棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

幕末の現役農具

2015-12-05 10:39:37 | 山郷の暮し
今朝は昨日と打って変わっり、朝日が差し込むあたりから、小春日和をおもわせる陽気です。
いつもの散歩道を行くと、農家の庭先で懐かしい風景に出くわした。
大急ぎでカメラをとりに引き返す。
そおです、昔々の農機具で大豆の選別をしていました。


嘉永4年正月に製作したとあり、地元の大工による完全手作り。
手回しで風を起こし、大豆とカラを吹き分けるものです。
「とあおり」と言うらしいのですが、定かではないと申しました。
戸板のよう四枚羽を回転させるので「戸煽り」なのでしょうか。
この農具は嘉永4年 正月 造 1852年に製作したとあり、幕末の動乱期。明治以前のもので163年前の物。


参考にウキペディアを抜粋しますと、
嘉永期におきた出来事[編集]
安政伊賀地震、安政東海地震、安政南海地震は嘉永期の地震で本来「嘉永の大地震」であるが[1]、
れらの地震や黒船来航、内裏炎上などの災異が多発したことにより同年中にも安政へ改元されたため、
嘉永7年を安政元年と解釈し「安政」を冠して呼ばれる[2]。
嘉永元年(1848年): フランスやドイツなどで連続的な革命(1848年革命)が勃発。
嘉永6年(1853年)
2月2日(3月11日): 小田原地震。小田原城大破、小田原で大被害。
6月3日(7月8日): アメリカの東インド艦隊ペリー提督が4隻の黒船率いて浦賀沖に到着。
7月18日(8月22日): ロシア大使プチャーチン、開国通商を求めて長崎に来航。

1868年が明治の始まりです。

あまり使ってこなかったと言いましたが、まだまだ現役であった。
すごいなー-という思いは、このような物を大切にとって在る事でもあった。

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1 コメント

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唐箕 (トンソクおじさん)
2015-12-06 13:00:03
 たぶん唐箕と言うのが正式名称だと思います。昔私の家にも有りましたし、粉屋に勤めていた時も工場の中にありましたよ。インターネットで調べるには唐箕で見ると出て来ます。ご無沙汰していますがお元気ですか?寒く成りますので風邪などひかない様に気を付けてください。
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