日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

じ受記(1)

2007-11-05 20:17:14 | Weblog
 入院1日目(平成19年10月22日・月曜日)
 10:40過ぎに病室に行くと、「私、○○草看護専門学校の卒業生です」とわざわざ自分の部屋まで来て、顔立ちの整った品のある○階の師長さんが挨拶に来た。顔を見られるだけでも、場所が場所だけになんとなく恥ずかしい。
 担当のナースがその後直ぐに来て説明をしてくれる。心電図・胸部レントゲン・血液・尿の検査をする。昼は五分粥。13:30から担当のナースが毛剃り。何故か、担当のナースだと恥ずかしさがない(ここに勤めて15年目の超ベテラン?)。15:00前に、掃除のおばちゃんが二人来る。「どこが悪いんですか?」と言われたので、「痔です」と言うと、「ちゃんと座れているので、どこが悪いのかなあと思いました」と言われる。(そうか、多くの人は、入院時、痔の痛みで座れない状態にあるのだなあと思った)
 16:00下剤を6錠も飲む。18:00夕食。19:30に麻酔医が部屋に来る。20:00に主治医(患者側が決められる)が部屋に来る。21:00に担当のナースが再び来て、今の自分の状態を詳しく尋ねられた。(手術前、イネ科によると思われるアレルギー性鼻炎に罹患していたので、その治療をしていた。又、風邪を引かない様に注意していた。血圧も、上手くコントロールしていたつもりであったのだが・・・)

 入院2日目(手術当日)
 いつもの習慣で、5時前に起きる(個室)。水を沢山飲む様に言われる。7:15に担当のナースから便を出すための座薬をしてもらう。7:40に下痢便。8:00朝食。9:15にグリセリン浣腸100ml。3分待てずに、2分でギブアップして排便(水様)。この時、自分の舌を診ると、縦に溝が入り、肥大して、歯痕舌で、脾虚の状態になっている。9:50過ぎにS字状結腸内視鏡検査の為に検査室に行き、そこで血圧測定すると、上が170、下が100もあるとのことで、中止となる。部屋に戻って測ると、上が180にもなり、下が110もある。その後、点滴を左上腕背側にする(この注射が、一番痛かったが)。部屋でしばらく安静にし、何度も測り直し、150/90となった所で、再び検査室に行く。検査室では、やはり高くて、170/110。どうもないと言ったせいもあるのか、検査をしてもらえた。テレビ画面を見ながら。何と、5分足らずで(3分ぐらいかなあ)終了。そのまま外来に行き、12:00から主治医の診察(30秒もあったかな)と説明を聞く。「大きいですね」と言われる。S字状結腸までの内視鏡の検査では、痔以外にないと言われて、万歳って感じになった(実は、血便がしばしばあっていたので、ガンを恐れていた)。主治医は、「あくまでも見た範囲の肛門からS字状結腸までの40cmの距離までですが」と付け加えられた。
 12:10に家内が病室に来る。手足の先が冷たくなっていると言う。13:30にアタラックスPを服用する。手術は、14時からの予定であったが、血圧が高かったこともあり、しかも、今日は7件も手術が午後からあるとのことで、一番最後の17時頃になると言われる。
 昼食はない。術後3時間は、水分も飲めないと言われる。
 17時と思っていたら、予定よりも手術が早く終わったとのことで、15:20に搬入となる。(以下、術後に、私の口頭で家内記載)

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入院中の出来事

2007-11-05 13:18:44 | Weblog
 子ども3人に遅くなって報告してゴメンね。実は、アズキが、昇天しました。私が手術を終え、苦しんで、やっとオムツがとれて楽になった時、アズキも楽になって天国に行ったと思われます。
 私が手術をしたのが火曜の23日、その翌日の24日の早朝には、隣の永富さんの話では、まだ、窓際で動いていて、亀山さんが様子を見に夕方行った時には、既に横たわっていて、ママが帰った時には、死後硬直で硬くなっていました。その日に花を買って来て、家の前の庭の土を掘って、墓を作って埋めました。
 野ウサギは、普通は、3年から5年ぐらいしか生きないみたいで、アズキの様に11年半も生きた例は、とても少ないはず。皆がパンダの様に、大切に育てたからだねえ。アズキもきっと満足していると思うよ。
 亡くなる前は、腫瘍が頭ほどになっていて、アズキはそれから栄養を取られて痩せていた。それでもたくましく食べていた。生きようとする力が最後まで強かった。出血性ショックで最後は亡くなったと思うよ。かわいかったねえ。写真は、チェンマイでおいしく食べたカオソーイ・かわいい。ホントアズキってかわいかったねえ。
 (11月2日になって、子ども達3人に、入院中に私が連絡する)


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無事生還できました?!

