オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

日々、之あり!

2019-10-24 | 弁当

10/24(木) 今朝も弁当を作り終えた後の朝食は残り物と缶ビールが一つであった。何時もと変わらぬ朝の習慣。然し斯様な日々も余すところ二週間ばかりとなった・・・。

昨日の昼、佐賀から上京しているNAKAMIZOさんにお会いし、恵比寿駅アトレの六階でランチをご一緒した。普段は摂らぬ昼食だが、ご相伴しなければ。白ワインを一杯だけ頂きながら、佐賀のことなどを聞く。

ビッグニュースは、インドに駐在している子息のDAISUKE君が結婚するとのことだ。彼の地で知り合った日本女性だと、一時帰国して一緒に里帰りした折に撮ったスマホの写真を見せてくれた。

「よかったですね」と、その写真を見ながらDAISUKEも立派になったと思った。「NPO地球市民の会」との関りから、ガッツ溢れる彼を学生時代から知っている。故古賀武夫さんの英語・空手の愛弟子であり師を敬愛していた。

二時間程ランチタイムを楽しみ、一旦帰宅後、準備を整えて渋谷「奈加野」に向かった。夕刻から取引先であった香川の印刷会社の社長や前東京営業所長さんとの懇談のため。前所長のSUNAYAMAさんとはAD時代に後輩の紹介で知った。かれこれ三十年前のことになる。

そんなことから、SUNAYAMAさんが所長を定年退任して香川の本社に戻ったと聞き、機会があれば慰労したいと思っていた。今回、社長と一緒に上京するとのことで昨夜の小宴となった次第。

二代目の若社長がプライベートから仕事のことと大いに喋り、賑やかな宴となった。電信電話記念日のOB懇談会にも参加しない10月23日は斯様に過ぎていった。

 ここまで書いて外出時間となった。続きは、翌早朝(10/25)に書き始めた。この日は昼から池袋で飲み始めて、人形町で締めくくった。長が、時間の酒場で飲み疲れ!。

 この日、12:30分に待ち合わせの池袋でKIYOTAさん、TAKAHASHI君、USUI老と合流。小生の帰郷送別会を口実に居酒屋で昼酒が始まったのだ。

KIYOTAさんはAD時代の我らの上司、過ぎ去りし日の失敗やドジッた話で盛り上がり笑いっぱなしの二時間を過ごした。仕上げはギネスを飲むために店探して流離うも時間が早くて空いていない。とうとう西武デパートの8階レストラン街まで流れたが・・・。

どの店もギネスを置いてない。諦めかけたころ・・・。八階の店内案内所にいたスタッフが追いかけてきて、屋上のガーデン屋台に置いている店があると知らせてくれた。そして、わざわざ一階上の店まで案内下さった。

野球はおろか、ゴルフでもやれそうなだだっ広い屋上に客の姿はなく、風が吹き抜ける曇り空の下で寒々としていた。それでも漸く探し求めたギネスの瓶ビールに辿り着き、寒空の下で乾杯!。

        

KIYOTAさんと飲むと必ずギネスとなる。かくして目的を達し、三時半に散会となった。

散会した後、USUI老が「人形町へ行こうよ」と誘うのであった・・・。老は先のベッタラ市期間は風邪を引いて寝込んでいた。その反動で馴染みの街に顔出ししたがったのだ。

誘われればノーと云えない。店店が開く五時前、三越前に着いた。店が開くまでの時間つぶしに界隈に在る「島根館」から新潟、富山とアンテナショップを覗いて少々の買い物をした。そして口切は「高松」へ、そこから初めての「おばんざい 三貴」なる店に寄った。最後は「ちょっぷく」で締めとなった。

帰宅は22時と早かったが、昼酒から始まったので些か草臥れたと云うのが実態。

 

この日の弁当は、茄子味噌炒め、豚バラのインゲン巻き焼き、粕漬焼き、ホウレン草の胡麻和えなど。

           

 

 

 

 

 

 

 

 

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