棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

逆光の絵

2016-09-10 10:55:32 | 山郷の暮し
久しぶりに拝観したミレーの作品や、一連のバルビゾン派の作品から触発されたように、キャンバスを外にすえて制作したことは前回書きました。
ただただ素直に自然と向き合う中で、フット気がついたことがあります。

逆光の情景を描こうとしたとき、対象物をよく見るために光を遮るか、そうでない場合とではまったく違って見えます。
いまさら何だ・・と言われてしまいますが、あらためて朝方や夕刻の情景を描こうとすると、画面がまったく違ってくることに気がつきました。

逆光の絵といえばまず思い浮かぶのがミレーですね。
彼の作品は夕刻の光が多いのですが、人物などは光の中に深く沈みこんでいます。
つまり、ミレーは目に入り込む光をそのまま受けた状況での情景を描いているのです。
前回投稿記事にジュールのことを紹介いたしましたが、ミレーかと見間違えるほどの作品でありながらミレーよりもキレというかはっきりしている。
私はそこにミレーよりも現代性を感じているのですが、彼の視覚は逆光を遮り描き出していると気がついたのです。

皆様も、強い光を受ければ手で遮って対象を見ます。
当然ですが対象物は逆光の中に浮かび上がります。これを描くか、まぶしい状態を描き出すかの違いがあります。
どちらがいいということではなく、製作意図の違いによって光そのものの受け止め方も違っていたのです。
本当にいまさら何だ・・と我ながら思ってしまいますが、初めて制作体験し納得できたのです。

さて、我が作品ですが最初に手がけたのは、朝日が照らす以前の我が雑草畑です。
逆光とはいってもまぶしいほどではなく、さわやかな朝の情景を描く「晩夏・73歳の朝」。
真夏の勢いを失ってはきたが、実りをつけ首をたれた向日葵に、私自身の姿をたくしてみました。

つづいて2作目は日が落ち、空が色づいてきた夕刻の畑です。
ミレーの作品と同じような夕刻時間ですが、光を遮った状態でスケッチしました。
ミレー作品と情景はまったく違い比べるのは恐れ多いことですが、対象物をミレーのようにに暗く沈みこませることはしませんでした。
この画も私自身で、黙々とトマトを採取しているのですが、自分自身を観ている・思っているということでしょうか。

体内に眠っていた勉強時代が甦ってきました。


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