日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

名字の由来

2006-09-24 17:49:14 | Weblog
 日本の名字は、中国や韓国と比べると、比較にならないほど、多い。
 多い順に、佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺、伊藤、山本、中村、小林、加藤と10番まで続き、以下、吉田、山田、佐々木・・・と続く。

 名字の由来の中に、1700年前の古墳時代に、仕事(地位や役職)から生まれた名前がある。
 村主(すぐり)は、村長から。矢作(やはぎ)は、矢を作る人から。鳥飼(とりかい)は、鷹の調教師から。犬飼(いぬかい)は、犬の調教師から。錦織(にしきおり)は、錦の製作者から。公文(くもん)は、公文書の管理者から。

 一番多いのは、地名から出来たもので、全体の8割も占める。そのルーツを解くのは、難しいが・・・。
 渡辺は、大阪の渡辺橋から。南原は、香川県高松市南原町から。小杉や小倉や柴田や竹内も同じ感じで出来ている。藤原もそうであるが、元は、平安時代に栄える藤原鎌足(ふじわらのかまたり)から。あちこち、その子孫が散ったが、藤原の血を残したいが為に、その地方の名と藤原の藤を一緒にして、栃木県の佐野からは、佐藤が、三重県の伊勢からは、伊藤が、石川県の加賀からは、加藤が、静岡県の遠江からは、遠藤が、滋賀県の近江からは、近藤が、広島県の備後からは、後藤が、栃木県の那須からは、須藤が、愛知県の尾張からは、尾藤の名字が生まれた。

 風景から生まれた名字もある。
 田中は、田んぼの中から、鈴木は、和歌山県の方言で、稲を干したものをスズキと言い、それから生まれていて、その総本家があり、残念なことに、122代目で、途絶えている。
 三河地方に行った鈴木家が繁栄して、徳川家康と親しくなり、その家臣になってものが多く、徳川家康と江戸に付いて行った関係で、愛知県、静岡県、神奈川県、東京都、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県では、今でも、そこでは、一番多い名字になっている。

 珍しい名字としては、鼻毛、肥満、一(にのまえ)、九(いちじく)、日本、金持、正直、無敵、黄金、浮気などがある。

 私の名字、田原は、原田よりも、少ない。「たわら」とか、「たばる」とか、「たはら」とか、いろいろ言われる。多分、地名から来ていると思うが。小田原は、おだわらであり、田原坂は、たばるざかであり、刺激伝道系で有名な田原結節は、たわらけっせつである。
 私の名字は、本当は、「たわら」であったが、父が、勝手に、「たはら」としてしまった。まあ、どちらでもいいけど。
 Taharaと書くと、外国では、タアラと発音されることが多い様だ。ドイツ語では、Taharaは、確かに、ターラになる。で、ハをはっきりと言うのであれば、Tacharaか、Taxaraの方がいいかなあとも思う。スペイン語だと、Tajaraと書く。ロシア語だと、Taxapaとなる。フランス語だと、ハ行の発音がないので、Taaraとなるのかなあ。Tafaraと書くわけにいかず、いっそ、taraと書かざるを得ないのかなあ?タイに行った時、語学学校のタイ語の先生から、Thaharaと書いた方がいいですよと言われた。ヒンディー語とかベンガル語とかアラビア語では、日本人の名目を長母音で書くので、長母音と短母音をはっきり区別する意味で、タイ語では、Thaahaaraと書くべきかなあ。語学の取材でNHK東京から来た人は、私と同じ名字で、田原だったが、名刺には、Tahalaと書かれていた。

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20カ国語で

2006-09-24 11:07:13 | Weblog
  「これは、何ですか?」を、英語以外で、20カ国語で何と言うか?

