日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

恋の力が、奇跡を生んだ

2006-09-01 18:55:49 | Weblog
(平成18年8月31日、たけしの番組より) 東アフリカに、ルワンダと言う国がある。

 ケニアやタンザニアは、日本人には、馴染みが深いが、ルワンダの名前を知る人は少ない。ルワンダは、ケニアとタンザニアに隣接し、アフリカ中央よりにある。

 そこでは、全体の85%を占めるツチ族が、15%しかないフツ族を支配するゆがんが構造であった為に、ルワンダ内戦を起こした。80万人もが亡くなり(10人に1人が亡くなり)、3人に1人が国外難民となった。

 アフリカの多くの国々では、今でも、貧困の問題以外に、多くの問題を抱えている。永い間、イギリスやフランスなどのヨーロッパの支配下にあり、ヨーロッパ指導の政策が行われてきた。言葉の壁の問題もあり、東アフリカでは、そこでの民族語以外に、英語やスワヒリ語が共通語として使用されている。

 

 吉田真美さん、今や、ルワンダで、日本人として、最も称えられるべき人ではないだろうか。

 彼女の恋の力が、多くの人を動かし、この10年間で、4.000人のルワンダの人が、無償で、義足や義肢や杖を与えられている。何よりも、ルワンダの多くの人々に、自信を取り戻させている。そして、今や、そこでの義肢職人が多くなり、いろんな障害者のスポーツ団体が出来、しかも、12月4日が、ルワンダの「障害の日」とまで、国により制定された。


 彼女は、普通のOLだった。遊び心で、ルワンダに行き、そこで、足の不自由なガデラと言う人と偶然出会った。その後、日本に帰るも、ガデラのことが気になり、自分の気持ちを確かめる為に、再び、ルワンダに行って、ガデラに対する自分の気持ちを確認した。

 その後、今度は、ガデラが日本に来た。その時、偶然に、今まで身に付けていたガデラの義足が、壊れてしまった。そこで、ある職人に頼み込んで、新しい義足を作ってもらった。その時の愛するガデラの今までに見たことのない様な嬉しそうな顔を見て、義足をルワンダの人に作ることを思い立ったのだ。

 その職人に、弟子になることを彼女は嘆願し、いい義師職人になる為に、そこで腕を磨いた。

 その後、ルワンダは、激しい内戦状態となり、ガデラとの連絡が絶たれたが、ガデラは、その内戦で、幸いに、ルワンダに入ることが出来ず、無事であった。

 全国から、使われなくなった義足や義肢を60本以上集め、それらを修復して、その戦争で足や手を失った人の為に、義足や義肢を無償で与えた。

 しかし、せっかく義足や義肢をを与えても、それ等をはずして、物乞いする人が多くなり、しかも、作ることを手伝ってくれたルワンダの人も、いなくなってしまった。

 ここで、彼女は、挫折することなく、ルワンダの選手を、初めて、パラリンピックに参加せることを思い付き、50mの自由型にカザールなる選手を参加させた。

 それが、マスコミで大きく取り上げられ、ルワンダの人も、それで、意識を変えることが出来、作ることを手伝ってくれた人も、戻ってきて、再び、明るさを取り戻すことが出来た。

 

 このことは、彼女の恋の力(2000年にガデラと結婚する)と、それに賛同する周りの協力で、奇跡的に成し得たことだろう。

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やる気の試験

2006-09-01 07:26:24 | Weblog
(実話であるが、・・・少し、内容を変えているが・・・)、サウジアラビアの首都リヤドにあるリヤド大学での話(ある日本人)、
 大学の掲示板に、アラビア語を習得したい人の為にアラビア語講座(15回)の誘いが張り出された。無料とある。手続きも特に難しいことはないので、さっそく行って受けることにした。
 初日、わずか30名前後しか入らない様な教室に、既に、数百人程の人が、ひしめき合う感じでいて、教室内に入ることも出来ず、廊下から窓越しに、声だけ聞く感じになった。アラビア語の先生が来て、いきなり、アラビア語で講義が始まり、最初から最後まで、全てアラビア語で、何のことか全く内容が理解できないまま、90分が過ぎて、講義が終わった。その先生が教室を出た後に、別の人が来て、英語で、又、明日もこんな感じが行われますので、良かったら、又、聴きに来て下さいとのことを言われた。
 2日目、どうしようかと迷ったが、まあ、せっかくだから行ってみることにした。さすがに、受講生の数が、70~80人ぐらいになっていて、何とか、教室内で受けることが出来た。アラビア語の先生は、前回と同じで、全く前回と同じ感じで、英語全くなしのアラビア語だけの講義が90分間あって、何も理解できずに終わった。又、最後に、前回同様の別の人が来て、「又、次回も同じ感じでします。次回、出席しない人は、次回から、受ける意思がないものとみなします!」とのきつい言い方をされて出て行った。
 3日目、憂鬱な感じで、どうするか迷った。もう、やめようかとも思ったが、しかし、せっかくしようと決めたことだし、やめるのはいつでも出来ることだからとも思い直して、もう1回参加して、それで、その後のことを決めようと思った。
 で、行くと、ちょうど、30名前後で、席が皆に座れるだけになっていた。先生の入ってくるのを待った。先生は、初めて見る先生で、英語でいきなり話し出した。
「ちょうどいい数になりました。ここにおられる方は、やる気の試験に合格された方だと認定します。今までのは、やる気を試すための試験でした。今からは、英語で、出来るだけ分かり易く話したいと思います。質問は、随時受け付けます・・・」と言って、基本的なことから、丁寧な講義がその後、15回行われ、15回の講義が終わり頃には、簡単なアラビア語での会話が出来る様になった。



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