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黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

入院生活あれこれ・・・

2025-04-18 | 日記

今日は退院後2回目の診察へ。

 どこの病院も同じでしょうが、

まったく「時間待ち」が病院へ行く大仕事なのだ。

そのため、少し早めに家を出た~

診察券を機械に入れて、出てきた今日のカルテ

の検査項目確認し

受付に提出~看護師のチェックを受けて

検査項目を順番に廻る。

 まずは「採血 腕をまくって1分   

 次に 「レントゲン」    

 「息を吸って、はい止めて、終わりました」 1

  シャツを着て 出てくる 

  検査 2項目終了 僅か5分足らず

  この為の「待ち時間」 30分あまり。

 次は、主治医の診察

 ここからが 大変、患者さんの多さにびっくり。

 待合室の椅子は満席? いやはや、この早朝の時間なのに

 集会でもあるのかと疑う賑やかさ…

                   

 待つこと~2時間!

  途中で、「順番、どうなっているの?」と

 声を出したくなる気分ですが…

 そこは、もうみんな同じ気持ちでしょうから

 ぐっと我慢で

 「ようやく 〇番さん、2番診察室へ 」の声。

 

 主治医に挨拶。

                     

主治医のPCのデータと撮影されたレントゲン写真の解説がされ

 「少しづつ良くなっているね~今日のレントゲンは、これ!

  いいね・・・その後の経過を見ましょう~

  酸素もこのままで… 生活は普通でいいよ

 じゃあ、次回の 診察日は…  お大事に」

 要約すれば・・・こんな 会話かな。

 「診察時間は、もうそれこそ5分もあれば? …」

 

ことが起こったのが、60日前のこと。

 地域のお祭り(どんど焼き)

この町一番の冬の行事です。

    

6組ある隣組が順番でこの祭りの当番で「祭り」の

準備から、当日の祭事を担当する大仕事です。

近年は、この「どんど焼き」も「昼」に行う処もあり

また、時代と共に消えていくところもある。

   まぁ、なんとか無事に終了しました。

 

お祭りは無事終わったのですが…

 担当したそれぞれの皆さんが 「コロナの症状を…」

これは大変! …「診察の結果は」

 皆さん 軽くて済みました・・・

が、私だけが?  コロナの延長線上…肺病を。

  レントゲン診察の結果

     

   肺が真っ白に! 

 担当医も、これを見て、直ぐに一声、

     「 即、入院!だ 」

行きつけの病院から、そのまま 救急車で総合病院へ直行!

        

 救急治療室で、「点滴」を。   

  「CT」に 「レントゲン」  矢継ぎ早の検査が続き

   

 夜半まで、  

その後、病室へ運ばれ~入院 

気がついた時には~ 鼻から管を…

      

 酸素を吸いながら…のこんな姿に。

 さぁ、これから長い 病院のベッド生活です。      

入院といえば、私が50代の頃(現在83歳)

 30年ぶりの入院。

(考えれば、健康な時間を頂いたことになりますね)

 朝、起きて 診察の結果が… 

「間質性肺炎」 でした。

 初めて聞く病名。

 先の レントゲン

   

  どんな症状かと言うと。

 

 

  

 

  そうなんです。

  「肺」の機能が 正常な方より衰え、酸素を取り込む力が低下する。

  肺の壁が固くなるために、元には戻らず…

   「酸素吸入装置」を使わなければ・・・生活できない。

  

  と、まぁ、次第となりました。

  現在、83歳。 残された私の時間は、この病気に掛からなくても

  それほど、先があるとは思いません。

  素直に受け入れて、少しでも回復し、元とは違った「生き方」を 

  見つけていくしかありませんね。

  

      明日は、日々の入院生活からの出来事を

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退院しました!

2025-04-10 | 日記

長い入院生活からやっと家に帰って来ました。

  50日にも

 「間質性肺疾患」・・・

 まだ酸素吸入器付けていますので入院生活の様子

少し気持ちが落ち着いてからアップいたします。

 しばらく日常生活に慣れてから・・・?