 「これは何ですか」の順序が、日本語と同じなのは、ハングル語とモンゴル語とトルコ語とヒンディー語とベンガル語とタイ語。
・ハングル語では、イゴ(これ)スン(は)・ムヲ(何)・シムニ(です)カ(か)。簡単に、エゴムオエヨと言ってもいい。
・モンゴル語では、エネ(これ)・ヨー(何)・ヴェ(か)。
・トルコ語では、ブ(これ)・ネ(何)ディル(です)。(ブネでもいいし、簡単に、ネと言うぞんざいな言い方もある)
・ヒンディー語では、イェ(これ)・キャー(何)・ヘェ(です)。
・ベンガル語では、エタ(これ)・キー(何)。(漠然と「これ」と言う場合は、エ・キーとも言う。複数のそれ等のものであれば、エグロ・キーと言う。ですは、普通、省略する)
・タイ語では、ニー(これ)・アライ(何)(ですは、ない)。タイ語には、疑問符の?はないし、コンマやピリオドもないことに注意。
 英語と同じ順序で、「何」、「です」、「これ」の順になるのは(「これ」が、単数として)、ドイツ語とフランス語とイタリア語とスペイン語とポルトガル語とギリシャ語で、ヨーロッパの言語が中心。
・ドイツ語では、Was(何) ist(です) Das(これ)(ヴァス・イスト・ダス)?
・フランス語では、Qu'est-ce que c'est?(ケスクセ)(何 です これ 関係代名詞 これ です)と、ややこしい。
・イタリア語では、Che cosa (何)e (です)questo(これ)(ケコーザ・エ・クエスト)?
・スペイン語では、?Que(何) es(です) esto(これ)(ケ・エス・エスト)?スペイン語の場合は、疑問文は、?で挟み、初めの?は、180度、ひっくり返して書くのが正解。
・ポルトガル語では、Que(何) e (です)isto(これ)?(ケ・エ・イスト)
・ギリシャ語では、ギリシャ語でなく、英語のアルファベットで書くと、Ti(何) einai (です)avto(これ);(ティ・イネ・アフト)。フはfで発音。最後の疑問符は、?でなく;となっていることに注意。


 「です」と「何」が、英語と逆なのは、ベトナム語と中国語とスワヒリ語。
・ベトナム語では、Cai (もの)nay(この) la(です) cai(もの) gi(何)(カイナイ・ラー・カイジ)?と言う。但し、これは、無生物の場合で、人や生物では、Con nay la con gi(コンナイラーコンジー)?と言う。
・中国語では、チャー(これ)シー(です)センマ(何)?
・スワヒリ語では、Hii(これ) ni(です) nini(何)(ヒイ・ニ・ニニ)?と言う。但し、これが人や動物の場合は、Huyu ni nani(フユ・ニ・ナニ)?と言う。




  「です」がなくて、英語の順になっているのは、ロシア語、インドネシア語、タガログ語、アラビア語、ヘブライ語。
・ロシア語では、シトー(何)エータ(これ)。英語で書くと、Shto eto?となり、最初のoは、アと発音しているが、後のoは、アと発音していることに注意。
・インドネシア語は、Apa(何) ini(これ)(アパ・イニ)?しかし、Ini apa?とも言う。
・タガログ語では、Ano(何) ito(これ)(アノ・イト)?
・アラビア語では、マー(何)ハーザー(これ)(マー・ハーザー)?(ザの発音は、this のthの発音で、下を噛むで濁る)
・ヘブライ語では、マー(何)・ゼー(これ)(マー・ゼー)?(ゼの発音は、z)
*ただし、アラビア語とヘブライ語は、右側から書く。最後につける疑問符?は、スペイン語と違って、アラビア語の?は、左右が逆向き、しかし、ヘブライ語の?は、そのまま。

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エネルギーの配分

2006-09-24 06:58:32 | Weblog
 昨日、第40回(国立公園になって、50年目)の天草五橋祭があった。つまり、天草に五橋が出来て、40年目の記念の祭りがあった。
 昨年同様に、道中踊りが、ちょうど18時30分から、1分違わず始まった。32チームで、上天草総合病院は、30番目だった。曲が昨年と変わり、牛深市の「ハイヤー踊り」だった。参加者は、昨年よりも少し多くて、1600名。上天草総合病院の参加者は、185名であった。
 太鼓、横断幕、看護学生2年、看護学生1年、子ども、職員の順で行進していった。1昨年は、歩く人がいて、後で、いろいろ言われていた様だったが、昨年は、好評で、今年も、それ以上かなと思った。
 絵になると思ったのは、やはり、最後のステージの前に来た時、市長や教育長など、偉い役職の人が壇上に10人ほどいるまで、私が太鼓を据えて、多くの観客を背後に感じながら、力一杯打った時。
 昨年、手が後で痛くなった経験で、今年は、カットバンを張って軍手をして打った。又、斉藤投手の様に、エネルギーをずっと保存していて、広場に来てから、特に、壇上の前に来た時に、ありったけの力で太鼓を打った。
 打ち終えて、すがすがしい気持ちになった。何か、大きなことを終えた感じがした。エンドルフェンが沢山分泌されたと思う。
 後は、昨年同様に、花火を見て、来た時と同じ様に、皆とバスに乗って帰った。帰り着いたのは、22:00前で、も一人の小児科の先生、その間、4人小児が来て、一人喘息で入院していた(その小児科の先生は、今日、救護班で参加)。
 産科の先生が、会場で、救護班として、活躍していた(毎年、しているみたいだが)。院長も、満足そうだった。

