日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

じ験記(8)

2007-11-11 09:18:01 | Weblog
 術後10日目(11月2日、金)
 9:20血圧155/103(深呼吸をして測り直すと、136/93になった)、体温35.4度。
 テレビを見ると、加藤登紀子と養老猛司が対談している。団塊の世代は、社会を変えようとするよりも、自分を変えるべきだと言う。(少し納得)
 今日、広島に原爆を落とした(エノラ・ゲイの)ティベット氏(92歳)が亡くなった。戦争を終わらせる為に落としたと最後まで主張していたとのこと。(事前に、それなりの兵器があることと知らせるべきで、しかも、2つも使用したことは、とうてい理解することは出来ない。唯一被爆した国として日本は、その悲惨さを世界に啓蒙し、もっともっと積極的に核廃絶を常任理事国の国民を中心に訴えて行くべきだと思う)
 13:05からのスタジオパークで、Mr.マリックが出演してた。女性の司会者が、パワーをもらってスプーンを曲げていた(大阪万博で、同じ様な感じで、5.000人を対象にそれを証明したのは、有名)。Mr.マリックが、念力を入れると、スプーンがポキンと折れてしまった(以前も見たことあり)。「曲がると思ってしないと曲がらない」の一言は、強烈な一言だった。「ニワトリは、追い込まれると空を飛ぶ。自分も、追い込まれるとアイデアが出る」と言われた。「子どもに、手品を通じて、物事には必ず裏があることを教えることが出来る」とも言った。
 夕方のテレビに、亀田大毅を破った内藤選手が出ていた。収入がない時、奥さんが、月15万のバイトで支えていた。2歳の子どもがいて、400円の子ども服を嬉しそうに買っている。内藤選手が12年間住んで来た立石の人々も、内藤選手をずっと支えてきている。内藤選手は、チャンピオンになれたのは、奥さんはじめ皆さんの力があったからこそと言う。本当に強くなった人は、それまでに世話になった多くの人に感謝し、極めて謙虚だなあと思う。
 更にテレビを見ていたら、科学を楽しく教えることで有名人となっている米村伝次郎さんが外国で活躍していた。何と、、ケニアの ナイロビで、披露していた。(素晴らしい)
 
 術後11日目(11月3日、土)
 10:00血圧141/94、体温36.3度。
 11:10排便後、痛くなり、やむなくこの時のみ、ロキソニン(+マーズレンS)服用する。
 12:05○○草総合病院の医療秘書の人が、見舞いに来てくれた。それらしきことを今まで聞いていなかったので、本当に驚いたと言われた(入院直前まで、病院関係者には、3名にしか言わなかった)。
 この日は、予定では、東京に行って姉の次女の結婚式に参列して、久々に兄弟で再会するはずであったのだが、それが出来ず、家内と次女だけが出席した。で、暇つぶしにと言って家内が置いていった川柳の本を渡された。その中に、興味ある次の1句があった。
・「課長いる?」返ったこたえは「いりません!」
 又、この文化の日は、この病院では、主任会主催の「川柳大会」で入選した作品が、廊下の掲示板に発表されていた。その優秀賞に以下のがあった。
・「電子化で 読めるよ先生 カルテの字」
・「梅干しの 赤さが目立つ 三分粥」

 術後12日目(11月4日、日)
 8:42テレビで元チャンピオンのプロボクサー輪島が言っていた、「プロボクサーには、謝れる自信と威張れる自信の両方が必要。味方が要らん、味方が要らないと言う人は、カラ威張りの人。弱気を出すのは自信があるからだ」と言った。含蓄のある言葉だなあ。
 10:00血圧147/98、体温36.1度。
 ○○草看護専門学校の先生が見舞いに来てくれた。
 16:45テレビで(アマチュア囲碁6段の)民主党代表小沢氏が、突如辞任表明していた。驚いたなあ。(しかし、替えがこれと言ってないので、撤回すると思っていたら、やはり後日撤回になっていたが)
 午後早めに入浴して、7階のコインランドリーに行って洗濯をした。乾燥機が終わる頃に、家内が来た。いい結婚式だったとのこと。自分がいなくて残念だったとのこと。又、気になっていた人の心臓カテーテルの結果を聞いた。神の手を持つ小倉記念病院の延吉先生(1982年からの24年間で1人で4万例)からしてもらって、満足しているとのこと。速さはもちろん、あんなに解り易い完璧な説明は初めてだったとのこと(施行後、8時間動けなかった方が大変だったみたいだが)。私の主治医の○じ先生も、正に実績を伴った神の手を持つ先生だなあと思う(とても忙しそうだが)。
 21:30主治医、東京での学会から遅くなって帰って来て、診察後に、明日退院となる。(次回15日9:30予約)、
 
 術後13日目(11月5日、月)
 9:15過ぎに受け付けに行き、お金を払い、9:30過ぎにお薬をもらい、10:00前には、家内のいるホテルに着いた。
 その途中、乗ったタクシーの運転手さん(60才近くの人)から、興味ある話を聞いた。
 「・・・いや、私の場合は、首のヘルニアがあって、手がしびれるんでしない訳にもいかなくて、80日間も入院していましたよ。術後21日間は、天井見るだけで、寝返りも出来なくて、全然動けなくて、ホントに地獄でした。1日が長かったです。排尿排便が一番難儀でした。動かないんで便秘にもなって、あの時のきつかったこと、浣腸してもらってスッキリしましたが・・・」
 自分の場合、入院15日間、手術自体はたいしたことなかったが、それまでの緊張感、その後の頭痛と患部の痛さ、いろいろあったけど、もう、痔で悩まなくていいと思えば、今の痛さは、次第に軽くなっていることだし、我慢が出来る。術後20日間までは、大出血が起きる場合もあるとのこと。又、ガーゼの汚染は、術後3~4週間続くが、徐々に減少してくるので心配は無用とのこと。
 個室に入れて、食事も美味しく食べられて、いい病院でいい医療も受けられて、経過が順調で、ホントに良かった。万歳!!万歳!!万歳!!
 
*私の入院したこの大腸・肛門専門病院、評判を聞きつけて、県外からも多くなっている。それに、ドクターの教育機関的存在にもなっている。読売新聞社発行の2007年版の病院の実力なる本によれば、直腸ガンの手術件数が年間82(全国で21位?)、肛門括約筋温存手術件数が年間54(全国で6位?)となっている。スゴイ病院だなあ。

 エノラ・ゲイ (Enola Gay) は、第二次世界大戦時に使用されたアメリカ軍のB-29長距離通常爆撃機の機名。機体番号44-86292。1945年8月6日午前8時15分(実際は午前8時14分)に広島に原子爆弾リトルボーイを投下したことで知られる。また8月9日の長崎への原爆投下の際にも小倉の天候観測機として参加している。
 エノラ・ゲイの名は当時機長だったポール・ティベッツ大佐 (Paul Warfield Tibbets Jr.) の母親、エノラ・ゲイ・ティベッツ (Enola Gay Tibbets) の名前からとったもの。このことについて、本来の44-86292号機機長であったロバート・A・ルイス大尉(原爆投下任務時は副機長を務めた)は不快感を示したという。
 エノラ・ゲイはB-29爆撃機の中で原爆投下用の改造(シルバープレート形態と呼ばれる)が施された15機のうちのひとつである
(引用:フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)より)

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