松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

「水」、この不思議な物質。

2014-09-22 16:16:29 | 日記・エッセイ・コラム

                        この世に水ほど不思議なものはない

 水、H2O、この世の中でこんなありふれて不思議なものはないんです。だいたいが水でいること自体おかしいんです。ほんとは気体の状態で空気と一緒に浮かんでなきゃならないんです。水と同じくらいの重さの分子、CO2やNH4やH2S、これらはみんな浮かんでます。しかも臭い。(これは関係ないです)100度までは、気体どころか液体になって存在します。従来これの説明として水素原子の結び付く角度が関係あると言われてきました。いわゆる水素ブリッジによる連結が機能していると。
 でも「最近の興味ある報告によると、ミラノ大学の理論物理学者プレパラータやデル・ジウディッケらは、流体力学に基づいた水の液体状態のモデル構築においては世界の最先端を行きつつ、水素ブリッジによる連結角度は15度にすぎない点を強調している。なのに同じこれらの分子が常温で狂ったような旋回運動を行っているというのである。したがって水素ブリッジによって隣接する分子同士が結合するのは不可能なのだ。水の問題は重要かつ深刻であり、決して無視できるような性格のものではない。」フランス国立科学研究庁 主任研究員ジャン=ピエール・プチ
 たとえば日本酒、でなくとも洋酒でも、振ってから飲むと旨いというのが一時流行りましたが、あれはきっと水分子同士の結合が離れて滑らかになって舌に良く感じられるということではないでしょうか。
 もひとつ洗濯に関して、節約上手な奥様で洗剤を一切使わないひとが「伊東家の食卓」に出てました。洗剤の替わりに入れるのはなんと真っ黒な炭、備長炭でした。ストッキングで二重に包んでポンとほうり込むだけです。これで汚れが真っ白になるというんです。試したわけではないですが、これも水本来の力でしょう。つまり活性炭の細かい隙間が匂いを吸着するように、通過した水分子が細かくなって汚れの間まで入り込めるということでしょう。多分。 
 
 同じプチ先生の引用です。「水は生命体のプロセスにおいて非常に積極的な役割を演じている。水の構造は複雑であり、情報を蓄積したり、遠距離に発信したりする機能が含まれているそうなのだ。生物学者の中には、パリ医科学研究所所長で免疫学が専門の、ジャック・バンヴェニスト教授のように、生命-分子同士の交流は接触によって行われるのではなく、水という媒体を通じて行われると考える人もいる。水は単なる受動的な希釈液として機能するのではなく、分子間の対話に積極的に参加していると言うのだ。彼は目下、フランス科学界の抗議の大合唱を尻目に、この方向での研究を積極果敢に進めている。その論理的帰結としては、水は宇宙空間からのものを含め、どこから発信された電磁波のメッセージでも、受信できるということになろう。」


 私は実にこの、1993年に書かれた本の内容をまさに体験している最中なのです。全身の細胞からの信号を、キャッチできるほかに、古くさい進化論に代わる、大胆不敵なDNA進化のプロセス。これを信奉しかかっているところなのです。
細胞質の水分が受け取ったメッセージは、重力波によって細胞核へ伝えられ、DNAへ届く。人類は未だ、その重力波の正体を見つけられずにいるところなのです。
 ガリレオXという番組で、疑似科学は科学じゃないとバカにしてましたが、私は安易に否定はしません。「ありがとう」と書いた紙を貼ったビンの水は、きれいな六角形の結晶を作るが、「ばかやろう」と書いたほうは、ぐしゃぐしゃの結晶になる。一時、話題になりました。これが疑似科学で、要するに検証するに値しないと、ある科学者が言ってました。人知の及ばないことを否定するのは簡単です。いずれ誰かが、私の疑問を解いてくれる日が来ることを期待します。

