オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

港・横浜・・・

2017-01-11 | Weblog

1/11(水) 昨日の午後、横浜は関内駅からすぐの処に在る某社を訪問。久々の面会となる社長から、最近の事業動向を聞き、弊社の「ICT教育ニュース」のPRなど。につづいて、かつての仲間のことや来し方行く末について談笑するうちに時間が過ぎていった。

社長の名はHASEさんと仰るが、横須賀の研究所でご一緒した。後輩のKATUTA君やTERASHIMA君の動向を問われ『先月、KATUTA君が上京したので一杯やりましたよ』と応え、両君の様子を話して笑い話となった。こんなこと話していると時間が尽きない。

携帯の音で、次の約束時間を過ぎているのに気付く始末。HASEさんとの面会後、関内駅改札でK大兄と待ち合わせていたのだ。とんだ失態であった。早々に暇乞いをして、駅へと駆け付けた。

酒場が灯を点すまでの一時間ばかりを、港を散策することに。日本大通りから大桟橋へと向かった。ランチや観光船の繋留する波止場から、大型の客船が留る大桟橋に至ると、瀬戸内のクルージングに出向するニッポン丸の姿が在った。大桟橋をひと回りしながら、港・横浜の風景を楽しんだ。

ニッポン丸と向こうのビルの谷間に、丁度夕日が落ちる時刻と重なった。金色に輝く夕日が眩い、そのシーンを狙ってシャッターを押す姿を散見する。釣られて私も一枚・・・・。

                  

港を経た向こうに”みなとみらい地区”が、ランドマークタワーや、何度か泊ったことがある三日月形のホテル「インターコンチネンタル(前は違う名だったが)」を眺め、船のデッキ風に設えた大桟橋の板張りの上をゆっくりと歩き、港の風景を楽しんだ。

                  

最後にこのホテルに宿をとったのは、親父が上京した時なので七・八年前のことか。三年前か、隣のイベントホールでの展示会の挨拶後、このホテルの中華レストランでランチを摂った時はスタッフのITO嬢が一緒だった。一番最初に使ったのは、広告会社に出向していた折に部のメンバーを招集し、会社の在るべき姿をディスカッションした時なので四半世紀が経つ(斯様に生真面目な時代もあったのだ)。

海を隔てた光景を前に、来し方の四半世紀の時の流れを反芻していた・・・・・。

夕暮れの中、「少し陽が延びたようだね」と呟く大兄とともに、今宵の酒場を求めて馬車道へと向かった。口開けの客としてカウンターに腰を落ち着け、ぬるめの燗酒を口にしながら森羅万象を拝聴する・・・・・。気持ちのいい、午後から宵であった。

 

そんな爽やかな前夜の所為か、今朝と云うよりは夜中に目覚めた。どこぞの役所を、かつての上司や部下と訪問し、陳情なのかクレームなのかを伝えに行っていた。侵入者を遮る如くに、玄関入り口に什器類が積まれている。何故か灰皿が置いてあった。タボコを吸っていた私一人が遅れ、狭い役所の事務所内で先行した皆を追っていたが、みつからない。そん夢から醒めたのが午前三時過ぎとは、時計を見るまで知る由もない・・・・。

目覚めた以上は仕方ない、枕元に置いていた文庫本を手にした。今、読んでいるのは京極夏彦の新シリーズ「書楼弔堂」なる文庫本。京極の本は文庫でも厚い、この厚さが読むにいいのだ。時間を要する、時間潰しには持って来いながら、文章展開がいい。

そんな次第で、台所に入ったのは六時。今日は残りご飯があるので「焼き飯」、菜は「豚ヒレ肉のソテー」、これにマッシュルームとシメジのオリーブ炒めを添える。

                         

野菜は「ブロッコリ&スナップ」、小松菜と土佐天の煮物。自家製「ギンダラの粕漬け焼」、小松菜の卵とじ胡麻炒め。以上であったが、弁当は今日も一つである。嗚呼!

                            

 

 

 

 

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