goo blog サービス終了のお知らせ 

黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

脱皮するぞ!

2025-01-06 | 日記

開けましおめでとうございます。

 長らくご無沙汰していました「ブログ」新年を迎え

 改めて挑戦することにしました。

 指先もなんとか普段の生活に支障がない程度に回復。

 齢83歳を迎え 気持ち切り替えて画面登場することにしました。

  さて、早速ですが「年賀状」のこと。

 今日までに約50通到着。ほぼ出した分返って来ました。

 この3年間で一生懸命「減らすことに」

 本当はやりたくない「今年限りでご遠慮します」を

 時間的にお付き合いの少ない方から出していき…

  多い時は約200通を 心を鬼にして?

 年賀のあいさつを失礼させてもらい、今年でこの数字に。

 私ごとですが、転勤が多く赴任先も、北海道、東京、広島、島根

 九州(小倉、大分、博多)と財産捨てての股旅人生でした。

 まぁ、言い訳がましく言うと、財産は「お付き合いした友人」

 思い、今日まで続けてきましたが、同輩や先輩諸氏も「先に旅立ち」

 また、遠くの為、1年1度の「年賀」のみで段々、返信も

 「1行コメント」から、それもなくなり「印刷」だけの両面。

 そんなところから、年齢のことも考え、思い切りました。

 今年の干支は巳。

 いろいろな面で、今迄の自分から「脱皮」して

 「83歳なり? の自分をみつめる!」

 そんなスタートにして生きたいと。(どう理解する?)

 賀状の1行に。

 「目出度さも ちう位也 おらが春」 小林一茶。

 いろいろまだやりたいことあれども?

 「ちる花や すでに己も 下り坂」

 心して、 身の丈に合う 時間を過ごすことに

 本年も どうぞよろしく

   お付き合いお願い申し上げます。

              (*^^)v 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう少しで指が動くように

2024-08-28 | 日記

 長い間ブログを休んでいました。

 早く 早くと思いながら~指の関節が思うようにならず

 不精の日々です。

 日々 リハビリして もう少しです。

 気持ちは毎日 投稿している?

 完全に記事が書けるようにと頑張ってキイを打つ自分です。

 もう少しでなんとか・・・それまで 

 いちばん楽しみにしているのは 私なんですから。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「棟方を追いかける~」第13話

2024-05-10 | 日記

棟方の「 ~ 海道棟方板画」の発想は、松尾芭蕉の奥の細道

その芭蕉が「奥の細道」への旅は 芭蕉46歳

       

元禄2年(1689)3月27日~9月6日までの長旅

門人曾良を伴い、江戸を発ち奥羽・北陸の各地をめぐるものでした。

 「月日は百代の過客にし行かふ年も又旅人也 船の上に生涯を

  うかべ馬の口とらえて老をむかふる物は日々にして……」

 棟方は70歳からの旅たちだった~。

 

 貴重な資料が見つかってます。

  芭蕉が描いた絵巻物がこれなんです。

 「野ざらし紀行」の際、芭蕉自らが筆をとって描いた・・・。

 なかなかシンプルなタッチですが面白い~

  

  

                  (福田美術館蔵)

 

  12話で「中尊寺」をアップしました 「奥海道棟方板画」から

   「奥海道棟方板画ー奥入瀬十和田の柵 」

     

 

         <一宿標の柵ー岩手登米>

    

 

   名句をひとつ 「古池や 蛙とびこむ 水の音」

     

           <東京 深川 芭蕉庵跡>

 

     

  それでは、各地への旅の「棟方板画」もそうとうな数なので

   各「海道シリーズ」から 私なりに選んでアップします。

 

 「西海道棟方板画」より

          <福岡 若戸大橋>

     

          <宮崎 磐戸神楽>

     

          <熊本 大阿蘇山>

     

      

          <長崎 大江天主堂>

     

 

  <南海海道棟方板画>

             徳島 阿波おどり

     

 

              愛媛  石鎚山

     

  

  <羽海道棟方板画>

            山形  羽黒山

     

            新潟   荒海

     

            秋田   象潟

     

 

  まだまだ多くの作品を紹介したいところですが。。。

  またの機会に。

 

