オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

肉じゃが

2014-07-03 | Weblog

7/3(木) 夜中に目覚めた、ラジオからNHKラジオ深夜便の放送が微かに流れていた。昨晩もラジオを点けたまま眠ったようだ。耳を澄まさなければ聴こえない音量だが、三橋美智也の「赤いランプの終列車」が流れてきた・・・。何時かとスマホに触れると、午前3時を過ぎたところであった。

深夜に流れてくるかつての流行歌は、昭和28年に流行った歌の特集のようだった。昭和28年と云えば、サラリーマン時代に花のニッパチトリオと称して、28年生まれの元気のいい後輩たちがいた。その中の一人、松山市在住のKATUTA君から電話を貰ったのは一昨日のことであったか。

花のニッパチと意気軒昂だった彼らも、早や還暦である。そう思えば、月日の速さを、年月を実感するばかり。そのKATUTA君が、再雇用だとかでこれまで勤めていた会社が運営する社会福祉法人に勤務することになったとの連絡であった。なんでも、施設長を仰せつかったとの由。

『自分の入所先が見つかってよかったな、それとも、もう入所したんか?』と冗談を言ったが、退職再雇用や退職をする年齢になっていた。そう思うと、俺や~一体どうすりゃいいんだ・・・、と云うことになるが。

かつての仕事仲間からのことと云えば、もう一人SHIMADAさんから昨日にお便りが届いた。つい先日、北千住でお会いしたばかりだが、その丁重な手紙には「お酒の滅茶のみをしないで、体を考えて自粛をされるように」と気遣いの文言があった。何時までたっても、やんちゃな私である。一緒に仕事をした当時から、ご心配の掛けどおしだ。

ラジオから話が脱線したが、深夜にそんなことを思っていた次第だ。結局眠れなくて、今日も五時に台所に向かった。

今日の弁当は何にしようかと、足元をみるとジャガイモが箱に一杯あった。これこれ、これで「肉ジャガ」だ、一品目が決まった。後の菜は、冷蔵庫を覗いてあれこれと物色する。冷凍のイカが長い間眠っている、これをバターソテーにしよう。野菜のセロリ・シメジ・ピーマンをオリーブオイル炒めで添えた。

                

そして、ふと思い浮かんだのが「牛蒡の揚げ物」である。こいつは酒の摘みでも結構にいける。弁当の菜にも合うんじゃないか?と云うことで、牛蒡揚げを作ることにする。揚げ物次いでに、鶏・茄子も少々唐揚げにしようとなった。最後はやっぱ「卵焼き」である。子供の頃、卵焼きは嫌いだったが、これも歳の功と云うやつかな?

                           

六時には弁当が完成。その後は暇なので改めて蒲団に寝転がったのであった。ゴロ・ゴロ、ごろごろ・・・、田舎の母からの電話で起こされてしまった。

 

 ―酒場日記―

昨夕、相棒のHIROさんが会社に来た。来週は引っ越しなので、荷物を整理するようにお願いをしていたので、その件である。一時間ほどで終わったようだ。時刻は丁度七時、二人で退社した。

HIROさんは、春先の肺の手術につづいて背骨の神経圧迫と、満身創痍に近い状況が続いている。痛みが酷かったそうだが、薬が効いて歩けるようになったとのこと。糖尿病のこともあるので、飯も酒も控え目にしているという。その成果か、体重も落ちてひと回り小さくなった。

そんなHIROさんだが、私と会うと、付き合い酒で暫し時を過ごしてくれるのが常。昨夜も二時間弱、二人で時を過ごした。場所は何時もの店である。店内の写真を見れば、ああ~あそこかとなろう。

                          

例によってハイボール、ハイボールオンリーであった。二人での話は、移転のこと、会社のこと、体のことと至って生真面目な内容であった。摘みは取らない私だが、HIROさんがオードブル風の盛り合わせをオーダーした。

                          

秋にでも、高知の田舎に遊びに来ないかと、誘った。鮎もあろうし、上手くいけば鰻が喰えるかもしれんよ。と、旨い餌をちらつかせたのであった。それに、畑で俺の焼芋もあるぜ・・・。安田川の鮎と鰻は、HIROさんも絶賛する味なのだ。タップリとご馳走するから、H女史と一緒に来てほしいものだ。

山里の空気と、ゆったりと流れる清流のオゾンを吸って、英気を養ってほしい・・・・。飯作りは任せてよ!(あんまり喰しちゃいかんか)

そんな夜であった。

 

 

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