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緒方洪庵・・・

2007-11-29 09:12:48 | Weblog
 平成19年11月28日(水)の夜、NHKの「その時歴史が動いた」で、緒方洪庵の天然痘予防との闘いのことが放映されていた。
 緒方洪庵が1858年4月24日に幕府からその予防が公認されるまでの苦労がそこで語られていた。

 幕末猛威をふるった天然痘に、西洋の予防接種法=種痘をもって立ち向かった医師・緒方洪庵。民衆の偏見や同業医師らの離反にあっている。それを乗り越えて、人々に種痘を施していった。活動の根底に「医は是唯仁術を旨とす」という洪庵の医師としての信念があった。
 緒方洪庵は、幕末、福沢諭吉や大村益次郎など有為な人材を輩出した蘭学塾・適塾を開きながら、本職の医業に携わった。人材育成と人命保護。通底していたのは、「人を生かす」という洪庵の思想だった。
 その洪庵が半生をつぎ込んだのが、天然痘の予防だった。天然痘は幕末毎年のように流行し、驚異的な致死率を記録。運良く助かってもあばたが一生残るなど、人びとから命や明朗さを奪っていた。そんな中、洪庵はワクチンを入手。貧富の差なく、貧民には無料で種痘を開始。しかし悪説の流布や仲間の医師たちの離反などで種痘は広まらない。洪庵は自ら地方に出向き、種痘の技術と種痘を行う時の信念を医師たちに伝授する。やがてその信念は関東から九州にまで広がり、幕府をも巻き込む大きな潮流となった。
 番組では、洪庵の思いを受け継いだ地方の医師の足跡も取材していた。「人を生かす」という使命感のもと全国の医師と協力し合って種痘が広められていた。(以上、NHKのホームページの内容より引用)

 緒方洪庵の時代には、大衆には、「疱瘡神」と言う神様に、天然痘になっても、軽くて済む様にお願いしますと言う認識でしかなかった。緒方洪庵も天然痘になり、運良くそれから救われている。
 緒方洪庵は、4人の子どもの内、3人の子どもを亡くした家族から、残りの1人を亡くしたくないから、どうかして救って欲しいと頼まれる。で、不確かなまま、鼻腔に人の天然痘を入れると言う人痘法をして、死亡させてしまう。
 1849年、日本に西洋から牛痘ワクチンが入っている。分苗式(ぶんびょう)式といって、それを次々と7日毎に植え替えて行く方法である。又、大阪に除疱館を設立し、あちこちに分苗所を設立した。その数、関東から九州まで186カ所。
 牛痘法をする上で、緒方洪庵は、貧しい人からお金を取らない主義を取った。それは、その為のお金を集める為に健康を害して亡くなってしまっては、元も子もないと思ったからである。しばらく順調に行く様に見えたが、しかし、牛の膿を人体に入れれば、牛になってしまうとの噂が流れ、パタッとする人がなくなってしまい、挙げ句の果てには、こちらが出かけていって、一般の人に頭を下げて、物やお金を与えて、牛痘ワクチンをさせてもらって、それを維持して行く状態にまで落ち込んでしまう。その結果、それを続けようとしていた仲間の医師までが、次々と去ってしまう。
 しかし、ある村では、それをした所からは、1人も天然痘で死亡者が出なかったとの噂も広がる。しかし、いい噂が広がると、それを利用して、まやかしの商売も出回ってしまう。
 今まで、緒方洪庵は、幕府に除疱館を公に認めるように何度も働きかけていたが、報われなかった。1853年、ペリ一が来航し、日本も開花せざるを得ない時期に来ていて、1858年4月24日、公に幕府から、除疱館での植え疱瘡が認められることになる。
 緒方洪庵は、54歳で亡くなっている。緒方洪庵が最後に残した言葉は、「これただ仁術を旨とするのみ」であった。

 なかなかいい方法公に認められるまでには、いろんな中傷も浴び、想像以上の苦労を強いられる。

 話は変わりますが・・・
 私の場合、熱が非常に高くて子どもが興奮状態にある時、どうすればいいのか、ずっと悩み続けてきた。
 中医学では、カゼの引き初めの薬として、葛根湯とか、麻黄湯とかある。確かに、風邪の初期で、実の人には、効く。しかし、既に熱が上がり切った場合は、証が合わないし、手足も熱く、口の中も顔も真っ赤で、興奮気味の子の場合、物理的に冷やす以外にどうすればいいのか、ずっと悩んできた。
 インフルエンザの高熱で苦しんでいる人に、座薬を使って一気に下げる方法には、いささか疑問を感じていた(ボルタレンが中止になったが)。
 前のいた救急病院では、とても漢方の好きな看護師さんがいた(時間外外来で、1週間に1回、いつも顔を合わせていた)。その看護師さんの5歳前後の男の子どもさん、検査はたいしたことないのに、熱が上がると41度近くの高熱が4~5日間程続き、ぐったりなり、何をしても下がらないと言う。必ず、そうなってしまって、毎回入院していると言う。「先生、何かいい方法ありませんか?}と尋ねられた。で、その子が入院した時(葛根湯など大量に使用するのだが効かず)、いろいろ試みるのだが、やはりいつもの同じ感じの日数を要して治る。で、その時、「本当は、飲むとまずい黄連解毒湯を注腸したいんだが、経験ないから、出来ない・・・」と言った。
 で、そんな感じで言っていた為、次回高熱になった時、その勇気ある看護師さん自身が、自分の子どもにその黄連解毒湯を注腸して、直ぐに解熱させていた。もう、この看護師さんには、私は、全く頭が上がらないと思った。実は、これが、私に、黄連解毒湯を注腸するきっかけを作ってくれたのである。
 漢方では、熱証でのそんな状態で、黄連解毒湯を使うことは当たり前とのこと。黄連解毒湯の点滴まであるので、ウイルスの肺炎でも、直ぐに熱が下がるとのこと。
 カゼに関してのエキス剤になっている漢方薬、カゼ薬として、足りない所がある。熱が上がってから使用するギンキョウサンやソウギクインは、日本では、保険が使えない。
 まだまだ、この考え方、浸透しそうにないが・・・。


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