オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ホタテ飯

2012-12-11 | Weblog

12/11(火) 今朝もホタテが続投することとなった。昨日予定で延期となった「ホタテご飯」を登場さすこととした。それにホタテのバターソテーである。他のラインナップも充実している?のだ。

何ししろ5時ごろから台所に立ったのだ、時間だけはたっぷりと有る。早朝と云うか明け方か、夜明け前というか払暁というのか、早くから目覚めていた。

「人間臨終図鑑」の第四巻を読んでいるが、百歳越えての死に様まで出てくるので、半身不随や痰に絡まってやらと色々な臨終がある。そんな話が脳裏に残っていたのか、気付くと私の右腕が動かなくなっていた。夢幻か本当にそうであったか・・・そんな状況で目覚めた。

半覚睡のなかで、昨日作れなかった「ホタテご飯」を作ろうと思っていた。弁当オヤジの本領か、執念と云うべきか、先ず浮かぶのは弁当のメニューであった。自分で本格的に食すのは稀、少々の味見ぐらいはするが、喰いもしない飯作りに拘るのは些か病的ともいえそうだ。

さて、冷蔵庫からホタテを取りだして並べる。具は、油揚げと干しシイタケ・舞茸を少々であった。利尻昆布と酒・醤油・塩を加えて炊飯器に掛けた。米は二合半である。

                        

                       事 前                炊き上がり

ホタテご飯が炊きあがるまでの間に、菜を仕込む。焼き物・揚げ物・炒物・煮物にサラダと浮かぶが、今朝は煮物と炒め物、サラダとなった。冒頭に触れたホタテのバターソテーは、長ネギの千切だけでソテー。煮物は、根菜の蒟蒻・大根・人参と油揚げ、唐辛子を一本いれて胡麻油で軽く炒めてから根菜を煮た。

                      

炒め物と云うべきか、炒め煮に近かったのが、焼肉用牛肉とピーマン・タマネギの焼肉風味。肉は先週使った残りで少々、焼肉のタレで野菜を味付けした感じである。

                            

そしてサラダは、ポテトサラダとなった。勇知イモと人参・卵を同時に茹で、胡瓜とタタマネギを薄切にして晒す。後は、つぶして混ぜて、塩胡椒とマヨネーズで味の調整ををするだけだ。

                            

三人分の弁当と思いきや、次女が昨夜遅くにやってきていた。彼女用にホタテご飯のオムスビを用意した次第。

                       

 

お味見はほんの少々だったが、いずれも結構なお味と、自画自賛のOyaji であった。そして、今朝のスムージーはバナナとリンゴ、ホウレンソウ。ホウレンソウは、縮ホーレンソウと云うやつだが、この所為でなんだか黴臭い飲み物となった・・・。

 

 

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バースディ・ケーキ

2012-12-10 | Weblog

12/10(月) 今日の午後、職場でケーキが出た。誕生日は昨日だったが、一日遅れで例年の如くにささやかながらも心のこもったお祝いをしてくれた。ローソクは11本。私がこの会社に来て11回目の誕生日を迎えることに因んだとのこと。歳の数だけ並んでは大変だわ・・・。

                 

                       名前付きのスワンのシュークリームは各人へ

12月生まれが4~5人居るとのことで合わせてのお祝いと云うことだ。中々工夫を凝らしてくれている。
 昨夜、今日とケーキを食す。昨夜は、自宅で長女夫妻を交えた食事だった。家人が急に仕事で呼ばれ、晩飯の用意は自分でこなした。弁当オヤジの本領発揮というところ・・・。

                          

                            昨夜のケーキ

一寸お洒落な家族なら、フレンチやイタリアンと云うところだろうが、オヤジらしく「すき焼き」と云うところが哭けるぜ小市民な団塊世代らしいメニューであった。土佐でしか見たことのない蔓科の野菜「チャーテ」(と呼ぶ)を大根代わりに使い、牛肉とネギやシラタキ・白菜と一緒に煮た。完全な関西風のすき焼きである。

              