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老人ホーム新事実

2006-09-23 06:52:19 | Weblog
 今、大都会では、老人ホームの中には、従来のイメージと全く違った感じのものが出来ている。60歳を過ぎた夫婦が、そこから、仕事に出る。それも、今までの仕事と関係ない仕事で、自分のスタイルの合う質と量の仕事を、楽しくしている。又、結婚後、一人になった人も、楽しく、そこで過ごしている。
 その老人ホームに住む人は、仕事から帰ると、必ず受付に、ねぎらってくれる人がいるし、食事を3度共、作る必要はなく、その食事も、気の合う者同士で、一緒に楽しく食事を摂ることが出来、大きな風呂に一緒に入ったり、一緒に運動したり、集まって息抜きをする所も、ちゃんと設備されている。そして、24時間、何かの時には、ドクターから駆けつけてもらえるシステムになっているのである。
 もちろん、入会する時には、2.000万近くのお金が必要だが、正に、そこは、寝るだけのホテル感覚になっている。そこには、家庭的な温もりがあり、又、いざと言う時には、気兼ねなく、人に頼めると言う安心感がある。
 日本人は、65歳を過ぎても、男性の28.7%が、女性の12.6%が、何らかの形で仕事をしている。仕事も続けられ、老後の心配もしないでいい、そんな新しいタイプの老人ホームなのだ。今後、益々、需要に応じて、新しいタイプのものが出来るに違いない。
 欧米の場合、一緒に同居する時、全く赤の他人とするケースが多くなっている。年老いた人ばかりの場合もあるし、若い人とお年寄りの場合もあるし、女性ばかり数人の集まりの場合もある。
 本当は、東南アジアの発展途上国の多くがしている様に、大家族がいいに違いないし、亡くなる時にも、自宅で多くの人に囲まれて、温かく旅立つことが理想的に違いないが、・・・。
 日本の場合、血がつながっているからと言う理由だけで、義務的に、いつも喧嘩をしながら、ストレスを異常に感じながら、一緒に親子や親戚が同居しているケースがある。そして、多くの場合、最後は、病院で、孤独な中で寂しくなくなり、更には、財産争いまで起きている。
 老後の過ごし方、今から、真剣に考えておくべきであろう。
 私ですか、私も、先々は、子どもに財産を残すことなく、今の家も土地も売って、楽しい老人ホームを探して、そこで過ごそうと思っている者の一人です(まだ、10年先のことかなあ?)。


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無血クーデター

2006-09-22 07:13:00 | Weblog
 タイのチャンマイにいる日本人に、メイルで、消息を尋ねてみた。
 昨日(9月20日)は、チャンマイでは、銀行や学校や、一部の店は、閉じていたが、今日(9月21日)は、特に変わった様子はなく、普通と殆ど変わらないとのこと。しかし、川辺に、軍の戦車が2台待機しているとか。
 チャンマイに、タクシン首相の親族が経営する大きな店があり、個人的に、タクシーでそこに見学に行った。大変繁盛していた。これ以外に、親族の店ががあちこちあるって感じで、周りの人が説明してくれた。
 タイの医療制度は、世界一(日本は、世界で6番目)。ここでは、貧しい人は、1日、30バーツでどんな医療も受けられる。そうしたのは、タクシン首相。
 私も、インプラントの歯の一部がかけたので、その治療を、インプラントの専門家に診てもらった。まず、レントゲンを撮らなかった。そして、その良心的に治療に、感激した。医療費も、わずか500バーツ(1500円)であった。
 タイ人は、プライドが高い国民。しかし、明るい人が多く、優しい人が多い。
 コンサートを見に行った時、全員が起立して、国家の歌だけでなく、国王の歌も、皆で歌っていた。
 あちこち、国王夫妻の写真が飾っていて、キングダムって感じだった。国王の悪口を言えば、タイから追放されてしまうなあと思ったぐらいだった。
 タイの景気は、近年良い。もしも内戦になった場合の不利益を国民が充分納得していたのではと思う。
 しかし、考えるに、タイでは、国王は、正に、水戸黄門様だなあと思う。北朝鮮にも、クーデターが起きてくれて、金正日氏が中国に亡命して、中国政府が、北朝鮮の水戸黄門的存在になればと思ってみたりもしたが・・・。