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滝ノ頭湧水~日本一砂山の里へ

2014-09-21 14:43:12 | まち歩き

秋田銀行スペシャルの渡部斧松に触発され、彼が水田開発のために引いた

水路の源泉となった、滝ノ頭湧水を見たくなった。笑われそうだが、初めて行った。

寒風山の溶岩流の最後が、滝ノ頭に当たるそうだ。さりげない場所で、

見逃すところだった。道路脇の水汲み場が無ければ、気が付かなかった

かも知れない。

これは、よそのカップルの彼女。オレは単独行動。

流れ下る湧水を右手に散策道を行くと、十二湖の青池を彷彿とさせる

こちらは、濃い緑色の池が現れる。これが「滝ノ頭」。なお進むと、大木の間に神社が

現れる。ここから一気に下る湧き水が飲める。

年間通して12度と、ものの本に書いてある。水の味は分からないが、スイッと入ってくる。

良く映像では見る、円形分水工。思ったより大きかった。人がいると良く分かる。

男鹿の水道、灌漑用水、そして若美の渡部集落まで分かれていく。

真ん中から水が盛り上がってくる。結構迫力がある。この高さは滝ノ頭と

ほとんど変わらない。だから、この上にある、もう一つの溜め池からの落差かと

思いきや、そうじゃないという。池の底からの豊富な量の湧き水が循環しているから、

あの透明な緑色が保たれる、ということらしい。

結構、足を使ったので、五里合浜を通って能代方面へ北上。次の目的地「日本一高い砂山」を探す。

オレの持っている地図に、そう書いてある。

あれかもな、と中腹が砂だらけの山を発見。近づくと、砂採り場となっている山だった。

男鹿半島の北側は、米代川が運んだ砂によって、くっついた砂州だから、

どこも盛り上がっているのは砂山だ。八竜に入ってしまった。「日本一砂山の里」の古ぼけた看板があった。

神社の後ろにある、この山が、多分「丸山」だと思う。地理院地図で確かめた。65mある。

鳥取砂丘に比べれば、砂だらけというわけにはいかないし、ラクダもいないが、

雑木林の下は、すべて砂からできているのだ。

思ったより気温が上がっているみたいで、暑い。

滝ノ頭で入れたボトルの水を飲む。

うー、帰る元気が出てきた。

 