            チャーテの皮は棘がり硬い、皮剥くと柔らかな果肉

牛肉を食べすぎた・・・、次女や小僧がいても大丈夫なようにと、ご飯も沢山に炊いたのだが誰も飯を喰わない(居ない)。お蔭で、今朝の弁当は「チャーハン」となった。菜は昨夜残った「すき焼き」の汁を使って、肉と味付けを変えて再現、揚げ物はホタテ、二匹残っていたブラックタイガー。万願寺とサトイモを素揚げにし、それを和風味で煮た煮物。

                

チャーハンもホタテ炒飯とした。と云うのも、札幌のT女史が立派なホタテを届けてくれたのだ。本来であれば、今朝は昨年にT女史から聞いた「ホタテご飯」が弁当に登場するはずだった。残念ながら、残り飯の所為でホタテ炒飯に変わった。写真の小さいホタテは、冷凍庫に残っていた生協のホタテでフライになった。

                            

食べ過ぎ飲み過ぎの週末、今朝からスムージーだが、ホタテ炒飯もすき焼きも旨そうであった。

                

 

 

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今朝も同様に・・・

2012-12-09 | Weblog

12/9(日) 6時ごろに目覚める、暇なので台所でスムージーを作って飲む。リンゴとミカン、バナナ半分と小松菜入りであった。朝飯は、これでお仕舞にすればいいものを、これで済まないのがオヤジらしい処。昨夜サンドイッチ用の食パンを買ってきたのを思い出したのだ。

北千住駅前の居酒屋で、馴染のメンバーと焼酎など頂き気分よく学芸大学まで帰り着いた。10時前で駅前のパン屋が開いていた。最近サンドイッチを作ってないな~と、思い出してしまった。食パンを10枚切にしてもらうのを待つ間、女店員に話かけていた。「最近はどんなパンが売れているの?」とか、「僕はツイスト(ねじり揚げパン)が好きなんだけど、何時もないよね・・・」などと。完璧な酔っぱらいオヤジである。

そんな訳で、8時過ぎからサンドイッチを作ることとした。久しぶりに作るので手順や食材に気が行き届かない、それでも四種のサンドイッチを完成させた。

                            

と、其処に玄関のインターホンが鳴った。宅急便にしては時間が早い、何かと出てみると見知らぬ女性が立っていた。『お宅の犬ではないかと思いますが、公園の方にと彷徨っていましたが・・・』とのご注進であった。

外を見るとボケ犬MIXの姿が見当たらぬ!あっちですよと、その女性が一緒になって走ってくれた。こっちはパジャマ代わりのトレナー姿であったが、そんなことに構っておれぬと走っていくと、いましたよ。引き綱を引いたままヨタヨタと歩く姿が目に止まった。もう少し先まで行ってしまうと、車が多い。危うくご臨終となりかねなかったのだ。

その女性に丁重に礼を言い、呆気犬を連れ帰った。散歩に連れ出すと歩かぬ犬が、帰りはまともに歩いてきた。目が見えぬのでしゃきしゃきとはいかぬが、ついぞ最近には目にせぬ動きであった。親切な方がいてくれてよかった。

そんなひと騒動があったが、今朝も昨日と同じく朝からビール!ヤッホーと云うところだ。今朝のビールも同じく『多摩の恵』と同じ銘柄ながら、ピルスナーであった。どちらかと云えば淡白な味わいのビールである。

                                 

摘みはサンドイッチなのだ、四種類を一つづつ、四切れも食ってしまった。喰い過ぎの朝だが、ビールで流し込むサンドイッチも乙なものでありました。

                             

 

そんな朝、田舎の年老いた母から電話が入った。『今日はお誕生日だから電話をしたよ。変わりないかい」だって。昨日も電話で話したばかりなのだが、相当にボケてきたな・・・。MIXと同じレベルかもしないが、目は見えるはずだ。ただし耳の方が悪い、耳鳴りと目眩が如何ともしがたい。

幾つになったか?と訊くが・・・。立派なオッサン、じじいだと応えた。幾つになっても親は親、子は子と云ううことであった。今年も誕生日を迎えた次第だが、朝からビールなんぞをやっている、何ともはや頼りない息子であった。

 

 

 

