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山沿いの散歩道には樹齢7-80年の杉・ヒノキ、ひときわ立派な唐松などの林がある。
いずれも幹周2メートルを超えるものばかりで「立派だなー」としみじみと感じる。
今朝はなぜか一層深く感じ、積み重なった年月の偉大な姿 だと魅入った。
そして、それに比べ人間は樹木のように 積み重なった姿 をそのまま現すことができない。
当たり前といえば当たり前であるが、人のなした偉業 とての残物にすぎない。
ならば芸術家は といえば、作品として残すことができているが、それとて今生きている姿そのものではない。
年齢そのものが生み出した姿、または偉容を現し得ないものか・・。
それは姿・様子がいいとか、威厳が在る とか言うことではないのです。
解ったようなワカラナイような、哲学的であるようなまったく戯言でもあるような・・、
そんな話になってしまうのですが・・。
樹木と人間を同次元で比べること自体が無理であることは十二分に承知はしているが、
今のオレは、この木のように年月を重ねた姿 を感じさせることができたらなーー。
少なくとも、そお思わせるような作品ができたら・・・。
とても 画僧生涯筆一竿 などといかない。
蛇足だが、絶筆といわれる作品に至り、始めて歳月が積み重なった姿 を見出せるようになるのかなーー。
俺のやっていることなど見上げている、大樹の一枝にも満たないのかも知れない。
まてよ・・大木を伐採し、切り出した板などにあたるものが 人が成した形 にあたるのかな・・。
人生のありかたに悩んでいる、などということではありませんが、このような思考を謳いあげた古今の詩などを
ご存知の方はお教え願いたい。
と、しみじみ思考しながらの散歩でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a1/8f4b24d2b090579394cfc24ced2da15d.jpg)
写真は苔むしたポプラ 野生の 山なし の大木
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