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食欲の秋は、舌の使い方が大事。

2014-09-20 09:12:51 | 日記・エッセイ・コラム

秋になって、食べ物がおいしく感じられるようになったのは、なぜでしょう。

涼しくなった脳が、冷静に判断できるようになったのでしょうか。

いずれにしても、つい食べ過ぎてしまうのが、秋です。

私は細いので、いくら食べても太らないのですが、それでもどうしても

多く食べることは、塩分の過剰摂取につながるので、気を付けています。

そのココロは、舌を、まんべんなく使用することだと、思います。

調味料の掛かった部分を、ちょこちょこ食べていると、本当の味が分かりません。

思い切って、舌全体に転がして、頂きましょう。

仙台に下宿していた頃、友人の叔父さんの家にお邪魔したことがあります。

その方は、面白い人で、例えばパンにジャムを塗ったら、さかさまにして

ジャムの方が舌に当たるようにして食べるのです。昭和45年頃、このことに

気が付いていた人は、すごいなあと思います。

それで今日、カツにソースを掛けて、こぼれないよう、ひっくり返し、

ソースの方から、いただきました。ご飯が進みました。

いまだに、食レポで、握り寿司を食べる場面を見かけますが、

ネタから行った人を、見たことがありません。彼らは、醤油味のご飯が

食べたいのでしょうか。ま、これは人それぞれですので、非難しているわけでは

ございません。

さて、その叔父さん、ほかにもすごいことを、教えてくれました。

トイレに入って、紙が、5cm四方しかなかったら、どうするか。

あなたの家は、ウォシュレットだから心配ない。あ、そう。

私は幸い、痔も持ってないし、どうしても自分の指で確認したい派です。

40年以上前の話ですからね。その紙の中央を破って、指を入れる。

そのあとは、生々し過ぎて、やめておきます。

が、最後に、その指を拭くことは、確かです。

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槇原敬之を弁護する。

2014-09-19 03:40:58 | 日記・エッセイ・コラム

gooブログに引っ越して2週間。読者の数は変わらず30人前後のようです。

私があえて、カウント数を入れている理由は、この貴重な数字を覚えて欲しいからです。

分母が200万のうちの5~6万だったら、自分ではまあまあの数字だと思ってます。

それより地球上で、いえ、宇宙からのぞき見しているかも知れない人も含めて、

その中の30人と言えば、エリート中のエリートです。こんな訳の分からないブログに

付き合って下さる方は、自信を持って結構です。私も無駄に数字を増やそうとも

思っておりません。

さて、今を去ること15年前のことで、ごぜえますだ。世の中は、総力を挙げてマキハラを

葬り去ろうと、したのでございます。文中「アコーディオン」とあるのは、「バンドネオン」の

ことでございます。

              槙 原 敬 之 を 弁 護 す る

 槙原敬之の「Hungry・Spider」は名曲です。哀愁を帯びた、いつかどこかで聞いたような懐かしいメロディの、アコーディオンをバックに歌う名曲です。ベスト10に入ってきた頃、とても気に入っていて、息子が買わなくても自分でレンタルに行こうと思っていました。そこへ突然のあの事件です。その日レコード屋へ(CD屋というのかな)行ったらまだ回収されずにありました。次に行った時、もうありませんでした。でもレンタル版はありました。
 詩は暗いと言えば暗い、陰鬱な毒のある歌詞です。そこがいかにも、覚せい剤にむしばまれた様で人はこの曲を抹殺しようとするのでしょう。でも状況はどうでも出来た物は名曲であることに変わりありません。ベン・ジョンソンの記録が間違いなく人類が自分の足で走った最速の記録であったように。
 槙原は自分で作詞もし、曲も作るアーティストです。芸術家が必ずしも一般人の規範にならなければならないとは私は思いません。むしろ、芸術家は「ぶっとんでいる」のが普通です。ということはわれわれが期待しているのは、芸術家の日常生活における常識ではなく、普通でないこと、なにかをしでかす能力であると言ってもいいのではないでしょうか。
 私は芸術家なら覚せい剤をやってもいいと言っているのではありません。後戻りの効かないもの、法律で禁止されているものはやはりいけません。私の青春時代を支えたバンドにピンク・フロイドと言うのがあります。彼らの曲はすべて名曲ですが、どの曲も普通の正常な精神状態で作られたようにはどうしても思えません。「原子心母」の弦楽器の奏でる主題、音符に出来るのかなあと思うくらい滑らかな音階。「ECHOS」の、精神病患者のリハビリにでも出て来そうな、瞑想状態を誘発しそうな長いイントロ。「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」だってそうです。事実、初期のメンバーは薬(ヤク)にラリってあちらの世界へ旅だってしまいました。
 彼らは薬の力を借りて、自分の無意識の世界と通信していたのかも知れません。もっと力のある人間なら薬の力を借りずとも、覚醒しながら自分の無意識と会話できるのかも知れません。喜びを得るのに薬を使うことは最も簡単なことです。薬がなくとも、相手がいれば同じ喜びを得る事が出来るかも知れません。相手がなくとも一人でも喜びを得る事はできるはずです。
 私は日本にいながらにして、マリファナならいいだろうとか、覚せい剤ならだめだとか主張することは出来ません。ただ出来たものはすばらしい名曲だし、作った人間やその過程を葬り去ることは出来ても、曲そのものを葬り去ることは出来ない。できたものによって、われわれは感動を受けているのだし、感動する権利を妨害することは誰にもできない、そのことを言いたかったのです。