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朝から・・・

2012-12-08 | Weblog

12/8(土) 休日の朝となった、早くから目覚める。今朝の朝食メニューは昨夜から決めていた。「若狭カレイ」を食し、ビールを飲むと決めていたのだ。とんでもないグータラオヤジだが、致し方なし。旨いものがあれば、週に一度くらいは勘弁願おう。

先ずは、小僧や娘が汚したままの台所の洗い物をし、飯を炊く。味噌汁を作るが具は、サツマイモと人参・タマネギ・モヤシである。仕上げに小松菜を刻んで入れる。味噌汁というよりは、野菜のごった煮風となる。

そして、メインの若狭カレイを冷蔵庫から取り出してガスレンジで焼く。この魚は先週に家人が福井に里帰りして贖ってきたものである。そして、一寸固めジャコをごま油で軽く炒め、卵を落とし込んで卵とじ風にする。以上が朝の菜と摘みである。

ビールは、分詰の生地ビールである。友人のAjiro氏が送ってくれた代物で『多摩の恵み』のラベル。彼の地元に近い、多摩方面は福生市の醸造元が111年ぶりに復刻したとラベルに記されている。何でも、明治の頃にビールづくりが盛んとなり、各地の酒屋がこのようなビールを作っていたそうだ。

                        

氏に感謝をしながら、まずは一口。旨いね~、ヨーローッパ系のビールの味わいでコクがある。朝からビールを頂き、若狭カレイを食し、特製味噌汁とほっかほっかのご飯。これ以上の贅沢を望むことはない。小市民的オヤジにとっては最高の贅沢である。

                        

昼前、近くにある某メーカのセールに出掛ける。薄手のダウンコートを買うつもりで家人の案内であった。ハーフ型のやつを昨年買ってきてもらったが、気に入らなかった。何しろメーカーのセールなので、半額と安いのはいいが気にいる品が見つかるか?。

昨年のハーフ型は、先夜「奈加野」に寄った際に、店主が欲しがるので進呈した次第。気に入っていたオーバコートは洗濯に出してから行方不明、手ごろな価格で気軽に着用できるものが一番と出かけたのだ。

上手い具合にお手頃が見つかった。ここまでは上々、処が案内役の家人が「私にも何か買ってよ」ときた。無下にすると後の仕返しが怖いので、大様に好きなの買えば、と応えた。あれこれ物色し、決まったはいいが、私の倍もする値であった。失敗だったか・・・。

そんなことをしてから、会社に顔をだした。夕方から北千住駅前で、昔の職場のメンバーと一献交わす。会社からメトロに乗れば北千住までは12~3分だろう。飲み会のついでに会社に立ち寄り所用を片付ける。一石二鳥である。

大きな宴席は父の49日法要が済むまで遠慮しているが、小人数の仲間内の集まりは続けている。今夜のメンバーは、先月、ちょうど父の手術の時に一緒に旅行に行くこととなっていた。年に一度の旅行会を楽しみにしていたが、父の手術と重なり急遽キャンセルした。旅行を優先しようかと迷ったが、万が一のこと思い断念したが、不幸にもそれが幸いした。

十数年前、現場で一緒に苦労?をした仲間である。また愉しい一夜となろう、今宵も出撃だ・・・。

 

 

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メニュー変転

2012-12-07 | Weblog

12/7(金) はや週末となった、昨日と打って変わり寒い朝を迎えた。予定では、今日はオムスビが登場するはずであった。そのつもりで、鮭とタラコ・明太子を取りだしていた。

オムスビだけでは淋しいような気もする。と、菜を何かと・・・。昨日買って帰った焼肉用の肉を少々焼く気になった。それとジャガイモ料理を何か作ろうと考えた。何しろ五時半から起き出しているので時間だけはたっぷりとある。

ジャガイモと残っている南瓜の端を使うこととした。このカボチャは、畑の端に捨てた実から種が芽生えて大きくなったという代物。旨みがある南瓜ではないが、瓢箪形の南瓜が幾つも収穫できたので食してやることにしたのだ。(まだ大きいのが二個も残っている)

ジャガイモとカボチャを弁当に入るサイズの乱切にして、電子レンジで蒸し茹でた。これに厚手のベーコンを切ってバターでソテー、塩胡椒と溶けるチーズを絡めた。家事や長女は昼にレンジで温めるそうだが、Kはどうしているのやら・・・?冷えるとチーズが固まるので食べ方が気にはなる。