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酒酔い運転について

2006-09-21 07:10:57 | Weblog
アルコールのせいで、人身事故を起こすことで、マスコミが騒いでいる。以前から問題になっていたことだが、・・・。
 何故、酒を飲んでいるのに、運転したかの問いに、「酔っていないと思っていたから」、「近い距離だったから」、「飲んだ量が少なかったから」との返答が多い。更には、「今まで事故を起こしたことがないから」との返答もある。
 アメリカでは、それ以前にアルコールで事故を起こした場合、車を没収されるケースが多くなっている。つまり、常習犯には、強い罰則があるのだ。

 アルコールの基準値(mg/l)は、国で違う。

0.10は、スウェーデン、ノルウェー
0.15は、日本
0.25は、フランス、ドイツ、スペイン
0.35は、イギリス
0.38は、アメリカ

 日本の基準値は、かなり厳しい方だ。しかし、日本人は、よく言われているが、遺伝的に、アルコール脱水素酵素が低い人が多い。つまり、ちょっと飲んでも、アセトアルデヒド値が上がり易い人が多いのだ。
 ニュージーランドやオーストラリアに行った時、アルコールを嗜んで運転している人をしばしば見た。道路が広いので、事故が起きにくいのかなあとも思っていた。
 スウェーデンでは、どの車にも、アルコール検出器を通さないとエンジンがかからない状態になっていて、それで、飲酒による事故が、極めて少なくなっている。
 飲んだら乗るなとは、以前から言われて来た事。自分を過信しても、それが客観的だとの証拠はない。自分だけで終わらなく、最悪な時は、一瞬にして、殺人者になってしまう。
 アルコールだけでなく、タバコにしても、吸っている人は、その煙で周りにどれだけ害を及ぼしているのか、よく理解していないと思われる。ニコチン中毒と言う病気との事で、その治療に保険がきくことになっているが。
 成人病が、生活習慣病と名前を変えたが、その生活習慣病も、今後、自己コントロール不能症候群とでもした方がいいのかも知れないなあ。


 



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旧帝大苦戦。

2006-09-20 07:27:38 | Weblog
今年春の第100回医師国家試験ランキング(旧帝大のみ)
  医学部は、全国に、80あり、旧帝大で、半分以上のランクになっているのは、2校でしかない。

阪大(15位)、94.6%
名大(16位)、94.4%
東大(43位)、90.3%
九大(46位)、90.1%
京大(54位)、89.0%
北大(58位)、88.0%
東北大(63位)、87.6%

   旧帝大では、学生自身のの国家試験に対する取り組み方にも、問題があるかも知れませんが、まず、学校側が積極的に、国家試験の対策をしていないと思われます。それに、一番の問題は、教育の仕方が、昔なりの古いもので、新設医大の様に、今の時代に合う感じでのカリキュラムが、まだ、されていないと思われます。その点、私立は、一丸となって、国家試験対策を学校側がしている様です?!
  まあ、いい医師になるには、卒業してからの数年間が、一番大切と思うのですが・・・。現在、卒後に、大学離れのドクターが多くなっています。その理由は、卒後の教育が、大学でちゃんとなされてこなかったからだと思います。学者は、医者ではない。研究よりも、まず、患者さんを大切にすることを最優先させて、教育をするべきでしょう。
  今は、やる気さえあれば、多くの情報が、どこにいても、簡単に手に入る時代になっています。
  長年医師をしていても、医師は、常に、接する患者さんから、教わっています。それに、やっと、若い医師も、気が付きだしたのではないでしょうか。

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茶道の精神を医療に

2006-09-19 19:16:26 | Weblog
動き出したアイデア(原文のまま)