この時、ひとりの、中学生の受験生を持つ母親から、反応がありました。

私の娘もこの曲と槇原が好きで、世の中の動きに違和感を感じておりました。

あなたの文章で、娘も勇気づけられました。みたいな内容でした。

その時、私は、「ペンは、剣よりも強し」という言葉を思い出しました。

まさにペンの力を感じた瞬間でもありました。

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エイズの起源

2014-09-18 07:02:27 | 日記・エッセイ・コラム

                          エイズの起源

 人間の作り方に関して、突然変異を持ち出すのは、散弾銃でミロのヴィーナスを彫刻するようなものだと誰かがいいました。高度にバランスの取れた調和を成している生命ネットワークの一部の遺伝子を操作することは、井戸の中のカエルが海の広さを知らない事と同じような気がします。
 今の人類が完璧に作られたとは私も思っていませんが-むしろ性悪説に立っているわけですが-クリスチャンなら当然、神への冒涜だと言うでしょう。聖書ではイヴが最初に作られたとありますが、最近の主流はこのイヴ仮説なようです。しかもそのイヴはアフリカ大陸でうまれたそうです。いろんな地域の人間の(母親だけを通して遺伝する)DNAをさかのぼっていくと、たったひとりの人間に行き着くそうです。それがアフリカの(アメリカじゃないすよ)イヴです。これを言い出したのはそしてアメリカの人間なんですよね。私はこの説を検討する前に、生理的に受け付けないものがあります。
 最先端技術を実際に応用したくなる気持ちは凡人にもよくわかります。その良い例がノーベルのダイナマイトであり、ヒロシマの原爆であり、ロバート・ギャロ博士のエイズウイルスだと思うのです。イヴ仮説はエイズの起源に関する論争のための煙幕のように思えてならないのです。つまり、手付かずの自然なものはなんでもアフリカ大陸に眠っている、とでもいいたげな。もちろん、エボラウイルスに関してもね。
 エイズがアフリカミドリザルから感染したというのはウソですよ。さるがいい迷惑してます。そんなモンキ言うなって。さると人間ではウイルスの型が全然違います。感染のしようがないのです。さるのウイルス、STLV(サルTリンパ球指向性ウイルス)が人間のエイズウイルス、HIVに変化することはあり得ません。このことを辿っていくと不思議なことがいろいろ出て来ます。エイズは最初アメリカの、それもニューヨークから広がったのです。「エイズの最初の臨床例はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のM・S・ゴットリーブによって1981年の春に見いだされた。ゴットリーブは、それまでは極めて稀な病気であった間質性肺炎(カリニ肺炎)の患者に短期間のうちに四人も出会ったことに驚き、このことを米国防疫センター(CDC)に報告した。CDCにはすぐに同様の患者の情報が送られてきた。これらの患者の発生源はすべてニューヨークまで跡を辿ることができた。ニューヨークでは1979年の春にエイズが初めて出現しており、患者のほとんどは、男性同性愛者と薬物常用者であった。」
 「エイズはその後、ニューヨークから他の都市へと急速な拡大をみる。1980年には米国の同性愛者たちの首都であるサンフランシスコに、18ヵ月後にはシカゴに出現した。米国外では、いくぶん後になって出現した。西欧の最初の患者は1981年と82年に報告された。南アフリカ共和国と南米のトリニダードトバゴには1983年に出現した。日本ではまだ臨床的なエイズに至っていないリンパ節腫脹の最初の患者が1984年に報告された。さらに、赤道アフリカでの最初のエイズ患者が1982年12月に報告された。これらの感染例の多くは、米国まで感染経路を辿ることが可能であった。」
 アフリカから広がったとすれば今頃アフリカは全滅してます。逆に米国の患者数はアフリカの25倍(1988年で)多いのです。2~3年遅れてアフリカに出現したことは、米国からヨーロッパ経由でアフリカに渡ったことを意味しており、それぞれの患者数もそれを裏付けています。決してその逆ではあり得ません。