                      

鮭とタラコを焼くが、オムスビからレギュラー弁当に趣旨替えだ。焼いたものは弁当に使うしかない処だが、オムスビの方も二つほど握り、小僧に持たすこととした。

焼肉用の肉は少ししか使わなかったので、どちらかと云えば焼き肉味の野菜煮炒めとなった。野菜は、シメジとタマネギ・モヤシが入った。さらにもう一品、バターソテーのシメジを入れた「オムレツ」を用意した。

                   

三人分の弁当と、二つのオムスビが完成。菜が余ったので、今朝はジュースを止めてご飯を少々頂いた。朝から飯を食すのは久々のことだが、暖かい飯は旨いね~。

                   

 

 

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鶏肉トマトソース煮

2012-12-06 | Weblog

12/6(木) 昨夜、広島から後輩のテッペイ君が出張のために上京した。一年ぶりに前原独身寮のメンバーも交えて一献だったが、メンバーも田舎に帰ったり、コーラスの練習日とか、仕事とやらと集まりが悪い。500円玉亭主のH君だけは職場からも近い所為か早々と来たようだ(相変わらず500円亭主が続いていると胸を張っていた)。

集う店は、何時もの渋谷「奈加野」である。私は何時ものように遅れて顔を出した。最近は酒量・酒場での滞在時間ともに落ちた。二時間半ほどでお開きにしようとしたら、S氏が大幅に遅れてノコノコトやってきた。「バカヤロー、なにやってんだ」と、怒るが馬耳東風である。HとSを店に残して、テッペイと帰宅。

テッペイが小宅にお泊りしたので、弁当と一緒に彼の朝飯を用意した。とは云いながらも、弁当の菜を流用するだけのことである。別に作ったのは味噌汁ぐらいであった。人のことは言えないが、テッペイは太り過ぎた。高血圧で上が200もあると云う「自己管理をせんかい」と注意をしたが、他人様のことを言える柄ではない・・・。

彼が18歳で寮に入ってきたときは、可愛い少年のようであったが、あれから四十年近くともなりすっかり貫禄が付いたというべきか、単なるオヤジ太りと云うべきか。彼も三人の子供を育ててきた訳だ、オヤジに成り下がるのも致し方なしか・・・。

今朝のメニューは「鶏肉のトマトソース煮」「メカジキの照り焼き」「卵焼きと鮭焼き」以上である。

鶏肉の煮物はよく出てくるので、トマトソース味の野菜煮にして目先を変えてみた。タマネギとブロッコリー・ピーマン・タケノコが入った。

                         

メカジキは酒・醤油に漬けて、片栗粉の衣で蒸し焼き風に。味付けは濃い味、ニンニクとショウガをまぶしてある。付け併せの野菜はシメジ・舞茸・ピーマンであった。

                         

卵焼きは、刻みネギを入れてた醤油味。焼き鮭はおまけのようなものだが、テッペイの朝飯用が主眼。かくして今朝も三人分の弁当である。

               

私の野菜ジュースは、バナナとリンゴ、パンプキンが少々となった。グラス一杯半をグビグビ~とやった。テッペイに飲むか?と訊くと、要らんだった。「それじゃ、血圧が下がらんぞ!」と、注意一言。

                         

野菜ジュースのお味も上々でした。

 

 

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里芋煮

2012-12-05 | Weblog

12/5(水) 今朝のメニューは、昨日登板を計画していた「サトイモ」となった。これに豚肉の生姜焼きと小松菜の煮びたしである。

里芋は、いったん茹で上げてから味付け、上品にも昆布出汁で純和風の仕上げ。珍しく他の物は一切加えなかった。そして小松菜の方は、油揚げとウインナーと一緒に軽く煮上げた。ウインナーは仕上げにオリーブオイルで軽く炒め、塩胡椒を振った。

                   

豚肉はバラ肉、生姜を刻み酒と醤油で暫し漬け込む。付け合せの野菜はタマネギ・キャベツ・ピーマンにモヤシを入れる。生姜焼きと云うよりは、野菜炒めの様相となった。

                        