 

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再会!「田中一村様」

2025-01-09 | 日記

 昨日の続き~

 今回の特別展の大きな収穫は、一村記念館以外の「美術館」

 「個人蔵」の作品を見ることができたことでした。

     

 

 「軍鶏図」 昭和20年代 千葉市美術館蔵

 千葉市内の軍鶏師・田辺義郎宅に通って軍鶏の写生を集中して学んだ頃

 には習作的なものから落款のある作品まで多数の軍鶏図が残された。

 中でも本図は唯一、題画賛として【荘子】の「木鶏」の故事が記されて

 おり、軍鶏の姿に投影したものはなにか、思想的背景をうかがうことが

 できる。

  「朱實紫實」  株式会社ジャパンヘルスサミット蔵 昭和25年代

   

  「花菖蒲」   株式会社ジャパンヘルスサミット蔵

   

  「梨花春禽」  株式会社ジャパンヘルスサミット蔵

   

  

  

   左図 「枯木にきつつき」(冬) 右図「柿にかけす」(秋)

     昭和20年代 個人蔵       昭和20年代  個人蔵

      作品名に加えて(秋)(冬)と朱書きがある。

       四季の掛物とされたものらしい。

       江戸琳派風の構図に絞られたモチーフの色彩が印象的で、

      背地の淡いぼかしのニュアンスも美しい。

 

   「秋色虎鵣」  昭和20年代   人蔵  

     

 

   「白い花」   昭和30年代 栃木県立美術館蔵

 

  昭和22年、第19回 青龍展で初入選した二曲屏風(白い花)は自身と周囲の

  人々にとっても記念的な、当時の一村の代名詞的な図であったとみえ、20年代を

  通じて何点も制作されてきた。

  この頃の他の作例と同様、一段と繊細で洗練された描写が見られる。

 

 今日は正月9日 ちょっと過ぎましたが~

  ちょうど季節感のある1枚を見つけました。

 「七草」に因んでの作品が。

 「春の七草図」  昭和30年 個人蔵

 

  正月7日に行われる恒例行事「七草会」に用いるために

  一村に作画依頼が。

    輪郭線なく透き通るような彩色や墨の調子が美しい。

  因みに  七草は

 「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」

  これぞ七草。 昔、覚えさせられましたよね~。

 

  「亀寿老人」  昭和30年  個人蔵

      

    やわらぎの郷に滞在時に、一村の身辺の世話をした鍋島家のため、

 依頼され現地で描いた図。富岡鉄斎による長寿を寿ぐ詩画を写している。

 寿老人も蓑亀も、瞳が大きく微笑んでおり、親しみやすい表情となっている。

 

 昭和30年、九州、四国、紀州への旅をし、訪れた場所をのちに構成して

 色紙や小画面の絵画に描いた。 四国の足摺岬や室戸岬を。

 構図を工夫し、画面全面への厚く明るい彩色があるいずれも充実した作品で、

 千葉に帰ってから自分で撮った写真も参考にしながらじっくりと描き、世話に

 なった人々に贈られた。

   2023年のブログにも作品は掲載していますが、新しい作品を。

 

     「新緑 北日向」 昭和30年 千葉市美術館

  

  

  写真 (高千穂峡) 一村が撮影したもの

          

 

  「由布巌朝靄」 昭和30年   田中一村記念美術館蔵

      

 

  「室戸奇巌」 昭和30年  千葉市美術館蔵

     

 奇岩の間を海面に変え、波頭の白さや高い水平線と水面の青が強調されている。

 

  「足摺狂涛」  昭和30年  田中一村記念館

     

   「室戸ハ奇石畳々 足摺ハ断崖択   太平洋ノ 怒涛へ脚下ヲ噛ム」

 

  「平潮」   昭和30年  田中一村記念館蔵

    

     「鳴門ヨリ淡路島へ渡ラントス 船ヲ待ッ 朝風ノ印象」

 

    同じような「題材」でありながら縦横倍の作品

      この景色をどのように捉えたかったのか…他にも「色紙」

    で描いたもの、「岩戸村」をスケッチしたものとの関係。

    謎がまだ解けていない~ 。そんな 珍しい作品です。 

  

