ。

分かりにくい

2018年10月20日 | ちょっと一言

     (材木座から)
この会社は何を作っているのか、何を売っているのか、つまりどんな会社か分からない社名を持つ会社が増えた。

○○銀行、××製鉄、△△製薬、と言えば、それなりに一見して業種が分かる。しかし近年の流行かもしれないがアルファベット三文字だけや片仮名だけの会社名では、何の会社か推測すら難しい。「オレの会社の内容は改めて言わなくても世間が知っているはずだ」という驕りにも似た空気を感じさせる。
そんな会社は社内に緊張感もなく社会的な使命も持ち合わせていないのだろうと思う。

先週のある日、日本の株価は1000円を超す下げを演じた。
興味本位で東京証券所市場のその日の値下がり率上位の30社をリストアップしてみた。結果は予想を超え、26社までが社名に漢字が一文字も入っていない会社だった。また今年、新規上場を果たした会社を見てみると82社の内、社名に一部でも漢字が使われているのは15社だけだった。

流行を追う政治家も困る。国政であれ、地方であれ自分の名前を平仮名に書き換える人が増えている。
そんな政治家はおそらく信念がない人なのだろう。もちろん世間には読み方が分からない難しい漢字を使った本名があるものだ。選挙にはプラスにはならない。そういう場合の平仮名書きは当然だ。しかしそれ以外の理由で選挙のポスターに平仮名名前を見ると白けた気分になってしまう。
人は運命をそのまま受容すべきなのだ。名前どころか病気や才能のある無しまで受け入れ、それらを全て自分の属性として勇気をもって使うべきだ。そう言う基本的な姿勢を持たない人に政治をされたら困る。

公を目指すなら、自分を知ってもらうためのあらゆる努力をする姿勢は、社会や世間一般に対する礼儀正しさと謙虚さと緊張の表れではないか。

ウサギの声を

2018年10月13日 | 海側生活

(本覚寺/鎌倉)
寒露に入った。
野草にも冷たい露が宿り始める。長雨も終わり五穀の収穫も盛んになり、農家では繁忙を極めている事だろう。さらにツバメなどの夏鳥と雁などの冬鳥の交代の時期だ。

そして黄葉・紅葉はこれからが本番だ。経験がないほどの炎暑をしのぎ、数度の台風にも耐えた分、普段の年以上に色鮮やかに染め上げていくだろう。と今年こそ納得がいく写真撮影を楽しみにしていたが、どうも様子がおかしい。近くの歩道の植え込みの木々の葉は黒ずみ、ちじれ、半分以上がすでに落ちてしまった。銀杏も色付く前に大半の葉を落としてしまった。
ここは海から近いから、先の台風の強風に乗って運ばれた塩害だと納得した。気になり、海から離れた北鎌倉の寺社を確認のため巡ってみた。驚いたことに何処の寺社でもほとんどの楓が葉の先がチリチリにちじんでいる。楓ばかりではない。秋明菊やコスモスの葉も花も楓と同じように黒ずみ、まるで活けてから一か月も経たような哀れな姿を晒している。変わらぬ姿を凛と保っているのは松の葉ぐらいだ。

鎌倉の今秋の黄葉・紅葉は期待できない。
どこもが年老い疲れ切った道化師がすべての化粧を落とし、素顔に戻り、壁にもたれてへたり込んだような表情を見せていた。

ただ本覚寺の大きな栴檀は葉の全てを落とされ、むき出しになった緑色のままの実が高い青空にキラッキラッと光っていた。いつもの年だったら、この時期は葉に隠れて実はまだ見えないのに。この実は秋が深まる頃、黄色に色づき、鳥たちのご馳走になる。変わった光景が見られるのも塩害のなせる業か。

せめて十三夜の、月に住むというウサギの声に耳をすましてみるか。

静かな夜

2018年09月29日 | 季節は巡る

                 (彼岸花/宝戒寺)
小料理屋の戸口に“鍋物始めました”なんて張り紙がしてあると、真っ直ぐ家に向かうつもりが、つい暖簾をくぐり、ガラス戸を開け、カウンター席に座ることになる。
暑くも寒くもない。好きな魚や野菜を鍋から取り皿に取り、口に運ぶ。

今年もあと三か月。日が長かった時と、日が短くなった今も、一日は同じようにあっという間に過ぎてゆく。差し迫ったことは何もないのに、なぜだかあたふたと時間に追われている感覚が付いて回っている。

昼間のカメラ片手の散策を思い出す。
秋の寺の境内には、萩、藤袴、彼岸花、秋明菊やコスモスなどや、その傍らには名前すらまだ知らない小さな花々が様々な色して方々に咲き誇っている。春と違うのは赤、黒、茶色や青色の実が野イチゴみたいに彩を添えていることだ。
また小さな花々をしゃがみ込み見ると、なんだか切なさと可愛らしさが入り混ざり、小さな花でも満開の一瞬を永遠の美に変えている。それにしても今日の散策は、まるで絵本のページをめくるたびに楽しい世界に入って行くような幼い頃の感覚を持った。

鍋の具が空っぽになる頃、雑炊を作ってもらうよう頼んだ。
お腹が夕食にちょうどよくなった頃、昼間の歩き疲れを背中に感じた。

明日も又、長くなった自分の影を踏みながら進む方向には何があるのだろう。

静かな夜だ。