少し明るい色合いとお口直しの一品とばかりにオムレツ風の卵焼きを加えて、今日も弁当の完成となった。

             

私の野菜ジュースは、バナナ・リンゴ(四分の一)にミカンとカボチャを入れてみた。パンプキンの香りが強いが、風味よしであった。

                          

 

最近東横線の電車遅延やトラブルが多い、一昨夜は雨の中を靴底の浸み込みに冷たい思いをしながら氷雨の中を歩く羽目に。今朝はまた車両トラブルと大井町線の人身事故がかさなり酷い目にあった。これまで東横線の事故やトラブルは少なかったが、時代の流れが変わる予兆か?今朝は、渋谷でセミナーがあり焦ったぜ・・・。

 

 

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彼岸へと

2012-12-04 | Weblog

先々週のことだが、帰宅すると「年賀状欠礼や喪中」の葉書が数通卓上に置かれていた。11月になり早や十数通が届いたことになる。今年も先輩やお世話になった方、友人知人の身内の不幸と、哀しい知らせが届く。そんな矢先、父が入院することとなった。

心臓の周りに水が溜まっており、これを薬で除きカテーテルを入れた。すっかり体調が良くなったと喜んでいた。医師は、今後のことを考えて手術を勧めた。父は渋っていたが、検査入院の末に心臓の僧房弁形成手術を覚悟を受けることとなった。

私も同席した医師の説明では「この手術のリスクは平均では3%、Arisawaさんの場合は、検査データ結果や内臓の悪い処もないのでリスクは2%です。無理に手術を進めるわけではありませんが、先々のことを考えると手術をされる方が宜しいかと思います」こんな内容であった。

手術前の14日午後、上記のような医師の説明。父は病人とは思えない元気さ、翌朝8時20分妹夫妻や姪に見送られて確かな足取りで手術室に入った。手術は四時間ほどの予定と聴いていたが、午後二時半頃に終わった。その後、手術結果について担当医師から説明を受けた。「手術は上手くいきました、輸血の必要もありませんでした」とのことであったが・・・。

実家の小庭に父と母の句碑が建ち、その句碑開きをしたのは10月13日の土曜日のことであった。小春日和の暖かな日で、庭先でのイベントには絶好の日和となった。当初、内々でささやかな会にする予定が、母がこの機会に普段会えない姪や甥などにも来てもらおうと言い出した。挙句に卒寿の祝いや、生前葬のつもりで開きたいと、なった。

私は呆れ果てたが、泣く子と老人には勝てぬ。好きなようにやればと匙を投げた。当日は従兄弟・親戚から地元で懇意にしている方々60数名が来てくれて賑やかな会となった。

進行役の私は、父の句碑『小春日や七十余年の竹刀胝』の紹介で、この句を詠んだ時の父の心情を勝手に解釈して披露した。曰く、「今日のような穏やかな午後、畑からもいできた柿を吊るし柿にでもしようと、皮を剥く手を見やると長年親しんできた剣道でできた竹刀胝に目がいった」そんな時の句ではなかろうかと・・・」。
父は柿が好きで、晒し柿や干し柿を良く作っていた。その為の渋柿を何本か植えていた。

父は十歳から剣道を始め、その生涯は公務と剣道であったと、亡くなった後の遺品整理で開いたノートに記していた。稽古相手のいない田舎から、交通が不便な時代にも高知市内まで稽古に通った。国体の選手や監督として出場した時期もあったが、五十年余りを地元の高校生や子供の指導にあたった。声の大きい、怖い先生であった。

手術前日の病室で、畑の渋柿がまだ残っていると聴いた。それじゃ、手術が済んだら、家に帰るのでその時に採って吊るし柿にしておくよ、と言った。

水曜日、手術は無事に終わったと担当医師の説明を受けたのは午後四時近くになっていた。翌朝、麻酔から醒める時間帯を見計らってICUの病床を訪ねた。未だ眠りから醒めておらず、看護師の話では自力呼吸がもっとできるようになるまで眠らしておきますとのこと。人工呼吸器や薬のコードだらけで眠っている、父の顔だけ覗いて、改めることとなった。

薬で眠る父の表情は“苦しそうだった”。そんな父の表情を見るのは初めてのことであった。その時私が思ったのは・・・。どんな夢を見ているのだろう?