  そうそう、 棟方といえば、「女人」の板画ですよね。

  最後に、こんな素敵な「女人」をご覧ください。

    まずは やっぱりこの美人から

             <門世の柵>

     

 

     < 鍵板画柵「大首の柵」>

     

     < 懸世運(けよう)の柵 >

     

     < 円窓石向妃図 >

     

     < 弘仁の柵 >

    

     < 緋薔薇頌 (背髪の柵)>

    

     < バラライカの女の柵        

       

 

   昭和49年 71歳

 10月 個展と講演のため4度目の渡米。

    旅先で倒れ 帰国後 入院

 

 11月 改組第6回 日展に 「捨身飼虎の柵」を出品。

    

    昭和50年 72歳

 病床にて 達磨図を多く描く。

   

 

   

   

 

      9月13日 肝臓がんのため自宅で死去。

 

   

  

       我は、ゴッホになる   棟方志功

           

  大きい、大きい向日葵花、それも、真中にあの雌雄もない、花びらで囲われている

様な、カドミュームイエロー唯一彩に描きつくされてた、向日葵花が、満一杯、枯れて

いても咲き盛っていても、きっとその景色があることばかり想っていました。

 ゴッホとテオドールの墓は、同じ凸字型の、新聞紙を全開きを横にしたぐらいの

大きさでした。 白い石の面に明朝字体の英書で(オランダ綴り)、黒く凹字に刻された

行儀のよいつつましい墓が、左右に並んでありました。

       

 そこにはオカメツタというのですか、そんなツタがところかまわなく、ハビコッていま

した。ウラガナシイ気漂いがありました。

 一寸前に置かれた花束がありました。オランダギクか、赤、紫、白の色々花でした。

 

  ゴッホが、仲よかった弟と、こうして、静かに寝ている有様は、不思議な程に、

 わたくしにも安心させられた様な、うれしい、ひっそりさでした。

 思いがけない、沁み沁みさでした。

 今度ヨーロッパに来て、システィンの天井絵を見て、ここに来たという事だけで

 わたくしは、ナントモ知れない深い借金を、返し済んだ様な気がしました。

     

     

 ・・・一番好きな絵描きの仕事と、寝ている所に佇ったのですから、体心が、

 ナンダカ胸から、肩から軽くなった様な塩梅でした。ーヨカッタ、ヨカッタと

 側にいるチヤコや、巴里爾に話したのか、誰に話したのかワカラナイままに、

 そう、独り言でした。

 チヤの黛で、ヴィンセント・ヴァン。ゴッホ。 また テオドール・ヴァン・

 ゴッホでしたか、それを拓さして頂いて参りました。

 

   ・・・・この棟方の 思い出話はまだまだ続くのですが~

  とても長文、最後まで載せることが出来ません。 あしからず。

 

  「棟方志功」の「板に咲く」15話から「棟方を追いかける~」13話 まで

    実に、ながながと綴ってきましたが、これでお終いです。

 

  「一人の画家」の一生・・・

  しかし、これほど魅了した対象はそれほどはいません!

  ブログをしながらも、新しい発見があり、これからの私の人生にも

  役立つものをいただきました。

 

  この20年  毎年、6月に上京して、近辺の(関東、信州)の

  「美術館巡り」をして

  美術の歴史や画家について勉強しているのですが、この歳(82歳)

  もうそんなに先もない? だから、是非、この棟方の里

  青森 棟方志功記念館へ 足を延ばしに来たいと思案中です。

 

   先の、志功の「思い出」と同じように、志功が「ゴッホ」に。

 私も「志功」の想いでを叶えられるように・・・現地へ・

 

         ご愛読ありがとうゴザイマシタ!

