狩野永徳は天下一の絵師として認められた~
この二人。 「宗達」と「永徳」
信長の前で「象」の絵を描いて認められた「宗達」。
「洛中洛外図」を描いた「永徳」
「出合い」の展開がさらに面白くする。
さて次は、狩野永徳が「洛中洛外図」を宗達と一緒に作画することになる・・・・
(足利義満~信長~上杉謙信に贈られた屏風)とは、
この度は、まったく別のものであり、この物語の軸となる・・・(安土城屏風)であろうと推測する。
*歴史上のこの二人は、同じ時代に生きていた、そして活躍していた・・・
重なっているから~本当に、この二人が描いていたら・・・ワッ オッー ですね。
500年も前のこと~何もわかっていないということを・・フィクションであると理解して
その前の物語~
信長より「俵屋宗達」という名を下賜された~
その俵屋宗達の父、(俵屋伝七郎秀蔵)が、
息子の修行先として、かれこれ三月のあいだ
~人づてに天下一の絵師狩野永徳以外には考えられぬと・・・
必死になっていた。
父は狩野家に三日にあげず出向いては門前払い~
肩を落として帰ってくる・・・日課のように~。
宗達といえば、狩野一門の絵になど興味がなく、いつものように
南蛮寺へ出向いては過ごしていた・・・。
*祈りをささげる信者とともに座し、祭壇の聖母子像をぼんやりと眺める日々・・・
ある日、突然! 狩野家から迎えの使者が・・・・
当家の主、狩野永徳が、「ご子息にお目にかかりたいと」・・・
父に連れられて狩野家の一室に通された宗達。
(狩野元信邸跡)の石碑 京都市上京区元清河寺通小川東入に石碑のみ元信ー松栄ー永徳と継がれる)
この物語のハイライト?
永徳ー「ご子息、名はなんと申す」
問われて、宗達は、「俵屋伊三郎宗達と申します」
永徳ー「そちは、上様の御前にて作画を披露したと聞く。 まことか?」
「はい。まことにござります」
「何の絵を描いたのだ」
「象の絵です」
「・・・象?」
ーそれはさておきー
*風神雷神NO.3 で信長の御前での一幕アップしていますが・・・・
=宗達が信長の前で作画を披露した史実はどこにもない。=
でも これでいい。
これからも、驚天動地の「夢物語」が続いていくのです~
「史実」と「フィクッション」の織り成す、壮大な物語です。
ややあって、父秀蔵の方に声をかけて
「俵屋さん、恐れ入りますが、これから三月のあいだ、
ご子息を当門で預からせてもらえませぬか」
「・・・・と、申しますと?」
「宗達に手伝ってもらいたいたきことがあるのです」と永徳。
「・・・俵屋宗達に是非にも手伝わせよと、上様よりお達しがあったのや」
???そんなことある訳ないでしょ・・・でも
先だって、上さまよりお召し出しがあり、ご依頼を賜った。
六曲一双の「洛中洛外図」屏風を納めよ、と」
必ず三月のうちに仕上げよ・・・・
永徳は思う~
以前の「洛中洛外図」を超えよ・・・
信長様の真意は? ・・・
あの屏風は、策略のために、それを利用するのだと・・・言っていた。
この1作。
それもまた、いずこかの権力者への贈り物となる~に違いない。
こうして二人は、一世一代の「共同作業」が始まった。
狩野永徳、数えの三十八。
絵師としては駆け出しの宗達~十二歳。
絵師としては、天と地ほどの開きがある。
*本来、常識的にもありえないし、史実にもこの事実はない。
先へ進もう~
永徳には、全体の構想は出来上がっている・・・
この絵で一番大事なことは・・・安土城や。
そして、「見たこともないような」絵・・・ならば「南蛮寺」を描き込むこと。
筆は、京都の洛中洛外の細かい描写が次々に~
まばゆいばかりの黄金の金箔が貼られた扇に~渾身の思いを込めて。
丸三月を費やして完成した。
宗達は多くのことを学んだ・・・
永徳の懐に入り、大絵師のまなざしを通して見つめた世界の広さ、すばらしさを
知った宗達は、絵を描くことへの不思議さ、果てしなし面白さにのめり込んだのだった。
狩野永徳とその一行が安土城に向けて出発した。