     「山村六月~北日向にて」        

          昭和30年 個人蔵         

   

 

    「山村六月」 昭和30年 田中一村記念美術館

      

  

  最終章

  縁もゆかりもない新天地。

  人生の最後となるかも知れない大きな賭けを打って出る。

  半世紀を超える画業の集大成を奄美で遂に実現することになるのだった。

 

  奄美へ来島間もない頃、トカラ列島の宝島にも足を伸ばした。

  広い空に浮かぶ雲、女神山を背景に、天然記念物のトカラ馬と背に乗る

  サギ、足元の草花を表す小さな点々など、丁寧に細かく描かれている。

 

         宝島」 昭和34年 千葉市美術館

    

 

   奄美へ来てすぐに、最南の与論島まで「視察した」ことなどが

   便りに長い絵入りで残っている。その色紙絵の1枚。 

 

    「日暮れて道遠し」 昭和33~34年 千葉市立美術館蔵

    

 

  「大熊風景」  昭和44年 個人蔵

  

 一村が紬工場の務めをやめ絵に専念していた時期に描かれた。

 染色工として働いていたその工場がある奄美市名瀬大熊町の、山を背後

 に抱く町の通りや家並が、個々に特定できるというほど詳細に描かれた実景図。

 

 いよいよ最後です。

 一村といえば、奄美の「アダン」のシリーズ。

  パパイヤ、ソテツ、ゴム、アカショウビン、クロトン そして魚の数々。

 2023年のブログには精一杯掲載しました。

  まだまだ 載せたいのですが・・・・もういいでしょう!

  華やかに 「クロトン」と「ポインセチア」

  で締めたいと思います。

   

   

 

  そして もう最後の、最後に この1枚も。 再び。

 

    「不喰芋と蘇鉄」(クワズイモとソテツ)

      

   「アダンの海辺」

   ポスター、チラシ、美術館前、美術館内

    特別展会場の各所に この代表作が

    

        

    こうして時間が過ぎた後も・・・

  まだ私の中の興奮は治まっていません!

  タイトルにあるように「魂の画家」

   一村は 今も 奄美の地に息づいている。

  彼の存在は 未来永劫 奄美の人々の手で受け継がれ

  そして、見る者の感動もどの時代の人々にも

   「魂の」凄さを堪能させることでしょう。

 

     

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再会!「田中一村」様

2025-01-08 | 日記

2025年が明けて 1月。

2023年1月28日~NO.5まで「田中一村」についてブログアップしました。

 「孤高の画家 田中一村」

 「 私の手元に 1冊の古書 NHK出版(2001年出版)

      この本を眺めて~いつになく興奮していた…。」

 

   あれから、すぐにでも「奄美に行こう!」と計画を~

 

天の見方がやって来る! 朗報です。

 2024年9月19日~12月1日 東京都美術館で

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が。

    秋を楽しみに、いざ、東京へ。 (昨年のことです)

10月 この企画展を含めて「東京美術館巡り」に行ってきました。

 会場での写真撮影は出来ませんでしたので…残念!

 

是非、 2023.1.28から5回に分けて ブログアップしていますので

    ご覧いただければ幸いです。

 また今回は、各地の美術館から、個人像からも出展されて

その総数はいままでかってないほどの規模でした。

         

           (当日のチラシより)

    一部、追加で 今回のブログに掲載します

 

   (但し、この写真も、企画展版カタログからの写真です) 

 

  2023年のブログ見て頂きましたか?