2007-11-05 11:08:47 | Weblog
 午前10時前に、病院を出た。10月22日(月)の10時半過ぎに入院して、今日11月5日(月)の午前9時過ぎに病室を出た。15日間も病院に入院していたことになる。正に気持ちは生還した感じであった(ちょっと大げさかなあ)。そのまま家内が宿泊しているホテルに行った。で、今、記載している。
 まあ、一言で言えば、いい経験が出来たかなあ。今まで入院した事が無かっただけに、貴重な体験が出来た。自分にとっては3回、ピンチの時があったと思う。
 1回目は、手術当日、血圧が高い為に、手術前のS字状結腸内視鏡検査の時に、検査が出来なくて、一旦病室に戻ってしまった。せっかくここまで来たのに、このまま検査も手術も出来なかったらどうしようかなあと、不安の絶頂になっていた感じ。当然、そんな場合、血圧は益々上がる。で、上が170、下が110でも、有難いことに何とか検査してもらえた。で、ずっと恐れていたS字状結腸までの検査で、異常がなかった。ポリープもなかった。一応、万歳って感じになった。と言うのは、血のつながった身近な親戚が2人、直腸ガンの発見が遅れて命を絶っていたから。
 大川にいた時には、潜血便の検査だけは、ガンを恐れて数回していて、全て陰性で、一応痔と思ってはいたが。しかし、しばしば血便が出るので、ガンを恐れていた。血便で、20年以上も心配してきた(潜血便の検査は、極めて鋭敏で、浴槽の中に一滴の血液を落としても陽性に出る)。S字状結腸の検査は、いたって簡単で、検査の前に浣腸して、検査中はテレビを見ながら5分足らずで終わり。ポリープを持っている人は多く、胃と違って腸のポリープは(いろんな条件下で)悪性になり易く(大腸ガンは、日本人のガンの中では、10年後には、1位になるらしく、その8割近くが、S字状結腸と直腸の部位)、40歳過ぎたら、一度は日本人であればすべき検査とのこと?!
 2回目は、術後2日目からの頭痛。たまらなく痛かった。腰椎麻酔のせいでこうなるとのこと。長い人は、1週間もこの後頭部の痛みが続くらしい。自分の場合、術後2日目~4日目まで続いた。くも膜下出血では、こんな痛みではなくもっと凄いのだろうと思いながらも、立つと痛いので、横になることを余儀なくされた。後頭部の痛みで、腰椎穿刺後の子ども達が痛がっていた痛みと同じものと思われる。
 3回目は、術後4日目の排便時。初めての本格的な排便の時、肛門部が痛くて、又、怖い思いもあり、しかし、排便したい気持ちで一杯で、きつくていても立ってもいられない状態になっていて、頭痛も同時にあって、正にピンチ状態であった。自分の人生もこれで終わりかって感じにもなっていた(ちょっと又大げさかなあ)。浣腸してもらって、溜まった便が出た時は、ホント救われたと思った。
 今は、まだ、排便時痛いが、この痛みも、次第に軽減していくらしいが。
 解剖学的には、歯状線から奥が直腸で、それ以後が肛門で、直腸に出来るのが内痔核で、肛門に出来るのが外痔核で、外痔核のある人は、内痔核もあると思った方がいいみたいだ。痛みは、内痔核にはないので、術後に痛い人は、外痔核が大きい人かと思う。
 ちょっと専門的だが、自分の場合は、4時と6時と7時と12時の4箇所も内外痔核があって(それ以上ある人もあるらしい)、6時は、結さつのみ、後の3箇所は、(ここの院長が考えたと思われる?!)半閉鎖法結さつ術でしてもらった。
 もう、痔で悩まなくていいかと思うと(痔核の根治手術後に再発する事は極めてマレ)嬉しい。


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