「若き頃の飛行機載りとして飛んだ大空でのエンジントラブルか、敵機の攻撃を避けようとして必死なのか。はたまた不時着でもしなければと目を皿にしているのか・・・。或いは、戦後短い間であったが営林署に勤めた時に味わった、山から麓に下りるトロッコの暴走のことか・・・」。苦しそうな父の顔を見て、そんなこと思いながら病床を離れた。

昼前に麻酔から醒めた。未だ酸素マスクを付けたままであったが、私の問いかけに短く応え、痛みもないとのこと。明日の昼前にまた来るよと言って、電車で実家に帰った。

すぐに畑に出た。残っていた柿を採った、全部で76個だった。その夜遅くまで掛かって皮を剥き、紐を付けて吊るせるようにした。外は強い雨となっていた。

翌、土曜日。雨の中を妹夫妻と病院に見舞った。昼前のことであったが、体調はよさそうである。朝食もおかゆを食べ、少し歩いたとのこと。顔色もよくて心配をすることは何もない様子。暫く話をし、「来週末には退院だな、その頃に帰るから」と云って別れた。別れ際に父が言った言葉は「お母さんをみてやれよ、行ってやれよ」だった。(妹への言葉だが、珍しいといえば珍しい言葉であった。今に思えば)

この日夕方に帰京した。家人へも無事に手術は終わったよと告げた。翌、日曜日は昼前に会社に出た。1時半頃に携帯が鳴った、妹からであった。「さっき病院の先生から連絡があり、母と親族を連れて直ぐに病院に来るように」と言われたとのこと。「容態が急変し、心臓マッサージをしている」との連絡であった。

会社から取って返し、帰郷の用意をする羽目となったが既に覚悟はしていた。自宅の玄関を開けようとしたとき、携帯が鳴った。母や、妹たちが病院に着く前に亡くなったとのことであった。

 

 若し、「人間臨終図鑑」の著者山田風太郎氏が父の死を書くとすれば 、次のようになろうか。

 89歳で死んだ人々  有澤重作 ありさわじゅうさく [1924~2011]

 心臓弁膜症の手術を受け、順調に回復すると思われていたが、術後三日目、血栓が生じて心臓の血管が破れて急逝した。その死は、苦しむ暇もなく訪れたと思える。遺族は医療ミスではないかと疑ったが、故人が手術に臨む前の覚悟を知ること、また覆水盆に還らずの諺を引いて、医療関係者を責めることはなかった。
 高知県安芸郡東川村入河内(現安芸市)に、有澤萬衛門の6子として生まれ、10歳から剣道を習い、長じて郵政業務の公務の傍ら、剣道を通じて青少年の育成にその生涯を捧げた。その性は気短く、大酒をあおり高歌放吟を好んだが、一方で質素・倹約を旨とし虚飾を排した。

晩年の口癖は「90歳まで生きたいものだ」であった。が、これについて子息は、

「予科練を出た父は、そのまま飛行教官となったそうです。敗戦が濃くなった昭和20年6月頃は岩国の航空隊に所属。飛行機も燃料も無くなったので、教官たちで特攻隊を編成することになったそうです。

鹿児島の特攻基地に赴任する前の休日、仲間と広島に遊び、ふとしたことから易者に手相を占ってもらったそうです。その時に『良い手相をしている。あなたは90歳まで生きる、人の上に立つ手相だ」と、大層誉められたそうです。この時に一緒にいた教官仲間は大笑いをし、自分でも“滅相わやにするな”(土佐弁を翻訳すると、いい加減なことを言いやがって、バカにしている。とか、という意味)と思ったそうです。

特攻隊で明日の命運も分からん時、祖父の萬衛門さんも最後だと会いに来たそうですから。処が、運あって生き延び、戦後の紆余曲折を凌ぎ、愈々易者に言われた90歳を目前に迎え、本当に90歳まで生きるかもしれない。そんな希望や願望が芽生えたのでしょう。