 それでは これから 幼少時代から、千葉、九州旅行などの新しい作品を

 ご紹介します。

 「個人像」これは 大変貴重なもので、今回の企画展での特別出品なので

 もうこれから目にすることはできません。

 また、他の美術館よりの作品も、借りてきたものなので今後はその美術館に

 直接訪ねていかねば見ることはできません。

 

  幼少時代 

 

  満年齢6~7歳は数え8歳

 一村の作品としては最も早い年の1点である。

 筆跡はまだたどたどしいが、すでに「米邨」の画号で描いている。

 彫刻家であった父(稲邨が号を与えたのだという)

        「紅葉にるりかけす/雀」栃木県立美術館蔵

        

         「菊図」 個人蔵

        

       この絵も8歳の時の筆です。

     「米邨」の印も捺されている。その下の部分の紙の欠損は、父が

     筆を入れたことが気に入らず破り取ったのだという。

     誇り高き画家一村の伝説的エピソードの始まりである。

         「つゆ草にコオロギ」  千葉美術館蔵

            

     12歳の作。市立芝中学校に入学した年

      客の前でも揮毫したという「神童」だった。

    「蘭竹図/「富貴図」衝立   個人蔵の作品。

  

 重厚な衝立の金地組本大画面いっぱいに片面は

 水墨のみの「蘭竹図」、片面には「富貴図」と題し極彩色で大湖石の

 前後に牡丹を密に描く。 蘭竹の群生の脇には霊芝や若竹が、牡丹も

 枝を湾曲させながら空間を埋め尽くす感覚は、一村の資質の発奮とみえる。

 画面の隅々に各種の蝶や蜂も描き込んでいる。  (昭和4年 21歳の頃)

     「山水図」上段 「浅き春」 下段    千葉美術館蔵

          

   

「雁来紅」と題された作品。  個人蔵

   雁来紅(雁が渡って来る頃に葉が紅色になる葉鶏頭の別名)

     

   輪郭線を用いず画的に描いた葉と、葉脈などの極細線を駆使し、

   1本の葉鶏頭の微妙な色合いの変化や立ち姿の存在感を。

  

   「観世音菩薩」 個人蔵

           

   「蓮上観音像」左(個人蔵) 右(株式会社ジャパンヘルスサミット)

       

「百済観音」の名で親しまれる法隆寺の国宝・観音菩薩立像をモデルにしたのであろう。

 一村は、百済観音の写真の切り抜きをもっており、蓮池の写真の資料も貼っていた。

 これを組み合あわせ試行錯誤し本図像をつくり出したようだ。

  「翡翠図(かわせみ)」 個人蔵 昭和10年代 

         

   「桐葉に尾長」 個人蔵  昭和10年代

         

     「立葵に蜘蛛」 個人蔵 1940年代半ば

     

 

本図は、銀色に蒔き付けた色紙にクローズアップした濃彩の立葵、大きな蜘蛛、白銀色 

 の非常に細い蜘蛛の巣の糸が全面に引かれて輝き、それらの繊細な心配りに打たれる

 色紙絵の名品。

 

  「四ッ手網」  昭和22年頃  栃木県立美術館蔵

   

  「一村」誕生の意欲作。

太平洋上に注ぐ夷隅川河口付近に木製長橋が架かる景は絵葉書とされたような名勝で、

画面手前全面に大きく四っ手網を配慮し、網を透かしてその橋の遠景を見せる手法を

浮世絵版画などの古典で馴染みの構図に学び活用している。

 

           だいぶ目が疲れてきたのでは?

 

       今日はこの辺で・・・また明日 続きを    (@^^)/~~~

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特別展 はにわ

2025-01-07 | 日記

昨年の秋、東京国立博物館で開催された「特別店 はにわ」を

見てきました。

 今春、九州国立博物館で( 1.21~5.11)まで開催されます。

私の住んで居る福岡県苅田町には、多くの「古墳」がありすぐそばには

「御所山古墳」と「番塚古墳」「石塚山古墳」「恩塚古墳」があり

以前より古墳には関心があったので、昨年、「東京美術館めぐり」

計画した際にそのチャンスがありたっぷり楽しんできました。

 遅くなりましたが、新年に当たり、この「東京美術館めぐり」の模様を

アップしていこうと…。

 まず この「はにわ」について

「埴輪」って何? なんですが…その前に「古墳」の説明を少し。

 古墳は、一般的に3世紀中ごろから7世紀の「古墳時代」と呼ばれる時期に

 土地を盛り上げて築いたお墓。 つまり墳丘をもつお墓を「古墳」と

 呼びます。古墳は、各地域を治める大王や豪族のものから家族のもの

まで、時期とともに形も様々変化していきました。

 「古墳といえば」の前方後円墳はもちろんのこと、四角いものもあれば、

丸いものもあります。いずれも亡骸を埋葬し土で盛り上げた古墳、

つまりお墓ということになります。

 古墳と形 こんなに種類がありますよ。

 

