上海万博のことを記していたら、1970年の大阪万博を思い出したのでチョコット書きましょう。
1960年からのベトナム戦争も泥沼化し、退くに退けなくなったアメリカ。おかげで日本は戦争特需で一気に景気がよくなっていきました。
農協連が旅行代理店からくばられた、派手な安っぽい帽子を冠り、ガイドさんの小旗の後をゾロゾロと芋虫みたいについてまわっていました。
其れは、万博が終わった後も、海外旅行団体と転化し「一人ではおとなしいが、大人数になると手が付けられなくなる日本人」「日本人いらっしゃい。日本人大好き。お金ばらまいてくれる」と、なんとも、穴があったら入りたくなるような光景を海外でなんども見たものです。
そう・・・。今押し寄せる中国の観光団体よりも、もっと無礼だったかもしれない。
芸術活動にも大変革があり、国家が、企業がプロモートする文化事業の幕開けだといわれます。
個または小グループの芸術観による文化構造の成り立ちから、大資本をバックにした消費的な文化活動が、時勢に乗った芸術家だとされていきました。
1970年の大阪万博を機に、庶民の精神構造が大きく変わっていったと思います。
1960年からのベトナム戦争も泥沼化し、退くに退けなくなったアメリカ。おかげで日本は戦争特需で一気に景気がよくなっていきました。
農協連が旅行代理店からくばられた、派手な安っぽい帽子を冠り、ガイドさんの小旗の後をゾロゾロと芋虫みたいについてまわっていました。
其れは、万博が終わった後も、海外旅行団体と転化し「一人ではおとなしいが、大人数になると手が付けられなくなる日本人」「日本人いらっしゃい。日本人大好き。お金ばらまいてくれる」と、なんとも、穴があったら入りたくなるような光景を海外でなんども見たものです。
そう・・・。今押し寄せる中国の観光団体よりも、もっと無礼だったかもしれない。
芸術活動にも大変革があり、国家が、企業がプロモートする文化事業の幕開けだといわれます。
個または小グループの芸術観による文化構造の成り立ちから、大資本をバックにした消費的な文化活動が、時勢に乗った芸術家だとされていきました。
1970年の大阪万博を機に、庶民の精神構造が大きく変わっていったと思います。