黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「風神雷神」 永徳、宗達を預かる・・・

2020-05-12 | 日記
狩野永徳は天下一の絵師として認められた~
この二人。 「宗達」と「永徳」
 信長の前で「象」の絵を描いて認められた「宗達」。
      「洛中洛外図」を描いた「永徳」
 「出合い」の展開がさらに面白くする。

さて次は、狩野永徳が「洛中洛外図」を宗達と一緒に作画することになる・・・・
  (足利義満~信長~上杉謙信に贈られた屏風)とは、
  この度は、まったく別のものであり、この物語の軸となる・・・(安土城屏風)であろうと推測する。
  *歴史上のこの二人は、同じ時代に生きていた、そして活躍していた・・・ 
    重なっているから~本当に、この二人が描いていたら・・・ワッ オッー ですね。
    500年も前のこと~何もわかっていないということを・・フィクションであると理解して

その前の物語~
信長より「俵屋宗達」という名を下賜された~
その俵屋宗達の父、(俵屋伝七郎秀蔵)が、
息子の修行先として、かれこれ三月のあいだ
~人づてに天下一の絵師狩野永徳以外には考えられぬと・・・
必死になっていた。

父は狩野家に三日にあげず出向いては門前払い~
肩を落として帰ってくる・・・日課のように~。

宗達といえば、狩野一門の絵になど興味がなく、いつものように
南蛮寺へ出向いては過ごしていた・・・。
*祈りをささげる信者とともに座し、祭壇の聖母子像をぼんやりと眺める日々・・・
  
  

      

  
ある日、突然! 狩野家から迎えの使者が・・・・
当家の主、狩野永徳が、「ご子息にお目にかかりたいと」・・・

父に連れられて狩野家の一室に通された宗達。
        
(狩野元信邸跡)の石碑  京都市上京区元清河寺通小川東入に石碑のみ元信ー松栄ー永徳と継がれる)

この物語のハイライト?  
永徳ー「ご子息、名はなんと申す」 
問われて、宗達は、「俵屋伊三郎宗達と申します」
永徳ー「そちは、上様の御前にて作画を披露したと聞く。 まことか?」
「はい。まことにござります」
「何の絵を描いたのだ」
「象の絵です」
「・・・象?」

        

ーそれはさておきー
*風神雷神NO.3 で信長の御前での一幕アップしていますが・・・・
 =宗達が信長の前で作画を披露した史実はどこにもない。=
でも これでいい。 
 これからも、驚天動地の「夢物語」が続いていくのです~
 「史実」と「フィクッション」の織り成す、壮大な物語です。

ややあって、父秀蔵の方に声をかけて
「俵屋さん、恐れ入りますが、これから三月のあいだ、
ご子息を当門で預からせてもらえませぬか」
「・・・・と、申しますと?」
「宗達に手伝ってもらいたいたきことがあるのです」と永徳。

・・・俵屋宗達に是非にも手伝わせよと、上様よりお達しがあったのや」 
         
                ???そんなことある訳ないでしょ・・・でも

先だって、上さまよりお召し出しがあり、ご依頼を賜った。
 六曲一双の「洛中洛外図」屏風を納めよ、と」

  必ず三月のうちに仕上げよ・・・・

 永徳は思う~
  以前の「洛中洛外図」を超えよ・・・
                 
 信長様の真意は? ・・・
  あの屏風は、策略のために、それを利用するのだと・・・言っていた。

  この1作。 
それもまた、いずこかの権力者への贈り物となる~に違いない。

こうして二人は、一世一代の「共同作業」が始まった。
 狩野永徳、数えの三十八。
 絵師としては駆け出しの宗達~十二歳。
 絵師としては、天と地ほどの開きがある。
 *本来、常識的にもありえないし、史実にもこの事実はない。
  
先へ進もう~ 
永徳には、全体の構想は出来上がっている・・・
この絵で一番大事なことは・・・安土城や
そして、「見たこともないような」絵・・・ならば「南蛮寺」を描き込むこと。

筆は、京都の洛中洛外の細かい描写が次々に~
まばゆいばかりの黄金の金箔が貼られた扇に~渾身の思いを込めて。

丸三月を費やして完成した。

宗達は多くのことを学んだ・・・
永徳の懐に入り、大絵師のまなざしを通して見つめた世界の広さ、すばらしさを
知った宗達は、絵を描くことへの不思議さ、果てしなし面白さにのめり込んだのだった。

          

   狩野永徳とその一行が安土城に向けて出発した。
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