 近くの「御所山古墳」の写真です。(前方後円墳)です。

        

 古墳は全国には16万基以上あるといわれ、前方後円墳の割合は、およそ

 3.3%ほど…意外と少ないようです。 

 古墳の話を続けると、長くなりますのでまた機会があったら。

 とにかく、皆さんに「埴輪」って 面白いので是非、九州に住んで居て

 近くでこんな素晴らしい企画展が行われ機会に足を「九州国立博物館」へ

 向けて頂きたいと思います。

 

 埴輪って なに?

 埴輪とは、王の墓である古墳に立て並べられた素焼きの造形です。

 今から1750年ほど前に溯ります。

 古墳時代350年間時代や地域ごとに個性豊かな埴輪が造られ、王を取り巻く

 人々の当時の生活を今に伝えています。

 「埴輪」は、古墳の上や周囲に並べられた巣焼物で、死者の魂を守ったり

 沈めたりするものと考えられています。

 古墳や埴輪が作られたのは、まだ文字が広まるより昔のことですが

 調べてみると、楽器を弾いていたり、農具を持っていたり、服装も髪型など

 昔の人の生活の様子を知ることが出来ます。

 なかでも、国宝「埴輪、挂甲の武人」は最高傑作といえる作品です。

 これは今回の特別展の「目玉」でもありますから「トクと御覧下さい」

  

            

 他にその仲間たちが並んでいます。

 同じ工房で作成された可能性も指摘されているほど、兄弟のようによく似た

 埴輪が4体あります。そのうちの1体は、現在アメリカのシアトル美術館が

 所蔵しており、日本で見られる機会は限られています。

 頭から足まで完全武装しており、古墳時代の武人の様子を眼前に

 見せてくれます。

             国宝          シアトル美術館

    ☟             ☟

   

こんなに楽しいい「埴輪」も 「躍る人々」

     

( 楽しいですね~ これ男女ですかね )(見ぶり手振りも板についてる)

 

「笠をかぶり鍬をかつぐ農夫」「琴を弾く人」「琴を弾く男子像」

          

  畑仕事? 凄いよ!  琴? もうすでに楽器があった

     生活の中に「楽しむ」余裕? かな この時代に

 

 女性の姿も多い…

 「島田髷をした女」  すてきな髪形 お洒落の極み~ 

     (子供に乳を飲ませていますよ)

      生活そのものを描写しています

 「子を背負う女」   「正座の女」    「盃を捧げる女子」

       

 これって、昔も今も            乾杯! 何かの宴会の音頭?

 「膝まずく男女」 

  この家に、偉い方が訪問したのかな?

   夫婦? きちんと礼を正してご挨拶なんでしょうか

    それとも、「ハハッ~」王様の御成り…。

     

  可愛いい動物たちも沢山顔を見せてくれます!

   

                    犬         鶏

     馬        鹿       猿        牛

     

こんなものもありました 「家形埴輪」

 古墳時代って、凄いね、現在の工房でも難題の造形をきちんと造ってる?

  

                           切妻造家

          

              高層建築? 

  「舟形埴輪」

 古墳時代は、船は波濤を超えた交流に用いられるだけでなく、死者の魂の

 乗り物と考えられていました。

        

  「埴輪棺」

これこそ 古墳の主人公が丁寧に納められた棺でしょう。

もちろん、地位やその人の歴史の証なのでいろいろな形があったようです。

  「これは 等身大の棺? 凄く大きく 豪勢な造形ですよね」

   

  まだまだ お見せしたほどの画像はありますが・・・・この辺で。

   是非ぜひ、時間をなんとか見つけ出して、九州国立博物館へ!

      5月11日までです。 時間はありますから。

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。