残念ながら、目前にして逝ってしまいました。それでも、親父らしい潔さで逝ったものだと感心しています。あの手術が、親父にとって六十余年を経た特攻だったのではないでしょうか」と話した。

人間の運命の面白さ、不思議といえるか。終戦の8月15日、鹿児島の前線基地から岩国の本隊に戻って即日解散。軍刀とピストルに手榴弾一つを身に着け、その日のうちに高知空港に帰着した。終戦の日に帰ってきた姿を見た姉は、幽霊ではないかと疑った。

終戦日から三日間、大空を飛ぶことができた。自分が乗ってきた飛行機に知り合いや親せきを搭乗させて、生家の上空を何度も舞ったという逸話が残る。当時の高知新聞にも載り話題となった。

その通夜・葬儀ともに剣道関係者、門下生や地元の人々が会葬、数多の花に囲まれる中でしめやかに執り行われた。戦前、戦中、戦後の時代を生きてきた市井の一人が、「融然院両徳重志居士」となり、真言宗豊山派 北寺 宗圓住職の読経に送られて彼岸へと旅立った。

 

11月26日、月曜日の夕刻の便で高知を発った。何とも慌ただしかったが、葬儀を終え、最低限の手続きだけは終えることができた。全国的に雨とのことで高知空港も雨であった。到着便も遅れて、遅れてのフライトとなった。飛行中も悪天候が続いていた。

飛行機は大きく揺れながら飛行し、エアポケットで急激な降下をした。窓を雨が叩いている、ゆれる機内から厚い雲と雨を見ながら父のことが過ぎった。若かった父は、小さな飛行機を操縦しながら幾度となくこんな状況に遭ったことであろうと・・・。

父の青春と生命の終わり、父と子の葛藤。その長い道程を想った、雨に誘われるかのように涙が零れていた。

 

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冷や飯を・・・

2012-12-04 | Weblog

12/4(火) ご飯を炊こうかどうかと迷った挙句、十二分に冷蔵庫で寒いおもいをしている残り飯を一挙に登板さすこととした。弁当なので雑炊やオジヤと云う訳にもいかず、迷った挙句に「チキンライス」となった。チャーハンも捨てがたかったのだが鶏肉を見つけたのが決め手・・・。

お菜の方は、里芋の煮付などを考えたが、勇知イモの北あかりと挽肉を練りこんだ「コロッケ」をメインにした。そして、残っていた「塩麹漬の鯖焼き」と煮物を作ることとした。

                    

煮物は、大根・人参・シイタケと烏賊を使うことにする。和風の味付けなので、菜が自己主張をしない。まるで私のような存在である・・・。

                        

チキンライスは、鶏肉の小口切りとピーマン・人参の野菜に刻みベーコン。タマネギを出場さすことを忘れていた(今になって思い出すとは大したボケようだ)。

                        

最後にもう一品、ホーレンソウのごま油炒めの卵とじ。今日は、以上であった。弁当が完成してから、ホーレンソウとリンゴ・トマト・ミカンの野菜ジュースを作って飲んだ。ローフードな食生活のつもりである。(こんな程度で体調が良くなれば申し分なしだが・・・そうは問屋が卸さないか)

                  

チキンライスもコロッケも煮物も余ったが、誰かが食べるだろう・・・。

                  

然し、朝からコロッケ作りとは暇なオヤジもいたもんだぜ・・・。

 

 「暫く会わないと・・・」

ここのところ寒い日が続いている。EBIYA HONTENのAKIMOTO氏を、少し陽気が戻ればお見舞いがてら訪ねようと思っていた。先週に久々に連絡を貰った処、9月に脳梗塞をやり二月ほど入院生活を余儀なくされたとのことであった。

そんなことになっていたとは、全く知らなかった。私の方は、9月は会社の決算、10月は取材や郷里でのイベントと落ち着かない日々であった。AKIさんとは、2~3か月に一度は渋谷界隈で一献交わすのだが、そんなこともありご無沙汰をしていた。

昨日も殊の外寒かった。が、中目黒まで出かける予定があったので代官山に住まうAKIさんに連絡をいれた。外出ができるとのことだったので、自宅に近いと言う『蔦屋』で会った。杖を片手に、左足の送りが不自由な様子だが顔色はいい。お茶を飲みながら様子を聴いた。