茶道の精神を医療に

 「茶道の精神で小児科医療を」という診療姿勢を、たはら小児科医院では掲げている。院内スタッフ全員に茶道の素養がある。院長室は和室にして炉を切り、お茶の道具一式を揃えて、昼休みになると職員のお茶の練習場になる。茶道歴6年の田原正英院長が教えたり、月1回専門の講師を招いて指導してもらう。
 「茶道は相手のことを考える思いやりが基本です。そこが医療と同じですが、医療の現場ではなかなか徹底されていないと思います。ドアの閉め方から座り方、話し方、頭の下げ方など、茶道には礼儀作法が凝縮されています」と田原院長。
 お茶を点てることで心にゆとりができた。患者さんへの思いやりの気持ちや職員同士のチームワークが強くなった。息抜きにもなる。茶道を取り入れたことは、いろいろな面でメリットがあった。
 たはら小児科医院には、畳の部屋の病室が4つある。畳のよいところは、布団を敷いて親子いっしょに寝られること、ベッドを入れたときよりも部屋を広く使えることだ。
 「畳の部屋は患者さんの評判は非常にいいのですが、欠点は診察するときの姿勢がちょっときついことです。茶道の作法を生かして、正座して診察していますよ」
 たはら小児科医院は、屋根もカーテンも床もスリッパも、お茶をイメージした緑の配色だ。インテリアにも茶道の精神がしみ込んでいる。
  (日本アップジョン株式会社発行のSCOPE、1995年4月号より)

 この院長室で、日本人以外に、アメリカ人、オーストラリア人、韓国人、ロシア人、ギリシャ人、イタリア人、インドネシア人にも、お茶を点てて差し上げることが出来ました。

 又、この自分の茶室の院長室で、現佐伯市医師会長小寺隆先生や、佐伯市に講演で来られた時に、高名な東海大学産婦人科教授の岩崎克彦先生、乳幼児突然死症候群で高名な仁志田博司先生、予防接種で高名な加藤英夫先生に、自分の点てたお茶を差し上げられたことが、今でも、いい思い出になっています。

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続・子どもは天才

2006-09-19 06:55:04 | Weblog
 佐伯にいた時に、私の案で、佐伯で、「こども茶会」を創設しました。
 近所の小学生(3年生~5年生まで、その中に、自分の子が、3年生と5年生でいましたが)8人(その後2名+2名追加)を集めてしました。
 「たはら医院」を開業していた時(8年半)に、院長室は、茶室にしていて、炉まできっていて、プロパーさんなどに、お茶を差し出していました。
 又、毎週土曜の午後、(母の手作りのお菓子を付けて)子ども達に茶道をボランティアで教えていました(時々、市立の茶室を借りて、練習をしていました)。
http://panorama.photo-web.cc/tiiki/saiki/kyuusin2.html



 その子ども達の記憶力の凄さ、想像以上で、本当に、驚きました。本当に、天才と思いました。こちらも、どんどん面白くなってきて、これでもか、これでもかと教えて行き、とうとう、茶箱(一番簡単な点前で)も濃茶(風呂の拝見なしで)も、教えてしまいました。不思議に、どの子も、それが出来るのです。しかも、私の師匠が絶賛してくれる程に、なったのです。
 あるお茶会では、実際に、佐伯市立茶室(狭い4畳半の)五味庵で、小学生4人により、茶箱によるお点前が行われました。
 そして、茶会で集めたお金は、全て、寄付しました。
 今でも、佐伯では、私の師匠(裏千家名誉師範)の御理解で、「子ども茶会」が毎年、行われています。


 インドネシアの人(2名)とアメリカの人(2名)にも、1年間程、教えて、お茶会で披露してもらいました。

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台風13号の中で(ある日の診療日誌より)

2006-09-18 16:49:43 | Weblog
○月17日(日)、昼過ぎから、本格的に風が強くなり、海の波は荒れだし、海を走る船はもちろん、それまでのウミネコの姿も完全に消えた。台風13号、930ヘクトパスカル、この10年間で、最高の強さ。

早めに夕食と摂るべきだと思って、普段は、19時前後なのに、17時過ぎに6階の食堂に行って、食事を正にしようとする寸前に、パタッと停電になった。が、まだ、明るかったので良かった。いつもの様に、食後に温かいお茶を飲もうとしたが、ポットの電気が入っていないことに気が付いた。

 天草五橋、全て、通行止め。龍ケ岳町内にある樋島の橋も、通行止め。産婦人科の病棟では、隣の島から、妊婦さんが、まだ、予定まで、1カ月もあるのに、大事をとって入院していた。

 帰って、風呂に入ろうとしたら、電気が付いていないので、温かいお湯が出ない。仕方なく、冷たい水で、体を拭く。ラジオに電池を入れて聞いていたが、突如、切れた。電池切れだった。