 みなさん、アフリカというと医療も未開発国だと思うでしょう。例えばフランスとベルギーの植民地だった国にはパスツール研究所の支所があり、有能な職員がB型肝炎や黄熱病などの流行調査のために数十年前から血清試料を集めており、今ではエイズ研究にも使われているのです。エイズは、経過が非常に異常で、最後が悲惨であり、このような病気が彼らの注意から逃れ得ることは決してなかったでしょう。
 次にエイズウイルス本体を遺伝子レベルで分析してみます。エイズウイルス(HIV)は(ひつじに脳脊髄炎や肺炎を起こす)ビスナウイルスの端っこにヒトT細胞白血病ウイルスの一部を人工的に付加したように見えます。そしてこの、ちぐはぐさが、頻繁に姿をかえる原因を暗示しています。つまり、HIVは2年に10%配列が変化を起こします。そして「1986年に比較を行ってHIVとビスナウイルスのゲノムに40%の違いを見いだしているので、1984年では30%だけ、1982年には20%だけ、1980年には10%だけの違いでなければならない。ゲノムがほとんど同一であった時期、すなわちHIVとビスナウイルスがそれぞれ独立の進化を始めた時期は、1978年の初め頃であったに違いない。この時期がHIVの“誕生日”である。」
 米国は公然と人体実験を行う国のようで、「このような取引は秘密でもなんでもない。米国では1969年までに423人の被験者がこのような人体実験によって病気になり、そのうちの4人が死亡したことが、公式に発表されている。」エイズが米軍の微生物兵器だったとして、なぜそれが外に漏れたかということがここから推測できます。
 例えば、長期懲役刑の受刑者が、もしも人体実験を生き延びたならば釈放されるという約束のもとに志願したら。「一定数の被験者が人造ウイルスを接種された。そして被験者は当然のことながらエイズの急性感染症状を示した。これは症状が軽く、2週間後には自然に消えてしまう。そして再び完全な健康状態に戻ったように見えた。1年以上も潜伏期があるとは誰も思わなかったので、この人造ウイルスは軍事目的で利用するには十分な毒性を示さないと結論された。そして患者の観察は打ち切られた。被験者たちは約束通り、釈放された」
 「この仮説は、これまで説明できなかった他の事実さえ説明できる。エイズは最初、約19対1の比率で男性に偏って、そして、ほとんどが同性愛の男性に見られた。」
 志願したのが男性だとしたら、そして囚人だとしたら、なぜ、ある日突然出現し、最初はホモの病気といわれたのか、その後の経路も含めて説明できるのです。アメリカってそんな国なんですよ。少なくとも私はそのくらいやりかねない国だと思っています。しかもエイズは圧倒的に有色人種に多く、有色人種はエイズに感染しやすい遺伝子を持っており、白人は感染しにくい遺伝子を持っているというのです。もしかすると(人口増加との兼ね合いから)故意に隔離しなかったのではないかということさえ想像できます。
 引用した本の筆者は1911年のドイツ生まれで、ヒトラー政権成立後フランスへ渡りレジスタンス運動に積極的に参加した人物で、そのヤコブ・ゼーガルが彼を批判的なあるドイツ人科学者に向けた手紙のなかで次のように記しています。
 「私はあなたの態度を完全に理解できます。私の仮説は、あなたには途方もないものに思えるでしょう。疑いなくあなたは、人間にはこのようなことをなす能力はなく、したがって、この仮説は誤っているに違いなく、そうでなければ、この世界の中心には人格高潔な人間がいるという自分の世界観が保てない、と考えているのでしょう。私はあなたよりも年齢が上で、これまでに目にしてきたことの結果として、人間の高潔さについての観念は傷ついています。私の一生のうちには、アウシュビッツがあり、軍事的には意味のないドレスデン爆撃があり、また同じように、仮想敵国に対する軍事的な優位さを示す目的だけのヒロシマとナガサキの破壊がありました。私は、一部の人間はモンスターであり、このような人間たちが驚くべき規則性をもって指導的立場まで登っていく、という考えを次第に抱くようにならざるを得ませんでした。ある人間たちが、われわれの科学の最も輝かしい成果を用いて、大量殺戮の新たな生物学的手法を開発していると考えることは、あなたと同じ程度に、あるいはより以上に私を不安に陥れます。なぜなら私は、大量殺戮が意味するものをより多く知っているからです・・・・」

以上の文章は昔、書いたものです。貼り付けできることが分かったので、ゲリラ的に

乗っけていきたいと、思います。


 
 

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