オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

墳墓の地

2020-01-19 | 弁当

1/19(日) 亡父が生まれ育ったところは、現在の安芸市入河内(にゅうがうち)と云う山里である。三人の姉、二人の兄に弟が一人であった。現在の入河内は柚子やお茶づくりの山村でご多分に漏れず過疎である。

その墳墓の地で実家を守ってきた長兄の長男に母となる伯母の七回忌法要があった。長男の直宏は野球選手として甲子園に出場した名手であったが、地元の銀行を退職後再就職をして間もなく急逝した。伯母は息子を見送った後、96歳で大往生とも云える人生を閉じた。我が父が亡くなった翌年のことである。

子供頃には大勢の従兄達が集った入河内にはここしばらくご無沙汰をしていた。田舎暮らしを始めたので、正月内に墓参りをしたいと思っていた矢先、法事とのことで今日の訪問となった次第である。

子供時代のことを思い出しながら、北寺の宗円住職の読経を聞いていた。

その実家は次姉のミッチャンが孤塁を守っているが、直宏の奥さんと東京住まいの娘夫妻、高知市内に居る長女一家が集まっての法事であった。こんな時でもなければ、親戚縁者がゆっくりと話す機会が無くなっている。法要後の宴席では冗談を交えてお喋りのしどおしであった。

            

長姉一家の送迎に甘えて、墳墓の地を訪れていい一日を過ごした。

ミッチャンが抱えているのは、特産の入河内大根という大きな大根で、実が固くて長持ちする大根である。お土産に所望していただいて帰った。それと、干し柿に甘い柚子煮を詰めたミッチャン作の干し柿菓子も!。

              

 

帰宅後、三人での夕食を終え、メールをチェックするとKISHIMOTO大兄から届いていた。池袋の居酒屋「野武士」が、四十五年の歴史に終止符を打つとのことであった。この店には大兄に連れられて随分と世話になった。女将さんの出身らしく「信濃の国」の詩が大きな文字で壁に掛かっていた。

大兄の友人・知人にも沢山紹介いただき、カラオケを熱唱した。お世話になった行きつけの店が店仕舞いし、集う場がなくなるのも淋しいものである。人も、店も、歴史を閉じるときが来るは必然ではあるが。

我が人生に幕が降りるのは何時か?こればかりは計りようがないが、いつでもいいと思う生き方をしたいものである。

 

 

 

 

 

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