 真っ暗の中、患者さんを診るライトペンがフルに働く。又、携帯も、頼りになる。

 平成16年3月に、バリに行った時に、年に1回のニュピの日を経験した。電気を付けてはいけないのだ。部屋の中でも。それを思い出した。しかし、それは、意図的に、付けない状態。今は、付かない状態。

 もう、寝るのが勝ちだと思って、床に就くも、ガタガタ鳴る窓ガラスの音が凄い。割れるかも知れないと判断し、サランラップを貼った。しかし、まだ、心配。で、ガムテープを×印に貼る。それでも、凄い音が続き、19時過ぎには、天草の近くを通った関係か、最高調に達した感じ。

 そんな中、突如、19時10分過ぎに、病院からピッチに電話あり。今から、避難所(台風が来る為に、そこの避難所に、住民が引っ越していた)から、3歳の子が40℃の熱で救急車で来るとのこと。嵐の中を、傘を何とかさして、病院へ(と言っても、道路を隔てて真ん前にあるのだが、この距離が、非常に長く感じられた)。

 病院に行くと、直ぐに、救急車が来た。3歳の女の子で、顔が真っ赤になり、犬吠様の咳をして、苦しそう。直ぐに、ボスミン0.1mlと生食2mlを一緒にして、吸入し、黄連解毒湯10mlを温かい生食10mlで溶かして、注腸し、ソルデム1号200mlで、点滴。

 10分もしないで、顔の赤味も少し取れ、楽になった感じ(本人が、苦しくなくなったと言う)。検査するも、停電で、CRPが出来ないと言う。しかし、血液一般は出来、その結果は、白血球が7000台で、好中球も、さほど上がっていなかった。ウイルス性と考え、サクシゾンを静注。

 それから、家に帰って、もう、こんな嵐の中、来る訳ないと思っていたが、21時前に、熱が40℃近くあって、近所の医者で抗生物質と解熱剤をもあるも、下がらないとのことで、6歳の男の子が(東京からの里帰りの人であったが)来院。

 両眼球充血が昨日からあり、咽頭に滲出物が少しあり、浮脈・洪脈・速脈で、明らかな熱証。咽頭結膜熱と診断して、黄連解毒湯を注腸し、錠剤も飲めるとのことで、1日9錠を1日3回を2日分院内処方して帰す。

 この台風の日に、子どもの来院が、14名もいた。 

 その後、起こされることはなかったが、関東にいる我が二人の子どもが風邪気味とのことで、家内から電話。携帯からメイルで、二人の子どもに指示。

 その日の24時近くになると、やっと静かになり、その後、特に問題なし。

 翌朝、朝食を病院で摂って、昨日入院した子の診察で、8時前に行くと、クループの子ども、良く眠れて、熱も下がり気味で、食欲もあり、ニコニコしている。まだ、熱は、38℃前後あるが、クループ様の咳は、明らかに軽減している。明日、退院か?

 午前中、ずっと電気が付かず、インターネットも出来ず、テレビが見れない状態。で、病棟の空いている個室のテレビを見せてもらうことにした。それを見て、何となく、ホッとした。この病院、必要な個所は、油で自己発電していて、必要な個所には、電気が付いているのだ。

 幸いな事に、今回は、電話が出来、水は使えた。水が使えなかったら、ほんと、四面楚歌って感じだ。20年前、ここでは、台風の時、電気・電話・水道、全て利用できなかったとのこと。

 ダッカでホームステイした時のことを思い出した。そこでは、よく、停電が起きていた。それも、1日に数回。しかし、直ぐに、回復していた。

 風呂に入ることを勧められて、最初入った時、びっくりした。お湯と冷たい水が一杯に入っているバケツが2つと大きな柄杓と石鹸のみ。自分で、柄杓の中に、お湯と水の割合を調整して入れ、それをかぶってシャワー代わりに使うだけ(シャワーなどない)。

 しかし、毎日していると、そのことに違和感がなくなってしまった。そこでは、箸やスプーンを使わず、右手で直に取って食べることにも、慣れてしまった。

 14時過ぎ、幸いに、電気が付いた。24時間足らずの停電でしたが、非常に長く感じられた。先月、広島県の呉市で、断水が、3週間もあったそうですが、大変だったことでしょう。

電気(や水)の大切さを、神様が、教えて下さったのかなあ。

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