三連休の始まった9月15日の夜、近所の酒場で一人酒をたのしみ帰ろうと席を立った後に、突然に左の半身が動かなくなったとのこと。それでも自宅まで戻り、風呂に入ったとか。17日になって近くの病院に行った処、即入院となり、その後リハビリができるJR病院に転院して二月を過ごし、ここまで回復したと言う。

体がおかしくなった時に、即適切な手当てができていれば回復はもっと早かったかもしれないが・・・。それでも梗塞が軽い方だったのでよかった。この二ヶ月、必死でリハビリに励んだとのことで、言葉も顔色もすっかり普通である。左手に力が入らないとか、足運びに不自由さは残っているが徐々に回復するであろう。一安心をしたのであった。

手ぶらで伺いながら、病人のAKIさんからミャンマーの学校建設支援の寄付を頂き、父の香華まで頂くとは汗顔の至りであった。

暫く会わないうちに、様々なことが生じている。と、実感する。

 

 

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カニご飯

2012-12-03 | Weblog

12/3(月) 連日寒い日が続く、とはいえこの東京の寒さぐらいでは北国の人に笑われるか・・・。週末、家人が所用のために故郷の福井へと出かけた。妹たちと魚港の方に行ったとのことで、越前カニの雌「香ばこカニ」と云うそうだがこれを送ってきた。雌カニは小さくて身を食すには不向きだが、味噌が絶品なのだ。日曜日の夜はこれを食べ、野菜たっぷりの豚シャブとなった。

さて、日曜日の午前は「ローフード」の体験講習会とやらに出かけた。ローフードとは、生の物を食べることとか。加熱しないことで食物の酵素を壊さずに体内に取り込み細胞を活性する。どうもそのようなことらしい、加熱をしても48°以内とのこと。

この日は話を聴き、フルーツと野菜(チンゲン菜)のスージーを作って試飲。胡桃とカカオににた植物の粉末で作ったデザート(甘味料は一切使ってない)を頂いて終わった。参加したのは会社のRie嬢の他に、モニターをやって効果があったという若いママさん、旧知のSHIHOさんと彼女が案内した韓国人の中年ビジネスマンであった。

韓国の方は、ローフードを韓国で普及してビジネスにしたいと考えている様子であった。講習会の最後に感想などを聴かれたが・・・、体に良いと云われれば何でも試してみるのもいいかも?その程度の認識しかないのが現状。いづれによ長続きはしない、が野菜ジュースは毎朝飲んでいる。後は体に良くないと云われた肉や乳製品などをどれだけ減らせるか・・・。

しかし、この手のことは諸説。自分が気に入ったことをやるだけ、自分が美味しいく頂ければ、後は量を程々に調整できればいいような気がする。とは云いながらも、体質改善をするのは喫緊の課題でもある。

今朝も弁当作りに入る。米は玄米が良いとのことであったが、白米だね~それに昨夜のうちから次女にカニご飯を所望されている。小さなカニの身をほぐし、カニ子を取って(昨夜次女がやったのだが)カニ飯作りとなった。昆布・酒・塩に人参とキツネを細かく刻んで入れた。(家人はこのカニが大好物だったが、数年前から蕁麻疹が出るようになった、ほんの少ししか食べれない。可哀相なものだ)

                      

菜の方は、週末に届いた佐賀の酵素豚肉のヒレとトンカツにする。併せてピーマンや南瓜・四方竹も揚げる。朝からこんなものを作るようでは、前日のローフード講習会の意味はないのだが・・・。弁当を取りに来た長女にローフードのことを伝えると「それはオヤジだけにしてよ」だった。

                 

他の菜は、残っていた四方竹と鶏肉・茗荷の煮物。フライの残り卵と小麦粉・パン粉を使ったチジミ、以上であった。今日のメインは『カニご飯』です。家人の小さな弁当は、白飯とカニ飯のハーフ&ハーフである。

 

                       

 

 ちなみに今朝の野菜ジュースは、リンゴと柿、ホーレンソウだった。

 

 

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