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「棟方を追いかける~」第12話

2024-05-09 | 日記

昭和45年 67歳

 この年は高度経済成長のシンボルとして万国博覧会が開催

 日本列島は北から南まで大阪へ民族の移動?が行われた。

  歌手の三波春夫の「こんにちは、こんにちわ~」の一節は

 出始めのテレビから絶えることなく流れていました。

    思い出すでしょう・・・この「太陽の塔」

      

 

  その年の11月 

  棟方志功は文化勲章受章。文化功労者に顕彰される。

         

 

  還暦を過ぎてから急速に数を増した自板像だが、同時に棟方は

望郷の想いをしばしば板画に表現するようになった。

小学校の秋、目の前に揺れる沢瀉(おもだか)の花に心を奪われ

「このような美しいものを表現する人間になりたい」と心に決めた

 思い出を、棟方は歌に詠み、多くの作品に織り込んだ。

 これもその1点。 赤く塗りつぶされ眼は見えない印。

 実際は左眼は失明していた。

   

  昭和46年 68歳

 陸奥新報社創刊25周年を祝して描いた「志功ねぷた」

 弘前ねぷたまつりで運行される。

   

     < ねぷたを紙に直接描く 棟方 >

  この時の「ねぷた」

     <天之宇受女之美古登の図>

   

          <天の磐戸>

  

 

  昭和47年 69歳

  妻(チヤ)と詩人草野心平とともに棟方が深く帰依する仏教興隆の地

  インドを訪れた。 

  インドの旅から帰って後、ヒンドウー教の寺院の彫刻から想を得て

  型破りなこの作品を制作した。

             <彪濃の柵>

   

           

            <大印度の花の柵>

        

 

   昭和48年 70歳

   4月 「奥の細道」を辿り取材、「奥海道棟方板画」を制作。

現代版の「東海道五十三次」版画の制作を依頼された志功は、

を皮切りに10余年をかけて、九州、四国、東北、北陸を巡る

海道シリーズに取り組んだ。

 

 <奥海道棟方板画>では、芭蕉(おくの細道)を辿るという構想が

立てられ、志功は4月22日から11日観の日程で東北各地を歴訪している。

     <奥海道棟方板画 人肌雨の柵ー(5月 岩手)

   

 本作の取材地は岩手県平泉の中尊寺、

    

 

 芭蕉の「五月雨を降り残してや光堂」の句を添え、秘仏とされる

 一字金輪佛頂尊を、その上半身を画面いっぱいに拡大して表している。

 「人肌の大日如来」とも呼ばれるこの仏像は、その名のとおり

    

  まるで生きているかのような白い肌が特徴である。

 その肌合いとともに志功は本作において、実際の顔立ちを忠実に

写し取っている。丸くふくよかな顔におちょぼ口。半円を描く眉に

切れ長の吊り目。興味深いことに、それは、志功が描く女性像の特徴

にも極めてよく似ているのである。

 

      奥海道棟方板画 他 次回にアップ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「棟方を追いかける~」第11話

2024-05-06 | 日記

このGWは、長男の帰省で「大食い」の世話で追いかけられ

 ゆっくりもできず明日には帰る「やれ、やれ」の心境です。

 

整理する時間もないので今日は、「倭絵」についてアップします。

 志功の仕事の中心は何と言っても「板画(はんが)」です。

志功は「板から生まれた板による画」という意味で「版画」を

「板画」と称し、その躍動感に溢れる作品を多くの人々を魅了し

続けています。

 しかし、忘れてならないもう一方の仕事として、「倭画」

挙げられます。

肉筆画である「倭画」(棟方による命名)で、柳宗悦

「倭絵」と称している)は、間接的な表現方法である「板画」

よりも、直接的または、奔放に表現できるものとして、

 棟方が大いに楽しみにするものである。

 墨画、油彩、書など幅広い造形活動を展開し、これら

 創作行為をまとめて「芸業」と呼んだ。

 

 時代を無視して作品を選んでみました。

 それぞれに絵の意味があるのですが、詳細は割愛します。 

    <華厳松> 6曲 襖

   <稲電、牡丹、芍薬図>

 

        

 

     

 

        

           <座華堂野点図> 志功のこと

        

             <金太郎、桃太郎屏風>

    

            <胡須母寿花頌>   

        

            <御雛祭御祝福図>

         

 

        

               <みみずく図>     

        

        

          <フジヤのオンチャのネプタ図>

     

         <ねぷた 大好きな志功さん 祭りの中へ>

   

               <青森ねぷた図>

      

           <青森頌 春夏秋冬の図>

      

  

               <竹明妙図>   

              

            

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。