松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

初もうでの正しいやり方

2016-12-31 12:00:01 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から素晴らしい天気になったので、きょうお参りしようかと言ってみた。テレビで正しい参拝の仕方をやっていたので聞いていると、鈴を鳴らして2礼2拍手をしたあと、住所・氏名・生年月日を小声で言うのだそうだ。

 神様も番地と生年月日で、個人を特定していたのか。

 何万人も来たら、一人ひとりの声を聴き分けられるの? 大丈夫、神様は全部聞き分けられます。邪悪な願い事も含めてすべて。

 神様は出勤する時間がある。夜はいない。扉が閉まると、どっかへ行くらしい。それに得意分野があるから、それぞれ願い事によって専門の神社へ行くといい。神様って意外と人間らしいところがあるなあ。万能かと思っていた。

 じゃあ今まで住所・氏名・生年月日を言わなかった人の願いは、無視されていたのだろうか。そうは思いたくない。ある程度この人は、あそこらへんに住んでいる人だと分かっていたはず。神社に来なくても、自宅で祈っていても分かるはず。それなら行くのやーめた。でもなんか淋しい、この気持ちはなに?

 願い事は最後につつましくお願いする。まず感謝の気持ち。その次に自分以外の人たちの平安を願う。ついでに自分のことをお願いする。これで明日は完璧だ。

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