良くアスリートがインタビューで、景色がどうのと言うのを聞くようになった。言葉には、簡単に発してはいけない言葉がある。ヒマラヤの高峰に登った人は、そう言っていい。それは実際、見た景色だからだ。
だが比喩として自分の心境を語るには、おそろしく重い言葉だ。
ヘモグロビン値が5.5になった時、筋肉を動かすと心臓が止まりそうになった。ヒマラヤに登った事はないが、チョモランマの頂上に立ったくらい、酸素が欲しかった。
輸血は、のべつ続いた。次第に力がみなぎってくるのを感じた。それは夢に現れた。美女を二人。両手に抱えて。片腕にひとりづつ、おしりを乗せて、しかも階段を登っていた。
二日目。芝生で遊んでいる夢を見た。花が咲いていた。色とりどりの花が一面咲いていた。ほほう、綺麗なところだな。ポピーに似ているな。と考えていた。
急に心臓が悲鳴を上げた。深いところから、戻って来た。そういう感覚だった。そして看護師に言った。心臓が変なんです。それは心電図にちゃんと現れたらしい。
オレはその頃、デパスを愛用していた。入院と同時にそれは止められた。今はデパスが欲しい。そう訴えた。あれがあったら、心臓に言い聞かすことが出来る。先生は了解してくれた。
一つしかない心臓が、ヒクヒク言ってる状態を想像して下さいな。ダメだ。こいつらに任せておいたら、死んじまう。まだ死んじゃいられない。必死ですよ。
考えたらオレ、他人の血で、生きているんだった。これは、献血した人に、お礼を言っておかなくちゃ。どうもサンキュー。ベリー、マッチョ。